そして冬至の早朝、灯籠に照らされた石畳の小道に沿って、さまざまな供え物をいっぱいに並べた圜丘壇に登り、道士が演奏する古典音楽のなか、天の神と先帝の位牌を敬虔に祭り、天候の順調や豊作、国泰民安を祈った。

http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2007-12/11 …
より引用

中国の皇帝が祀った天の神とは具体的にはどのような神でしょうか。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

皇帝が祀り、祈りを捧げる神は、天帝以外にはありません。


天帝とは北極星を指します。
秦の始皇帝は、自らを天帝になぞらえ、皇帝と名乗りました。
皇帝が自らを「朕(ちん)」と称し、他の者にその自称を許さなかった逸話は有名です。
北極星こそは、宇宙の創造神、支配者と考えられていたようです。
皇帝は天帝の意志を臣下と民に伝える、天命を負うていたのだと。
この精神は歴代皇帝に受け継がれ、やがて日本の天皇制にも引き継がれました。

この回答への補足

どの回答も参考になりました。
ありがとうございました。
一番先に回答くださった方をベストアンサーとさせていただきました。

補足日時:2014/04/23 09:31
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
天帝、北極星のことなんですか。

>秦の始皇帝は、自らを天帝になぞらえ、皇帝と名乗りました。
皇帝が自らを「朕(ちん)」と称し、他の者にその自称を許さなかった逸話は有名です。

朕という言葉は北極星、天帝に関係のある言葉なんですか?

それにしても冬至で太陽神を拝むのならばわかるのですが、なぜ北極星を拝むのでしょうね?

お礼日時:2014/04/19 13:13

このように新旧の話しをごちゃ混ぜにして、あたかも正論であるかのような説明をされると、私は生理的に気持ち悪くなるのです。

そもそも近代中国は共産国家のはず、文化大革命でもわかるように自ら古い中国を根こそぎ刈り取っておきながら、あたかも春節や冬至が中国伝来の風習だなどということにあきれ返ります。コレでは共産主義の名に致命的な傷をつけるだけ。もっとも近代中国はあまりに酷すぎた文化大革命を否定しながら当の毛沢東や共産主義を否定できない、しかも立ち行かなくなるとロシアのように反革命を起こさず、自分たちの権威だけを温存する似非共産主義でごまかし続けているのが実情。
結果、自分たちの祖先が生み出した文化や習慣も、当時を否定しながら自分たちに都合の良い、解釈に捻じ曲げるという気持ちの悪いものを作り出しているわけです。

中国は皇帝と共に名が変わるので明治以前を古代中国とまとめさせていただきます。というのは明治時代に中華民国が始まって以来、道教そのものが歪められ気持ち悪いものに変質していったからです。

天の神、天帝を祀る事どころか古古代中国の民衆には今のように先祖を祀るなどというはっきりした習慣などありません。葬る事と祀る事は関係ないのです。マツルという祭事は天子にしかできない行事でした。だから政治をマツリゴトというのです。少なくとも周(前1046年頃 - 前256年)の時代まではそんな時代です。

天帝がはっきりとするのは道教の発達以降です。それ以前にもあったと考えて普通なのですが、あまり記録にはないようです。そもそも道教という宗教的な前も仏教徒の軋轢の中で生まれてきたものです。
この成り立ちは同じく仏教との軋轢で神道という名が生まれた日本と同じです。
また天帝は姿のナイ空の神でありますが、これをキリスト教の主と同じにするなどとんでもないずさんな考えでしかありません。天帝の解釈はその後も幾つも増え続け、一つの形を成しません数も一人称から4~5人称にまで増える時期もあります。“目に見えない”という一点だけで例えるならば神狐もまた主の事になってしまいます。

私達は国譲りで大国主の統治から天照の統治(実際はニニギ)に替わったと教わりましたが、これが嘘。
私達は英国の「立憲君主制」を知っています。「女王は君臨すれど統治せず」です。実際にはコレに近いものを現しているのです。つまり目に見えないアマテラスが高天原と葦原中国に君臨し、葦原中国をニニギが統治する関係。やがてこれが更に天皇が君臨し、関白などが統治する関係(未熟なので何度も破られましたけど)。コレに同じく見えない天帝が君臨し、見える天子が統治する関係。といえば想像しやすいでしょうか?

天帝は当初全宇宙を支配する存在です。でも創造主ではありませんし、唯一無二の神でもありません。
この世と彼の世の両方に君臨し、むしろ彼の世を統治する存在です。
時代と共に単一から複数になった地増えたり減ったり・・道教が確立してくると最上位の神となります。
でも三尸に人間の動向を探らせるなど閻魔さながらの仕事をします。なので、立ち場的にはむしろギリシャ神話のゼウスをイメージした方がいいのかもしれません。ちなみに三尸が告げ口をするのは天帝のほかに泰山府君とも言われます。

農耕する民族だけでなく繁殖を待つ狩猟民族においてもまた安全面からも陽が延び始める冬至は大切な陽であり、でもだからとて別段先祖供養などしませんよ。
人々に大切な事はいつから温かくなって種を撒けばいいのかということです。そしてその情報を正しく知らせるのが天子様の務めなんです。
いつ撒けばいいのかを知りたければ「今日から何日後」といえばいいわけですよね。つまり「今日が冬至だ。だから冬至から何日目には雪は雨に変わる(雨水)、そして昼と夜が同じくなる(春分)・・」といえばいいわけです。後半は庶民が勝手に数えればいいので「今日が冬至」とだけ言えばいい。だから天子様はマツリを以って庶民に冬至を知らせた・・という事なんです。
冬至は『ゼロ』何もすることがないのだから「数え始め」にふさわしい日取りという事です。
それにただ「本日、冬至」ではウナギ屋の宣伝みたい。だから「天帝に伺った。本日が冬至である」というほうが権威がある。まるで赤壁の孔明みたいなものです。
その天子だけの儀式である冬至祭が皆も祝おうという事になって広まっただけです。

しかし、暦は元々黄河流域だけです。広大な中国では時差があります。そこで各地にあわせた暦が必要になり、この権限を自治体が持つことで民衆を従わせたわけです。
一方で庶民は暦が出来てしまえば冬至を知ってもさほど嬉しくもナイ。だったら温かくなり始め、雪が雨に変わる寸前の方が嬉しい、ということで立春が新年ということになるわけです。

さまざまなイベントなどがここに集まるのはそれからの事です。今だって様々なイベントを日曜日に集めるでしょ。そのほうが忘れませんから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>このように新旧の話しをごちゃ混ぜにして、あたかも正論であるかのような説明をされると、私は生理的に気持ち悪くなるのです。

新旧の話をごちゃ混ぜにしているというのは、リンク先の文章のことですか?

>そもそも近代中国は共産国家のはず、文化大革命でもわかるように自ら古い中国を根こそぎ刈り取っておきながら、あたかも春節や冬至が中国伝来の風習だなどということにあきれ返ります。

勉強不足ゆえ、よくわからないのですが
共産国家では伝統行事を行ったりはしないのでしょうか。
また冬至節という風習は中国では廃れたということでしょうか。

>天の神、天帝を祀る事どころか古古代中国の民衆には今のように先祖を祀るなどというはっきりした習慣などありません。葬る事と祀る事は関係ないのです。マツルという祭事は天子にしかできない行事でした。だから政治をマツリゴトというのです。少なくとも周(前1046年頃 - 前256年)の時代まではそんな時代です。

広東省や福建省、江西省などに散在する客家は、1600~1700年ほど前、中原の戦乱を避けるために南方へ移住した漢族である。客家には今でも、冬至に天の神を祭るならわしが残っている。各家は門の外にテーブルを設けて、「冬至円」と呼ばれる団子や各種のお供えを並べ、香を焚いてろうそくを点す。こうして敬虔に天の神を祭り、長寿や豊作、家族の幸せを祈るのだ。
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2007-12/11 … より引用

ああ、あるほど、「客家には今でも、冬至に天の神を祀るならわしが残っている。」と書いてありますね。
回答者様がおっしゃるとおり、天の神を祀るのは皇帝だけに許されていたことだったと聞いたことがあります。
すると、各家に残っている習わしとは天の神を祀るならわしではないということですね?

>天帝がはっきりとするのは道教の発達以降です。それ以前にもあったと考えて普通なのですが、あまり記録にはないようです。そもそも道教という宗教的な前も仏教徒の軋轢の中で生まれてきたものです。
教義面に関しての一応の成立は南北朝初期の寇謙之を遡らないが、宗教としての教団組織と儀礼と神学教理の三要素が完成したといえるのがいつなのかは難しい問題であり、隋から五代にかけて、漠然と唐代を中心にした時期とみられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99# …
より引用。

道鏡の成立は唐代を中心とした時期でしょうか。
それは仏教徒との軋轢の中で生まれてきたと。

>この成り立ちは同じく仏教との軋轢で神道という名が生まれた日本と同じです。

うーん、これはどうとるか、難しいと思います。
一般的には神道が先にあって、仏教は飛鳥時代に日本に入ってきた、それで神道派の物部氏と崇仏派の蘇我氏が対立したものの、神仏は習合されて信仰されるようになったという認識ではないでしょうか。

それとも神道というものはもともとあったが、神道という名前が仏教との軋轢から生まれたという意味でしょうか?

日本神道のベースとなっているのは記紀だとおもいます。
記紀を読むと道教や仏教の影響を受けていると思われる記述があります。
そして、日本では神仏習合の信仰スタイルとなっています。
なので、軋轢で生まれたというよりは、道鏡や仏教の影響を受けている、という認識です。私は。

>また天帝は姿のナイ空の神でありますが、これをキリスト教の主と同じにするなどとんでもないずさんな考えでしかありません。天帝の解釈はその後も幾つも増え続け、一つの形を成しません数も一人称から4~5人称にまで増える時期もあります。“目に見えない”という一点だけで例えるならば神狐もまた主の事になってしまいます。

キリスト教(キリストきょう、基督教、ギリシア語: Χριστιανισμός、ラテン語: Religio Christiana、英語: Christianity、スペイン語: Cristianísmo)とは、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA% …
より引用。

それに対し、天帝は一柱とは限らず、全く異なるということですね。

>天帝は当初全宇宙を支配する存在です。でも創造主ではありませんし、唯一無二の神でもありません。
この世と彼の世の両方に君臨し、むしろ彼の世を統治する存在です。

このあたり、大変興味あります。
天帝が彼の世を統治する存在というのは、何か文献などに記されているのでしょうか?

お礼日時:2014/04/20 20:22

>中国の皇帝が祀った天の神とは具体的にはどのような神でしょうか。


この世を司る唯一絶対なるものです
キリスト教徒やユダヤ教徒は「エホバ」とか「ヤハウェ」と呼び、イスラム教徒は「アラー」と呼び、古代中国人は「天」と呼びました。
具体的な姿や形はありません。

中国では、地上を支配する王(帝)は天の命、すなわち天命を受けたものとされました。
この天命が革まることを革命と言います。
王様の出来が悪いので天が見放して、新しい王様に命を下した、という考え方からきた言葉です。

以下蛇足
ご質問の祭事には複数の意味が込められています。
古代の中国では冬至が一年の始まりと考えられていました。
前漢の書物にも
「冬至には陰気極まって陽気を萌し、夏至には陽気極まって陰気萌す」と説明されています。
西欧でも太陽が復活する日として冬至祭りが行われました。

中国では人には魂魄の二つがあると考えました。
日本では魂のみです
この魂魄が分離して魂は空中へ漂い、魄は地中に潜むのが人の死と考えました。
この魂魄を呼び戻して、生者と飲食をともに楽しむことを「孝」と呼び非常に大切にしました。
中国人にとってはこの世が最高で、死後の世界に価値を認めません。
死んでも再びこの世に戻ることを願います。
この魂魄が呼び戻される依代が位牌です。
インド仏教には位牌などというものはありません。
中国に渡ってから、中国人が古代からの魂魄の考え方を取り入れて、仏教の儀式にも位牌を取り入れました。

日本では「孝」はせいぜい親孝行程度ですが、中国では違います
自分を入れて五代前までの祖先の魂魄を呼び戻して飲食を捧げました。
この儀式を継承するために、子を産み孫を育てることが求められました。
祖霊を敬いこの世に呼び戻す儀式を行い、子・孫を生んで養育することがワンセットになって「孝」が完結します。
「孝」を完全に行う人が徳のある人物で天の意に適う人物であると考えられていました。

ご質問の祭事には以上のような意味が含まれています。
天を遥拝するだけではなく、天命が自分から離れないことも併せて祈っています。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>王様の出来が悪いので天が見放して、新しい王様に命を下した、という考え方からきた言葉です。

井沢元彦さんもおっしゃていましたが、政治が悪いから天が見放すのは当たり前と思いますが、天災や疫病の流行まで王様の出来が悪いというのはなかなか厳しい考え方ですね。

魂魄、位牌について教えていただきましてありがとうございます。
大変興味深く拝読しました。

それにしても冬至で太陽神を祀るのならわかりますが、なぜ天帝を祀るんでしょうね?

お礼日時:2014/04/19 13:19

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q暦の一月一日はいつ決まりましたか?

一年の初めが一月一日ですが、
これはいつ決められたことでしょうか?

また一年の初めを冬至とか立春とか公転の切りのいいところに
決めればいいものを、冬至から十日ほど経った日に
どうして決めたのでしょうか?

Aベストアンサー

#5さんのご指摘があったので改めて調べた結果ですが、太初歴では間違いなく立春を含む月が正月です。
これに対しいわゆる旧暦も冬至を含む月が11月というのは太初歴と同じなのですが、たしかに#5さんが仰るように「二十四節気の雨水を含む月」が正月の定義ですね。もっともなぜそうなったかといえば基本は「立春の『頃』を年初にするため」なのだそうですが。(ご指摘ありがとうございます)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%98%A5
ということで一部訂正。

その後の中国・日本の旧暦では冬至を含む月が11月、雨水を含む月が正月、というようになっていったようです。現在の旧暦もそうなっています。

ついでに「年内立春」についても2年に一回ぐらいあって去年も来年も宗なんだという話も上記URLにありました。
なお正月は上の如くですが、1日については、#4で書いた文献を信ずるなら「始めの頃は天象そのものの観測によっていたので、必ずしも朔(新月)が1日になってなかった。戦国時代に正統論から各種の暦が作られていき、結局秦によってせんぎょく暦が行われるようになった時に、朔をもって1日とすることが普通になった」ということのようですね。
西洋でも月ということばは天体の月が元のようですから、元々の1日(ついたち)は月の観測(実測)または月の観測結果による理論(このふたつは必ずしも一致しない)により定められたのではないかと思います。
なお、クリスマスが元はミトラス教の冬至の祭りであったなども関係があるのかもしれません。実際、カエサルが定めたユリウス暦でいくと本来1月1日がそれまでの暦より2ヶ月早い正月(年初)を作ったようですが春分を起点とする暦の2ヶ月前だと1月下旬になり、これが現在の1月1日になったのは件のミトラス教の影響ではないかという話もあるようです。
以下のURLにはこの事が述べられていますが、私同様日中の旧正月については誤解があるようです。
http://astro.ysc.go.jp/izumo/shogatu.html

#5さんのご指摘があったので改めて調べた結果ですが、太初歴では間違いなく立春を含む月が正月です。
これに対しいわゆる旧暦も冬至を含む月が11月というのは太初歴と同じなのですが、たしかに#5さんが仰るように「二十四節気の雨水を含む月」が正月の定義ですね。もっともなぜそうなったかといえば基本は「立春の『頃』を年初にするため」なのだそうですが。(ご指摘ありがとうございます)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%98%A5
ということで一部訂正。

その後の中国・日本の旧暦では冬至を含...続きを読む

Q 学問の神様として祀られている菅原道真は、いつ頃から学問の神様として祀

 学問の神様として祀られている菅原道真は、いつ頃から学問の神様として祀られ受験生の参拝の対象となったのでしょうか。

 かつては、京の重職を左遷されたことで怨霊となり、事ある毎に災害や異変が起きると京都の人々は、菅原道真の怨霊だと恐れていましたが、怨霊封じで神社を建立し、英霊とすることで怨霊封じから学問の神様という流れになってきたとも思いますがどうでしょうか。

 分かる方おりましたらご回答ください。

Aベストアンサー

学問の神様と広く言われるようになったのは江戸時代からです。
徳川綱吉が湯島に学問所を作って以来、学問所の近くに元々からあった湯島天神が、学者さんや学生さんに信仰されるようになりました。その後、寺子屋でも祀られて庶民にまで浸透しました。

ちなみに湯島の学問所では、公式には孔子を祀っていました。

Q冬至に南京

冬至に、南京とか柚子とか黄色いものを取る風習があります。
なぜ冬至に黄色ですか。
何か、いわれがあって黄色になったのかな?
夏至では何色と有るのですか?

Aベストアンサー

冬至が黄色と関係があるかは、分かりませんが・・・
かぼちゃやユズは、ビタミンが豊富で日差しが少なくなった時期に、健康を保つためには、貴重な栄養源です。
現代の栄養学というような組織だった学問ではなく、生活の中からその時期に必要な食べ物を食べたり、身体に触れさせた方が風邪などの病気の予防になるという経験則ではないでしょうか。
黄色がよいのなら、大根の沢庵漬けでもよいと思いますが。
おっと、沢庵漬けも冬場の貴重な栄養補給であるということを忘れていました。冬で野菜が取れないときの野菜の保存食は貴重だったでしょうね。

色と言うことで考えれば、陰陽五行説がありますが、冬の色である「黒」に打ち勝つ力として「黄」があるという説も無いと思います。このあたりは、五行説の専門家の方にまかせます。

Q蘇我氏を祀る神社

蘇我氏を祀っている神社はあるのでしょうか?

Aベストアンサー

宗我坐宗我都比古神社

推古天皇の御宇(6世紀末から7世紀前葉)に当地を拠点とする蘇我馬子が蘇我氏の氏祖である蘇我石川宿祢夫妻を祀ったことを起源とする。『延喜式神名帳』では大社(官幣大社)に列し、朝廷からの崇敬を受けていた。


蘇我比咩神社

千葉県千葉市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。

蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。中世には春日神が信仰の中心となっており、春日大明神と称していた。

創建の年代は不詳である。紀記神話によれば、日本武尊の東征の際、相模から総国に渡ろうとしたとき暴風雨に遭い、それを鎮めるために日本武尊の后の弟橘姫が入水した。社伝によれば、そのとき弟橘姫に付き従ってきた5人の女性も一緒に水に入ったが、そのうちの一人、蘇我大臣の娘の蘇我比咩だけは浜に打ち上げられ、里人の看護により蘇生し、都に帰った。後に里人は、日本武尊が帰途に亡くなったことを聞き、その霊を慰めるために社を建てて祀った。応神天皇はその行為に感激し、蘇我一族をこの周辺の国造として派遣した。蘇我氏は春日大社と比咩神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比咩神社を創建したという。

ただしこれには別の伝承もあり、浜に打ち上げられ蘇生したのは弟橘姫であり、弟橘姫が「我、蘇(よみがえ)り」と言ったので「蘇我」という地名となったともいう。


入鹿神社

入鹿入鹿神社(いるかじんじゃ)は、奈良県橿原市小綱町(しょうこちょう)にある神社である。

蘇我入鹿とスサノオを祀る。スサノオは明治時代より祀られたものである。


蘇我神社

安芸国虎のご先祖は、壬申の乱で敗北したので土佐に流された蘇我赤兄だといわれています。 安芸氏の祖先を祀った。

宗我坐宗我都比古神社

推古天皇の御宇(6世紀末から7世紀前葉)に当地を拠点とする蘇我馬子が蘇我氏の氏祖である蘇我石川宿祢夫妻を祀ったことを起源とする。『延喜式神名帳』では大社(官幣大社)に列し、朝廷からの崇敬を受けていた。


蘇我比咩神社

千葉県千葉市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。

蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。中世には春日神...続きを読む

Qキリストの誕生日と冬至と暦

みなさま、こんにちわ。

キリストの誕生日は12月25日とされていますが、
これは聖書には書いておらず、かつては冬至を1年の始まり(元旦)
とする習慣があったため、冬至の日をキリストの誕生日にしたという説があるようです。
またそれは4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでのことだったとあります。

http://c-cross.cside2.com/html/e10ku001.htm

しかし、現在使用されているグレゴリオ暦では
冬至は12月21日~23日です。

3世紀のローマではおそらくユリウス暦を使っており、
ユリウス暦では1000年に約8日ずれますので、
こういったことから冬至の日が25日になったのか、と考えましたが

http://www.utopia-net.org/Japanese/0417jesus2.html 
によれば
昔は、月齢28日間で1ヶ月という「陰暦」を採用していたので、昔の冬至の日は、12月25日頃であった。
しかし、現在では、「太陽暦」を採用しているので、1ヶ月約30日間となり、現代の冬至の日は、12月22日頃になっている。
とあります。

(1)かつて太陰暦を使用していた地域はどこですか。
(2)日本でかつて使用されていた旧暦では冬至が12月25日になることはありません。
2000年から2009年までの冬至の日を旧暦換算すると11月内におさまり、12月となることはありません。
諸外国で使用されていた太陰暦と、日本の旧暦は月がずれていたのでしょうか。
(3)キリストの誕生日=冬至=12月25日となっている合理的な考え方があれば教えて下さい。

よろしくお願いします。

みなさま、こんにちわ。

キリストの誕生日は12月25日とされていますが、
これは聖書には書いておらず、かつては冬至を1年の始まり(元旦)
とする習慣があったため、冬至の日をキリストの誕生日にしたという説があるようです。
またそれは4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでのことだったとあります。

http://c-cross.cside2.com/html/e10ku001.htm

しかし、現在使用されているグレゴリオ暦では
冬至は12月21日~23日です。

3世紀のローマではおそらくユリウス暦を使って...続きを読む

Aベストアンサー

月の満ち欠けは目で見てすぐにわかります. ですから, 基本的には人の住むほとんどの地域で月を基準にした太陰暦を用いていたと思われます. エジプトは非常に早い時期から太陽暦を使っていますが, その他の地域では太陰暦が主流だったと思います. というのが (1) の答えになるでしょうか.
ただ, 月の満ち欠けを基準にして「1か月=28日」って暦を使う地域があるとは想定しづらいんだけどなぁ.... 月の公転周期 (朔望月) はおよそ 29.5日だから, 月の満ち欠けを基準にして合理的なのは「1か月=29日か 30日」です. 諸事情で「1か月=29日か 31日」としたところもあるみたいですが.
したがって, 「1か月=28日」としてしまうと 1か月につき 1.5日, 1年で 18日はずれる計算になります. 分かりやすく言うと, 「ある月の 1日が新月」ならその 2ヶ月後には「新月が 4日」, さらに 2ヶ月後 (つまり最初から数えると 4ヶ月後) には「新月が 7日」という状況になります. これはさすがに無理があると思います. その URL でいう「陰暦」って, 何を意味してるんだろう.
ちなみにローマでユリウス暦を使うようになったのは紀元前 45年. そして, それ以来公式にはユリウス暦を使うことになっているはず.
おまけに言うとユダヤ暦は太陽太陰暦で 1か月は 29日か 30日で, かつ 19年に 7回のうるう月が入ります. この辺は日本の旧暦と同じですが, 月はずれています. これで (2) の回答になるかな (ただしやはり冬至が 12月に来ることはないようです)?
で, (3) についてはローマでよく信仰されていたミトラ教のお祭りである「ミトラ祭」(太陽神であるミトラの生まれ変わりを祝う) が冬至に行われており, キリスト教がそこにかぶせたというのが一般的な説明です.
以下は蛇足: 多くの地域で「年が違っても同じ月は大体同じ季節にしたい」という気持ちはあるようで, 太陰暦を使う地域であってもほとんどは太陽の動きで補正した太陽太陰暦を使っています. 上記のユダヤ教はまさにこれですし, 日本や中国も同じです. で, 完全に太陽の運行と切り離した暦になるとイスラム暦を見るのが最も分かりやすいと思います.

月の満ち欠けは目で見てすぐにわかります. ですから, 基本的には人の住むほとんどの地域で月を基準にした太陰暦を用いていたと思われます. エジプトは非常に早い時期から太陽暦を使っていますが, その他の地域では太陰暦が主流だったと思います. というのが (1) の答えになるでしょうか.
ただ, 月の満ち欠けを基準にして「1か月=28日」って暦を使う地域があるとは想定しづらいんだけどなぁ.... 月の公転周期 (朔望月) はおよそ 29.5日だから, 月の満ち欠けを基準にして合理的なのは「1か月=29日か 30日」です. 諸...続きを読む

Q武士の供は何人

江戸時代の大名の家来で100石取り位の武士が、旅をするとき。
たとえば、国許から江戸まで旅をするとき、供は何人つくのでしょうか。
単身ということはあり得たのでしょうか。

Aベストアンサー

100石クラスで公務の旅ならば単身ということはまずありません。
ふつう1人か2人(槍持ち,中間)の家来(奉公人)は連れています。

Qゆずの冬至ライブって

最近、ゆずのファンになりました。
過去の曲を聴いたり、ホームページを見たり、楽しい毎日を過ごしています!

その中で、冬至ライブという言葉を目にしました。
冬至の日だけのライブで、場所も当日発表とか?

冬至ライブについて詳しい事を知っている方、教えて下さい。

ちなみに、ゆずの輪にも入会しました!
来年のライブも申し込みました!
本当の初心者ですが、いつかゆずっこです!と言える様になれたら嬉しいです。

Aベストアンサー

こんばんわ。初めまして!!
私もゆず大好き♪ゆずっこ歴7年になります(^_^)v

本日、ゆずの輪先行予約ライブ落選通知がきて凹んでおります(ToT)

「冬至の日ライブ」は、まさに冬至の日にあります。
と言っても、冬至の日は年によって日にちが違いますので、正確には、「冬至の日近辺」というとこでしょうか。
毎年、12月22日にシークレットで行われます。
今まで8回開催されまして、一昨年・去年は、関東以外の神戸、沖縄で開催されました!!今年も色々と場所の予想されてますが、正式発表はまだまだで分かりません。

ゆずの輪に入ってるならまもなく会報に詳細載りますよ。
ご参考までに☆

カメラ撮影・ビデオカメラ撮影OKです。
普段のライブより時間も短く、1時間しかありません。無料ライブですのでね♪
必ず座っての観覧になります。素になる悠仁と厚治がとても愛しいですよ(^^♪
ゆずとファンの境界がなく、ゆずを身近に感じます!(^・^)

上記以外に知りたいことがあれば補足おねがいします
_(._.)_

初心者でも、ゆずが好きならば真のゆずっこですよ(*^_^*)

こんばんわ。初めまして!!
私もゆず大好き♪ゆずっこ歴7年になります(^_^)v

本日、ゆずの輪先行予約ライブ落選通知がきて凹んでおります(ToT)

「冬至の日ライブ」は、まさに冬至の日にあります。
と言っても、冬至の日は年によって日にちが違いますので、正確には、「冬至の日近辺」というとこでしょうか。
毎年、12月22日にシークレットで行われます。
今まで8回開催されまして、一昨年・去年は、関東以外の神戸、沖縄で開催されました!!今年も色々と場所の予想されてますが、正式発表はまだ...続きを読む

Q怨霊対策は「神として祀る」、では生霊対策は?

こんにちわ。
オカルトではなく、日本の歴史として質問させていただきます。

日本には古来より怨霊信仰がありましたね。
政治的陰謀により不幸な死を迎えた人は死後怨霊となって祟るとする信仰で、
疫病の流行、風水害、世の中の乱れ(乱など)などは怨霊の仕業とされたそうです。
怨霊の心を鎮めるために、神として祀った例は
菅原道真・崇道天皇、伊予親王、藤原吉子、橘逸勢、文室宮田麻呂など
数多く存在します。

日本では怨霊の他に生霊の存在も信じられていたようですね。
源氏物語には六条御息所が生霊になるという話が描かれていますし
崇徳上皇は「生きながら天狗になった」と言われています。
後鳥羽上皇も生霊になったと考えられたようです。

(1)生霊になったと考えられた人物は崇徳上皇・後鳥羽上皇以外にもいますか?
(2)生霊を怨霊のように神として祀るということはあったのでしょうか。
(崇徳上皇は白峯神宮などに祀られていますが死後怨霊となったと考えられたためのようです。)
(3)生霊対策として、源氏物語では刀を寄せる、鳴弦などが行われていますが、その他にも生霊対策(例えば御霊会のようなものをするなど)はあったのでしょうか。

推測するためのヒントなどでもいいので回答くださると嬉しいです。

こんにちわ。
オカルトではなく、日本の歴史として質問させていただきます。

日本には古来より怨霊信仰がありましたね。
政治的陰謀により不幸な死を迎えた人は死後怨霊となって祟るとする信仰で、
疫病の流行、風水害、世の中の乱れ(乱など)などは怨霊の仕業とされたそうです。
怨霊の心を鎮めるために、神として祀った例は
菅原道真・崇道天皇、伊予親王、藤原吉子、橘逸勢、文室宮田麻呂など
数多く存在します。

日本では怨霊の他に生霊の存在も信じられていたようですね。
源氏物語には六条御息...続きを読む

Aベストアンサー

(1)、(2)について
生きたまま神格化された日本人という意味ならば、中国仏教を
伝えた各宗派の開祖(弘法大師=空海ら)や、戦時の英雄(徳川家康や
日露戦争の乃木将軍など)が思いつきます。さらには政治家(明治維新の
西郷隆盛や農業理論を説いた二宮尊徳など)など、多岐にわたると
思います。


人間が神に封ぜられた数で言ったら世界有数の文化圏ではないでしょうか。
日本文化を形成するの神道のようなアニミズムにおいては
神性を有するのはこの世のすべてのもの、とされます。
極端に言えば私も質問者さんも生霊(精霊)にも神にもなりえるわけです。
よって、この件の限定化はほぼ不可能であると思います。

また、怨霊を死んだ人間の意志、生霊という言葉を生きた人間の意志と
定義するならば、本来怨霊対策であった調伏という儀式が戦争相手に害を及ぼす
ために常用されていたようです。
有名どころでは平将門の乱のときには全国に将門調伏令が発せられていますし
芦屋道満(道摩法師)は藤原道長を調伏しようとしています。
さらに、密教には太元帥法という対国家の調伏もありますね。



(3)について
こういったオカルトの例に漏れず、霊的により高位の存在により、
生霊の効果は跳ね除けられると考えられていたようです。
これらは主に「仏の名」や「真言」を唱えることにより行われています。
要は仏への祈祷ですね。



そもそもこういった精霊信仰が何故日本で形成されたのか、
一神教の伝播が限定的で、多数の宗教を同時に形成したのか、
には諸説ありますが、そもそも太古より多数の部族が独自の宗教体系を持ちつつ
抗争と融合を続けていた背景があり、

・戦争が日常の文化圏であったこと
・多様性を戦争行為によって統一(集権化)していったこと

が原因と言えるかもしれません。何故各部族が多様性を持ちえたのか?については
やはり平地の少ない山岳国家であること、つまり短距離であっても
物理的な隔絶が存在していた事が原因ではないでしょうか?
大陸国家と違い、農業に適した土地が限定的であったのが同様に戦争の原因と
言えそうです。

(1)、(2)について
生きたまま神格化された日本人という意味ならば、中国仏教を
伝えた各宗派の開祖(弘法大師=空海ら)や、戦時の英雄(徳川家康や
日露戦争の乃木将軍など)が思いつきます。さらには政治家(明治維新の
西郷隆盛や農業理論を説いた二宮尊徳など)など、多岐にわたると
思います。


人間が神に封ぜられた数で言ったら世界有数の文化圏ではないでしょうか。
日本文化を形成するの神道のようなアニミズムにおいては
神性を有するのはこの世のすべてのもの、とされます。
極端に言えば...続きを読む

Q冬至と瑞兆

 冬至を契機に、瑞兆があるとの伝説もあります。
 イエスの誕生も冬至の近辺とされています。
 そしてイエスの誕生も瑞兆だとする信仰も無論あります。
 私もそういう信仰の団体に入っています。

1. そのほかに冬至を契機としての瑞兆にはどういうものがあるのでしょうか?
2. 冬至の近辺にはどうして瑞兆があるとされるのでしょうか?あるいは瑞兆があるのでしょうか?
  太陽がまた近寄り、春に向かうからなのでしょうか?

Aベストアンサー

何度もすいません。
リンク先が違ってた ><;

http://nvc.halsnet.com/jhattori/Zeitgeist/

この映像の中で、<作物が終結向かうことは死を死の過程を象徴したものである>って訳がどーんと出ている映像をクリックして、スライドさせて4分20秒あたりから観てみてください。

Q【歴史・日本史】大阪城を豊臣秀吉が建立を命じた時に城を建てる前にその土地の神様、仏様を祀る神社仏閣を

【歴史・日本史】大阪城を豊臣秀吉が建立を命じた時に城を建てる前にその土地の神様、仏様を祀る神社仏閣を城を建てる前に建てたと思いますがその神社仏閣は現在も残っていますか?

それはどこの神社仏閣ですか?

Aベストアンサー

神社は、生國魂神社です。(大阪府大阪市天王寺区生玉町)
仏閣は、石山本願寺ですが、こちらは再建されていません。
石山本願寺攻めの時に同時に焼失した四天王寺が豊臣秀吉によって再建されています。(四天王寺は大阪府大阪市天王寺区四天王寺)


人気Q&Aランキング

おすすめ情報