最近殺伐としたニュースばかりですね。少しずつでも暮らしやすい社会になればと思いますが、政府など行政に頼っても社会問題への対応は鈍いようです。そこで、住民ひとりひとりが心掛ければ実行できる世直しってありますか?
 まず、普段から貴方がこれは直した方が良いと思われる社会問題の具体例と、それを直すために私達はどうすればいいとお考えかをお教えください。
 忌憚のないご意見をお願いします。

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A 回答 (17件中1~10件)

今までの対処療法では埒があきません。

一切の社会問題の根本原因を除去しなければならないのです。それは即ち「過剰人口」である! 人口が少なければ渋滞や事故は起きにくいし、資源の消費量は減らせるし、(糞尿も含めて)ゴミの排出量も減らせるし、悪党の絶対数も減るから警察署も裁判所も刑務所も少なくて済むし・・・とにかく人口を減らすことが喫緊事である。では戦争を起こしたり病原菌を撒き散らしたりすることなく過剰人口を削減する方法はと言うと・・・それは{繁殖の撲滅}をおいて他にあるまい。繁殖さえしなければ教育に金がかかることはないし、子孫に債務を残すこともないし、何より生きる苦しみを味わわせなくて済むのだから子々孫々にとってこんな有り難いことはない。よって既に実在している世代にとっても、今どこにも実在していない未来の世代にとっても繁殖を根絶することは時空を超えた「救済」のために不可欠なのである。老子の教えを敷衍して我々は究極の世直しを行ってまいります。
 「(人口を)減らしに減らし、無にいたれ!」
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この回答へのお礼

 hb875さん、ご、ご回答ありがとうございます。
 いや~、かなり過激なご意見ですなぁ・・・(笑)。確かに従来の社会システムや対処療法に任せていたのでは埒のあかない問題は多いですね。せまい日本にこれだけの人口がいることは問題ではありますよね。
 しかし、現在(平成13年度)、日本全土の土地面積は37.7万平方kmで、人口は1億2500万人くらいでしょうか。土地面積を人口で割ると、一人当たりの土地割り当てが3.02平方km、即ち、本来ならひとりひとりに約900坪くらいの土地があることになります(えぇ!!ホントに!?)。ところがその土地面積の過半数は国公有地(約57%)、民有地(約43%)で、森林(約67%)、農地(約14%)、河川(約3.5%)、道路(約3.2%)、宅地(約4.5%)、その他(約7%)だそうですから、宅地だけで見てみると、37.7万平方kmの4.5%の1.7万平方km。それを同じく1億2500万人で割ると、一人あたり1,360m2で約40.5坪位の宅地保有ということになる。更に、その土地の評価額は、総務庁の計算の1,740兆円の評価を基準に1億2500万人で割ると、ナント1,400万円の宅地保有ということになる、はずなんですがねぇ・・・。これは一部の特権階級者の手にその殆んどが集中している証拠なのでは???。とまぁ、貧乏人としてはそんなことを愚痴りながら自分に出来る範囲の世直しを考えております。ハイ!

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/13 16:24

再度おじゃましました。



いや、私のつたない回答に驚くほど御丁寧な返信をいただき、恐縮しています。
私は北海道の人間なので、沖縄の「藻」のお話などは初めて知りましたが、とてもいいお話で、ちょっと羨ましくも感じました。

最後の方で「私も世の中のよい肥料になれたら…」とありましたが、本当に我々1人1人が自分の為だけでない意識を年齢も性別も関係なくもてたら、最近のおかしなニュースなどは減って行くのでしょうね。

今回このご質問を拝見できて、改めて「学問とは何ぞや」ということを考える事が出来ました。
お互いに我々にできる「世直し」に向かって頑張りましょう!
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この回答へのお礼

weiyienさん、再度登場して頂きありがとうございます。ちょっと故あって数ヶ月もこの「教えてgoo」に来れずにいました。お返事が遅れまして申し訳ありませんでした。もうきっと読んでもらえないのではないかと不安を感じつつ書いてます。

 さてさて、weiyienさんは北海道ですか。と言うことは、私達は日本の両端から日本の事を考えているのですね。これはなかなか効果がありそうですよ(笑)。

 「世直し」というのは主観的な面もあり、それぞれの理想の社会がお有りになるとは思います。「最大多数の最大幸福」も理想社会かも知れません。しかし、そのために少数の人々が憂き目に逢うことを甘受するのも辛いですね。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」、私は何だかこっちの方が好きです(社会主義者ではありませんが(^-^))。それぞれが優しさと思い遣りを忘れずに生きて行ける社会になればいいなぁと思います。お互い少しづつでも理想に近づけるように頑張りましょうね。

 今後とも宜しくお願い致します。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/13 15:43

私が思うのは、「勉強することが学校の内容は違うんじゃないか」ということです。



学問の為に学問をするのではなくて、人として生きていくための肥料となる学問を、今の学校は教えていないと思います。
例えば、学校で英語を勉強してどれだけの実践力が身についているのか。高校で習う(選択の所も多いでしょうか)「倫理」も、その中身ではなく、誰が何論を説いたかくらいの物。
戦前の国語教育で、諸葛亮の「出師の表」が教材となっていて、「これを読んで泣けないやつは人間じゃない」と言われていたそうです。
泣けるか泣けないかは別として、今の教育に欠けているのは、上の例ならば「諸葛亮」という人名と、「出師の表」という作品名だけでなく、「そこに込められている思い」とは何かを考え、どう思うかに重点をおかない事だと思います。
同様に、孔子の「論語」には何が記されているのか、儒学って何?老荘思想って?
そういう中身に今の教育は踏み込みません。
今のおどろおどろしい事件の裏には、こういう「人としての肥料になる学問」の摂取が不足しているからだと思うんです。

学校では、今後も「お受験用」の学習が行われるでしょう。「1600年」に「関ヶ原の戦い」があって、主要人物は「徳川家康」と「石田三成」。それさえ判ればOKで、その背景やその戦いの持つ人としての意義などは無視されていくでしょう。

ならば、我々一人一人が自らそういった勉強をするしかないような気がします。
「人としての肥料」となる学問に目覚める事が、大事じゃないかな、と考えています。
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この回答へのお礼

 weiyienさん、お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。
 「人としての肥料」ですか、とても深みのあるいい言葉ですね。仰る通り、最近の学校の勉強というのは常に進学を念頭においた指導しかしていないように思いますね。いや、数学や物理などの分野ならそれでもいいのかも知れません。しかし、国語や社会や歴史といった分野は、「なぜそうなのか」という疑問をしっかり意識して、その事象の経緯や結果のみならず、その事象の裏にあるもっと深い意味や因果関係や結論を学ばなければならないのではないでしょうか? まぁ、そんなこと言うと、「そんなとこまで、とても1年間では教えられませんよ」と学校の先生方に怒られそうですが、そうですよね。無理に決まってますよね。だから、もっと教育制度や指導要領等といったものの根本的な見直しから始めなければならないのでしょうね。
 「肥料」ということでひとつ。わたしは沖縄在住で、いま海をきれいにするバイトをしています。海には、毎日たくさんのゴミと一緒に「藻」(も)が打ち上げられます。沖縄の海は比較的きれいですが、場所によっては「藻」が多く打ち寄せて海の景観を悪くしてしまうところもあります。「藻」って海岸に放っておくと腐敗してすごい悪臭を放つんです。そこで、それを取り除くのですが、その「藻」を近所の畑に持って行くのです。すると、畑のおじいちゃんやおばあちゃんはとても大喜びします。「これはいい肥になるんだよ」といってありがたそうにそれを貰ってくれます。わたしも遠くのゴミ処理場へ有料で捨てる手間が省けるのでとても助かっているのに、畑のおじいちゃんやおばあちゃんは、わたしが「藻」を持ってくると、いつもニコニコと「暑いのにご苦労さんだねぇ」といって冷たい麦茶を振舞ってくれ、畑で作ったゴーヤーやオクラなどをたくさんくれます。不思議だなぁと思うんです。海にあるとジャマな「藻」が、畑にはこの上ない大切な肥料で、すぐ近くにある畑のおじいちゃんとおばあちゃんがいるから遠いゴミ処理場まで行かずに済んで、なお且つ、毎日素敵な笑顔とゴーヤーを頂いている。人に忌み嫌われてもちゃんと重要な存在価値があり、人知れずにすごい働きをしている「藻」。最近、自分もこんな存在になれたらいいなぁと思うことがあります。
 落語にも肥料の大切な話が出てきます。ある庭に立派な栴檀(センダン)の木があって、とても評判でした。しかしその下にはなんとも醜いナンエン草という草が生えているのです。「あの庭は、木は立派だが、下に生えている雑草はどうも見苦しいねぇ。あれじゃ木も見栄えがしないよ」という評判が起ったので、その庭の主人はそのナンエン草を全部刈ってしまいました。すると、あっという間にセンダンの木まで枯れてしまったのです。あとで調べると、ナンエン草はセンダンの木にとってなくてはならない大切な肥だったそうです。しかもその関係は、ナンエン草はセンダンのような大きな木の下でないと雨風に打たれて生きられない、しかしセンダンの木の枝から落ちる雫は、ナンエン草にとってちょうどいい養分となる、という相互関係にあるのだそうです。むやみに醜いからといって見苦しいものを何でも排除するのは、ひょっとするととても大切なものを失ってしまう危険なことなのですね。
 決してヒーローや主人公なんかじゃなくたって、「藻」にもナンエン草にもとても大切な役目があるんだなぁと感じました。
 なんだか肥料の話に終始してしまいましたが、わたしも世の中のよい肥料になれたらいいなぁと思いました。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/10 18:32

 


 最近、読んだ本でこんな事が書かれていました。 「痛快!憲法学」 著者 小室直樹 

 デュルケルムは、自殺の研究からアノミーという現象を発見したのですが、中でも深刻なのは、世の中の「権威」が否定されることによって起こるのか「急性アノミー」です。「権威」とは、単に威張っている存在ではなくて、何が正しくて何が正しくないかを決める存在です。 人間がなぜ人殺しをしないのか。 それは何も法律で定めてあるから、又は罰が与えられるからでもなくて「権威」が殺人は、正しくないという規範を定めているから、人は人を殺さない。
 精神分析学では、家庭においては、父が「権威」の役割をはたすことをあきらかにしています。 また幼い子供にとって、父親とは、全知全能の存在です。 そうした父親の存在がやがて心の中で「上位自我(スーパー・エゴ)」になるというのがフロイトの解釈です。 この上位自我のおかげで、人間は本能をむき出しにせずに生きていけるというわけです。 やがて子供は大きくなり、父親が全知全能ではないことに気づく。 そうしたときに、その子供は家庭の外に父親の代替物、つまり権威を求めようとする。 キリスト教社会では、その役割を果たすのが神です。 戦前の日本では、天皇が権威に成っていたようです。
 こうした権威が否定されたときに、その人間は、その社会は、どうなるか。 そこに起こるのは、まったくの無秩序です。 何が正しくて、何が悪いのかが分からなくなり、ある人は暴力的になり、又ある人は、何をしていいのか分からなくなって無気力になる。

 その典型が、第一次大戦後のドイツです。ドイツは、手痛い敗北を喫するのですが、その敗戦によって、手痛い敗北を喫するのですが、その敗戦によってドイツ社会の権威は、まったくなくなった。皇帝は、逃げ出すわ、宗教は、力を失ってしまった。 その結果、ドイツは、急性アノミー状態になって、社会が崩壊状態になった。そこに現れたのが、オーストリア人のヒトラーです。彼は、既成の権威をすべて否定し、ナチズムこそが権威であるとした。 ドイツ人は、老いも若きも、彼にとびついた。精神分析学者エーリック・フロムは、「父なき社会」がヒトラーを産んだと言ってますが、まさにヒトラーは、ドイツの父になった。

 何となく今の日本と似ていませんか? だけど小泉さんは、ヒトラーじゃないと思いますが、国民が強い指導力の政治家を求めていることは、同じだと思います。
 戦後の日本が「父なき社会」、つまり権威なき社会になったことを象徴するのが、高度成長と受験戦争です。 ただ一つの尺度は、カネになってしまった。「いい学校に入れば、いい生活ができる」母親もまた父親と同じように「いい成績を取れば、いい生活ができる」としかいわない。 これはモラルではなく、単なる損得勘定です。 かくして子供達は、両親を尊敬しなくなった。
 
 そしてこの先生は、アノミーを作った原因をさかのぼると、GHQが作った、新憲法にたどりついてしまうとゆうわけですが。。。。。
 今のこの日本をどうしたらいいのか、難しい問題が、いっぱいあって本当に分からなくなってしまいましたが、とにかく「日本の成人男性よ、この現実から眼をそむけないで、戦って行こう」としか言えないですね。 これは、一つの意見として考えてください。
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この回答へのお礼

domodomoさん、お礼が遅くなり大変申し訳ありませんでした。
 さて、アノミーという言葉は初めて伺いました。絶対的存在を失った状態のことを表現しているのでしょうね。
 わたしも、絶対的存在はとても大切だと思います。平たく言えば頭の上がらない存在とでも言いましょうか。ある人にとってはそれが親であったり学校の先生であったり恋人であったり、はたまた信仰であるのでしょう。この存在の尊さを知り、それを心の中に持つ人は、この存在には逆らえません。昔の古臭い刑事ドラマでは強情な凶悪犯人が母親の話をされるだけでホロリとしてしまい、全てを白状してしまうシーンなんかありましたが、どんなに虚勢を張ってても、どんなに屈強なように見えても、やはりどこかに鍛え上げる事のできない弱い部分はあるもので、それは単なる弱さでなく、敢えて弱くあるべき大切な弱さなのではないかと思ったりします。 
 ただ、その弱さは、全体主義の中では虚栄までをも盲信してしまい、domodomoさんのご指摘する旧ドイツのようなとんでもない独裁を作り出してしまうのでしょうね。これは戦前の日本でも同じような過ちを経験していると思いますが、そこで日本人が学んだものは、あまり他人を信用せず、蓄財を築いて他人の上にのし上がって成功すること。つまり、「高度成長」と「受験戦争」でしょうか。
 確かに、いくら子供のためとは言え、損得勘定でしかものを考えない親を子供は尊敬しないでしょう。
 モラルの低下と言われて久しいです。もはやモラルの意味も低下の問題性もあまり取り沙汰されなくなっています。今一度、「みんなの大切なものって何だろう?」という事を考えたいですね。
 ご回答ありがとうございました。
 

お礼日時:2001/08/10 17:27

他の方も言っていますが、他人に頼らず、自分で行動することですよね。



また、人の責任にしない。全てが自己責任の行動。興味好奇心を忘れない。

自分だけ良ければ良いという発想をできる限り持たないようにする。

出来ることから参加、行動する。

最後に、意外に簡単なようで難しいのが、感謝する気持ちと素直な心を持つ。

直した方が良いと思う社会問題は、他人頼りの国民気質(誰かが何とかして

くれる)を改善。これを直すには教育について考え直す。です。
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この回答へのお礼

 everyoneさん、ごもっともだと思います。自律心の無さですね。政治にしても環境問題にしても誰かが何とかしてくれると無責任に考える風潮が目立ちます。これはその問題のすべてが直接自分には関係がない事柄、対岸の火事としてしか認識しない無神経さに起因しているのではないでしょうか? 若い人達(最近は若くない人も)はこれらの問題に間接的にしか拘わっていない思っているようですが、間接的であれ何らかの行動を継続することによっていくらでも改善できるのだと言うことに気付かないのですかね(あるいは気付いていても面倒くさがってるだけ?)。
 まさに教育について見直す必要性は大きいと思います。もっと自律心を育てるような。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/14 15:49

再度おじゃまします。



son105さんのご意見で、「戸籍婚」が差別に荷担する、までいっちゃうと、免許証を持つことは無免許の人の差別になる、とか、スキーができることは滑れない人の差別になるとか、美人の彼女とカップルで歩くことはもてない男の差別になるとか、どんどんいっちゃいます。
「投票に行くことは、在日外国人など、選挙権のない人への差別になる」ということを実行する人が増えたら、たぶん、在日外国人の人権を考えない議員がもっとふえるでしょう。形式より中身の行動だと思います。

割り箸については、原料は間伐材や廃材なので、やめても資源的にはどういうことはありません。間伐する人の人件費を出そうとすると、それぐらいの販売ルートがあるべきかもしれません。ただ、ゴミ処理の手間もあるし、いや、箸を洗うのに水や洗剤を使うほうが悪い、ということもあって、決め付けにくいですね。ただ、高速道路のSAPAで、割り箸だけ分別収集しているところがあります。大量に分別収集すれば、これも資源になります。ごみでいうと、あの、小型ペットボトルは何とかならないか、と思います。自動販売機で飲み物を買う習慣をやめたいですね。
ご飯を残さないのは大切ですね。日本人が捨てる残飯の量を合計すれば、米の生産量や、魚の漁獲量に匹敵するそうです。
ちなみに、日本人が捨てる最大のゴミは、「二酸化炭素」です。

dongadongaさんのていねいなコメントを読ませていただくと私自身も参考になります。韓国の政治家の話は面白いですね。時代として、植民地時代の政治家のことなのか、それ以前ことなのか、それ以後のことなのか、それによってイメージもかわります。今の韓国だと、いまの日本以上に、「汚い政治家」は有権者の手で排除できそうに思えます。
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この回答へのお礼

 nozomi500さん、度々ご回答頂きありがとうございます。勇士の方は何度ご登場頂いても大歓迎ですよ。
 そうなんですよね、割り箸よりも問題なのはあまりにも世の中全体が食べ物を粗末にしていることだと思います。飽食の時代と言われて久しいですが、平気で食べ物を残したり簡単に捨てたり、もうこれは犯罪といっていいのでは? やはり何でもかんでも簡単に手に入る世の中はこのような無神経さを生み出すのでしょうかね。さきほどのコメントの続きではないですが、昔ご飯粒をお椀に残したとき、「お米一粒くらい残してもいいじゃない!」と言うと、「じゃお米一粒でいいから作ってごらん?」と母に窘められたことを思い出します。物のない時代で苦労した経験者には我慢できないのでしょう。こんな母をわたしは尊敬しています。
 今は放送メディアの方が、学校の授業や家庭教育よりもかなり効果的だと聞きます。政治家でも芸能人でもいいのですが、このような実情をもっと問題視すべきだし、メディアを通してでも語りかけてもらえれば若い人たちも少しは聞く耳を持つのではと思いますがねぇ。
 また何かお気づきの点があれば是非ご意見を頂きたいと思います。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/14 15:31

自分がちゃんと選択した行動をすること。

そうすれば、後で責任をとれます。
・戸籍婚をしない。 戸籍婚はするだけで婚外子差別の加害者となります。また、
          同性カップルの人等、戸籍婚からはずれた人に対しての差別
          を加速させます。
・「のくせに」「なんだから」 という言葉は使わない。
・my箸を持とう(笑)割り箸のゴミってすごいんですよ。ご飯を残さないとか(笑)
・「汚い」「気持ち悪い」という感情がわいたら、考え直してみる。

笑 私たち、という考えではなく、自分が何をするかって感じで。私たちって言い始めるとキツいものもあるし、言い逃れも簡単になります。
「私」と「あなた」で。とりあえず、私が思うものを簡単に書きましたが、テキトーに本でも読むとふーん。って思うこともいっぱいありますよ。
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この回答へのお礼

 son105さん、ラジカルで具体的なご意見ありがとうございます。
 確かに、自分の発言や行動がどのような結果を引き起こすか、その結果に対して果たして責任のある更なる行動が取れるのか、現代は、このような「三手先を読む」ことの出来る人間が少ないのかも知れませんね。
・戸籍婚については斬新なご意見で、参考になります。この辺は民法上の法改正を今回の被後見人制度の導入と併せて改正すべき部分はあったと思いますね。
・「~のくせに」「~なんだから」などの言葉もその言葉の本質が「差別」「劣位」の派生の温床となることからすれば、用法を見直す必要もありますね。しかし私はこれよく使ってますねぇ、自らを「無学なくせにこのような問題提起なんぞしおって」とか「私ももう年なんだから年貢の納めどきか・・・」などなど(笑)
・my箸運動は大賛成です。というとまた割り箸メーカーさんには申し訳ないが、今すぐできる資源保護!しかしメーカーさん曰く、割り箸の原料はその殆んどが廃物資材を使用しているとのことで、割り箸にもしないでそれを捨てるのがよっぽど資源の無駄遣いだとか・・・う~ん、世の中って複雑。
・「汚い」「気持ち悪い」ですか、これは主観の問題ですからねぇ、自分のツバなら口の中にあっても平気だが、塩辛と焼酎で一杯やったオッサンのツバはテーブルに飛んだだけで腰が引けるのも事実ですね(笑)。これは冗談ですが、確かに最近の若い人に言わせれば、中年男性を「オヤジ」などと呼び、汚がる風潮があります。そのくせ一部の女子高生には一週間も風呂にも入らず下着も替えず、部屋の片付けひとつ満足に出来ないと聞きます。私は、小さい頃に近所にある田んぼに落ちて、脚を泥だらけにしてしまったときに思わず「あ、汚い」と口走ったことがありました。すると、近くにいた田植えをしているオバちゃんが、私の脚を拭いてくれながら、「いいかい、田んぼはね、大切なお米を作るとてもきれいな場所なんだよ」と笑いながら諭してくれたのを今でも強烈に覚えております。とても大切なことを教えてもらったように思い、いまでもそのオバちゃんにはとても感謝しております。まぁ、それぞれの主観はおありでしょうが、今一度、世の中の「きれいなもの」と「汚いもの」を考察する必要がありますね。
 韓国に伝わるという小噺を一つ。「ある河に、子供と老人と妊婦と政治家の四人が乗った馬車が落ちてしまい、みんな溺れています。さて、真っ先に誰を助けますか? 答えは政治家。早く政治家を河から引き上げないと、河が汚れてしまうからだそうです。」どこの国にもいつの時代にも悪徳政治家はいたのでしょうね。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/11 04:50

何事についても、いいかげんな情報を鵜呑みにしない、と心がけることだと思います。

ハンセン病でも、医学的に何ら問題がないと証明されていても、いままでそうだったから、と偏見を持って差別されてきたわけです。

仕事をもっている母親の話がありましたが、先日新聞報道で見た調査結果では、仕事をもった母親の子供のほうが、「問題行動」を起こす率は低かったそうです。(小学生の間はそうだけれど、中・高と進むにつれ、差はなくなってくる)
こういうのも先入観で言われていることなのでしょうね。

「権利の濫用」ということについても、「自分勝手」と「権利の濫用」はちがいます。社会の「義務」というのは、みんなの権利を守るためにあるわけで、権利の意識なしに「義務だ」と押し付けても、ただの命令に過ぎません。(「子どもの権利条約」の話の度に、「権利権利という前に義務も・・」ということがよく言われますが、本当は「義務の前に権利」のはずです。)
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この回答へのお礼

 お、落ち着いて下さい(笑)。nozomi500さん、だいぶ力のこもったご意見ありがとうございます。
 私の母親も働き詰でした。少なからず親の苦労も覚えております(苦労掛けた事も・・・反省)。一部のご家庭では、現代は親子の意思疎通が殆んどないと聞きます。仰る通り、問題行動を親御さんの仕事に直結するのは乱暴で、どれだけ親子が相互に理解を示しているか(あるいはそういう姿勢でいるか)ということだと思いますね。
 権利と義務の関係については、仰る通りまず始めに権利あきりでしょうね(前国家的とかって言いますもんね)。ただ、全ての国民に等しく最大限に保障されるはずの基本的人権という権利も、一定の基準を境に義務を伴うものとなるのでしょう。ならば、それに伴う義務が派生すれば、それを果たすことをも、また意識せねばなりません。このような権利義務関係がきちっとしたバランスを持って理解されなければならないのでしょうが、なかなか上手くいってないのでしょうかね。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/11 04:06

 有意義な質問ですね。

そして回答を見て「まだまだ捨てたものではない」と嬉しくなりました。
 世の中が殺伐としているのは、これが原因というものではなくいろいろな要素が絡み合って悪くなっていますよね。ですから「どうやって直していこう」と考えた時に直すべき部分が多くて困ってしまいます。(嫌な世の中です)

 私が問題と思うのは「自由のはき違え」「権利の濫用」「ひとまかせ」「責任回避」「何にでも平等を持ち出すこと」等々です。

 個々がこれをしない、子供にさせないだけでも大分マシです。
 
 非常識が多数派になっている状況が少しでも改善されていくよう、私も頑張って
いきたいと思います。
       
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この回答へのお礼

 takatozuさん、涙が出るほど嬉しいです。
 ホントですね、私も自分の何気ない問題提起に、これほどの方々にご意見を寄せて頂いたことにとても感謝しております。そうなんですよね、何も一朝一夕に世の中をひっくり返せる訳もなく、こんなになるまで放っておいた結果ですから、また時間をかけてゆっくりと改善して行ければと思います。まずは自分にできることから少しずつ・・・。
 私たちは政治家ではないので、政治家とは違った立場で各々が勇士として振舞えればいいなぁ。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/11 03:41

とある事件で経験したことですが、問題が発生するとたいがいの人は


ことなかれで逃げようとすることです。それが普通です。
そして被害者はほとんどの場合逃げ場がないのです。
加害者は気楽で被害者は問題を直視するしかない
そんな現実がたくさんあります。
医療モラルや保険会社のモラルや実質時間ロスでしかない長期的な裁判や、金になるなら寄り付く、問題よりも金の縁だけで物事を考える、そうした傾向が強いと私は思います。
商売の基本である、納期 品質 価格もまもらないソフト産業が台頭してから
クチサキ商品が増え平然とバージョンアップでユーザーにたかるような
商売がどんどん増えています。それが西洋的なクールでドライな商売だと
いうのなら、いずれ創業者の作ってきたmade in japan の勤勉な努力でつくった
商売の信用など崩壊するでしょうね。
逃げ癖がつくと現実が直視できなくなると僕は思いますね。
アホな考えでしょうが、本来の日本人(サムライ)は逃げないものだと思います。
直視する訓練はひごろから誰にでも、できるものだと思います。
昔は近所の頑固おやじにぶん殴られて僕らは育ちました。
他人の子供も叱れない、そんな風潮は腰の引けた逃げの精神からきているように思います。 個人的にはワンパクな日本人もっといてもいいように思ってます。 笑
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この回答へのお礼

 TEKITOUさん、核心を突いたご意見ですね。仰る通りでしょう。
 過去・現在・未来に渡って繰り返される社会現象と、それに対する今の国民の意識の低さから導かれる結末はご指摘の通りかも知れませんね。
 しかし、人はその滝壷に落ちそうなことが判っていて、なぜ何もできないのでしょうか? 国民全体が一つの思想や宗教に固まれば一気に惰性による堕落からは抜け出ることができるでしょうが、もはやそんなアブナイ方法を受け入れる時代でもないでしょう。
 確かに、様々な分野に於けるモラルの低下は切実です。自己中心的社会構造は、戦後採り入れた民主主義などから必然的に派生する副作用のようなものなのでしょうか。やたらと正当化された自由と権利は、やがて隣人をも傷付ける諸刃の刀となり、あまりにも不用意にその刀を振り回し始めた現代人は、やがて人間同士の緊密な交流をも阻害してしまう。希薄で形式的な人間関係の出来上がりです。
 昔のサムライの持っていた刀にはどのような効果があったのか分かりませんが、少なくとも鞘を抜くべきか否かの分別はあったように思います。
 難しいことは、やはり町内の名物頑固おやじに登場して頂く他ないですかね。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/11 03:32

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