小学校の理科・生活科・国語科における基礎基本とは具体的にどのようにとらえておられますか。全国の先生方に聞きたいです。

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A 回答 (1件)

小学校といっても学年によってずいぶん違うのではないでしょうか。

当然先生方個人のお考えによっても違うでしょうが、その辺は想定されているようですね。

国語に関して言えば、ことばから、発信者の真意・感情・思想といったものを読みとるのが目標だと思っていますので、それを可能にする読解能力が一番の基礎なのでは、と思います。漢字学習などもそこに含まれるのではないでしょうか。ただし漢字や語彙がまず第一の基礎基本だとは思いません。

他人の考えを想像して受容する態度そのもの…なのでしょうか…
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Q基礎的・具体的資料?

小学校の指導要領(社会)に、
基礎的資料と
具体的資料
という言葉が出てくるのですが、これらの違いがわかりません。

ご存じの方がいましたら、よろしくお願いいたします。

 

Aベストアンサー

こんにちは。

【基礎的資料】
文科省のサイトを見ると、「基礎的資料」という言葉が2か所だけあって、
・「地図,統計などの各種の基礎的資料」
・「地図や年表などの各種の基礎的資料」
つまり、地図、統計、年表は、少なくとも「基礎的資料」です。

【具体的資料】
これは1か所しかないですね。
「(3) 地域における社会的事象を観察,調査し,地図や各種の具体的資料を効果的に活用し,調べたことを表現するとともに,地域社会の社会的事象の特色や相互の関連などについて考える力を育てるようにする。」
文脈からして、ビジュアルにはっきりわかるもの、あるいは、データの類のことを言っていると思います。

なぜかというと、(3)の前には、
(1) 地域の産業や消費生活の様子,人々の健康な生活や安全を守るための諸活動について理解できるようにし,地域社会の一員としての自覚をもつようにする。
(2) 地域の地理的環境,人々の生活の変化や地域の発展に尽くした先人の働きについて理解できるようにし,地域社会に対する誇りと愛情を育てるようにする。
というのがあるわけで、ここではデータの類のことはまったく言っていません。
(1)、(2)だけだと困るので、(3)がある。
(3)と(1)、(2)とのコントラストに注目すれば、おのずと「具体的資料」の意味がわかります。

こんにちは。

【基礎的資料】
文科省のサイトを見ると、「基礎的資料」という言葉が2か所だけあって、
・「地図,統計などの各種の基礎的資料」
・「地図や年表などの各種の基礎的資料」
つまり、地図、統計、年表は、少なくとも「基礎的資料」です。

【具体的資料】
これは1か所しかないですね。
「(3) 地域における社会的事象を観察,調査し,地図や各種の具体的資料を効果的に活用し,調べたことを表現するとともに,地域社会の社会的事象の特色や相互の関連などについて考える力を育てるようにする。」
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Q(急)平成20年度全国学力・学習状況調査の調査問題・正答例・解説資料について

平成20年度全国学力・学習状況調査の調査問題・正答例・解説資料について
小学国語Bの椋さんの親グマ子グマと大造じいさんとガン
の抜粋された問題文を教えてください

Aベストアンサー

下記のURLの 小学6年 国語Bの問題にのっています。
http://www2.asahi.com/edu/chousa2008/index.html

参考URL:http://www2.asahi.com/edu/chousa2008/index.html

Q国語科の最も大きな教育課題は・・・

唐突ですが、現在の国語科が抱える最も大きな教育課題は何だとお考えですか?できれば、現場の先生のお話を伺いたいと思って質問しました。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

丁寧な返信、お礼ありがとうございます。
私のツボにはまった質問だったので、くだくだと書いてしまいました。

とても、散文的に書きなぐってしまって恥ずかしいかぎりですが、私が書いたことの背景には、

「大人は、子供を子供扱いするのはやめよう」
の一言につきます。

たとえ、子供の理解力がないからと言って、社会の現実を教えないのはよくない。
そういう小ざかしい嘘が大人をもだめにしている。
そういうことです。
大人の社会が理想とは遠いものなのに、理想しか教えない。
そういうことが、社会主義という理想が挫折した今日、とても旧態然として思えるのです。

大人のいいところも悪いところも、みんなこどもに見せる。
そのことがこどもに対する誠実だとわたしは思うのです。
たしかに、性の問題など、小学生が知らなくてもよいことはあります。でも、大概のことは、大人が真剣に子供に教えればよいのです。

すべての大人が子供と対等に接する。そのことはほとんどの子供が願っていることのはずです。

>興味深いご指摘、どうもありがとうございます!原稿を書くことを生業となさって>いる方の目には、国語教育(今回は主に表現教育でしょうか)はこのように映って>いるのか、と新鮮な気持ちで読まさせていただきました。その中で、いくつか気に>なったことと感想を書きます。
 
著述業などではなく、企画書やナレーション原稿などを書いているものですので、たいしたことはしておりません。
(^^;)

「1.大人の現実と乖離した表記法を行っている」について

>。」←なんていうのは、大人は絶対に使わない。
これはどういうことですか?会話文の最後に句点を付けないということですか?

句点と話カッコをおなじマスに書くことはありません。
出版界では、二重に記号をつけるのはおかしいといっています。
私は、文芸春秋にかかれている日本語を標準的な日本語だと思っています。

>>読点やスペースの使い方も独特です。
>何年生の教科書でしょうか?
>基本的に、低学年の教科書は、発達段階を考慮して、文節ごとにスペースを入れて>いる教科書会社が多いようです。読点も同じ感覚で使われていると考えられるの
>で、小学校低学年の教科書は、大人社会の使い方と比べないほうがいいと思いま
>す。ただし、そのような配慮はいらないという考え方をお持ちでしたら、教育界に>はない新しい発想なので、ぜひ詳しく教えて下さい!

主語と述語の関係は例文で教えるべきではないでしょうか。

私は同じ職場で、日本語なのにスペースを使う女性を見たことがあります。
これなどは弊害のひとつといえないのでしょうか。
実社会とは違う掟をこどもに強要することがいいのかどうか。
わたしは、実学をもって尊し。
と考えます。

「2.作文の紋切り型」について

>>そもそも、思ったことを書いているのが文章なのですから、
>>その文章の中で「思いました」と書くのは、重複。
>>まだろっこしい文章にしかなりません。
> 「思いました」ということばは、とても便利なことばですよね。自信がないとき>などは最適です。しかし、小学校でこの「思いました」を教えるのは、事実と感
>想・考えを区別するということが一つの学習課題となっているということが考えら>れます。 
]
そうですね。
事実と考えを区別するということが学習課題となっているのだとしたら、よいことなのかもしれませんね。

しかし、自分が思うということは至極あたりまえのことです。
知合いのいとこのドイツ人の中学生が日本に来たとき、知合いはその女の子に折角日本に来たのだから、東京の感想文をかきたらといって、指導したそうです。
すると、その女の子は、東京タワーからの風景などを文章にしたそうですが、そこで彼女が何を思ったかは書かなかったそうです。というのは、ドイツの授業ではそういうことを作文で書くことをならわないからだそうです。
その話を聞いたとき、私は「ドイツの実学は筋金入りだ」と感嘆したわけですが、それは極端な例だとしても、「思う」という人間存在の根幹なことを、使い放題に使ってよいのでかと疑問に思えてなりません。

また、実社会に出たとき、「…と思いました」という文章を書くことがためらわれるということであれば、そこに学校での教育との乖離があるのは事実だと思います。
子供は子供らしく、無垢でいい。という主義であればそれでいいのかもしれませんが、私はそういう嘘(実社会で使えないという意味)を教える先生を尊敬はできません。…事実、私は小学生低学年のテコの授業で、テコを使うと力が大きくなると教えられました。勿論、エネルギー保存の法則がありますから、力は大きくなんかならないことを中学生になってようやく教えられるわけです。中学生になって本当のことを教えられた私は、だまされたと、とても悔しい思いをしたのを今でも痛恨事として覚えています。

>「きれい」という形容詞についての具体例についてですが、これは大人と子どもの>認識の違いをよく表わしているように思います。子どもは大人のように、すらすら>文章を書くことはできません。経験が圧倒的に不足しているからです。そのため、>まず思ったこと、感じたことをそのまま文字として残す、という表現形式をとって>きているのです(これは日本の作文教育の特徴で、現在世界各国の教育で認めら
>れ、研究されているものです)。そのような過程を経て、「チューリップの黄色い>花が咲いている」という文に自分の気持ちを込めるという表現ができるようにな
>る、そして、読み手としても、筆者の含意に気がつくことができるようになる、と>考えます。

反論のための反論になってしまうのかもしれないので、話半分で読まれてけっこうです。
言葉とは所詮、集団における共同幻想です。
つまり、私が「きれい」と思う内容と、他人が「きれい」と思う内容は違うかもしれない。あっているかもしれない。それは誰にも確認することができない。
このあたりは、一昔はやった記号論的な話になります。
だとするならば、なぜ、そのチューリップの感動を紋切り型の「きれい」という形容詞で限定してしまうのか。そこにこそ紋切り型の表現の根っ子があると思うのです。
すべての言葉には発する人、書いた人の気持ちがこめられている。
わたしは、安直に「きれい」と記してしまう、その安直さが耐えられないのです。

>作文が文芸だとするなら、
>目の前の花をみたときに、
>きれいという手垢のついた紋切り型の文章表現ですましてよいのだろうか…。
>そのことが、作文というものから楽しみをなくしてしまっている。
文芸ということばをどのように使っているのかがはっきりしないので的外れなことをいうかもしれませんが、もし、芸術や文学という意味でしたら、小学校で行う作文は、決して文芸ではないと思います。表現教育は、文筆家を育成することが目的ではないからです。

どういう意味で文筆家とおっしゃっているのかわかりませんが、文章とは、人に向けて書くものです。日記にしても、将来の自分にむけて書くものです。
だとするならば、深みのある文章、美しい文章を書くことは当然です。
もし、誰かに自分の書いた文章を読ませて相手を喜ばせたいと思うのならば…。
紋切り型の表現は、テストの採点者の作業を軽快にすることはあっても…。
と、思うのですが。

>でも、娘は文の最後に「思います」と付けるように学校で教育されているので、私には従いません。
 これは、国語を教えている先生に問題がありそうですね・・・事実と意見等を
わけて書くということを目的に、「思います」を教えているわけではないのか、子どもたちに教えたいことがうまく伝わっていないのか・・?
先生じゃなくてお父さんがいうことだから聞かない、となると、お父さんとしてはちょっと寂しいですよね・・・
 私自身、ことばに対するこだわりというものがあまりなかったのですが、これからは自分の表現に、もっと責任と緊張をもたなければと気がひきしまりました。

学校というのは、こどもにとって社会そのものです。
父親というのは、家庭という単なるローカル。
そのことを学校関係者は知るべきです。
たとえそれが子供の錯覚だとしても、素直な子供は学校が社会だと信じてしまう。
話はとびますが、私は、池田小の刺殺犯は、小学校で競争はよくないと教えられ安穏とすごし、中学3年で突然、世の中は競争だと宣告されたが勉強しても追いつかない、そして、高校受験に失敗。否応もなく、人生の落伍者と自分を感じ、いつしか、学校を社会を恨んだのだと考えます。
犯人は、自分の両親ではなく、何故無差別殺人に走ったのか、それは、彼の恨みが社会や学校に向けられていたからです。

…脱線、失礼しました。
でも、言いたかったのは、
刺殺犯に恨みをかったのは教員。なのに殺されたのは子供達だけ。
そのことが辛いし、そのことに反省せず、保身のために防犯訓練をする教員たちのニュースに呆れるばかり…。
(*_*)

3.日本語としての美しさ。

>>大人が社会に出て文章をかくと、文末に「…ます」ばっかりつづくとおかしい。とか思いますが、教科書ではそうではない。

>表現が不自然だと思われたら、教科書会社に苦情を出せば、次回の改定から表現が>変わるかもしれません。親のそうした意見は、親の側からもっとオープンにしてい>ったらどうでしょうか?

そういう作業は私はあまり好きではありません。
私は、「自分の娘に人の欠点を指摘するような仕事や人を助けるような職業につくな。人がお前の生き方や作品を見て明日も生きていこうと勇気付けられるよう職業につけ」と、繰り返し唱えています。
悲惨な現状を変えるには、現状を繕ったり、否定するのではなく、明確な指標や希望を提示する。そのようにして世の中が変わっていくと素晴らしいのだと思います。


>また、日本語の特徴は、主語の省略なのですが、そのことを日本語の欠点ととらえているのか、
>主語を省略していない文章をよく見かけます。
小学校低学年の教科書であるのなら、発達段階を考慮してのことかもしれません。

そうかもしれませんね。
ただ、目標は高く。
小学生の能力におもねるだけでは、教育にはならないと思う。
教える側の軸足が揺らいでいるから、だめなのだと思う。

たとえば、児童合唱団の指揮者がいるとします。
下手な指揮者は、子供達のテンポに自分の棒をあわせてしまいます。
上手い指揮者は、自分のテンポにこどもたちをあわせようとします。
あなたがおっしゃる理由は、下手な指揮者の例と思えてなりません。

>日本語が英語文法をついづいする。
>実は、英語のほうも、日本語をついづいしているのに…。
>日本人も、もっと中華思想をもっていいのだと思うのだが…。

この部分がよくわからなかったのですが・・・
英語圏の人に日本語を教えるのなら、日本語が英語文法を追随するのは当たり前のような気もするのですが・・・

私が社会に出たときに書いていた文章は、まるで英文解釈のときの訳文のようなものでした。英文解釈などではreferをよく使ったので、「言及する」とか、恥ずかしげもなく使っていたものです。
国語を教える人や、論理的にものごとを考えようとする人の中に、英語の構造が論理的ですばらしいと勘違いしている人が多いように思えるのです。
翻訳小説のようなオリジナルな日本語に出会うこと。そういうことがよくありませんか?
わたしはそういうことの芽を国語の教科書の文章に感じたのです。(邪推かもしれませんが…)

>本当に美しい日本語に触れること。
>そして、美しい日本語を書くこと。
>そのことが一番重要だと思います。

私は、どうしても上の類の表現が気になります。
個人的にこれは美しい日本語なので好きです、のように使うのはかまわないのですが、
美しい日本語が万人共通であるように使われると、拒否反応を起こしてしまいます。「正しい日本語」もそうですが、「美しい日本語」とは何ですか?本当にそんなものが存在するのですか?「美しい日本語」と「美しくない日本語」の基準はなんでしょう?

文章における美にも多様性がある。
と、言及していたはずですが…。

つまり、
ルネサンス絵画における美と、
マニエリスム絵画における美、
印象派における美、
フォービズムにおける美はそれぞれ違うということを
限定したあとの議論のはず。

つまり、「美しい」とは主観的な言葉なので、「正しい」というような主体を自己の外に置くような卑怯なところがない。
そういうことで使ったわけです。
その一方で絶対美という概念も存在する。
芸術が美学に含まれるように、美しいという以外いいようがない…。

私はすべての芸術家は、美を追求して作品を作り上げる。
だが、それぞれのアプローチは違う。
そういうこともある。
形容詞としての美しいは抽象的だが、美にはそれを越えたものがある。
なかなか難しい表現で失礼しました。(^^;)

>また、日常においても、紋切り型でなく、みずみずしい言葉を使うこと。それが重要だと思います。

確かに、日ごろ、ことばに対して無関心であることは反省しなくてはいけませんね・・・ことばにこだわる、ということを、国語教育の中にもっと取り入れていくことのできるような〈例えば詩のボクシングとか)工夫をしなくてはならないですね。

やってましたねぇ。たしかねじめ正一さんかなんかが音頭をとっていましたか。
ただ、文芸春秋のやっている文章の甲子園は最悪です。

>美しい文章とは何か。そのことをそれぞれが考えるべきだと思います。

そうですね。もっといろいろな種類の文に触れて、自分はどのような文章が好きなのか、ということを考えるような、それぞれの文章を自分の中で価値付けられるような場が必要ですね。

そうなんです。
大人の側が自分が好きな文章があれば、それはその大人の名において、子供に押しつければいい。
いまの大人は子供に自分の価値観を押しつける自信もない。
大丈夫、大人の押しつける価値観なんて、おかしなものだったりしたら子供はちゃんと反発するのですから。

spontaさんのおっしゃることは、現在表現教育の問題点として改善していこうとさまざまな試みがなされていると思います。先に述べた、生活文的文章の書きかたから、論文的な文章の書きかた、実用的な文章、書類の書きかたなどの表現教育が行われるべきだったのが、中学校、高校と文章を書くということの教育がおろそかであったため、時と場合によって文章を書き分けるという能力を伸ばすことができないという現状は、ほとんど今も変わっていませんが・・・

文章を書くことの前に、いかに自分を表現すべきかということを習得すべきです。
でも、その前に自分とはいかなるものかという命題を解決することが求められます。
しかし、そのことは一生かかっても分からないものですよね。

私は、「ゆとり」や「新学習指導要領」などについていろいろと回答しておりますが、発言の根っ子にあるものは、「独立した個」を育てる。尊重する。
ということです。
「独立した個」があれば、民主主義は健全にすすみ、サラリーマンがリストラされることはなく、ベンチャー企業がわんさかでき、お役所が活性化する。
日本の教育が「やさしい組織人」を育てるのではなく「独立した個」を育てる。
そのためには、まず、教育する側(大人)が「独立した個」にならないといけないわけです。

国語教育における課題もまさにそこにあると思います。
「らぬき」とか枝葉末節を気にかける前に、もっと根っ子の部分を考え直そう。
要はそういうことなんです。
教科書だって、もっとイビツでゴツゴツしたもんだっていい。
そうすればもっと魅力的になるはずです。

ということで、ながながとなってしまい失礼いたしました。
また、途中から、引用を示す不等号がぐちゃぐちゃになってしまいました。
ごめんなさい。

反論めいて書いてしまって、ご立腹されるかもしれません。
あわせてお詫び申し上げます。

追記:
ところで、こんなこと、何でしりたいんですか…。
質問の最初の「唐突ですが」の一言に笑ってしまいましたので…。

丁寧な返信、お礼ありがとうございます。
私のツボにはまった質問だったので、くだくだと書いてしまいました。

とても、散文的に書きなぐってしまって恥ずかしいかぎりですが、私が書いたことの背景には、

「大人は、子供を子供扱いするのはやめよう」
の一言につきます。

たとえ、子供の理解力がないからと言って、社会の現実を教えないのはよくない。
そういう小ざかしい嘘が大人をもだめにしている。
そういうことです。
大人の社会が理想とは遠いものなのに、理想しか教えない。
そういうこと...続きを読む

Q小学校3年 理科 風とゴムの働き

小学校3年生の理科「風とゴムの働き」では、なぜ風の働きを先に学習するのでしょうか?ゴムの働きから学習を進めることも可能でしょうか?

Aベストアンサー

> ゴムの働きから学習を進めることも可能でしょうか?
可能です。
単元の導入と、1次から2次への流れが子供の意識の流れと
合うようならば。

質問者様は、なぜ
> なぜ風の働きを先に学習する
と、思い込まれたのでしょうか。
教科書順?
指導要領内容順?
確かに今自分の手元にある教科書は、東京書籍、教育出版、啓林館と、風が先です。
そして、どれも導入は、生活体験や自然体験から入っています。
(大日本は、3年生だけ見失っていまして、すみません)

かつて、光電池が4年生の内容に入ってきたとき、
教科書会社によって半々くらいで、
乾電池→光電池
光電池→乾電池
という流れになっていました。
自分の学校で使っていた教科書は、光電池→乾電池でしたが、
子供の経験や意識を事前調査した結果、
乾電池から入って授業を組み立てました。

導入はそれぞれの良さがありましたが、
1次と2次のつなぎのところで、光電池→乾電池には、ちょっと無理があると思いました。
で、
何回かの改訂を経て、
今はかなり、乾電池先の単元構成をしている教科書が多いです。

並列な内容を扱うときに、1単元での子供の問題意識が流れる組み立てができれば、
どんな順序でもかまいません。

・・・ただ、
自分はまだ未熟なので、ゴムから入ったときの風への意識付けに自信がありません。
事象を見るに、
自然事象(風)→人為的事象(風)→人為的事象(ゴム)
の流れはかなり自然だと思うし、
ゴムの方が風よりも、より条件を制御できると思うからです。
最初にどーんと導入しておいて、
学習順序選択で、風からグループとゴムからグループという手もあるかもしれませんが。

> ゴムの働きから学習を進めることも可能でしょうか?
可能です。
単元の導入と、1次から2次への流れが子供の意識の流れと
合うようならば。

質問者様は、なぜ
> なぜ風の働きを先に学習する
と、思い込まれたのでしょうか。
教科書順?
指導要領内容順?
確かに今自分の手元にある教科書は、東京書籍、教育出版、啓林館と、風が先です。
そして、どれも導入は、生活体験や自然体験から入っています。
(大日本は、3年生だけ見失っていまして、すみません)

かつて、光電池が4年生の内容に入ってきたとき、...続きを読む

Q帰国後、英語を維持できる小学校を探しています。(小3+小2)

帰国後、英語を維持できる小学校を探しています。(小3+小2)
勤務地は東京ですが、帰国後の居住地は決まっていません。基本的には京浜東北線王子以北大宮以南あたりに元々住んでいたのでそれにこした事はありませんが、通勤圏であれば。
海外ではインターナショナルスクールに3年いることになります。
「英語の維持」と「受け入れ環境」を重視したいと思っています。
別の所で、「英語の維持」と「受け入れ態勢がある」とは意味が違うふうに書いてあったような気がします。なので単純に「受け入れ推進校」が英語の維持には繋がらないと思い、どなたかの経験や、評判をたよりに出来ればと考えています。
帰国後もインターに通わせる余裕があれば一番良いのですが、金銭的には余裕がありません。
お知恵を拝借できれば幸甚です。

Aベストアンサー

先ほど投稿した内容に間違いがあり、訂正をしたつもりでしたが
最初の投稿がちゃんとできていませんでした。
訂正の文章で#2と名乗ってしまい、#2の回答者さんにもご迷惑を
おかけして、すみませんでした。

ここから回答させてください。

私の周りの帰国子女で英語の保持を考えていらっしゃる方は
公立より私立の方が良いと思っていらっしゃる方が多いです。
公立の場合は、帰国子女対応の学校といっても、一般の普通の
お子さんが多く通う学校であり、「通ってみると、帰国子女の
家庭は多いけど、普通の学校」と感じる事が多いようです。
私立の方が良いという話は聞きますが、私の周りでは実際に通って
いらっしゃる方はいないので、実際にどうなのかは不明です。

インターの場合、学費の高さがネックになるようですが・・。
海外のインターで生活されていた方が、日本のインターに通う場合、
失望される方もいらっしゃるようです。両親が日本人の場合、通える
インターも限られるようですし、海外のインターほど国際交流が
盛んではないようです。

小学校時代に帰国された方で、国立の帰国子女学級を受験して
通われた方もいましたが・・・。学費はインターほどかからないけど、
住む場所の家賃が、かなり高額になったようです。

下記のホームページですが、帰国子女の情報が集めやすいと思います。
すでにご存じでしたら、スルーしてください。


帰国子女 国内受け入れ校(海外子女教育財団)
http://www.joes.or.jp/joho/g-kokunai.html

JOBA
http://www.jolnet.com/


インターエデュ 帰国子女小学校受験
http://www.inter-edu.com/forum/list.php?1667

先ほど投稿した内容に間違いがあり、訂正をしたつもりでしたが
最初の投稿がちゃんとできていませんでした。
訂正の文章で#2と名乗ってしまい、#2の回答者さんにもご迷惑を
おかけして、すみませんでした。

ここから回答させてください。

私の周りの帰国子女で英語の保持を考えていらっしゃる方は
公立より私立の方が良いと思っていらっしゃる方が多いです。
公立の場合は、帰国子女対応の学校といっても、一般の普通の
お子さんが多く通う学校であり、「通ってみると、帰国子女の
家庭は多いけど、普通の学...続きを読む


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