映画のエンドロール観る派?観ない派?

英語で、よく日本語に直訳すると日本語としてとてもおかしい文章が完成する場合がありますよね。自分としては名詞構文や無生物主語構文、第5文型の文章の訳出のときにそのように感じます。

調べてみると「英語は名詞表現が多く、日本語は動詞表現が中心になる場合が多い」という書き方の文章が見られました。

確かに「無生物主語構文では副詞的に訳しなさい」と教師に言われたことがあるので、これはつまり、動詞的表現に直しなさい、ということだったのかと思います。

また、別のよくある具体例として日本人は「彼は料理がうまい」という文章をHe cooks well.と書くのに対し英語圏の人々ではHe is a good cook.と書くというのもあります。


前置きが長くなってしまったのですが、この英語圏では名詞的表現が多く、日本語では動詞的表現が多いことについて理由はあるのでしょうか。

「彼は良い料理人だ」という表現は私にとって確かに「なんとなく」気持ち悪いのですが、それは向こうの人たちにとっても「彼は料理がうまい」という表現が「なんとなく」気持ち悪いから以上の理由はないのでしょうか。

この英語と日本語の違いについてとてもモヤモヤしています。

どなたかわかりやすく背景を説明していただければとても嬉しいです。また、この質問に近い内容の参考図書を挙げていただけるだけも構いません。

よろしくお願い致します。

A 回答 (5件)

 のっけから何ですが、そうではないです。

日本語と英語を比較したいなら、逆説的ですが、いったん「日本語と英語は比較できない」と割り切る必要があります。英文和訳、和文英訳なんて、まやかしです。英和・和英辞書も、どうしようもないから無理矢理対訳的に並べ立てているだけです。

 日本語で考えている動詞・名詞という分類が、そのまま英語の動詞・名詞の分類に当てはまるわけではありません。逆もまた然りです。当然ですが、形容詞、副詞なども同じです。

 これは、日本語と英語が縁もゆかりもない言語であるせいです。英語と他のヨーロッパ語なら互いに関係性があります。文法は似ています。単語もかなり1対1対応性があります(だから機械翻訳の精度が高いなどの現象がある)。日本語は違います。ヨーロッパ語(さらに印欧語)と関わるようになったのは、言語的な歴史スケールからすれば、ごく最近です。互いに共通性を持つには、まだ年月が足りていません。

 日本語のある動詞が英語の動詞よりもむしろ名詞と関連性が感じられたり、日本語の名詞が英語の動詞と重なる部分が大きかったりします。英語から日本語への場合も同様です。単語レベルでも、何をどう分類してきたかが全く異なるせいです。

 でも、そうしたことと英文和訳で、日本語の動詞的なものが日本語の名詞的なものに変わるのは(ある和文を日英、英日を別々の人で再翻訳するとよく起こる)、別の原因です。それは、辞書的なもののせいです。

 日本語には大別して、日本由来の「やまとことば」と昔の中国由来の「漢語」があります。「やまとことば」は意味の範囲が広く、用い方の変化に富む傾向があり、漢語は意味が狭くて明確で、用法の変化が少ない傾向があります。漢語系の単語を動詞にしようとすると、「名詞+する」とするしかないことが多くなります。

 英単語は、日本語のいろいろな単語の一部と意味が重なります。そのため、意味が重なる単語ごとに差異をはっきりさせて列挙する必要に迫られます。すると、漢語系の単語が適します。当然ですが、日本語の名詞の比重が大きくなります。

 英語のほうにも、英語から生まれたアングロサクソン系の単語があります(これに、英語への流入が非常に早い時期の外来語も入れてもよさそう)。日本語の「やまとことば」に相当します。一方、他のヨーロッパ語由来のものも多くあり、ラテン語であったことが色濃く残る単語などはたった一つしか意味がないこともあります。日本語の漢語に相当する単語群です。

 和英辞書もやはりその影響を受けます。アングロサクソン系の単語で対応を示すにしても、日本語の単語のほうも言い換えを用い、英語の外来語系の単語も示して、差異を明確にしようとします。

 辞書に記載されている単語を用いると、翻訳結果がどうしても名詞、それも意味の狭いもの(漢語系、ラテン語由来系等)になりがちです。逐語訳、直訳は特にそうなります(さらに単語レベルの対応を心がけるほど、原文から意味が遠ざかったりするけど、割愛)。

 日本語が動詞的、英語が名詞的ということはありません。正確な翻訳を心がけた結果の副作用として、そんな感じに見えてしまうだけです。

P.S.

 もし「それは承知の上で言っている」ということでしたら、大変申し訳ありません。また、このことに関する適切な参考図書はちょっと分かりません。これも大変申し訳ありません。
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翻訳して考えるので、なんとなく居心地が悪いというか気持ち悪く感じるのではないでしょうか。



互いにまったく別の地域で発生発達したことばを直訳しても意味はないと思います。

たとえば、「雨が降っている」は「it's rening」ですし、「おいしい」は「it's delicious」ですが、これは、英語は必ず主語から始まるという規則(文法)からです。

「Can i have a pen, pleae?」と言ったら、お店で言ったら「ペンをいただけませんか」になるし、家で言ったら「ペンを取ってくれない」の意味になります。 「i have coffee」と言ったら「コーヒーを飲む」になるのに、じゃ「i drink coffee」とどう違うか難しいですよね。 でも、「i have coffee」といったほうが丁寧に聞こえるようです。でも、毎朝、何を飲んでいるのか聞かれたら「i drink coffee」でいいことになります。

疑問形でも「do you have a car?」と聞くのと「don't you have a car?」と聞くのとどう違うかというと、「don't you」で聞いたほうが、丁寧に聞こえるようです。

「please sit down」というと、なんか座ることを強制されているように聞こえるのに、「have a seat」というと、丁寧に「よろしければお座りください」と聞こえるようです。

では、なぜ、こうネイティブには、そう感じるのかというと、説明なんかできないと思います。

そもそも、最初にあげた例が「can i have a pen, please?」が、なんで、相手に、ものを取ってくれることをお願いしたり、買い物をするときに、店員に伝える言い方になるか、説明せよといわれてできるでしょうか。

じゃ「can i take a pen, please?」と言ったら、こういう言い方は本当はないのですが「ペンをかっぱらっても、よろしいですか」になります。 

日本人は翻訳癖がついていて、文章をみたら翻訳して理解していきますが、そもそも、こういうやり方自体は、あまり意味がないと思います。 また、こういうやり方をしていると、英語を聞くにも、翻訳しないと聞けなくなるし、話すにも、日本語を思い浮かべて、翻訳しないといけなくなるので、現実は、会話にならないし、くたびれてしまいます。

どうなんでしょうね。 なかなか外国語というのは難しいというか、そんなものだと割り切り、丸覚えするしかないような気がします。
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質問者さんの意見賛成です。

自分も高校時代に同じような考えたことがありました。 get , have, make, take などの基本動詞のことを考えると、意味の重点は名詞に置かれると思います。例えば take a bath は take にはあまり意味がなく bath の方に具体的な意味が載せられています。bathe という動詞もありますが、それを使わずに take a bath とします。このような語句が英語には無数にあることから、「英語は名詞中心だ」と考えました。

cook well だと cook に動詞に動作の意味が含まれます。good cook だと名詞に動作の意味が含まれ、文法として必要不可欠な動詞は be動詞が担うことになります。上の段落の get 以下と同じ役割になっていると言えます。

「日本語は動詞中心」には、まったく別の理由を考えています。敬語のことを考えると、日本語は一つの動作を様々な動詞で表現を変化させているといえます。「言う」「述べる」「申す」「おっしゃる」「仰せになる」「のたまう」から、乱暴な言い方の「ほざく」「ぬかす」、「曰く」など漢語的な表現も含めると実に様々です。誰がどのように言ったのかという、本来なら副詞語句が担う役割を動詞が果たしていることが分かります。
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    #1です。

補足です。

>>そのような根源的疑問の手前にこの質問が当てはまっているかな?とも思ったので質問させていただいたのですが、回答数の通りとても答えようもない質問のようです。私の疑問点が少しおかしかったのかもしれません。

   いいえ、そんなことはありません。僕の解答があのような形になったのは、「英語の方が動詞中心」の場合もあるからです。

    例えば、日本語の「笑う」に対応するものとしては、下記の英語では七つの動詞が挙っています。
    http://ejje.weblio.jp/content/%E7%AC%91%E3%81%86

     これだけでは全体像ではなく、日本語の方には実に豊富な「ニコニコ」、「ゲラゲラ」、「クスクス」のような擬態語があるので、動詞の方は一つでも(ほほえむ、など他にもあるますが)すみます。

    ついでですが、この種の擬声語擬態語が日本語には実に豊富で、よく使われることは、夕方のニュースなどで両語で目撃証言を比べるとよく分かります。

    英語ですと There was a loud explosion, and the fallen wires sparked. (直訳)大きな爆発があって地面に落ちた電線から火花が出た、などと言います。

    日本語の目撃者ですと、急に「ドカーン」という大きな音がして、地面に落ちた電線から「パチパチパチ」って火花が出た、などと言います。

   僕に言わせると日本語の方が臨場感があって、静的な英語より描写力が優れているような気がするんですが、、、

   まあ言葉変われば、言い方も変わる訳なんでしょうけど。外国語習得の面白みはこういう風に一つ以上の角度からものが見られる、と言うことにもあるように思います。
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  日本語では「イヌ」というのに、英語ではなぜ「ドッグ」と言うのでしょう。

この英語と日本語の違いについてとてもモヤモヤしています、みたいなもの、が単語だけでなく、文法でも、使い方でもある、と言うことでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

とても難しいですね。確かにルーツを辿ればどのような疑問も「なぜ英語と日本語は違うのか」という答えようもない問題になってしまうと思います。

そのような根源的疑問の手前にこの質問が当てはまっているかな?とも思ったので質問させていただいたのですが、回答数の通りとても答えようもない質問のようです。私の疑問点が少しおかしかったのかもしれません。

わざわざご回答くださりありがとうございました。

お礼日時:2014/04/19 02:00

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