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数年前に江戸時代後半の先祖墓が見つかりとてもびっくりしています。墓石は70個くらいでしょうか。
凄い田舎で百姓をやってたと思うのですが、墓のひとつひとつが貧農ではまずこのような墓を作るのは困難と思われるようなものばかりなのです。
しっかりとした石を使っているためか、かなりの墓石の文字がはっきりわかります。
中には墓石に仏像が彫られ、着物に赤い色が塗られているのも数体あります。女性の墓石ではないかと推察しています。
写真を添付しますので、見ていただければ幸いです。
ネットで同様の墓石を探しても見当たりません。
なぜこのような墓を作ることができたのか?どのような推察でも構わないので教えてください。
また、昔の墓の研究をしているところがあればそれはどのようなところなのか、どうすれば調べられるのかわかれば
それも教えてください。
よろしくお願いします。

「江戸時代の墓について」の質問画像

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A 回答 (3件)

江戸時代は土葬が基本です。


同時にお墓は個人単位が基本です。
たくさんの墓石が集団で見つかるのはこのためです。
ただ上質の石材を追加って丁寧に彫られていますことから、相当の名家であったのではないかと思います。
お墓を管理している菩提寺に過去帳は残されていませんでしょうか。
彫られている享年で推定はできます。

生前墓といって死ぬ前から用意することがあります。(長生きができるとされています)
この際に戒名などに朱を入れます。
この朱を入れる習慣の延長かどうかはわかりません。
男女は掘られている戒名等で判別は可能か思います。

いずれにせよ、お近くの博物館などの学芸員の方に一度みてもらってください。
市町村の役場で問い合わせ先を教えてもらえるのと、依頼ができるかと思います。
市町村の図書館で郷土史家の方を教えてもらえますので、その方とも一度話をしてみて下さい。
お住いの地区でどのようなことがあったのかは大よそ見当がつくかと思います。
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 お住まいの郷土資料を扱っている資料館や研究している大学の先生。


宗派はなんでしょうか?その地域毎に異なる事も有ります。
 その土地に伝わる昔話などからも分かる場合もあります。

 昔、飢饉などもありましたから、その時に作られた物でしょうか。

 図書館に郷土の歴史なども調べてみてはどうでしょうか。
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あなたの先祖のことを他人がわかるはずがありません


あなたの家系の長老に聞くしかないでしょう。
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Qご先祖様の暮らしを知りたいです。

先祖の調査をしようと本家に行きました。
お墓と位牌を見てきましたが、わからない事だらけです。

以下の調査結果から農民だっと思うのですが、どんな暮し(身分の)農民だったのでしょうか。

1.位牌は沢山出てきましたが、一番古いのは寛文三年 戒名は 禅定門と禅定尼
2.正徳まで禅定門の位牌が多いです。
3.墓で一番古いのは(判明できるのは)正徳です。
4.場所は栃木県です。
5.菩提寺はもともと城で、戦国時代後期に落城。その後死者を弔うために建立されました。

まったくの素人なのである程度詳しい方の意見や実際に調べている方の意見など頂けると幸いです。

上記と直接関係があるかわかりませんが、以下についても記します。

5.実は上記の位牌以外に一つだけ古そうなのがあり、そこには貞和四年とある。しかし状態が悪く、ほとんど書いてあることが読めない。

6.上記位牌は菩提寺の住職が読める範囲で書き直したらしい。

7.古い掟では、正月飾りをしてはならぬ、節分や節句、祝い事、祭りごとなど目立つことはしてはならぬ。とあったそうです。 とにかく目立つことはしてはいけないと。

8.昔は蔵があったが、火事で燃えてしまった。蔵には長持ちがいくつもあったらしい。他の位牌も燃えたとか?

よろしくお願いします。

先祖の調査をしようと本家に行きました。
お墓と位牌を見てきましたが、わからない事だらけです。

以下の調査結果から農民だっと思うのですが、どんな暮し(身分の)農民だったのでしょうか。

1.位牌は沢山出てきましたが、一番古いのは寛文三年 戒名は 禅定門と禅定尼
2.正徳まで禅定門の位牌が多いです。
3.墓で一番古いのは(判明できるのは)正徳です。
4.場所は栃木県です。
5.菩提寺はもともと城で、戦国時代後期に落城。その後死者を弔うために建立されました。

まったくの素人なのである程度詳し...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

中々の銘家と推察いたします。

>>2.正徳まで禅定門の位牌が多いです。

「禅定門」「禅定尼」は基本的には、禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)寺院での戒名と考えて良いかと思います。
もし、現在禅宗寺院を菩提寺としていない場合は、先祖の誰かが改宗したものと考えます。

また、武士階級や商人でも藩に関わる仕事をしていた方に「禅定門」「禅定尼」の戒名が付けられることが多く見受けられます。

従って、昔、城があった・・・と言うことですので、武士・・・それも徴兵された百姓などのように「にわか武士」ではなく、城主に仕える身分だったのかもしれません。
ただ、蔵があった・・・と言うことから考えると、城への出入りを許された商人のような気もします。こちらの方が強いかな?


>>4.場所は栃木県です。
>>5.実は上記の位牌以外に一つだけ古そうなのがあり、そこには貞和四年とある。

栃木県には足利氏の荘園が幾つも存在し、貞和四年(1348)と言うことは、足利尊氏が征夷大将軍を務めていた時代ですから、栃木県は足利氏の影響力が非常に強かった時代です。
その頃、あなたのご先祖さまは足利氏に直接、または、その家臣たちに取り立てられて、次第に大商人となり、活躍していた可能性が考えられます。

>>7.古い掟では、正月飾りをしてはならぬ、節分や節句、祝い事、祭りごとなど目立つことはしてはならぬ。とあったそうです。 とにかく目立つことはしてはいけないと。

これには2つの考え方ができます。

1.大商人であったから、他人にみせびらかすような派手な行為を慎むと同時に「節約を旨とすべし」のような家訓があった。

2.何かの失態があって、他人(ひと)さまに顔向けができない。そこで、全ての行事は内々に内輪だけで執り行うようになった。

>>8.昔は蔵があったが、火事で燃えてしまった。蔵には長持ちがいくつもあったらしい。他の位牌も燃えたとか?

昔は、現代のように「恋愛結婚」などは、特に、大商人や地主、武士などもそうですが、絶対的にありませんでした。
全て、親が、相手の家格や財力などを基に嫁などは決めていましたので、あなたのご先祖さまも大商人で、当然、それに見合った嫁選びをしたことと思います。
従って、長持ちの中には代々のお嫁さんが実家で用意してくれた衣装などが入っていたと考えられます。

また、他の位牌については、なぜ蔵にあったのか疑問ですが、或いは、母屋も焼失してしまったのかも含めて、貞和四年(1348)から、いきなり、寛文三年(1663)まで、約300年間が飛んでしまっていますので、その間の位牌ではないかと考えます。

総合的に判断すると、城へ出入りを許された「大商人」の家系のように思われます。

余談になりますが、
私の実家は本家は古くは、やはり、平安時代にまで遡ることができますが、江戸時代の宝暦年間(1751~)に、佐渡奉行所が財政難になった時、当時、庄屋であった夘兵衛という者が近隣の庄屋四人に声をかけて資金集めをし、佐渡奉行所へ300両(約3,000~4,500万円)を寄付したことから、佐渡奉行より「○○家を名乗るように」と姓を授かりました。
そして、その夘兵衛の四男が分家をし「△△家」」を起こしたのが私の家です。
ただし、あくまでも農家でした。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

中々の銘家と推察いたします。

>>2.正徳まで禅定門の位牌が多いです。

「禅定門」「禅定尼」は基本的には、禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)寺院での戒名と考えて良いかと思います。
もし、現在禅宗寺院を菩提寺としていない場合は、先祖の誰かが改宗したものと考えます。

また、武士階級や商人でも藩に関わる仕事をしていた方に「禅定門」「禅定尼」の戒名が付けられることが多く見受けられます。

従って、昔、城があった・・・と言うこと...続きを読む

Q江戸時代の埋葬方

江戸時代の一般的(庶民の)埋葬方法について質問します。
山本一力氏の小説「あかね空」を読んでいるのですが、物語の中で人が亡くなるとしばしば、火葬を想起させる表現が出てきます。
「お骨になる」や「(亡骸を)焼き場に持っていく」などです。
読んでいて疑問におもったのですが、小説「あかね空」は、宝暦十二年(1762年)から寛政年間(1790年代)の江戸深川が舞台となっています。この頃の庶民の埋葬方法としては土葬が一般的であったと認識していたのですが、地域によって格差があったのでしょうか?
また、その当時、現在の火葬場に相当する施設や専門の人足がいたのでしょうか?
ご存知なら教えてください。

Aベストアンサー

寛永五年(1628)に亡くなった2代将軍秀忠の妻、お江与の方は、
本人の希望により火葬となりましたが、
その際の火葬場所は麻布我善坊町でした。
当時、火葬はかなり珍しかったようで、
江戸の地誌にはたいていこの場所のことが書いてあるそうです。

庶民を対象にした火葬場所は、寛文九年(1669)、
小塚原に江戸最初の火葬場設置が許可されています。
小塚原は刑場としても有名ですね。

以降は徐々に増えて行き、
鈴ケ森、深川、浅草、市ヶ谷、四ツ谷、芝、三田にあったようですが、
渋谷にもあったようで、時代によって移り変わりがあったのでしょう。

名前は三昧場と呼ばれていたそうです。
といっても、三昧場=火葬場ではなく、墓地のことも含んだ言い方のようですが。

運営主体は寺院で、火葬をする浄土真宗の寺が寺内に
火屋(燃やす施設)を持っていたり、複数の寺院が共同で特定の場所を使っていたりするようです。
また、幕末になると浄土真宗だけでなく各宗が火屋を持っていたようです。
もちろん上に挙げたエリア内の寺院だけでしょう。

火葬専門職は他の地方だと非人が担当していて三昧聖という名がありますが、
江戸は寺院が管轄していたようですので、直接の担当は僧侶でしょう。
補助職は隠亡かな?

寛永五年(1628)に亡くなった2代将軍秀忠の妻、お江与の方は、
本人の希望により火葬となりましたが、
その際の火葬場所は麻布我善坊町でした。
当時、火葬はかなり珍しかったようで、
江戸の地誌にはたいていこの場所のことが書いてあるそうです。

庶民を対象にした火葬場所は、寛文九年(1669)、
小塚原に江戸最初の火葬場設置が許可されています。
小塚原は刑場としても有名ですね。

以降は徐々に増えて行き、
鈴ケ森、深川、浅草、市ヶ谷、四ツ谷、芝、三田にあったようですが、
渋谷にもあっ...続きを読む

Q農民の家紋使用はいつから?

家紋が必要なのは主に紋付きを作るときかと思います。
ならば、紋付きなど着なかった江戸時代の農民には家紋がなかったのでしょうか?

それとも、苗字と同じように、使わなくても我が家の家紋はコレ!と決まったものがあったのでしょうか?

江戸時代に農民が家紋を使っていた証拠となる文献をおご存じでしたら教えてください。

建造物や墓石に家紋がある、というのでも結構です。

または、明治以降になってこうして家紋を決めた、という資料でも結構です。

Aベストアンサー

日本における紋章は、苗字と共に受け継がれた「家」との関係を表わすもので、称して「家紋」と呼んでいます。
また衣服に紋章を付ける用い方は、日本独自のもので、他の国には見られないようです。
家紋には、自然物からの描写である雲・波・草花、扇面・亀甲や文字を意匠化したものまであり、現在では5000種類、一説によれば2万種類もあるといわれています。
家紋をつける風習は、平安時代の中頃、公家が自分の牛車や調度品に本人や家の好みの文様を付けたことから始まったといわれています。実際着物に家紋を付け出したのは、足利時代以後のようです。その頃の紋は男性のもので、女性が紋を付けるようになったのは、江戸時代中頃になってからのことのようです。そのころから「女紋」が作られ、男性の紋と区別するようになりました。
身分に関係なく、どの家でも自家の紋を持つようになるのは明治になって、一般庶民にも苗字が許されるようになってからのことです。
ただ、それ以前でも苗字帯刀を許された一部の豪農は武家を真似て家紋を使用していたようです。また商人は、所謂「屋号」としての紋章は使用されていました。

日本における紋章は、苗字と共に受け継がれた「家」との関係を表わすもので、称して「家紋」と呼んでいます。
また衣服に紋章を付ける用い方は、日本独自のもので、他の国には見られないようです。
家紋には、自然物からの描写である雲・波・草花、扇面・亀甲や文字を意匠化したものまであり、現在では5000種類、一説によれば2万種類もあるといわれています。
家紋をつける風習は、平安時代の中頃、公家が自分の牛車や調度品に本人や家の好みの文様を付けたことから始まったといわれています。実際着物に家紋を...続きを読む

Q江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?

江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか?

一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか?

ご教授願えませんか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「誰でも苗字は持っていたけれど公的には使えなかった」というのが私の見解です。(全く持ってなかった人もいたとは思いますが)
その証拠のひとつに江戸時代の墓を見てください。俗名は苗字付きで書いてあるはずです。その他、手紙など私的な文書には使用は可能だったでしょうが、売買証文など公的なものはだめでした。
藩に多額の献金をするなどの功績があると苗字が御免になることがあります。庄屋や大商人にも許されていますが、庄屋とか大商人という理由だけで許されたわけではないようです。古文書を見ると苗字なしで署名している庄屋もいます。
その許され方も「一代限り」とか「永代」といった区別がありました。
商人は一般に「屋号」を使いますが、苗字が使えないのでその代わりに屋号で呼びあったという研究者もいます。
教科書に書いてあるような江戸時代の「常識」はいい加減なものですね。私もあきれています。

Q江戸時代以前の先祖を調べたい

こんにちは。
先祖調査にめざめ、江戸末期生まれの曾祖父まで調査することができました。
この曾祖父が戸主だった戸籍までは手にはいったのですが、それ以前のものは役所にはないそうです。
本籍住所は載っているのですが、この先はどのようにして調べればいいのでしょうか?
特にご経験者の方、アドバイスをお願い致します。

Aベストアンサー

こんばんは。

除籍謄本をお取りに成ったのですか?

前の方がおしゃられるように、図書館で、祖父の本籍地の家系、郷土史等の書籍を参考にする事は有意義だと思います。また、お寺の過去帳も有力ではないかと思いますが、両方調べて見てはいかがでしょうか?

○曾祖父の本籍住所に最寄の宗派の同じお寺に出向き、自分の苗字と同じ氏を探し、死亡年月日、位牌の戒名、享年を照らし合わせる事もできます。そのお寺が明治以前からあることが前提で、しかも過去帳が現存している事が必要です。たまに紛失(天災、戦火等の為)している場合もあります。

○過去帳が現存しない場合は、お寺の墓所で、江戸時代以前の墓石をさがし、戒名、または名前でお墓を探します。戒名等がない場合は、「○○村光衛門(架空)」と何処かに記載されている場合も有ります。

○尚、明治3年に平民苗字許可令が発布され、誰もが苗字を持てるようになりました。
注意しなければないのは、自分のご先祖さんが「氏姓」を持っていなかった場合、地域の識者・聖職者の方に、自分の好きな苗字をつけてもらって居る事になります。家紋も任意の物になります。明治以後の氏は江戸時代以前の氏と区別しなければなりません。過去帳と照らし合わせる必要があります。

◎『屋号』がわかれば、屋号で辿れば作業が一段と早くなります。お寺で「○○(屋号)」の家系を過去帳から探せばよい事になります。しかし、明治初頭から士族でも、商家や一般人のように屋号をもち、「○○屋の光衛門さん」とふうに呼ぶようになった地方も多いです。つまり屋号を辿れば、苗字帯刀を許されていても居なくても、先祖を辿る事ができる場合も有ります。墓石、石碑で遡る場合も、墓石に屋号が彫られている場合があり、先祖の墓石を辿るのに一役買います

○地方自治体刊行の郷土史の本の場合は、「○○家(屋)は○○藩○○付近から移住した家系である」と載っている場合が多いです。

参考になれば良いのですが。

こんばんは。

除籍謄本をお取りに成ったのですか?

前の方がおしゃられるように、図書館で、祖父の本籍地の家系、郷土史等の書籍を参考にする事は有意義だと思います。また、お寺の過去帳も有力ではないかと思いますが、両方調べて見てはいかがでしょうか?

○曾祖父の本籍住所に最寄の宗派の同じお寺に出向き、自分の苗字と同じ氏を探し、死亡年月日、位牌の戒名、享年を照らし合わせる事もできます。そのお寺が明治以前からあることが前提で、しかも過去帳が現存している事が必要です。たまに紛失(天災...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q江戸時代の戸籍謄本を入手する方法は?

私の家の家系図を作成する計画です。その為の参考資料として戸籍謄本を利用したいと思います。

私を起点として、私の祖先(配偶者含む)の名前と生年月日、没年月日、結婚又は離婚の年月、養子縁組の年月、祖先の親の氏名などを世代を遡って把握します。また父母、祖父母、曽祖父母に関する事項だけでなく、彼らの兄弟姉妹に関する情報も必要になります。そこで質問です。

質問(1)今の役所で保存されている戸籍の原本では、祖先の系譜をどの頃まで遡ることができるのでしょうか。明治の初めまででしょうか。

質問(2)(この質問の方が重要ですが)仮に遡る限界が明治初期の場合、それ以前、つまり幕藩体制時代の戸籍についての記録は、どこで保存されているのでしょうか。(ちなみに私の祖先は愛知県知多郡におりましたので、「尾張藩」です。)菩提寺の過去帳では戒名は分かりますが俗名が分からないのです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

質問の答が分からなくても、質問の答を見つける方法をご存知でしたら教えて下さい。(どの役所に聞いてみる、とか、どこの歴史資料館で捜す、とか、ホームページとか。)

私の家の家系図を作成する計画です。その為の参考資料として戸籍謄本を利用したいと思います。

私を起点として、私の祖先(配偶者含む)の名前と生年月日、没年月日、結婚又は離婚の年月、養子縁組の年月、祖先の親の氏名などを世代を遡って把握します。また父母、祖父母、曽祖父母に関する事項だけでなく、彼らの兄弟姉妹に関する情報も必要になります。そこで質問です。

質問(1)今の役所で保存されている戸籍の原本では、祖先の系譜をどの頃まで遡ることができるのでしょうか。明治の初めまででしょうか。...続きを読む

Aベストアンサー

ご自身が含まれる戸籍は自由に入手は可能ですが、いくら親兄弟であっても戸籍が別となっていれば、正当な理由や権利が無ければ入手できません。
相続や先祖を祀るなどの理由があれば直系であれば入手は可能でしょう。
それぞれから委任状などを得る必要があると思います。

1については、戸籍によって保存期間があり、既に処分されているものもあるようです。自治体によって法律上の保存期間を超えても処分していない役所も多いと思いますので、それぞれの役所へ確認しましょう。私の地元の役所では江戸時代ぐらいのものはまだあるようです。

2については、役所の戸籍でわからず、寺などの過去帳でわからなければ難しいでしょう。

戸籍謄本は自分との関係を証明しながら取る必要性がありますので、ご自分や親の戸籍から遡って、わかる範囲で戸主の名前で請求するようになるでしょう。縁故者の協力状況によっては、遡るにも限度があると思います。
行政書士などは職権で戸籍謄本などの入手が可能な為、一部の行政書士などが家系図作成を請け負っている場合などもあります。

私自身、家督相続時代を含めた相続手続き(登記)を行った際、遡るのに結構大変でした。

頑張ってください。

ご自身が含まれる戸籍は自由に入手は可能ですが、いくら親兄弟であっても戸籍が別となっていれば、正当な理由や権利が無ければ入手できません。
相続や先祖を祀るなどの理由があれば直系であれば入手は可能でしょう。
それぞれから委任状などを得る必要があると思います。

1については、戸籍によって保存期間があり、既に処分されているものもあるようです。自治体によって法律上の保存期間を超えても処分していない役所も多いと思いますので、それぞれの役所へ確認しましょう。私の地元の役所では江戸時代...続きを読む

Q壬申戸籍の謄本を入手する方法は?

  我が家の家系図を作成しています。祖先の(戒名ではなく)俗名が必要なため、市役所で戸籍謄本(除籍謄本、原戸籍謄本を含む)を取って世代を遡って調べたのですが、明治19年に編成された戸籍まで遡りました。しかし、明治5年に編成された戸籍(通称、壬申戸籍)は期限切れのため保管していないと言い方でした。
  壬申戸籍はどこで保管しているのか、インターネットで調べたところ、法務省の法務局らしいことが分かりました。で、法務局に問い合せたところ、「期限切れなので・・」という回答なのです。決して「破棄した」とは言わないので、現在もどこかで(法務省管轄下で)保管されているように思えます。昭和43年頃、旧身分制度に関する事柄が社会問題化して(→同和問題?)壬申戸籍が封印されてしまったというのが真相の様です。
  他人の祖先の名前を知りたいのではなく、自分の祖先の俗名を知りたいのです。壬申戸籍の謄本を発行しても身分に関する情報を知るのは子孫である私なのであって他人ではないのだから問題ないのではないでしょうか。壬申戸籍の謄本を入手する方法はないものでしょうか。

Aベストアンサー

入手方法は、現在ではありません。
壬申戸籍は、確かに法務局で保管はされています。それは遠い将来に「歴史資料となりうる」という観点で保管されているようです。
従って「旧身分」が記載されている戸籍を子孫であるとはいえ閲覧させることは現在はできません。

◎ 他人ではないのだから問題ないのではないでしょうか。
これを認めてしまうと「子供の結婚相手であり、身内となる可能性があるのだから(あるいは身内となったのだから)問題ない」と言い出す人もでてくるでしょう。結果として「同和問題」に行き着くことになります。
また子孫は複数・多数にわたりますから....結果的に「広く公開する」ことに繋がっていきます。
現段階ではあきらめるしかありません。

Q多数ある墓石の整理をする場合の文字の確認の方法は?

古いお墓の整理を考えています。ただし、先祖様の墓石の夫々が何方の物なのか、整理することが先だと思います。そこで、古い墓石の文字を読み取りたいのですが、どのようにすれば、古い墓石に書かれた文字が読み取れるでしょうか??何方か詳しい方、教えて下さい!!

Aベストアンサー

その墓地が先祖代々の墓地であるなら、御寺さんに相談して見れば
もしかしたら誰の御墓で何と書かれているのか分かるかも知れませ
ん。ほとんど御寺には各檀家の台帳が保管されていますので、台帳
を見れば判断は出来るはずです。

ただ台帳に記載されていない物もありますので、そんな時は墓石の
文字がある部分を洗浄され、その後で拓本を取って御寺に持参すれ
ば読んで貰えるかも知れません。

代々墓石を製造販売されている老舗の石材店なら、そのままで読み
取って貰えるかも知れません。
老舗の石材店で見て頂いて読めなければ、拓本を取ってから御寺に
持参するしか方法はありませんね。

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html


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