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上記の三国と日本はお互いあまり良い印象を持ってないのですが
何が原因なのですか?
台湾は友好なのに…。
各国一つ一つの理由を教えてください。

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A 回答 (7件)

こんにちは。

 #6の再入場です。 

日本は中国の文化の影響を強く受けて来ました。 それは6世紀以降大陸に送った『遣隋使』『遣唐使』が持ち帰ったものです。 この大陸への使節団派遣は7世紀後半を境に急激に衰退しています。 それは朝鮮半島の百済滅亡と深く係っています。

●百済滅亡までの使節団の航路
九州から朝鮮半島南端までは単独で航行し、以降は百済の船団がナビゲートして中国山東半島まで誘導します。 上陸すると、百済の使節がさらに陸路の旅も先導して長安の都へ。 さらに皇帝への拝謁のアレンジと通訳も百済の使節が担当し、留学先の手配までやって貰っています。

●百済滅亡後の経路とその後のアレンジ
百済滅亡(672年)以降は朝鮮半島沿いの航路は使えません。 東シナ海を横断し、寧波港へ。 これは長距離の航路で、当時の日本の航海技術では難破の危険性が高いものでした。 さらに上陸後も使節団が単独で全てのアレンジをすることになりました。  野蛮人である日本人が独自にやるアレンジです。 巧く行くはずもありません。 

日本は中国の皇帝に直接拝閲出来る冊封関係にありません。 従って、多くの難関と複雑な工程(折衝)の末、ようやく拝閲出来たのです。 こういう事情があいまって急激に大陸の影響が薄くなって行ったのです。 そして9世紀後半に『遣唐使』は廃止され、日本は独自の道を進むこととなります。

●中国歴代王朝と朝鮮の関係
韓国の歴史ドラマというと必ず中国の皇帝と使節団である冊封使(さっぽうし)が出て来ます。 これは言わば企業に毎年やって来る税務署の査察官のようなものです。 中国への毎年の貢物が正しく贈られているのか、その実態を調査にやって来る。 まだ朝鮮王朝が秘かに謀反を起こそうとしているかの調査も抜かりなく行っています。 

要するに朝鮮王朝は中国皇帝の配下だったのです。 それがずっと19世紀後半まで続きます。 清朝がイギリスとのアヘン戦争に敗れ、急激に衰退して行くのをただ眺めているしかなかった。 それは独自の軍隊を持つことも制限されていたからです。 

●日本、中国、朝鮮のこれからのパワーバランス
大きな前提条件があります。 いずれ中国共産党に拠る一党独裁は終焉を迎えます。 そうなった以降のパワーバランスを予想して見ます。

中国には50を越える少数民族が存在しています。  彼らの多くは民族主義の波に乗ってそれぞれ独立し、または周りの国へ併合され、中国は10を越える国家と自治共和国へ分裂して行きます。

その時、朝鮮民族はどうなるのでしょうか。 豆満江以南の南北朝鮮だけでなく、旧満州吉林省にも数多く居住している朝鮮族をも包含した強大な国家統一へと進んで行くでしょう。 これは7世紀に中国に唐が起り、周りを討伐し、強大な国家を建設するまでの朝鮮民族の勢力範囲を示しています。 

しかし、朝鮮民族の統一国家樹立には日本の協力と支援が絶対条件となります。  そこが今の韓国の頭の痛いところです。  日本に頭を下げることの出来ない朝鮮民族です。 これからどうやって難関を突破して行けるでしょうか。 

参考URL:http://inomanari.net88.info/2007/11/post_8.html
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます。
日本と三国が早く友好になってほしいものです。

お礼日時:2014/04/21 08:24

こんにちは。

  極東アジアの今後には大きな波乱が予想され、世界中が注視しています。 

その中で日本が何故か『ポツーン』と浮いた状態に見える。 これは先の戦争で日本が武力を行使して国土と住民を蹂躙したから。 そんな単純なものではない、もっと深い原因があるように思います。 東アジアの歴史の中から我が国日本と中国、朝鮮半島の関係を見てみます。

●中国を中心とした外交関係(冊封関係)
東アジアのパワ-バランスは中国を中心とした冊封関係によって維持されて来ました。  これが19世紀中葉の欧米列強の植民地政策に拠って一気に崩れ去って行きます。 

この冊封関係において中国皇帝が当然中心に君臨していました。 李王朝を中心とする朝鮮半島の王朝も大きな役割を果たしています。  中国皇帝に各国の使節団が謁見する際の仲介役をしています。 

これに対し、日本の権力者は殆ど冊封関係に入っていません。 ただ例外は足利義満ただひとりです。 彼だけが中国明王朝の永楽帝に使者を送り、冊封関係に入り、『日本国王』というお墨付きを貰っています。 しかし、日本がアジアの歴史に登場するのはこの時だけ。 

●日本と中国の歴代皇帝との関係は
正式に外交関係(冊封)にはなく、その外側にいる野蛮人の扱いに過ぎません。 この野蛮人が皇帝に使者を送る関係を朝貢関係と言います。 日本は東アジアの盟主である中国皇帝から見ると非組合員(野蛮人)に過ぎなかったのです。

●19世紀植民地政策によって凋落する運命を辿った中国皇帝と冊封関係諸国
19世紀、東アジアに進出したイギリスは中国から大量の陶磁器、絹、お茶を輸入し、その見返りに植民地インドでアヘンを大量に作り、これを清国に輸出した。 これを清朝政府が取り締まったのが、イギリス側は強硬で遂に1841年,四隻の軍艦でアモイを攻撃し、アヘン戦争が起ったのです。 

林則徐率いる清朝軍は強硬に抵抗した。 イギリス軍は巧みな情報収集力を駆使して、敵の背後を突いた。 首都北京に近い天津に上陸し、これによって戦況は大逆転。 清朝は和睦を申し入れ、以後清朝は一気に滅亡へと進んで行った。 

この清朝の没落と命運を共にしたのが李朝、朝鮮王朝だったのです。 

●欧米列強の植民地政策への中国(清)、朝鮮王朝と日本の対応の違い
日本も幕末、薩摩や長州がイギリスの軍艦に発砲し、小規模な戦闘が起ったが、すぐに和睦。 以後、積極的に欧米の科学技術を導入する近代化を進める。 しかし、清朝と李朝朝鮮王朝は国内の世論が二つに割れてしまい、近代化に大きく遅れてしまう。

そして東アジアで急激に力を伸ばした日本が清国との日清戦争に勝ち、東アジアの盟主に収まる。 

●第二次大戦以降については現代史であり、我々の良く知るところである。
日本は19世紀の中葉までは東アジアでは無視される存在でしかなかった。 それがアヘン戦争以降の清朝の急激な凋落と李朝朝鮮の停滞によって、大きく立場が逆転する。 これまでまったく無視して来た日本に支配されるという関係になってしまった。 これは中国にとっても南北朝鮮にとっても面白くない。 当然である。 だから何かと因縁をつけたがる。 理解出来る。 

●その上、日本は戦後農地解放と財閥解体を行い、、、
経済的な大改革の成功した。 そして世界有数の経済大国となった。  これがまた面白くない。 これも理解出来る。 だから何かと因縁をつける。 中国にとっても南北朝鮮にとっても日本は『癪の種』なのです。 要するに面白くない。 いや、日本の成功が悔しくて、悔しくてたまらないのです。 
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>各国一つ一つの理由を教えてください。



中国と韓国と北朝鮮の反日は、国民に捏造された歴史を教えているからです。
その目的は、それによって自分たちへの支持を集める為です。

台湾が親日なのは、日本が本来の意味での植民地経営を行い、その功罪を比較してメリットの方が遥かに上回っており、それらは自分達では不可能であったということを認めているからです。



1:韓国と北朝鮮の反日についてですが、
戦前から儒教や小中華思想により昔から日本を見下していました。
しかし、戦後は政権の正当性を主張するために、日本が侵略して植民地にして様々な酷い事をした と国民に嘘の教育をしているからです
これについては↓の私の回答(No9)をご覧になってください。

A【韓国と日本間の歴史を教えてください。】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8479176.html



2:中国の反日についてですが、

中国共産党は政府の正当性を、過去の日本の侵略と戦って国を守った ということにおいています。
そして、日本はそれらの戦争責任について、謝罪や反省をしていないと主張しています。
しかし、これも間違いです。

孫文と袁世凱の革命によって清朝は滅びました。(日本のせいではありません)
その後、旧清朝領は軍閥や馬賊政権が支配する無法地帯になりました。
日本の満州国建国や奥地への進出は、在中邦人や朝鮮(当時は日本領)を守る為のものであり、侵略とは言えないものです。
これらの日中の歴史にいては↓の私の回答(No10)をご覧になってください

【太平洋戦争はやはり自衛戦争だった】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8361572.html

謝罪については、
以前、旧社会党が訪中し「日本は戦争により中国に多大な迷惑をおかけしました」と謝ったことがありました。
これに対して、毛沢東は「なにも謝ることはない。日本軍は我々に大きな利益をもたらした。日本軍のおかげで中国共産党は中国を手に入れることができた」
と応えています。



3:台湾についてですが、

台湾は、日清戦争以前は清国(中国ではない)の領土でした。
明治時代に台湾(当時は清の領土)に漂着した日本人が台湾の原住民に殺戮されるという事件が起りました。
日本は清国の責任を追及しましたが、清国は台湾は野蛮人ばかりで統治不能だから仕方がないと返答しました(これは領土権の放棄と同義です)。
日本はこれを受けて、島民への懲罰を兼ねて攻撃を行い占領しました。
これについて当時の清国は抗議をしていません。(結果として日本の領有を認めたことになります)
その後に日清戦争が起こり、下関条約で正式に植民地としました。
その後、日本は無法地帯で風土業の蔓延する台湾に、日本並みの教育と開発を施し、近代化を進めました。
このような植民地経営は日本だけのもので、欧米の植民地ではこれらのような事は行われませんでした。

台湾にも反日の人達がいますが、彼らの多くは「外省人」です。

外省人:大東亜戦争後、中国で共産党に敗れて台湾に逃れた国民党(蒋介石)の人達。
内省人:台湾の原住民で、日本の統治時代を知っている人達。

戦後、台湾は中国大陸から逃げてきた蒋介石に支配され、中国と同様の反日教育が行われましたが、国民党の独裁政治や、外省人の民度が酷く、日本時代の方が遥かにマシだった事や、
内省人が日本時代の事実を子供に教えた事もあって、反日は定着しませんでした。

【忘れ去れた台湾史 日本時代編】




↑に対して、台湾は少数の部族の集合であるのに対して、朝鮮や中国は「民族形成」とやらが既に出来ており、民族意識が高かった為に日本の支配に抵抗したという主張がありますが、どちらもそんなごりっぱな意識があった時代などありません。
中国大陸は様々な民族が居住しており、王朝ごとに支配民族が代わっています。
そんな状況下で民族意識などで抵抗したら、虐殺されるだけです。

清王朝は満州(万里の長城以北)の女真族がその他の民族を支配していました。
王朝初期は多民族が女真族の民族衣装(チャイナドレスのようなアレ)を着る事は許されませんでした。
後に許可されましたが、その時の漢民族は大喜びしたそうです。

朝鮮は、そんな中国王朝の万年属国で、明や清の下級役人にさえ、朝鮮王が土下座して向かえることを要求されていましたし、支配者が 元→明→清 と代わるたびに、その支配民族風の名前をつけて喜んでいました。
日本が併合したときも「列強の国民になれる」と大喜びしたような有様なので、そんなものはないと思います。

秀吉の朝鮮出兵の時も、圧政に苦しんでいた朝鮮の民衆は、日本を解放者として歓迎し協力して役所を焼いたり王子を捕えて日本に差し出しています。



4:朝鮮王朝についてですが、日本がつぶしたのではありません。

朝鮮は日本と併合しましたが、半島の領土主権は李王に留保されていました。
なので、李氏朝鮮は日本統治時代も国体そのものは継続しています。
王朝の滅亡は、終戦後に独立した大韓民国が王朝を廃止した為です。(日本は関係ありません)

日本に桃山という名字に変わって帰化した直系筋がいました。
しかし、日本人との間に生まれた為に韓国政府は帰国を認めず、赤坂のホテルで客死しています。

韓国を建国しても、李王を象徴君主にしていれば李氏朝鮮を引き継ぐ国になり、
王朝自体はそれなりに歴史のある存在になれたはずでした。
しかし、それもせずに李王を廃止して共和国になったので、大韓民国は新規に自決権が行使された別の国ということになります。
ということは、当然、李氏朝鮮時代の領土を継承する権利はありません。
その為に、大韓民国の領土はSF条約と朝鮮戦争休戦協定に規定されることになります。

以上から、韓国は全朝鮮の代表ではありません。(北も同じです)
なので、朝鮮人は統一という用語を使いますが、今後一つになる場合は合併であって統一ではありません。

現在、韓国に「自称李王朝末裔」という方がいますが、これは養女です。
朝鮮半島は死後に養子を取って家の存続が出来るという無茶苦茶な法体系があり、
その方は死後に養子に入って王家を名乗っています。(当然、血縁の繋がりはありません)



日韓併合について、日本が軍隊を出動させ脅迫して調印させたという主張がありますが、間違いです。
前述のAから当時の韓国は国家として併合に賛成でしたが、併合すると特権を失うことになる一部の学者(儒教)や両班(貴族)がテロを行っていました。
軍の出動はこれに対する警戒です。

画像は1905年の「韓国保護条約締結」に関する軍司令官の報告書送付の一部で、内容は↓です。
《アジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/
レファレンスコード: C03020423900》

内容ですが、
【韓国に固有なる雑輩の秘密運動、陰険手段、流言輩語等紾々として相踵き政界は一段の撹乱を加へ漢城府尹は参改の意を受けたりと踊して反対の布告文を城内各所に掲示し十三府の儒生等は緦大を京城に集め運動の中心を形成して熾んに反対運動を行い遂に林公使及び日本党と目せらるの大官等を暗殺せんとするものありとの風文を生じ我憲兵隊は嫌疑者数名を捕縛するに至れり
以為らく我にして断然保護条約を提出せは縦とへ群小の囂々たるものあるも其通過すへきは毫も疑を容れす
唯た韓廷の慣用する遷延の手段に依り数日を遅緩せしめらるることあらは
由来当面の責任を避くるを以て保身の秘訣とする各大臣等は辞職逃遁等を企て、若に尚ほ少しく警戒を怠らんか外館遷幸の旧劇も亦再演せらるることあるへく、漢城の秩序は益ゝ紊乱し暗闘殺戮の悲劇を現ることなきを期せす、
事此に至らは縦とへ調印を了せしむることを得たりとするも、甚たしく外人の視聴を驚かずのみならす、
事後永く韓人をして不快の念を抱かしむるの不利あり】

意訳すると↓となります。
【韓国内の不穏分子が反対運動を行っており、林公使や親日派の役人を暗殺するという情報を得たので、嫌疑者を逮捕した。
保護条約が締結される事は明らかだが、朝鮮人は引き伸ばし工作や責任逃れの辞職や逃走して隠れたりするかもしれない
警戒を怠ると、(高宗の時の様に)外国大使館に逃げ込まれるかも知れない。
そうなると、漢城の治安は悪化しているので、暗殺される怖れさえある。
そんな事が起った場合、外国からの評判が落ちるだけでなく、韓国人との関係も悪化してしまうだろう。】


画像の他にも↓の内容のものもありました。

【「日本外交文書」電信第551号、儒生派の排日行動に関する件】(1905年6月20日)
「第五四九号電報の儒生派の内容を探くりたるに、檄文を十三道に発せんとする外、同意味の通告文を当地駐在各国公使に送付する準備中にあり、且つ鉄道電線の破壊を企んとする等頗る不穏の意味を含み居れるに付、本官は本日韓帝に謁見の序を以て右儒生等の行動に対し厳重の取締方を奏請する心得なり。
玄界灘に於ける我輸送船の撃沈せられたる悲報は、宮中に出入りする雑輩にして我勢力の増加の為め失意の境遇に陥り居れる一派の利用する所となり、昨今宮中に於て諸般の政事改善に関する日本の忠告は内密に仏国公使に協議する必要を唱へ居れりとの報道あり。」
「中国 韓国 北朝鮮」の回答画像5
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この回答へのお礼

何か難しいですね
ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/15 19:13

1,中国


 話は天安門事件にまで遡ります。
 あれで危機感を抱いた中国政府は、国民の団結を
 目的として日本を仮想敵国にすることにしました。
 敵国が存在すれば、国民は団結しやすいし、 
 不満も逸らせます。

 その後、江沢民が首席に就くや、明確な反日路線を
 とるようになります。
 江沢民の父親は、日本軍を援助していたため、保身の為
 反日を採らざるを得なかったのです。
 これは、韓国のクネおばさん大統領の父親が、親日
 大統領だったのと同じ図式です。

 この反日路線は、日本左派の協力もあり、靖国中止
 などの一定の効果を挙げたため継続され、尖閣と
 絡んで現在に至っています。


2,韓国
 日韓併合が原因だ、という人が多いですが、これは
 間違いです。

 日韓併合自体、韓国が頼んできたものですし、
 併合前から反日でした。
 西郷隆盛の書見に「反日激しい韓国・・」という
 記述が認められます。
 当時、既に反日だったのです。

 江戸時代の朝鮮通信使の日記にも反日的記載が
 窺えます。
 渋るモンゴルを説得して、元寇をやらせたのは
 時の朝鮮王「忠烈王」でした。

 韓国のこの反日は、中国を頂点とした小中華思想に
 あると言われています。
 つまり、中国が父で、韓国が兄、日本は弟という
 考え方です。
 その弟が、兄を凌駕しているのが、韓国には許せない
 ことなのです。
 日本人には理解し難いですが、韓国というのはこういう
 考え方をする民族なのです。

 こういう下地があったところに、現在のクネ大統領です。
 父親の親日を払拭するため、及び、人気取りのために
 反日を演じています。
 お陰で、彼女の支持率は60%を超えています。


3,北朝鮮も韓国人ですから、反日の構造は基本的には同じです。
 更に、あそこは国が不安定ですから、やはり敵が必要です。
 韓国は同胞ですから、日本が格好の標的になる訳です。


4,台湾
 日本軍が去って、大陸から蒋介石が入ってきましたが、
 彼らが余りにひどく、日本人の良さが改めて認識され
 ました。
 これを、台湾人は「犬が去ってブタが来た」
 と評しました。

 台湾は日本統治があったお陰で、その後順調に発展を
 続けた訳ですが、その事実を台湾人は素直に認めます。
 だから台湾は親日が多いのです。
 韓国は千年に逆恨みがありますから、日本の寄与など
 一切認めません。

 
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この回答へのお礼

韓国は昔から反日なのですね
逆に台湾は日本との繋がりがあり友好なのですね 回答
ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/15 19:17

中国と朝鮮の人たちだけが、なぜか昔から日本が嫌いだからです。

なぜ嫌いなのか、理由はよく分かりません。嫌いなものは嫌い。ただそれだけのことでしょう。昔の人々は、なぜ彼らが日本嫌いなのか、理由をいろいろ考えましたが、とうとう分かりませんでした。それで福沢諭吉が脱亜入欧論に至りました。もうこの連中(支那と朝鮮のこと)とは付き合っても時間の無駄だから、付き合うのをやめようという論です。今でも正しい論です。

台湾の人たちはもともと日本に対する嫌悪感情がありません。だから親日、と言うか普通の国です。1948年に共産党に負けて中国から渡ってきた一部外省人を除いて、嫌日感情はありません。今の馬総裁は外省人、つまり中国人です。前の李登輝は内省人、つまり台湾土着の人です。比べるとずいぶん違うでしょう。
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この回答へのお礼

なぜ嫌いかわからないのが真相なんですね
回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/12 07:00

台湾は、武力を背景に清国から日清戦争の賠償行為として譲り受けた。


清国とは戦争したが、現地台湾での武力行使はなかった。
この点で、中・韓・北とは大差があります。
半島では武力を背景に朝鮮王朝を潰し、日韓併合により事実上の植民地とした。
その事が南北民族分断の要因とも成った。
中国に対しては清朝を滅ぼした上で満州国(東北部)に傀儡政権を立て、軍部の支配下に置き、多数の開拓農民を送り込んで植民地化した。それだけにと止まらず、戦禍を中国全土に広げた。
そのような乱行の責任者を祀る靖国に参拝する、保守政治家達の中の最右翼が現総理。
かたくなに侵略の事実を認めようとしない自民党政権。
平和裏に占領した台湾には、少なからぬ恩恵をもたらすことも出来たし、戦後の友好関係も維持出来た。また、貿易摩擦も比較的少ない。
現政権は日米安保を楯に、中韓への挑発的態度を重ね、結果欧米からも批判されている。
『不沈戦艦日本列島』は、米にとっては捨てがたいが、日本の楯には成りたくないのが本音。
その辺が理解出来ないでいる、政府にもマスコミにも責任がある。
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3国とも戦後出来た政権が統治しています。

自らの正当性を強調するためには日本を悪者扱いしないと都合が悪かったからです。そのため、教育から何から徹底的に日本を(事実であるかは別にして)悪者扱いし、日本統治時代を「屈辱の時代」と決めつけました。「日本統治時代の方がよかった」と思っていた人もそんなことを口にすれば間違いなく殺されるので口にできなかったのです。今では戦後生まれが大半ですから心の底から思い込んでいます。

台湾と言っても、戦後人民軍(中華人民共和国軍)との争いに敗れて「一時避難」してきた人たちは、日本にいい印象を持っていません。友好なのは戦前から住んでいた人とその子孫で、日本統治下で教育や衛生観念が普及し、生活が向上したからです。
とは言っても、日本本土に比べれば「二級国民」として見れれていたことは否定できません。ですから、初めのうちは国民党を歓迎したそうですが、彼らがあまりに教養が無く、衛生観念も低く、倫理も道徳も無い人たちだったので、「犬(日本人)が去って豚(国民党)が来た」と絶望し、その反動から、「日本統治時代の方がまだ良かった」という消極的理由から「友好的」に見えるのです。
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この回答へのお礼

三国とも
自分たちに都合よく日本を悪者扱いにしているのですね

お礼日時:2014/04/15 19:19

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