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この世があるから私がいるの?それとも、
私があるからこの世がいるの?
この世が私を認識出来るから私がいるの?それとも、私がこの世を認識出来るから私がいるの?

A 回答 (11件中1~10件)

もちろん私がいるからこの世があると思います。

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お礼、ありがとうございます。




☆甘いか渋いか、綺麗か綺麗でないか等、価値観は人それぞれ違えどそこに赤く丸いりんごが存在するかどうかの認識は変わらないはずです。
◇Aが感じるリンゴの赤さと、Bの感じるリンゴの赤さは、同じだと思いますか?
AとBが、そのリンゴを赤い、と感じても、
リンゴから受ける赤さは、AとBでは違うのでは?
まったく同じと言えますか?
まったく同じというのは、独断ではありませんか?

~~~~~~~
独断主義(どくだんしゅぎ、英:dogmatism, 独:Dogmatismusとは、絶対的な明証性をもつとされる基本的原理(ドグマ)を根底におき、そこから世界の構造を明らかにしようとする主義である。独断論とも。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E6%96%AD% …
~~~~~~~

このことに、絶対的な明証性はありますか?


☆山田太郎という人物の存在はaからの認識もbからの認識も同じ山田太郎のはずです。
◇これは、
「そのヒトが、紛れもなく、山田太郎という人である」という認識で、AとBが一致しているということなのでは。
これだけでコミュニケーションは成立しえます。


☆また、この世が認識する私は本当の私では無い。という事ですが、そうなると本当の私はこの世に全く認識されていないという事になりますよね?
◇ええ、そうです。
私が対象化、客観化された瞬間に、それは、もはや、「本当のわたし」ではありません。
私が「わたし」と思い込んでいるものです。



☆私というものに限らず、この世から見えないものが存在しているとはどういう状態なのでしょうか?
◇愛は目に見えませんよ。権利や、人権も目に見えません。
でも、我々は、愛や人権が存在している、と考えでしょう。
「在る」と思い込めれば、たとえ外界に存在しなくても、存在しえるのだった。



☆貴方はこの世は私の創った幻想で意識する私こそが本当の私だと言っていますが・・・
◇いえいえ、そんなことは言っていませんよ。
認識論的に言えば、
《わたし》を先行させないと、《わたし》なるものの存在を仮定しないと、人間の認識は成立しえない、
と言っているんですよ。
有名な「我思う、故に、我あり」と、基本的には同じ構図です。



☆本当の貴方自信も本当はその幻想の世界の住人の一人なんじゃないですか?
◇この可能性はあります。否定しません。

この回答への補足

aとbの認識が同じだというのを独断だというのであれば、貴方のいう相手と私の認識が違うというのもかなりの独断ではないですか?貴方は相手からの視点に立って認識をしたことがあるのだろうか?それから愛や権力はこの世から認識されなくても存在出来るということでしたが、はっきり言って存在できません。
愛も権力も相手との共用疎通が成り立っていなければ存在などできません。
貴方一人が愛や権力だといくらほざいてもそれは愛でも権力でもありません。
ただの無です。

補足日時:2014/05/06 17:41
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>この世があるから私がいるの?それとも、


私があるからこの世がいるの?

この言い換えが

>この世が私を認識出来るから私がいるの?それとも、私がこの世を認識出来るから私がいるの?


だと解釈します。なぜなら、首記は意味が取りにくいからです。ほぼ同じことを言われていると考えます。間違っていたら補足ください。

>この世が私を認識出来るから私がいるの?

これは真ですね。この世が何を指しているのか、わかりにくい点はありますが、社会で個人が自我に目覚めるのはこの世(社会)が貴方を一個の人間として認めてくれるのが前提だと思います。

>私がこの世を認識出来るから私がいるの?

これは真とはいえません。まだ自我の育っていない子供でも客観的に人間として認められることはあります。

ただ、あなた自身の認識としては「自分はここに存在している」という段階以前ですから、自分はいないといっても間違いではありませんね。

いずれにせよ、自分と世界は相互補完の関係ですから、2つの関係はどちらが欠けても(あなたにとっては)
なりたたないということでしょう。簡単に言えば、貴方が死ねば貴方が認識する世界もなくなるということです。
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こんばんは。




☆では、相手から見える私というのは本当の私ではないのでしょうか?
◇違うのでしょうね。
たとえば、リンゴがテーブルにあり、
もし同一時刻に、同一の位置からそのリンゴをAとBが見ることができると仮定します。
この時、
Aのそのリンゴに対する心象・イメージとBのそのリンゴに対する心象・イメージが同じであるとは考えにくいです。
AとBの目という、二つの感覚器官の構造はまったく同じではないので。
しかも、計算機ともいえる脳もAとBとでは異なっていますから。
そのリンゴから得られるAの《感覚質・クオリア》とBのそれも異なります。

まして、心を有するものとなれば、なおさらです。

これで、回答になっていますでしょうか?

この回答への補足

つまりnemurinecoNyaさんは、この世とは私達一人一人がそれぞれ想像して違うものを創っているものであり、私達にそれぞれのこの世が存在するんだと。当然この世が認識する私は私ではないと。なぜなら人それぞれ違う心象やイメージを認識するから。aさんとbさんからじゃ私が違って認識されるから。また、生まれてから死ぬまで意識が無かったら私はいないし、私の想像する世界も存在しないから。と考えていらっしゃるのですね。

では本当にaさんとbさんで認識が違ってくるのでしょうか?
赤いりんごを同時に見たとき、本当に違うりんごに見えるのか?
私が思うに、犬と人間ならいざしらず、同じ人間であれば、赤いりんごは同じ赤いりんごに認識されると思います。
甘いか渋いか、綺麗か綺麗でないか等、価値観は人それぞれ違えどそこに赤く丸いりんごが存在するかどうかの認識は変わらないはずです。
山田太郎という人物の存在はaからの認識もbからの認識も同じ山田太郎のはずです。
そうでなければ、コミュニティーというもの事態が存在していないはずです。

また、この世が認識する私は本当の私では無い。という事ですが、そうなると本当の私はこの世に全く認識されていないという事になりますよね?
ではこの世から認識されていなくとも、本当の私というのは存在出来るようなものなのでしょうか?
私というものに限らず、この世から見えないものが存在しているとはどういう状態なのでしょうか?
何かこの世に認識されないけど存在するものはありますか?
幽霊等でしょうか?
貴方はこの世は私の創った幻想で意識する私こそが本当の私だと言っていますが、本当の貴方自信も本当はその幻想の世界の住人の一人なんじゃないですか?

補足日時:2014/05/04 16:39
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はっきり言うと この世があるから貴方が居るのです。

この世がなかったら貴方はいないのです。

あなたがこの世を認識できるから 貴方が居る 事が分かるのです。

自分が居るからこの世が要るのだという考えはポジティブそうで自己中な考えです。お勧めできません。
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>私がこの世を認識出来るから私がいるの?



◎回答:その答えは「YES」です。

◎理由:
1:回答者No.4さんが言われているように【まず確かな事は「見えている世界」というのは《脳の中のもの》だという事です。】を、この私は、納得するしかない実体験を何度も経験しているから。
2:実際にあなたもそれを確認することが可能で、【実例】を眺めたとき、きっと納得してしまうだろうから。

◎具体的には?:
1:まえ置きとして、私は先天的に脳内に多くの障害があり、実際に行政当局が審査した結果、正式な『障害者認定2級』を認められている人間です。細かな脳の話は割愛するとして「私が【驚いた体験】とは何か?」を話します。その時、私は【脳が疲れて】いました。すると、誰もが見える「光の粒が眼に届かない部分=つまり【暗く黒く】、

例えば、壁のキズや、階段のキズや、ソファーの縫い目のため暗くみえる部分等」から、【画一的に】奇妙な幻覚と言えるような現象、それは簡単に言うと【黒い部分は平面であるはずなのに、黒い点が、まるで毛のごとく(点が線になり伸び)たり、小さな壁のキズが、ゆるいカーブの弧を描く立体化した黒い何かが、如何なる場所でも飛び出して見え、触ることも可能だった。《点は線状に伸び・線は弧を描く針金のごとく立体化》して盛り上がるのは驚きだ!】。

しかし、私は以前から【「見えている世界」というのは《脳の中のもの》】という言葉(考え)を覚えていたので、すぐに、この異常現象が「私の疲れた脳の視覚化演算処理の数式に何らかの異常をきたしたから【世界全部が突然、毛だらけで、暗いモノほど浮き出て見えている】異様な世界へ一変したのだ」と瞬時に納得できました。これはオカルトではなく『キチンとした法則性を持った異常』なので【脳の視覚化演算処理の誤作動(=通常のPCのソフトが予期せず奇妙に法則性のあるエラーを起こすのと同じ誤作動)】に疑う余地は無かった。

2:上にて【実際にあなたもそれを確認することが可能】と書いたのは、脳の発達障害も含めた『自閉症連続体圏の "どこかに位置する" と診断されている人々』--> "自閉症=Autism" 、"連続体=スペクトラム" と呼ばれ境界線が無く、よって医師は最も傾向の強い診断名しか下せないが、多くの自閉症圏の疾患は密接にからんでいて【高機能自閉症=アスペルガー症候群】などはつい最近の20年前位から研究が始まったばかり、の人々の感覚は平均的な感覚と比べ、

【個性として捉えるより脳障害疾患として捉えたグレーゾーンの人】の脳内のプログラム基準フォーマットが、

ズレて異なるため、

例えば、ネットで「自閉症圏の人の作成した【ブログの写真」を試しに探して】実際に見て欲しい。光度基準がズレているため「異様に【ギラギラと明るい】写真ばかり」を当人は普通と思いながら載せているが、一般人から見たら明らかに【写真の補正としてはオカシイ】ことに気がつく事でしょう。

また、鳥の死骸など、とにかく普通の感覚で『ギョッとする』写真を悪意なく載せているのである。これは「自分の【好みが動物の死骸撮影】で美しいと感じる」から、彼らは無邪気に「一般人の感覚とズレた、興味・好み」を自然とブログなどで載せていて【面白い事に、この《二つの例》は、結構ありがちな傾向】なので、

『アスペルガー症候群・ADHD』など で検索すれば「ギラギラまぶしい写真・死骸などの写真」を平気でブログに載せている人々の、サークル的な、ある意味、アブナイ世界を、ネットでは簡単に探せます。

◎結論:
>私がこの世を認識出来るから私がいるの?

【量子という我々の肉体をも構成している、物質の最小単位の粒】があり、その性質は以下の映像のように【観測=認識 するまで、何も決まっていないだけでなく、同時にあらゆる場所に《同時に存在》している】ことが実験の結果、明らかとなり「我々の常識を超えた性質がある」というのが、既に定説であり、

【観測するしないに関わらず、世界の有り様は決まっている】という考え方は今や【古典論】と呼ばれています。/だから、観測点であるあなたが仮に死んだら【1:観測してはじめて 2:決まる=1:認識してはじめて 2:宇宙(時間空間を含め全て)が生まれ目で見える】のだから、観測点が「死」により 1::消滅すれば、当然【認識スタートと、"相対的に" 発生した世界宇宙】は、

認識が消える(1::死)と同時瞬間的に、先述の量子の信じ難い性質、つまり【見るまで何も決まっておらず全ての仮説的可能性がある「絶対無」と呼ばれる「時間も空間もないモノ(闇)」へ、復元され 2::"戻る" 】だけ。よって、例:あなたの 1:死の瞬間、あなたの宇宙(家族や産まれたばかりの孫さえ含め、全ての時間と空間)は、2:瞬時に消滅するのです。以上。

++++下記は参考資料+++

「認識体=観測者」の数だけ宇宙はある、と言えます。『博愛が目的で無から謎として』生じる(観測してうまれる)のが、ヒト型の現代レベルの【自分=外界(= "宇宙=時間と空間があるイメージ" )】です。この「1:自我 と 2:宇宙」の関係は「相補性」であり、



実際のイメージは、【絶対無に、ある運動】を仮想定すれば【自我】と【時空(=宇宙)】が【相補分化】して【愛し合い目的】で「併存する」、ようなイメージが持てる。/【絶対無に、ある運動】を、たとえるならば「無風の場所で、1:歩く運動をすれば、必ず 2:風を肌で感じる」であり「1があって初めて、2が起こる」-->「私がこの世を、1:認識出来るから、2:私(=宇宙)がいる」。

まとめ:【絶対無の中で、仮説でしかありえない認識観測 1:"運動" を起こしたならば、《無の闇》は 2:《光の風》として、認識体(=人間=観測者)には感じられ、2:宇宙(日々の日常全て)を認識する】。



頭の悪い我々一般人でさえも、下記映像を参考に ""感性のアンテナをのばす"" ことで、「(量子を知る=)物 理 =ものの ことわり」-->「もののことわり=助け合う愛や【笑顔】に満ちた世界」が、イメージとして直感でき、



【現状の地球人は、博愛による美しい『均衡が、崩れ』かけている原因が、なんと、"自分自身の心理状態のせい" だ!】というようなイメージを直感できる。下記の映像は読者へのプレゼントです。




https://www.youtube.com/watch?v=HsbV_QHCBT8

https://www.youtube.com/watch?v=wLKJz73DTGE

https://www.youtube.com/watch?v=kYsGS5QAORE

この回答への補足

じゃあその君の脳はこの世が無くても元々あったって言える?
君の幻想で創ったその世は君の脳が無くても創れたのかい?

補足日時:2014/05/03 16:33
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☆この世があるから私がいるの?それとも、


私があるからこの世がいるの?
◇哲学の未解決問題です。そして、おそらく永遠のテーマです。
素朴実在論的な考えをすると、「この世があるから私がいる」となります。
唯心論や独我論にしたがえば、「私があるからこの世がいる」となります。
どちらが正しいのかは、わかりません。


☆私がこの世を認識出来るから私がいるの?
◇でしょうね。
もし、質問者さんが生まれてから死ぬまで、意識のないままの状態であれば、
〈わたし》はいないし、
質問者さんの認識する世界、表象・イメージで構成される世界、脳やこころで作られる世界は、存在しえませんから。

また、世界とまったく切り離れた「わたし」は存在しない、と思いますし、
仮に、世界とまったく切り離され、わたしだけが独存する状態であるとしても、
この場合、
わたしそのものが世界となり、
 わたしを認識すること = 世界を認識すること
になりますので。

この回答への補足

では、相手から見える私というのは本当の私ではないのでしょうか?

補足日時:2014/05/03 16:53
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gjtxmda様、こんばんは。




>「この世があるから私がいる」
なるほど。しかし、


>「私がこの世を認識出来るから私がいる」
これは、違うのでは。

(「コレを認識出来ないなんて!?、」という発想に繋がる?)
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まず確かな事は、「見えている世界」というのは、


脳の中のものだという事です。
もちろん、「そうした脳の中の現象は、脳の外の
世界を写したもの」という信念も、根深いものが
あります。

それでは、それを証明したみて下さい。
そうした「外の世界」が頼っている物理を深めて
行くと、相対性理論において絶対時空が否定され、
量子力学において存在の独立性が否定され、認識
される事によって有限な存在性が派生している=
自我仮説(記憶=過去=超光速)と時空仮説(予測=
未来=光速下)が、仮想的に対発生している事が
明らかとなってくる。
「仮想的に」というのは、経験的に階層現象を
表面的に捉える事で、原理的な超弦の光速性が
潜在化し、先述の非光速が生じている、という事だ。
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 「我思う、故に我あり。

」と言ったデカルトの言葉が有名ですが、少なくとも、自分が考えている以上は、何らかの仕組みで考える能力が与えられなければならず、それは実体を伴っているはずであり、自分が実体が何であろうと、何らかの仕組みが実在している必要がある。だから、自分は存在しているのだという事になるわけです。

 この世がバーチャルリアリティーであっても、コンピュータシミュレーションであっても、何らかの実在する装置がなければ、そのような仮想世界を作り出す事が出来ないわけで、自分が仮想世界の住人であっても、それをシミュレーションしているコンピュータが実在しなければ不可能であり、どのような定義に置いても、実体が無ければ仮想世界は作り出せないからです。

 従って、この世界の全てが虚構で、本当の自分は全く違うものであって、この世界を作り出している装置は実体を伴うものでなければならず、その装置が自分を作り出しているのであれば、自分にも実体があると考えなければならないでしょう。

 CGで作られた映像をプリンタで印刷したものと、自分をデジカメで写した画像をプリンタで印刷したものは、印刷された画像では同次元のものです。しかし、自分は実在している人間であり、CGはコンピュータ上で作られた画像です。全く違うものであっても、印刷物では同じ次元の存在になるわけです。

 仮に、この世界が10次元の機械でシミュレートされるバーチャルリアリティーであるとしても、我々には、それを認識出来ません。我々が実在で、10次元の機械が作り出した3次元CGの人間が隣にいたとしても、実在の人間と全く同じであれば、それを識別する方法はありません。

 どのような定義に置いても、何らかの実体が無ければ、我々は存在出来ないわけで、この宇宙が携帯電話ぐらいの大きさのコンピュータでシミュレーションされていたとしても、実体があるのに変わりがないわけです。
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