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画像の歌の崩し字が読めません。◎の部分です。石碑、向かって右の歌の初めの句の上から4文字目と5文字目と7文字目「村人に上◎◎ま◎」。むかって左の歌の右の句の最後の文字「上?ぐ?◎」。及び左の句の最後(下)から3文字目「末◎」。最後は「橋」でよろしいのでしょうか?できれば両方の歌の読み下しが頂ければ幸甚です。よろしくお願いいたします。

「崩し字が読めません。教えて頂けませんでし」の質問画像

A 回答 (5件)

 古文書の専門家でもないので、いい加減な者ですが、「傳へん」はあり得ますね。

ただ、細かな事を言えば、「傳」の旁のの右下は「寸」ですがから「くずし字辞典」(下記アドレス参照)ではほとんど「す」に似た形にまとめています。

   http://clioz39.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/ZClient/W3 …
  (この検索文字の欄に「傳」か「称」を入れてください。)

 この書き手の「書き癖」かも知れませんが、私としては「称(たた)へむ」の方が近いと思います。

 向かって左の碑は「この園を<心つくして>……」と見えてきました。これは既に指摘されているようですが。
 それから(?田公園建設 村上賢蔵○○)の「?」は多分「濱」なのでしょうね。

 できれば、既に出されている説を書いていただき、複数説がある部分を指摘してもらえば、それが正解を呼ぶのではないでしょうか。

この回答への補足

この歌碑のある瀬戸内海生名(いきな)島(旧生名村)の村史には、後半の歌の読み下しが掲載されています。「この園を心つくし築きたり 村の栄えと末廣の為」です。意は了解できますが、個々の不明な崩し字に関し、やはりそう読んでいいのか、あるいは読み下しの中に含まれない文字はどう読むのかと疑問は解明されないままです。歌意はこの読み下しであろうとは考えられますが、やはり一字一字正確に読んでみたいという気持ちには変わりありません。誠に我儘で申し訳ございませんが、いまだ全てが腑に落ちておりませんので、引き続きご教示、ご協力をお願いいたします。なお後段にあるのは橋の固有名詞では?というヒントをいただきましたが、いまのところ見る事の出来る古地図では、橋の存在は確認出来ておりません。

補足日時:2014/04/24 20:08
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この回答へのお礼

OKATさん 両方とも微妙なところです。あとは意味づけですが両方の意味で通るので、これまた微妙です。
ありがとうございます。1度整理してみます。

お礼日時:2014/04/22 21:05

村人に心○して 賢蔵の 誠心(まごころ)こめし 園と称へむ


   (濱田氏銅像建設に村上賢蔵氏誠意造?成?の園)

この園を心つ○きらく 村の栄え○○ 末廣の橋
   (?田公園建設 村上賢蔵○○)

やはり、分からぬところが多くあります。これは崩し字でもありますが、彫り方の問題もありますね。ほとんど推測です。古文書の読める方に直接見てもらえば、多分わかると思います。
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この回答へのお礼

OKAT様 ありがとうございます。この石碑は濱田國太郎という人物を顕彰するために等身大の銅像を建立し、その一帯を濱田公園とし、造園者自身、もしくは他の人物が歌を詠み石碑にしたものと思われます。「園と称へむ」「末廣の橋」はうなづけます。「称」を旧字の「傳」(伝え)と読む方もおられますが、その点はいかがでしょう?

お礼日時:2014/04/22 08:40

わかるところだけですが、



「村人に上○まへ○賢蔵の
 誠心こめし園と称へむ」

「この園○(を?)心つ○○きづき上ばや
 村の栄○ 末○の橋」

たまたまかもしれませんが、右側の石碑の歌は「村上賢蔵」の名を「村**上****賢蔵*」と詠み込んだようにも思えます。「上○」は、なにか固有名詞ではないかという気がします。文字の一部に見えにくい細い線があるようにも思えるし、うーん。

左側の石碑も、地名などの固有名詞が含まれているのではないかと思います。
造園者・村上賢蔵が橋も作ったと書いてあるように読めるのですが、歌の最後の「末○の橋」という固有名詞に心当たりはありませんか?

補足で、その土地や公園・橋ゆかりで心当たりの固有名詞を挙げて頂ければ、判読しやすくなるかもしれません。

この回答への補足

現地は厳島という小さな島です。厳島神社も祀られています。生名島という島(本島)の突端に在る島でして、かつては海で隔てられていました。浅瀬を埋めて地続きにしたものです。古地図などを参照してみようと思います。

補足日時:2014/04/21 12:21
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この回答へのお礼

kifimi様 ありがとうございます。右の石碑はたしかに造園者の村上賢蔵を読み込んでいると思われます。下の句はこれですっきりしました。上◎まえ◎賢蔵の◎の部分を固有名詞という観点からまた近所の古老にたずねてみます。末◎橋という固有名詞は、もしかしたら存在したかもしれません。元は島と島を繋いでいた石橋とかがあったかもしれません。現在は埋め立てられて道路になっていますが・・・。

お礼日時:2014/04/21 12:15

なんとなく分かる部分のみトライしてみます。


村人に 心救いて ○花の
誠心こめし 園と ○つも

この園を 心つよき やすらぎの
村の栄えた 末○の橋

まだ何か変ですが、 「園」 と言うところがキーになっているようです。

待てば他に読める方が出てくるかもしれないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。園というのはかつてこの石碑があった一帯を記念公園としたための呼称と思われます。濱田國太郎という日本海員組合の創設者の故郷に設置されていた歌碑です。造園者が村上賢蔵という人物であろううと読み取れます。歌の大意は、村民に委嘱を受け公園を作った(造園)由来と、造園者(賢蔵)の気持ちを仮託したものと思われます。

お礼日時:2014/04/19 06:30

有名な石碑ですか?石碑名・作者などが分かれば、それで検索をかけてみれば分かると思いますよ。

石碑 誠心 村人 で検索したけど、無理だった…
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この回答へのお礼

ありがとうございます。有名な石碑というのではございません。故郷の町出身の偉人・濱田國太郎(日本海員組合の創設者)を顕彰する銅像を建てた場所を、記念公園にした祭の造園者を讃えた内容と思われます。

お礼日時:2014/04/19 06:21

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