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6代目円生の演目 「後家殺し」の中に、次のような一節があります。

「伊勢屋の作りは立派で、うちなんかとは大違いだ。うちなんかは便所とハバカリは隣り合わせだけど、伊勢屋ときたら便所とハバカリがこーんなに離れてる」

私はトイレを意味する言葉として、ハバカリと便所を分けて使うのを知りませんでした。

聞いてるニュアンスからは、男子小用便器と通常の便所とを分けているという風に聞こえますが、実際にこれを使い分けるという歴史的背景もしくは方言などがあるのでしょうか?

両者の違いを教えてください

A 回答 (9件)

もう一度聴いてみました。



「あたしなんかの家じゃはばかりと…(手振り)…便所がくっついている」とちょっと言いよどみがあります。

手水ではなくて座敷と言おうとして出てこず。手振りで表したようにも見えます。
「はばかりと、座敷が、便所がくっついている。」

汲み取り時代は縁側の突き当たりにそのまま縁側を延長して渡り廊下にして母屋と離して便所を付けるような構造になってるのが敷地が広い場合の作り方でした。
農村では母屋と別に庭に作っている家も多かったです。
http://sinyoken.sakura.ne.jp/caffee/cayomo016.htm

もしかすると昔の便所の間取りを描写するために付け加えた、あるいははばかりでは通じないかと思って便所と付け足した可能性もありそうです。
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この回答へのお礼

私も改めて、今回の質問の契機となったものを聞き直してみました。
かつてTBSで深夜に放送されていたものを、CSチャンネル TBS1で放送したものです。

あらためて聞き直してみると、たしかにあなたのおっしゃるとおり、円生師の言い方に少しよどみがあります。

ご回答にある、座敷から離れた縁側廊下の奥先のほうにトイレのある構造(昔の家ではよくありましたよね)を念頭に考えると、円生師が「座敷と厠が離れている」と語るべきところを、言い間違えてしまったという推測には強い説得力が感じられます。

また、私も色々検索してみたのですが、どうも「はばかり」という言葉が「手を洗う場所=手水」という本来の意味を含有していたというのには、どうにも疑問を感じてしまいます。
そもそも手を洗う等の水を扱う行為それ自体に、用便行為ほどには人様に「はばかる」という要素を感じません。

言語や歴史の素人である私には、こちらの説が正しいと確信する能力はありませんので、のちのちまた違う説に触れる機会もあるかもしれませんが、今回はあなたのお考えに大いに説得力を感じましたので、ベストアンサーに選ばせていただきます。

それにしても、単純に書物やネットでの検索に固執せず、あらためて演者の実際の発言がどうなってるかなどを、じっくり検証するというあなたの姿勢に感服し、また卓見に感服しました。

今回はありがとうございました

お礼日時:2014/04/09 13:15

    #1です。

本棚の『圓生古典落語』の4巻にあった「後家殺し」を読み返し、#4さんの挙げられた下記を聞いてみました。やり直しです。
    

1。このいずれにも(=印刷にも録音にも)「便所」と「はばかり」を対比させた場面は無い。

2。話の筋では伊勢屋の広さを示す場面(本ではp。342の終わり)(1場)と、常が三晩目に一人で伊勢屋に赴き後家さんと一緒に厠所(はばかり)に行く場面(p。350)(2場)の二カ所があります。

3。「はばかり」と「便所」が離れているには、1場が適しています。

4。2場では「はばかり」で常さんが小便をしています。

5、次の解釈で1場も2場も説明が出来ます。
    「はばかり」=手を洗うところ  + 小便所 
    「便所」=大便をするところ
    したがって質問者さんの最初の解釈、が正しいと思います。
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この回答へのお礼

本当にご丁寧に何度もご回答いただき、ありがとうございました。

あなたをベストアンサーに選べなくて、申し訳ないです。

しかし深い知識の蓄積には大いに感服しました。

また別の機会があったら、ぜひまた色々お教えください

お礼日時:2014/04/09 13:22

    #1です.補足です。



>>では「はばかり」は

A:元来「はばかり」には「手を洗う場所」という意味があった。そして、手を洗う場所は用便する場所と近接な関係があるので、「はばかり」も用便する場所という意味になった。

B:排便・排尿は人にはばかる行為である。したがって用便する場所を「はばかり」と呼ぶようになった

このA,Bどちらなのでしょう?

   僕は、時期を違えて A と B の両方が起こった、と考えています。「近接な関係」というのはもともと心理的で地理的な近さではない、が#6さんがご指摘のように武家女言葉で(=既に江戸時代に) A は起こっている。

  B になるのは、その「後」です。

>>いったい、「はばかり」とは元来、用便する場所を指した言葉なのですか?

    いいえ。

>>それとも元々は手を洗う水場って意味だったのですか?

    はい、そうです。

>>>円生師匠が「便所」と「はばかり」をペアにしたのは、聴衆に一瞬「あれ?」と思
わせるトリック
    これも意味がわかりません。

    円生師は「はばかり」を、手水の意味で(=武家女言葉の意味、=A)で使い、その後に変わった便所の意味では使っていない、すなわち「はばかり」に与えた時代が、便所の意味になる「前」と時代的なずれを利用している、と言っただけです。
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この回答へのお礼

何度もご回答のお手を煩わせ、大変恐縮しています。

「時代的なずれ」というのがよく理解できないのですが、私の理解力不足を重ねてお詫びいたします。

お礼日時:2014/04/09 13:20

その言海の例にもはばかりが手水のことを指すとは書いてないように見えますが、出典はどちらでしょうか。


手水が便所の婉曲表現であるのはここまでの回答で既に全員が一致した認識と思います。
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この回答へのお礼

たしかに、言海にも「はばかり」が手水を示すとは書いていないようですね。
No5のご回答のほうでまとめてコメントさせていただきました。

お礼日時:2014/04/09 12:58

この場合の「はばかり」は「手水(ちょうず)」の婉曲的な武家女詞です。



もともと「手水」は一般に台所の流しの先に手水鉢や酒樽などの手水桶が置かれた場所で、そこで洗顔や手洗い、また体を洗い清めたりする場所でした。雨水桶や防火桶を兼ねた場合もありました。

流し場の下(しも)の手水場、さらにその下に小便所を設け、その「小用」もまた下水として溝(ドブ)へと通じ、排水の一連の流れを成すようになっていました。
もちろん、「大用」は別に汲み取り式の「便所」を設けて、そこで「肥やし」リサイクルを行っていました。

ここから、「手水」自体も「小便」を意味する共に、江戸の武家女詞では手水を「はばかり」と称して、「小便を憚る」意味合いの婉曲語ともなりました。
このように当時は下水溝と糞便壺という全く用向きの異なる両者でしたが、言葉の上での婉曲用法はどんどん拡大して、また大小便の処理様式が一括されていく生活文化の過程で、「手水場」や「憚り所」といっても、結局は「便所」を指すようにもなってしまいました。

参照:
「チョォズ【手水】(1)手洗。洗面。(2)小便のことを憚っていう。例)オチョォズしとなった(小便をしたくなった)。」(牧村史陽編「大阪ことば事典」講談社学術文庫)
「ちょうずごころ【手水心】小便したい気持。商談成立後に解約したくなること。」(前田勇編「江戸語の辞典」講談社学術文庫)
「はばかり (二)東京ノ婦人ノ語ニ、厠ニ上ルコトノ隠語。上厠」(大槻文彦「言海」ちくま学芸文庫)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

もともとの「手水」の形態について勉強になりました。

お礼日時:2014/04/09 13:17

不思議な話だなと思ってネットに上がっている「後家殺し」の公演を聴いてみました。



上方の笑福亭松之介のバージョンでは便所のシーンそのものが無い。
そして圓生の録音でひとつは指摘どおり「はばかりと便所が~」というシーンがある。

21分ぐらいから。

でも圓生のもうひとつの録音は「はばかりと便所」ではなくて最初から「はばかりに行った」になってます。
http://www.youtube.com/watch?v=47otTfOraDg
↑好い録音です。31分過ぎぐらいから。

岩波の古語辞典によると【はばかり】は便所のことということしか書いていない。手水の別名とは言っていないので「はばかり」は手洗い場を意味していない。(ちょうずの場合は字義通りに「手洗い場」、そして転じて便所の婉曲表現という二通りの意味があります)
ここからは私の推測です。

1.「はばかりと便所」は同語反復で「馬から落ちて落馬」式にぼけたつもりだったのに客に全く受けてもらえなかった空振りである。
2.圓生が「はばかり」と「ちょうず」を言い間違えてしまった。

このどちらかではないかと考えます。
このくだりの話し方から考えると2の方が可能性が高そうです。また「はばかりと、便所が」という時の手振りが手の平が上を向いていて手を洗うような格好を連想させる。

「はばかりと便所」の録音の方では「色が黒いから桜色てえわけには行かない。ゴキブリの色みたいに~」
となっている部分も「備前とっくり栗皮茶色というような」になっていて、こちらが原作に忠実で「はばかり便所」バージョンの方が時代に合わせて新しくしているのではないかと考えました。
栗皮バージョンの方はそのあとのちり紙を投げるシーンも「青葉山」(入幕1974~1981引退、塩をたくさん撒くので有名だった)ではなくて忠臣蔵のもじりになっていて、やはりこちらが原型に近いのではないかと考えられます。  

戦前の建物だった祖父母の旧宅の便所は手洗い場の水道が無く、バケツの底に蛇口をつけたような水を溜める容器が軒下にあってそれで手を洗うシステムでした。手水は台所と兼用ということはなくて桶に水を溜めておいてひしゃくを使って洗うようなシステムだったと考えられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
次のご回答のほうで、まとめてコメントさせていただきます。

お礼日時:2014/04/09 12:53

    #1です。

補足です。

>>はばかりというのは、元々手を洗う場所という意味を持っていたのですか?不浄なこと、尾籠なことなので「はばかりながら」用を足すみたいな言葉だと思っていたのですが。

   はばかりというのは、元来の「お手水(おちょうず)」から一段変わって、用を足す場所の婉曲表現に使われるようになってから「はばかり」になった訳です。

>>現在使われる「お手洗い」という意味ではなく、本来の「手を洗う」場所というだけのことで、それがどうして「はばかる」という言葉に移行していたのか、いまいちピンときません。

    おっしゃる通りです。ご質問の枠内で書かざるを得なかった訳ですが全部並べると
1.    手を洗う場所:  お手水(おちょうず) 
2。  用便する場所:  かわや(川の上に建てたので水洗便所の走り)、雪隠(僧侶語)、後架(漢語)、便所(その場所ズバリ) > はばかり(婉曲古語)、お手洗い(婉曲語)、おトイレ(外来語による婉曲表現)等々。

    したがって円生師匠が「便所」と「はばかり」をペアにしたのは、聴衆に一瞬「あれ?」と思わせるトリックだと思います。
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この回答へのお礼

すいません、頭が悪いもので、おっしゃってる意味がよくわかりません。

手を洗う場所が 
「手洗い場」つまり「お手洗い」・・・これは用便する場所と近接な関係がある→用便する場所を意味するようになった。

これはわかります。

では「はばかり」は

A:元来「はばかり」には「手を洗う場所」という意味があった。そして、手を洗う場所は用便する場所と近接な関係があるので、「はばかり」も用便する場所という意味になった。

B:排便・排尿は人にはばかる行為である。したがって用便する場所を「はばかり」と呼ぶようになった

このA,Bどちらなのでしょう?
もしBだとすると、落語の一節に「はばかり」と「便所」を別物として語ってる意味がわからなくなります。

あなたの回答には
> はばかり(婉曲古語) 

と、「はばかり」って単語自体が、用便する場所を意味する言葉であると書かれてますよね?
これは上記のBの意味になります。

いったい、「はばかり」とは元来、用便する場所を指した言葉なのですか?それとも元々は手を洗う水場って意味だったのですか?

あと、
>円生師匠が「便所」と「はばかり」をペアにしたのは、聴衆に一瞬「あれ?」と思わせるトリック

これも意味がわかりません。
円生師はあきらかに「伊勢屋では便所とはばかりがこんなに離れてる」と語っています。
どういうことでしょう?

お礼日時:2014/04/07 16:46

先の回答者さんの通りで歴史的な内容をよく説明されています。


以下は追加です。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6333591.html
このURLにも同様の質問がありますのでご参考に。。。

さて、はばかり と 憚りながらの 違いは他の隠語、雪隠(せっちん)、厠(かわや:これは中国語にありますね:厠所)、お手洗い、その他、と同様、イメージを悪くさせないたもの言い方のようです。

はばかりながら用をたす → はばかり
(気にしながら、遠慮しながら)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ご指摘のURL先には、はばかりがトイレの意味だとの解説はあるが、そのはばかりと便所との違いについて説明は無いとおもうのですが

お礼日時:2014/04/07 13:23

1。

    はばかりは、手を洗う場所。
2。    便所は、小便や大便をする場所。

   1が昭和中期には山の手言葉としても消滅し始めますが、その前は、2を表す婉曲表現(明治大正の頃でしょうか)として、同じ意味に使われます。

    さらにその前は1と2とは、別の機能を果たし、場所的にも離れた場所に作られたのではないでしょうか。

    例えば1は、水道の無い時では、清潔な水の得られる場所、2は、汚物が井戸水に入らないよう、汲取りにも便利なようといった関係で、1と2を離しておく時代(江戸時代、落語の背景の頃)があったのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

はばかりというのは、元々手を洗う場所という意味を持っていたのですか?

不浄なこと、尾籠なことなので「はばかりながら」用を足すみたいな言葉だと思っていたのですが。

現在使われる「お手洗い」という意味ではなく、本来の「手を洗う」場所というだけのことで、それがどうして「はばかる」という言葉に移行していたのか、いまいちピンときません。

お礼日時:2014/04/07 13:21

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