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こんにちは。

日本は真珠湾を攻撃しましたが、力の決定的に違うアメリカに勝てると本気で思っていたのでしょうか?

似たような質問も探しましたが、私にはどうしても日本が当時どう考えていたのかわからないのです。

戦争に勝てると思っていたのか?
それとも何か考えがあったのか?

どなたか詳しく解説していただけないでしょうか?

A 回答 (18件中1~10件)

もちろん勝てると考えていたようですね


日本には "神風が吹く"考えがあり万が一の時は神の助けがあると考えていたみたいですね
また開戦当初のアメリカはまださほど軍事力があったとは思えなかったみたいです
開戦後、物量作戦なるものが目に見えて力の差に結びついたのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
つまりはアメリカに対する評価が間違っていたのですね。
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お礼日時:2004/05/11 17:25

よく言われるのは、本気で勝てるなんて思ってのは、陸軍の一部だけだった、とか。



少なくとも海軍では、開戦に反対する人たちもいたんじゃないでしょうか。

ホンネとしては、短期決戦で臨み、良い条件の時に第三者の止め男に、マアマア、と仲介の労をとってもらい、日本の国益を確保したうえで終戦にする、という考えがあったと聞いた事があります。 

ま、当時いくら 「井の中の蛙」 といっても、アメリカの実力を知っている人たちも結構いたんじゃないでしょうか。 長期戦になれば、国力の違いが出てくるとの恐れもあったと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/05/11 17:29

ロシアに勝った(?)のが天狗にさせたんじゃないでしょうか?随分年代は違いますが、そういうおごりがあったのでしょう。


当時、アメリカはあまりにも遠い存在でしたし、ロシアはスグそこ・・って感じていたでしょうね。

竹やりが標準装備なのでレベルは知れていますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
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そんないいかげんなものだったのですね・・

お礼日時:2004/05/11 17:33

結果から見れば圧倒的ですが、それを言ったら日露戦争だってそうでしたし。


短期決戦で相手の継戦能力を削り取って自分達にとって有利な形で講和条約を結ぼうと思っていたのでは。

山本五十六はアメリカを訪れたことがあったので国の事情については詳しかったのですが、丁度その頃が世界恐慌であの国がガタガタになっていた頃。
その頃のアメリカが根底にあったので、それから立ち直ったアメリカの実力を図り損ねたという面もあるかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
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お礼日時:2004/05/11 17:34

負けると分かっていたら勝負は挑みません。


少なくともミッドウェー海戦で負けるまでは勝機がありました。

よく負けたお陰で今の豊かな日本があると聞きますが、勝っていたらもっと豊かで平和な世の中だったかもしれませんね。
少なくとも今のイラクの虐殺・虐待の無い世界になっていたかもしれません。

今やどの国も全く手出しが出来なくなってしまった、世界最大の超軍事戦犯国アメリカを正面から攻めた日本は、最後の勇者だったのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

逆の立場からの回答ですね。新鮮です。
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お礼日時:2004/05/11 17:41

アメリカに勝てると思っていたかは疑問ですが


アジアでの戦いにアメリカが参戦しないと思っていたのではないですか?

アメリカと日本の間には太平洋があります。
当時の戦艦や航空機の性能では日本本土での戦いを
想定していなかったのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

真珠湾でのことがあってもアメリカは参戦しなかったのでしょうか?

お礼日時:2004/05/11 17:43

開戦前はかなり懐疑的だったようです。

どちらかといえばやむにやまれず開戦したというのが事実のようです。すでに昭和16年の時点では戦争は回避できなかったですしね。

有名なのでは山本五十六が1年は暴れてみせるという発言をしています。それから名前を忘れましたが、学者グループが開戦前にシミュレーションをして敗北を予測したという話もありました。

日本が勝つためには、短期決戦で欧米植民地と英米の艦隊を壊滅させ、講和に持ち込むというのが唯一可能性のある話だったのでしょう。またドイツの進撃が順調に進むという前提も忘れるわけには行きません。

しかし日本軍の緒戦の勝利は日本自身が思った以上の成果を挙げました。このあたりで本気に勝てると思い込んだものも多かったかもしれません。

しかしすでにドイツ軍はスターリングラードなどで敗色が見え初めていたのです。

いずれにせよどのような見積もりがあったにせよ、すでに日本は開戦以外の選択肢はなかったでしょう。おそらく最後のターニングポイントは日華事変の中支作戦あたりだと思います。大原作戦で事変の不拡大を唱えた石原莞爾が東条英機と対立し予備役となりますが、これ以降西欧列強との対立が表面化します。そして大東亜戦争も半ばとなるともはや緒戦時の計画はまったく意味を成さなくなり、勝利の見込みは消えます。

この時点でだれも必勝の計画を作れなかった(不敗の計画はあった)のですからやはり、負けを意識していたのでしょう。

終戦間際にはソ連との講和を本気で考えていた節があります。しかしソ連開戦で水泡に帰します。もはや本土決戦で講和に持ち込む以外には無条件降伏しかなかったと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
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お礼日時:2004/05/11 17:47

こんにちは



当時の常識もこれからは英仏から米ソに主導権が移っていくという考えでした。
それでも、アメリカとの開戦に至った理由として・・
アメリカの条件を受け入れるという事は、満州事変以降の大陸で得た権益を全てゼロにする事・・今までの陸軍の努力をゼロにするという事になります。
当時の常識として武士道の様な物が根底にあったという事です。恥より死を選ぶという意味合いですね。。

そのような意識を持った陸軍が内閣を牽制していました。当時は陸軍大臣というポストがあり、陸軍大臣は陸軍出身でないと成れませんでした。
したがってアメリカに好意的もしくは譲歩的な内閣に対しては陸軍大臣が辞任して、陸軍が後任の大臣を推薦しない事によってその内閣は総辞職に追い込まれます。
陸軍の意思に従わないと内閣を続行出来ないのです。
2.26事件や5.15事件のようなテロ行為もありました。
また、総理になりたい為にわざと陸軍の言う事に賛成する政治家もいました。
開戦時の内閣は東条英機でしたが、彼も開戦前夜に絶望から号泣したそうです。
しかし彼は陸軍主流派の総帥であった為、回避する事は当然出来ませんでした。
陸軍ですら勝てるとは到底思っていなかったのです。
美学の為に日本は壊滅的敗北をしましたが、現在の日本は世界屈指の経済大国として存在しています。
イラクやアフガニスタンを見ると今の日本は何十倍も幸せだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
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お礼日時:2004/05/11 19:03

一部の冷静識者は「勝てるわけない」と思っていたようです。

No.1さんでしょうか?神風が吹くと言う馬鹿げた神話も信じられていたようですね。私の父母も戦争中に育った世代でして情報を操作して日本が不利な情報は一切流していなかったせいもあり本当に日本が
負けるとは思っていなかったようで、竹槍で「やぁ~」とかやっていたそうですよ。本土決戦になったら本気であんなもので戦う気でいたのでしょうかね?原爆を一発落とされたら木っ端微塵なのにね・・・(笑)今、考えると実に滑稽ですね。
結論を言うと何も策なんかなかったおでは考えられます。軍部の一部が熱くなってしまい誰も抑えられなくなてしまったのでしょうね。又、当時、経済封鎖をされてもうジリビン状態で死中に活を求めるような考えもあったのではと考えられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
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お礼日時:2004/05/11 19:03

「勝つ」とはどういう意味でしょう?



日本がアメリカを占領して統治すること?あるいはアメリカ軍の大部分を壊滅させること?当時の日本は、そのようなことは全く想定していませんでした。

日本の戦争目的は、南方の資源地域を確保して自存自立の態勢を築くことでした。よって、資源地域を支配する米英勢力を駆逐するとともに、米英にある程度の打撃を加えて資源地域における日本の覇権を認めさせることができれば、それが「勝利」でした。
南方の資源地域は米英にとっても重要な利権でしたが、死活的なものとまではいえない(と、当時の日本は理解していた)から、日本が軍事作戦に「当面」勝利し、かつ、米英が態勢を立て直すまでに植民地支配に反発する現地勢力と反米英連合を結成すれば、米英も奪還を諦めざるを得ない。これが当時の日本が描いた勝利の構図です。
大東亜共栄圏や五族協和の王道楽土などというスローガンは、占領地の国民と反英米という一点において利害を共有しようとした日本の政治的意志の表現でした(結果として日本は敗れましたが、植民地支配を道連れにすることはできました)。

上記のような意味で、日本には勝てる(戦争の目的を達成できる)可能性がありました。ただ、他国の支持をあてにするなど、あまりにも不確定要素が多かった(バクチ的)ことは否めません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
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「勝つ」という言葉の意味こそ、私にはわかりません。
だからこそ質問しているともいえます。

お礼日時:2004/05/12 15:07

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