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チェスは王者がCPUに敗れ、将棋も最近プロが負けているようですが囲碁は9路盤でもまだプロの方がずっと強い、これを理由に囲碁が最も奥が深く複雑なゲームだという方がよくおられますが実際単純にそう言えるんでしょうか?

CPUが勝てない=奥が深い?はなんとなく違う気がします
囲碁将棋どちらにも詳しい方がおられましたら回答お願いします

・ちなみにチェスのGMが将棋の羽生さんにこのような質問をしています

ジョエル
「将棋に比べ、チェスはもっと複雑だと感じましたか?
 それともそれほど複雑ではないと感じましたか?」

羽生
「チェスを学ぶ前は、将棋とよく似たゲームだと考えていました。
 今は全く違うと考えています。
 チェスでは良いポジションを保つことが重要ですが
 将棋では相手を詰ませることがさらに重要なんです。
 どちらが複雑かという質問の答えにはなっていませんが。」

http://www.chessbase.com/newsdetail.asp?newsid=314

A 回答 (4件)

少し誤解されかねない表現になっていたので、補足します。



囲碁も将棋もオセロもチェスも、
「ほとんど先の見えない暗闇の世界の中で知力を絞って先を見通し、目の前の相手より少しでも先にゴールに到達する」という意味で「対局相手とのゲーム」だということです。


どのゲームの「暗闇の世界」も、人間が先を見通すには広すぎてその広さは事実上「無限」のようなもの。

その深さ・広さを測るのは、コンピュータロジックとの相性でもなければバリエーションの豊富さでもなく、
「人間の知性・感性との相性」となるでしょう。
ということは、どのゲームが奥深いかはその人の知性・感性・人生観ごとに異なるものでしょう。


また、なによりも重要なのは、「強くなればなるほど奥深さを知る」という側面でしょう。
升田幸三は三冠達成時に「辿り来て未だ山麓」といったと伝えられています。
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この回答へのお礼

>どのゲームが奥深いかはその人の知性・感性・人生観ごとに異なるものでしょう。

確かにその通りですね。囲碁将棋どちらが~という考え自体が不毛、無意味なものの様に思えてきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/10 01:09

チェスも将棋もオセロも囲碁も、どれも「人間の力では、奥底を見極めるには深く深く計り知れない」のです。



せいぜい数メートル~数十メートル(記録でも200mくらい?)しか潜れない生身の人間が、相模湾や日本海溝やマリアナ海溝の深さを論じるようなものです。


科学・数学の観点でバリエーションの豊富さなどを尺度に論じたところで意味がなく、
つまるところどちらも「目の前の相手より深く正確に読んだほうが勝ち」というゲームなんです。


マラソンと100m走の距離の長短を論じたところで意味はなく、
つまるところどちらも「目の前の相手より早くゴールに到達したほうが勝ち」というのと同じです。


囲碁の19路盤が将棋盤より広いから深いなどという主張をすると、では摩訶大大将棋は駒の種類が多い分だけ囲碁より深いのか、というナンセンスな議論になります。
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> 囲碁将棋どちらにも詳しい方



 一応、小学生、中学生までは、特に中学生卒業までは、紙にボールペンでマス目を書いて、鉛筆で将棋の駒の文字を書いては消して、隣のライバルと授業中にも将棋を指していました。

 大学を卒業したころからは、囲碁専門です。プロアマを問わず、碁打ちは、けっこう将棋も指すようです、お遊びで。

 コンピューターがプロに勝つかどうかとは無関係に、囲碁が一番奥深いゲームだと思っています。

 チェスも将棋も、1つの駒を殺すことを目指して突き進むゲームです。将棋で言えば、相手の「王」を詰みにしてしまえば、こちらの駒がどうなっていようが勝ちは勝ち。こちらの王が取られてしまえば負けは負け。「惜しい」もへったくれもありません。

 それに対して、囲碁はそっちは譲ってこっちはもらう、というような選択の余地がたくさんあります。

 昨日より今日は負けが一目少ない、ということで喜んだり、褒められたりもする。

 将棋と囲碁を人生に例えれば、

 ひたすら動物的に、異性との交尾を目的として食う生活。交尾を目指して、ナニをどういう順番で食うのが交尾に役立つか、ということしか考えないでおくる人生と、

 異性との交尾をめざすのも1つの人生、女性からは無視されていても旅行を楽しむのも1つの人生、ひたすら好きな研究に打ち込むのも1つの人生、という具合に、さまざまな選択肢が認められた人生と、

 どっちの人生が奥深い、味わい深い人生かと言われたら、後者でしょう?

 後者の人生のほうが奥深いのと同じく、囲碁のほうが奥深いと思います。

 ちなみに、私が将棋を止めたのは「奥深くないから」ではなくて、あくまでも私の場合はということですが、将棋は勝つにしろ負けるにしろ、初手からの数十手でほぼ決まってしまって、あとは「勝ったな」「負けたな」という感覚が正しかったことを確認する作業に感じられたからです。

 特に「負けを確認する作業」というのはうんざりでした。理屈としては「投了すればよい」のですが、相手から「勝利の喜び」を奪うみたいで投げづらかったですので。

 囲碁は、負けていても「なんとかこの大石だけは殺そう」とか思いながら打てますし、結局負けても「いつもコミ以上に負けていたが今日は盤面勝負まで持ち込めた」なんてことで満足できたりもしますので、「時間を損した」という感覚なしに最後まで楽しみながら打てます。

 人生も、いろんな目標、選択肢があるべきで、囲碁的なものなんじゃないですか?
 
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この回答へのお礼

私は囲碁初段、将棋3級程度ですが人生の例えは違和感がありますね。回答者様の好みが強く出ていると感じましたが、回答ありがとうございました

お礼日時:2014/04/07 10:50

囲碁は、現在19路盤が主流ですが、盤の広さだけでも将棋より複雑でしょう。


また、19路盤のデータを全てコンピューターにインプットするようなことが可能なら、盤をさらに広げ21路盤にするという手もあります。こうなると、感性が重要になってきますから、データ重視のコンピューターでは人間に勝てないはずです。
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この回答へのお礼

21路にする意義はあまりないような気がしますが、回答ありがとうございます

お礼日時:2014/04/06 17:15

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