日本語を勉強中の中国人です。弁護士は良心を捨てて仕事をしていますか。頼まれた人に無実の弁護をしてあげ、お金をもらうことになります。頼まれた人は本当は罪があると良心上でわかっているのに、弁護してあげます。自分の良心に問いただされないのでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (12件中1~10件)

sobatya_cn様、こんにちは。




こんにちは。

「代理」する、ということについて、
本人について、代理するんです。
    • good
    • 0

最初に、日本語がおかしいです。



「弁護士は良心を捨てて仕事をしていますか?」は変。
「弁護士は良心を持たずに仕事をしているのですか?」

日本語としてはまだしもこういう文章の方が正しいけど、
弁護士と言っても様々なタイプや考え方・仕事の仕方、
得意分野などに分かれています。一概に弁護士、と
一言で表してしまうのは深く考えるのが苦手なのに
難しいテーマを判ったように話したがる幼稚さを相手に
感じさせるので、読む人に馬鹿にされかねないリスクが
あります。

それから「良心を捨てて」という言い回しは意図的に
捨ててはならない良心を捨てて、という「悪意」を示唆
するものです。 それは攻撃的であり断定的であるので、
これまた読む人に感情論を押しつける自己中心的な
印象を与えます。 これも損ですね。

だから、良心を持たずに、とか 良心に目をつぶって、
などの比較的やわらかい言い回しで、「悪意がある」
とまで言い切ることを避けて、理性的な話し合いの
姿勢を表現するのです。

「頼まれた人に無実の弁護をしてあげ、お金をもらうことに
なります」の文章も日本語として変です。

「依頼人の無実を訴える弁護を報酬を得て行っている」
という言い方が、普通の言い回しになります。

その次の文章も違和感が強いのですが、言いかえれば

「依頼人に落ち度や悪意が無いとは確信が持てなくても
弁護します。」

とか、

「依頼人が犯行を行った可能性が低くないと思えても
依頼人が犯行を否定し、その証拠が無い場合は無実を
訴える弁護を引き受けます。」

というような言い方になります。

「自分の良心に問いただされないのでしょうか。」は、
「良心の呵責(かしゃく)を感じないのでしょうか」となります。

日本語の言い方以上に、あなたに伝えたいことがあります。
それは、正義とか良心、という言葉ほど実は稚拙な感情で
あるものはありませんよ、ということです。

あえて稚拙、という挑発とも取られかねない言い換えを
したのには、理由があります。

人の世は複雑極まりないものですよね。
誰かの正義は他の誰かにとっては暴力になります。

中国人にとって尖閣諸島を中国のものだとすることは
絶対的正義だと主張する人は億人単位でいるかも
知れません。

でも、当然日本には異なる主張がある。

問題にしたいのはここからです。

双方一歩も譲らずに自分の主張ばかりをぶつけ合うと
当然平行線をたどるので別な威力のある手法で相手方を
やっつけよう、となりがちです。 ほとんど70~90%は
喧嘩になるでしょう。

どちら側から見ても、相手は話し合いの余地なく自分に
都合の良い一方的な主張を暴力的に押し付けてくる、と
見ざるを得ません。 そのように振舞っていますから、ね。

こういう場合の「良心」とは「正義」とは、何だろう?

と考えた時に、有無を言わさずこちらの考えを受け入れて
相手の考えを自ら全否定せよ、というものが根底にある。

良心、を他人に対して要求する場合、問答無用でこちらが
正しい、という意味になりがちな危険な側面を持つのです。

あなたが弁護士の勉強をなさっているかは存じませんが、
弁護士というのは「正義」ではありません。
そこをお間違えのなきようにお願いしたいと思います。

弁護士は「良心」の番人ではなくて、「法的解釈」を武器に
依頼者の法的利益を守るために高額報酬で代理戦争を
行う、言わば「傭兵」或いは「用心棒」のような性格を持つ
「権利獲得代理業」なのです。

法は正義ではありません。正義は良心でもありません。

一つ一つ丹念に見ていけば、それが行政に最終的な
責任を負わせることなく、出来るだけ同様の事件案件の
処理が簡素化できるように義務と責任がアンバランスに
ならぬように配慮しながら書かれた、ご都合主義的な
もので出来ていることに気づかれると思います。

法律自体の全体的な方針には、社会の幸福のために、と
謳(うた)われてはいますが、現実に施行(しこう)される
明文化された条文各項は、細々とした除外規定や
例外規定を盛り込み、中には現実的に順守不能な
存在しているように見えるだけの無意味なものもいくつも
あります。 骨抜き、とか空文化、と呼ばれるものです。

難しいことを深く考えるのは頭が疲れるものです。

頭は出来るだけ複雑なことを単純化してさっさと理解したい。
だから、正義とか、良心などの考えずに子供でも判る
シンプルな善悪、好き嫌いという感情だけでイエス・ノーを
決定しようとしがちだし、そういう民衆の心を操作するのに
正義や良心、という儒教的な文言は、支配層にとっては
大層使いやすいものなのです。

正義も良心も、誰かにとってはそうであっても、別な人に
とっては正反対の意味になります。

しかし、ある正義や良心を声高に叫ぶ「深く考えることが
面倒な民衆」に囲まれれば、その正義や良心に異議を
唱えるものは、一切の対話など不要だ、唾棄すべき敵だ
滅ぼしてしまえ、それこそが正義だ、と凶悪な暴力に
晒されることになってしまう。

先の中国での排日運動など、政府ぐるみで大暴れした
蛮行ですが、彼らは今だに抗日無罪を叫び、破壊・略奪・
殺人さえも正当化してしまっています。

それでも、彼らが怒りに鬼のような形相で云うには、
自分達の正義と良心に従って行動していることだ、なんら
誰にも否定されるべき誤りなど無い、と明言して憚らない。

あなたが仰る言葉には、残念ですが言葉の壁以上に
物事について様々な異なる立場から考える成熟した
視点が感じられません。

簡単にひっくるめて、白黒に分けて単純化して
正邪を判断しようとしているように受け取れるのです。

そして、弁護士に良心を求める、そのこと自体は
特段問題はありませんが、仕事の仕方に良心というものを
主たる方針として据えるべきだという主張は、誤りだと
思います。

何故なら、簡単に云えない複雑な事情も考えずに、とにかく
誰かが「悪人」で、それを憎み、糺す(ただす)ことで社会は
幸福になる、という稚拙な単純思考に陥りがちだからです。

それを、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)と一言で表しますが、
いつの世も悪い強者をくじき、弱い善人を救うという物語が
民衆の不満を取り除く効果をもたらして来ました。

日本の時代劇もそうだし、中国の抗日ドラマも結局は
勧善懲悪で不満を抱える民衆の喝采を浴びようとする。

人間は自分は被害者で、それを埋め合わせてもらう
権利がある、という主張をしがちです。

自分は実は素晴らしい才能があって、誰かにそれを
見出して貰ったらとんとん拍子で成功してお金も名声も
得られる、楽しく豊かに暮らせるのが「本当の自分」だ、
などと思い込んでしまうのと同じように、楽していい目を
見ようと云う気持ちが心の底に起きがちです。

確かに、どうみても守るべき弱者というものも存在するし、
万人に法律が一律の人権を認めるべきではない、という
意見には私も反対はしません。

でも、それらは個々の案件について色んな見方を
して収斂していくものでなければ理性とは云えない。

だから、まずは感情的に単純に正義や良心という
思考停止に陥らないようにする必要が誰にもある。

あなたご自身の正義や良心が、人によっては
一方的で盲目的な暴力になることもある、という
ことを理解されるようにお願いしたいと思います。

理性による世界観を求めるならば、あなた固有の
感情論は抹消しなければなりません。

最初に自分は正しい、という答えありき、になるからです。

異なる考えや意見、立場を自分勝手な価値観を
捨てて、頭を白い状態、フラットにして公平で
理性的な見方をするのに、それは大きな障害に
なるのです。

どういう案件についてこのような質問を掲げられたか
存じませんが、あなたが感情的に「悪」だ、と
決めつけている人、裁判事例があるのでしょう。

その人の立場と目線になってゼロから考え直して
みることをお勧めします。

例えば、賄賂を貰った役人や政治家が糾弾されて
いるとしましょう。

それをみんなと同じように辞めろだの死ねだの
騒ぐだけでは知性から遠い獣の雄叫びと変わりません。

自分がその人の立場だったらと考えることは、
その人の生い立ち、置かれた立場や、そこに至る
経緯の一つ一つについて、あなた自身を彼に
丁寧に置き換えて考えることです。

中には、裏の世界の繋がりもあって、国会議員と
云えども、殺される恐怖を恫喝で受けている人も
いるかも知れません。

他人の目線や立場になって考えろ、ということは
よく簡単に言われることですが 現実にはとても
難しいことなのです。

他人の立場になって考えた、でも私はそんなことは
しない、と何も考えずに言いきってお終いになる。
そんな人も沢山いるからです。

他人の立場に立つということがちゃんと出来れば、
それだけで何かを正義や良心と決めつけて考える
稚拙な単純思考を抜け出すことが出来るものです。

自分が受け入れられない意見や考えでも、嫌悪感を
棚上げにして冷静に、客観的に、理論的に考え
決めつけることなく それも一つの主義主張と否定
せずに置き、歩み寄れる部分を探す。

そういうことを永い時間じっくりと、時には何年も
何十年もかかる様なこともあります。

そうして解決していかねばならない事も、人の世の
諍いには数多くあるのだと云う事を、落ち着いて
考える姿勢をどうか身に付けて欲しいと思います。

それが、人間になる、ということですよ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

皆さん、No.12さんのお礼欄をお借りしてまとめてお礼させていただきます。ご親切に回答していただき誠にありがとうございます。皆さんのご回答はどれもとても参考になりました。いろいろな視点からのご回答は偏食状態の私の脳を活性化させました。心から厚くお礼申し上げます。

お礼日時:2014/05/10 15:09

中国語を勉強済の日本人、回答番号5のplapotaです。



法律家としての仕事と、人間としての良心に、矛盾を感じるのは人として当然のことです。訴訟のなかで、どうみても、甲さんが正しいのに、弁護士の自分が上手にやつたら、乙さんが勝つた。お金が入ればうれしい。でも、後味は悪い。そんなかはいさうな人たちです。私の同級生で弁護士になつたのは、そんな人たちです。大目に見てあげてください。

もちろん、中国にも、日本にも、ほんとうに人間としての良心を捨てて仕事をする弁護士がゐると思ひます。さういふ人は、ゆるさなくていいですよ。

これまで、sobatya_cnさんが、美しい日本語や中国語の質問をなさつてゐるのを、毎日見てきました。真面目な人ですね。回答はできませんでしたけれど。日本には「小説にはだまされてみろ。」といふ言葉があります。このサイトの中では、中国人でも日本人でも関係ありません。

また、回答文に不自然な表現があつても、指摘されると腹立たしいので、見過ごしていただければ幸いです。よろしくお願ひいたします。
    • good
    • 0

法律上「悪い」と一旦見做された人(被告人)を糾弾するのは、強大な国家権力を背景とした検察官です。

弁護士は、本当は「悪くない」のに「悪い」と見做された人を救うだけでなく、「悪い」人には違いないが、法令上、法解釈上過剰な刑罰を科されている「悪い」人(≒国家権力と比べればゴミのような弱者)の味方になってあげるという役割も持っています。

ですから弁護士は「本当は罪がある」と分っていても弁護します。

そういう意味で、弁護士は「正義の味方」ではなく、「弱いものの味方」であるべきです。

ところが残念なことに、日本では、その名誉欲・金銭欲のため、強者の飼い犬になり下がったクソ野郎が大部分を占めます。あと、生活の為に、自らの職業倫理を切り売りする哀れな弁護士も大勢います(最近急増中)。

ちなみに、私が知っている弁護士の3分の2はクソ野郎と哀れな弁護士で、残り3分の1はクソ野郎であることが現時点でまだ確認できていない弁護士です。
    • good
    • 0

良心=善悪とは、社会が勝手に作るものです。


それを、より具体的にしたものが法律です。
被告が悪であるかどうかなど、当人以外には分か
りません。
そこで、検察が全力で犯罪の証拠を上げ、弁護士が
全力で無実の証拠を上げ、それらを突き合わせて
事実を厳密化するのです。
あなたの国の信条であるコミュニズムの弁証法と
いうのをご存知じゃありませんか?
    • good
    • 0

これは訴訟構造に原因があります。



現在の日本の訴訟は、米国流の当事者訴訟と言われるものを
採用しています。

これは、検察、被告は対等の訴訟当事者であり
おのおの、自分の有利なこと、相手の不利なことだけを
主張し合う、というものです。

公平な立場にある裁判官が、双方の主張を聞いて
正しい判断をする。
これが当事者訴訟といわれるものです。

この当事者訴訟においては、弁護士はたとえ依頼人が
犯人であることを知っていても、法定に提出された
証拠では有罪に出来ないと考えれば、無罪を主張して
よいことになっています。
いや、無罪を主張することが義務とされています。

これは次のような考えに基づくものです。

刑事訴訟において、被告はたった独りです。
被告の味方は弁護士しかいません。
方や、検察は強大な国家権力を持っています。
上述したような責務を弁護士に課さなければ、
公平な訴訟はできません。

sobatyaさんを例にとります。
sobatyaさんも人間ですから、悪い所は
沢山あるでしょう。
検察は、その悪いところだけを取り上げ、強調します。
しかし、sobatyaさんには良い所も沢山あります。
それを無視して悪い所だけを取り上げ、強調した
のでは、公平で正しい裁判は不可能です。

それで弁護士が、sobatyaさんの良い所だけを
取り上げ強調します。
そうやって、悪い所良い所の双方をみて
はじめて裁判官は、正しい判断が可能になる
のです。


”弁護士は良心を捨てて仕事をしていますか”
    ↑
ウソをついたり、法に触れたりしなければ
被告の為に何でもやる、てのが求められる
弁護士の良心です。

そういうことになっています。
    • good
    • 0

少し話はそれるのですが、日本には日本弁護士連合会(日弁連)という組織があります。


政治的な分野で声明を出しているので、「弁護士団体が政治活動をするな」と批判されることがあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …


そういうわけで、刑事裁判であれ、政治的な対応であれ、弁護士の活動と「良心」というのは分けて考えた方が良いと思います。
    • good
    • 0

sobatya_cnさん、こんにちは。

すばらしい質問です。

弁護士も、悩んでゐます。もちろん、仕事だとわりきつて、悩まない人もゐます。

私は学校で法律の勉強をしました。法律は、人間の運命を決めてしまふかもしれない、とてもおそろしいものです。先に結論を出したあとで、法の解釈を考へて(ふうつの日本語では「屁理屈」といひます。)、法廷で勝利を得よう、または少しでも有利にしようとします。
私が学生のときは、悩んだら、大好きな「言語」の勉強に逃げてゐました。私の友だちも同じやうに悩んでゐました。今弁護士になつてゐる人たちも、心の中のどこかに悩みをかかへてゐます。生活するためには、きれいな仕事ばかり、といふわけにはいかないからです。きつと、私の学生時代のやうに、何か逃げこむものを持つてゐるのではないでせうか。

sobatya_cnさんのやうに、逃げる姿勢ではなく、堂堂と質問なさるのは立派です。このサイトの人たちはあたたかく回答してくれます。今回も、専門的な回答が4件も寄せられてゐます。私には付けくはへることがありません。
    • good
    • 0

弁護の仕事とは、被告の権利を法的に守る為に存在するシステムです。



しかし其れを担うのは人間なので、確かに全ての弁護士が善人かどうかは判りませんし、個人的には疑わしい例も伺えます。

でもだからと言って、全員が全員、良心が無いかと問われれば、それは違うだろうと思います。

日本人の中で弁護士になる人間だけが、その性質に問題がある等は考え難いでしょう。


確かにイデオロギーを前面に出して活動する方が見られ、また、有資格者ですから特に目立ちますが、人口比率的に偏っていると言うより、ニュースに取り上げられる様な犯罪事件には必ず付いて廻っている問題だからでしょう。

私は彼等はあくまで法律の専門家であって、善人・悪人のレッテルで簡単に区別出来るものではないかと考えます。

真っ当な弁護士ならば、事実を知って尚、真実を秘匿して弁護する事は有り得ません。

何故なら被告が裁判等で証拠を突きつけられてしまった場合に心証の悪化が想定され、判決に悪影響を及ぼしてしまう可能性が高くなり、それは弁護士の評価のマイナスにも繋がって仕舞いかねないからです。
    • good
    • 0

 日本の裁判には、民事裁判と刑事裁判があります。

民事裁判は個人と個人、個人と企業、個人と国の権利や義務の争いを処理するので、有罪か無罪かを争うものではありません。刑事裁判では、検察官と被告人が当事者となって有罪無罪が争われれます。このとき被告人に弁護人がつきます。この弁護人は被告人に弁護の費用を支払えない場合でも、依頼する権利が認められています。つまり無償で弁護してもらえます。

 被告人は、有罪が確定するまでは罪はないものとみなされ、人権が保証されています。

 裁判官が法と自己の良心にのみ拘束されてその職務を全うするように、弁護士も被告人の弁護という職務を全うすると思います。被告人が罪を認めていたとしても、国家権力によって不当に重い刑罰を加えたりされぬよう。被告人の人権を守り、できるだけ被告人にとって有利な判決を引き出すよう務めるのが弁護人の良心だと思われます。弁護人にとっては「本当は罪がある」と判断することこそ、良心がとがめることなのではないでしょうか。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q加害者の弁護士には良心の呵責があるかどうか。

カテはもしかしたらQ&Aですが、専門的な法律のことなのでここに質問させて頂きます。

訴えられて被告人になった人の弁護をすることになった場合、明らかに被告人に非がある場合でも、聞き取り後に陳述書を作成する段階で、「こういう言動だとまずいから、こういうニュアンスで書いておきましょう」「ここは突っ込まれるので、あっさり書いておきましょう」「書くのを止めましょう」というような具合に、抵触しそうな言動・場面、原告に非を認めてしまうような記述は、ぼかして、あるいは書かずに陳述書を作成することはありますか?

被告に不都合なことは書かないという場合、隠蔽にはあたりませんか?

加害者が有利になるように法律を駆使して(少しでも罪が軽くなるように)「加担」する感じがしますが、弁護士というのはそういうものですか。
そういうことをしても法律で身分が保証されているなら、意識として良心の呵責はないのですか。

裁判官が有罪と判決して、被告が控訴、上告しなければ、弁護士自ら、暗に力量不足・加担を認めたことにはなりませんか。

Aベストアンサー

弁護士の社会的責務とはなんだと思いますか。

一般の人が自らはこのように主張したいと考えたときに、法的な主張は難しくて出来ないため、それを法的な主張をするための代弁者としての役目が弁護士です。そうすることで、一般の人の弁護能力の格差を埋めることができ、すべての人に平等な法的な権利を与えることが出来ます。
そうしなければ口先のうまい人や頭の回る人が勝ち、そうでない人の権利がないがしろにされてしまいます。

犯罪者にしても同様です。
口がうまく説得力があり、頭の回るずるがしこい犯罪者がうまく法定でも言いつくろって刑を軽減してもらったり免除してもらったりする、一方でそうではない犯罪者の刑罰が重くなるのはおかしな話です。

ではどうすれば良いかといえば、すべての犯罪者に対して能力の高い弁護士が、犯罪者による差別をせずに、弁護士として能力を最大限に使い弁護するわけです。
そうすればすべての犯罪者を平等に裁くことが出来ます。

>ぼかして、あるいは書かずに陳述書を作成することはありますか?
もちろんあるでしょう。

>被告に不都合なことは書かないという場合、隠蔽にはあたりませんか?
なりません。それはあくまで検察が指摘する、立証すべき話です。

>意識として良心の呵責はないのですか。
良心があるからこそすべての犯罪者に平等な裁判を受けさせるために、弁護士は職務に尽くすのです。

>弁護士自ら、暗に力量不足・加担を認めたことにはなりませんか。
なりません。あくまで被告の意志が一番ですし、更に言えば刑事事件の場合には、平等な裁判を受けた結果として有罪であればそれが正義により裁かれた正当な判断と考えられるからです。

つまり検察と弁護士が対立して互いに主張をすることにより、争点が明らかとなり、また隠れていた真実が見えるというのが今の裁判制度の考え方なのです。

弁護士の社会的責務とはなんだと思いますか。

一般の人が自らはこのように主張したいと考えたときに、法的な主張は難しくて出来ないため、それを法的な主張をするための代弁者としての役目が弁護士です。そうすることで、一般の人の弁護能力の格差を埋めることができ、すべての人に平等な法的な権利を与えることが出来ます。
そうしなければ口先のうまい人や頭の回る人が勝ち、そうでない人の権利がないがしろにされてしまいます。

犯罪者にしても同様です。
口がうまく説得力があり、頭の回るずるがしこ...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報