重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

幕末、特に新選組のお話で登場する「松平容保」さんですが、
本によって悪者になったり正義の味方になったりです。
まあ、歴史なんてどっちサイドから見るかによって評価が
変わるのは当たり前ですが、じっさいは「イイヤツ」
だったのでしょうか?

よろしくお教えください。

A 回答 (4件)

「友達としていいやつ」的な人だったのかどうかは分かりません。

ただ、藩祖の教えを守ったのですから、筋は通したなとは思います。それが領民にとっていいことだったのか悪いことだったのかはまた別の話しですが、会津若松では今でも「ならぬものはならぬのです」と子供たちに教えているわけですから、そういう意味では身より名を取ったということになりますかね。「武士道とは名誉である」とするならば、名誉は守ったと。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

なるほど、武士としての道を守ったわけですか。
なんでもOKな今の日本では「カタイ奴」とか「頑なな奴」って
言われるタイプなのですね。その手のファンはつくでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/12 20:01

様々な方向から考えて「良い人」だったのは間違いがないでしょう。



ただ、善人がそのまま褒められる時代では無かったとしか言い様が有りません。

会津の主君としては、名君とまでは言えなくとも、良い治世を敷いた事と思います。

しかし時代に決断を迫られた時、会津では選択肢は一つしかなかったので、そもそも容保に「降服」の決定権はありませんでした。(容保の意思は知りませんが、国としては行動は決まっていました)


その激動を何とか乗り切り、殲滅戦を免れたのですから、暗君では無いのは確かではないかと私は考えます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。生まれた時代が悪かったのでしょうね。

お礼日時:2014/04/12 23:42

私は、歴史の素人です。

そのことを前提に回答に試みてみました。
「イイヤツ」でも「ワルイヤツ」でもありません。「ブキヨウデカタクナナヤツ」です。私は「松平容保」を知れば、知るほど、この思いに近づいていきます。ただ、血筋が良かったので「おうよう(坊ちゃん育ち)な性格」も加わったかも知れません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね、そんな奴だったんでしょうね。

お礼日時:2014/04/12 23:43

龍馬たち志士側ひいきですから、憎むべき新撰組の上の方にいる容保さんは、憎むべき敵側のはずなんですが、悪人というイメージはありません。

王城の護衛者の立場上やるべきことをやってただけでしょう。
有能で仕事に忠実な中間管理職という感じでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうなのですよね、悪人側においておけないのです。
不思議な人ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/12 23:46

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!