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一陽来復という言葉がありますね。
陽とは太陽のことですがなぜ「一陽」と「一」をつけるのでしょうか。

「一」について、漢和辞典には次のようにありますが

(1)ひとつ
(2)はじめ
(3)いちど
(4)かず
(5)おなじ
(6)まこと
(7)もっぱら
(8)まじりけがない
(9)ある(ある日とか)
(10)わずか
(11)すべて
(12)意味を強める

A 回答 (9件)

#5です。



ちょっと気になりましたので、「陰」についても漢和辞典を引いてみたところ、
『易学上の二元気のひとつ。陽の対。- - で表わし、地・月・夜・女・柔・静・やみ・内・無形など、消極的なもの。』
という説明になっていました。
ちょっと見ずらいと思いますが、「- -」は破断線と呼ばれるものを横にしたような形状です。
うまく表示する方法がわからないので、このような形になりました。
ウィキにある「バーティカルバー」を横にしたようなものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E6%96%AD% …
また、「月」という意味も記されています。

具体的な「太陽」と解釈してしまうと、太陽は元々ひとつしかないのに「一陽」とは、これいかに、という疑義が生じてしまいかねません。
この熟語の場合は、「陽という現象」のように捉えるのが自然なのでしょう。
季節を表わす場合には、太陽が再び巡ってくるので一陽、というのではなく、
万物の摂理として陽(という現象)が再び巡ってくる、そのひとつとして太陽が再び巡ってくる、のように解釈するわけです。
  
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この回答へのお礼

なんども回答くださりありがとうございます。

陰は「- -」になってるというので、わかりました。
たぶん、八卦の記号を表しているのだと思います。

卦は爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものである。爻には─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があり、組み合わせにより八卦ができる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8D%A6
より引用。

なんか思わぬところで勉強になりました。
ありがとうございます。

>この熟語の場合は、「陽という現象」のように捉えるのが自然なのでしょう。
季節を表わす場合には、太陽が再び巡ってくるので一陽、というのではなく、
万物の摂理として陽(という現象)が再び巡ってくる、そのひとつとして太陽が再び巡ってくる、のように解釈するわけです。

なるほど、参考にさせていただきます。
  

お礼日時:2014/04/19 14:11

>なぜ「一陽」と「一」をつけるのでしょうか。


余り難しく考える必要なないでしょう。
一年の始まりの陽(日)が再び戻って来たという意味でしょう。
漢和辞典にある「はじめ」の意味と同じと考えていいかと思います。

この言葉はよく年賀状などで使われる言葉です。
古代の中国では、冬至を一年の始まりと考えていました。
前漢の時代の書物にも
「冬至には陰気極まって陽気萌(きざ)し、夏至には陽気極まって陰気萌す」と表現されています。
陰陽については
「昼は陽の分にして夜は陰の分なり」と書かれています。
陽は昼、すなわちおてんとうさまが出ている分に属するということです。
陽の大いなるものは、すなわち太陽です。

冬至を一年の区切りとするのは、西欧でも古くからある考え方です。
クリスマスが12月25日なのも、ローマ時代の冬至祭りがもととなっています。
更に古いローマの暦では冬の間の二か月を無視した暦が使われていました。
寒くて何の役にも立たない期間だから数える必要もない、とでもかんがえたのでしょうかね~

日照時間と大気や地表の温度との関係で、一年で最も寒いのは冬至よりもしばらく後です。
古代の中国の人は経験的にこの一番寒い日を立春と名づけました。
この日から暖かくなる、つまり春が始まると考えました。
春が始まる、すなわち農作業が始まるということで、この日をスタートとした暦を作りました。
これが陰暦のお正月の始まりです。
現在でも、中国や台湾ではこの立春の日を春節といって新年のお祝いをしています。(旧正月)
年賀状に立春とか初春と書くのはこの陰暦の習慣からきてきます。
ついでに、もっと古い、冬至を一年の始まりとしていた頃の言葉である一陽来復も使われています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>余り難しく考える必要なないでしょう。
いや、自分勝手に判断するのはよくないかな、と思いまして。

>一年の始まりの陽(日)が再び戻って来たという意味でしょう。
漢和辞典にある「はじめ」の意味と同じと考えていいかと思います。

冬至はものごとの始点ですから、そういう意味かもしれませんね。

>「冬至には陰気極まって陽気萌(きざ)し、夏至には陽気極まって陰気萌す」と表現されています。
陰陽については
「昼は陽の分にして夜は陰の分なり」と書かれています。

陰陽五行説とか陰陽道というのは太陽観測から生じた学問なんだろうなと思います。

陽は昼、すなわちおてんとうさまが出ている分に属するということです。
陽の大いなるものは、すなわち太陽です。

>冬至を一年の区切りとするのは、西欧でも古くからある考え方で
クリスマスが12月25日なのも、ローマ時代の冬至祭りがもととなっています。

冬至を1年の始点と考えたほうがわかりやすいですよね。
キリストが生まれて1週間後に洗礼を受けた日を1月1日としたそうですが
なんでこんなことしたのか。
(ちなみにキリストの誕生日は聖書には記述がないそうですね。
回答者さまがおっしゃるとおりクリスマスはミトラ教をとりいれたものだそうですし)

>更に古いローマの暦では冬の間の二か月を無視した暦が使われていました。
寒くて何の役にも立たない期間だから数える必要もない、とでもかんがえたのでしょうかね~

>日照時間と大気や地表の温度との関係で、一年で最も寒いのは冬至よりもしばらく後です。
古代の中国の人は経験的にこの一番寒い日を立春と名づけました。
この日から暖かくなる、つまり春が始まると考えました。

そうなんですか~。
知りませんでした。
教えてくださってありがとうございます。

お礼日時:2014/04/19 11:56

“ひとつの”という意味ですが、“それ!”という気合を込めた契機のことなんだと、今まで私は当然に理解していました。


変わり目。冬から春への、陰から陽への。
ぐいっという力を込めているんだと存じましたが。

最近、若い人が“一押し”とかいうのとおんなじで、まぁいっちょうあがり。っていう感じかなぁと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

それ!
いっちょうあがり!
というのは、なんだか元気が出てくるような感じで
いいですね。

お礼日時:2014/04/19 11:40

    #2です。

補足です。

    一を「いちど」の意味に使う例は、「百聞不如一見」 (一度見ることは、百度聞くにまさる)があります。

    陽は、#4さんのおっしゃるように陽の気(が伸びる、すなわち冬至を過ぎると太陽の力が強くなる(具体的には日が長くなる)を指していると思います。

    ですから、ひとたび冬至を過ぎて、日が長くなり、陽気が強くなると、運もよくなる、ということです。
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この回答へのお礼

何度も回答ありがとうございます。

おっしゃるような意味かもしれませんね。

お礼日時:2014/04/19 11:37

#4です。



>「一で表し」の「一」は棒線ではなく、「いち」ですか?
陽=一、ということですね?

今、確認してみたところ、どうも「横棒線」のようです。
どうも失礼しました。
易のほうで、そういう記号として使うのでしょうか、わたしもよくわかりません。
  
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この回答へのお礼

わざわざ確認してくださってありがとうございます。
気になるので、友人に辞書を借りて調べてみました。

こちらのほうの辞書には
「易などで積極的または男性的な意味を持つものをいう」
とあり、「一」は出てきませんでした。

たぶん「━」は辞書の項目である「陽」をあてはめるのでしょう。
私が勘違いしていました。
そそっかしくてすいません。

お礼日時:2014/04/19 11:30

単純に (1)ひとつ という意味で良いように思います。



手元の漢和辞典では、「陽」には、むろん太陽という意味も含まれていますが、他にも次のような解説があります。
『易学上の二元気のひとつ。天地間の万物は、これと反対の陰との交わりによって生成変化消長する。一で表わし、天・日・昼・男・剛・動・明・外・有形など積極的なもの。』

また、「一陽来復」の解説を見てみると、下記辞書では、次のようになっています。
『冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと。陰の気がきわまって陽の気にかえる意から。▽もと易えきの語。陰暦十月は坤こんの卦かにあたり、十一月は復の卦にあたり、陰ばかりの中に陽が戻って来たことになる。「復」は陰暦十一月、また、冬至のこと。』
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E4%B8%80 …

これらのことから、「陽=暖かさなども含めた積極的な因子の気」で、「一陽来復」は、そういった「ひとつの陽」がまた巡ってきた、といった意味になるように思います。
つまり、「ひとつの現象」という意味での「一」なのかもしれません。
「陽=太陽」と解釈しても問題ないと思いますが、その場合でも、あくまで「積極的な気」の象徴としての太陽になるのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>一で表わし、天・日・昼・男・剛・動・明・外・有形など積極的なもの。

「一で表し」の「一」は棒線ではなく、「いち」ですか?
陽=一、ということですね?

これは知りませんでした。
目からウロコです。

お礼日時:2014/04/18 20:29

    #2です。

補足です。

>>「来復」とは再び(復)やってくる(来)という意味だと思います。「陽」は太陽ですね。それでは「一」は?

    厳しい冬が終わると暖かい春が訪れる。これが転じて、逆境が続いた後には運が開けるという意味に使われるようになったのでしょう。

   ですから(3)の「いちど」が近いのでは無いでしょうか。一旦厳しい冬が過ぎ去って(太陽というより)陽気が感じられ、春が近づくと、という陰暦のこよみ通りの意味から発して、一般的なものになったと思われます。
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この回答へのお礼

何度も回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2014/04/18 20:23

    易の用語です。

下記などをご覧下さい。
    http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/12936/m0u/% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
リンク先をよみますと
易の言葉で、陰暦11月と書いてありました。
しかし、陰暦11月を表す言葉は「一陽」ではなく「一陽来復」だということだと思います。

「一陽来復」とは冬至のことなので、転じて、冬至がある月=陰暦11月を一陽来復というようになったということではないでしょうか。

「一陽来復」の本来の言葉の意味は何でしょうか。

「来復」とは再び(復)やってくる(来)という意味だと思います。
「陽」は太陽ですね。
それでは「一」は?

しかし、一陽来復という言葉が易の用語だとは知りませんでしたのでたいへん参考になりました。

お礼日時:2014/04/18 14:32

一つの太陽なのか、十一月の一なのか。


故事辞典を参考にすると十一月の一みたいです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
No.2の方の回答のリンク先をよみますと
おっしゃるとおり、陰暦11月と書いてありました。
しかし、「一陽」ではなく「一陽来復」が陰暦11月という意味だともとれます。

「一陽来復」とは冬至のことなので、転じて、冬至がある月=陰暦11月を一陽来復というようになったのかな、とも思えます。

「一陽」という言葉の本来の意味は何でしょうか。

お礼日時:2014/04/18 14:23

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