出産前後の痔にはご注意!

前に一度質問したと思うのですが

哲学において大きな位置を占める「存在」と言うもの

これは何でしょう?「存在」を定義してみてください。

これが人それぞれバラバラで、認識が一致しないなら 哲学は何をなすことができるでしょうか

いま哲学の役割は大きくなって来ていると思います

宗教も信じない人も多く、理系と文系の間を埋める哲学がなければ

科学技術も問題を起こしかねません(原発とか)(倫理の問題とか)

「存在」とは何でしょう? どうかよろしくお願いします。

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A 回答 (23件中1~10件)

No.15です。

すみません。循環定義になってますね。

循環定義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0% …

操作的定義にすればよかったかな。

操作主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%8D%E4%BD%9C% …

次のように訂正しますね。

【定義】存在とは、任意の概念が関与する(もつ)すべての属性を捨象して得られる概念である。

 存在という概念がどのように成立するか。たとえば、「美しいもの」は、「美しい」という属性に関与していることを示しているが、その概念から属性の「美しい」を捨象して、単なる「もの」となる。
 さらに「もの」からは「ものである」という属性を捨象して「  」となる。この「  」が存在である。

【公理1】存在に対して、その成立過程で捨象したどの属性概念をも問うことはできない。

「  」で記号化されるような存在について、「ものであるか」とか「美しいか」などと属性を問うことはできない。この公理からNo.15に書いたように以下のことが導かれる。

【定理1】存在は非時空的表象である。

 (証明)
   仮定 時空的表象は属性である。
   根拠 存在は属性をもたない。(∵【定義】)
   結論 存在は時空的表象をもたない。

 同様に、疑問詞から導かれる言語の構成要素である、「なぜ」根拠、「どのように」様態、「なんの」制約、等について考えれば、以下の定理などが導出される。

【定理2】存在は無根拠的表象である。

【定理3】存在は無様態的表象である。

【定理4】存在は無制約的表象である。


 ここで、【定理1】の内容を吟味すれば、カントが考えたように、先天的に与えられた、感覚の時空形式が生み出す感覚的表象の背後(時空を超えたところの比喩)に、「物自体」と呼ばれた存在が想定される。想定? ぼくには確信されるようにさえ思える。

 一方、感覚表象のこちら側(これも時空を超えたところの比喩)には、表象する主体である「我」とでも呼ぶべき存在が想定される。これも疑い得ない存在であることは、デカルトを引いてくれば納得される。

 さて、感覚表象を境界として、「物自体」「感覚表象」「我」という直線的配列で比喩されたのだけれど、時空-超時空の構造は、経験認識にもないし、合理的構想もない。

 直線的配列で、無接点の接していなかった「物自体」と「我」は、たとえば、円環的に配列しなおせば、「我」「物自体」と並び接する。これらの境界をあらたに想定する根拠が見いだせなければ、「我」即「物自体」となるだろう。

 このように考えると、存在は、主体的存在と物的存在の区別も、疑うべきものであることが分かる。経験的には物的存在が知られ、主体的存在が知られてきたのだろう。そして我々はその認識を共有している。

 また、感覚表象の中の他人や生き物に注目すれば、これも「物自体」であり、みえざるところの本質的な存在としての、物、生命、他人、自己の区別は、はたして理にかなったことなのだろうかという疑問が生じるのだ。

 直線配列を盲信し、また自己に重心を偏よらせていることが、何かと社会問題を発生させている遠因となっているのではないのか。(と、なんとかつないでみました。)
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この回答へのお礼

>さて、感覚表象を境界として、「物自体」「感覚表象」「我」という直線的配列・・・

感覚表象を通して物自体と「我」が存在していると考えられる訳ですね

その我に重心を置く事が社会問題を発生させている と言う事でしょうか

なかなか的を射た考察の様にも思えます。

しかし美しい存在というものはないのでしょうか?

美しいは主観ですがねえ 質量のある存在とか

其の辺も微妙ですねえ

これはどうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/24 18:58

正直、定義等は好き勝手にすればいいと思います。



それで問題が解決するならば。


「何故、生まれたか?」

これは大きな命題かもしれません。

しかし「親」から理由を得られないから「神」か何かからそれを得ようと言うレベルではお粗末です。

出生の秘密を探るレベルの事でしかありません。

仮に記録が何も残っていない人物が、誰から生まれたかを議論する程度です。

誰から生まれようが、「生きている」し「存在」していますよね?


そもそも答が判っていない人間が問うても詮無い事です。
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この回答へのお礼

成る程 そうかもしれませんね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/05/25 20:57

人間五感覚脳による認識の結果態です。

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この回答へのお礼

存在は認識の結果態だと言う訳ですね。

認識出来るものが存在と考えてよろしいでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/05/25 09:27

自己主張手段を選択して能動相になります。


何かをしてもしなくても、それを認識して何か感じる者が受動相

能動相存在は、受動相存在に「どう思われたいか」の目的があるのです。

「何も思われなくて構わん!てか放っといて!」と自己主張しても
存在を表明する能力もない死物、個物とかにも
受動相に「存在」として認識され思われることはある。
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この回答へのお礼

存在は能動的に自己主張したり 受動的に感じたりするんですね

成る程 参考になりました

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/05/24 20:57

ちょっと違う方向から。



基本的には ハイデガー に乗りたいので、No.9さんと同じような考えだと思います。

代数学を少しやったものからすると、

☆「存在する」⇔(同値) 「存在しない」ことの否定

だと認識するんでしょうけれど。

世の中ではこの考えではうまくいかない!
 #「0」か「1」かではないですから。

だから意見は分かれるんだと思いますよ。

数学的には ☆ の文章で終わり、哲学的ではないですね。

これは蛇足でしかないけれど。

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
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この回答へのお礼

この世は存在するかしないかのどちらかしかありません

案外その式は正しいかもしれません

>☆「存在する」⇔(同値) 「存在しない」ことの否定

存在しないことの否定は全て存在すること。

存在することが全てと読めます。

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/24 21:00

よく分からない、と言われてしまった「宇宙(如来)の本体は絶対の大心霊体」とは明治から大正にかけて活動した山崎弁栄(べんねい)と言うお坊さんの説で、また釈尊が体験した精神世界だと思うのでわれわれは想像するしかありませんが、これを私は“宇宙を存在たらしめているもの”と受け止めています。



科学者が物理的研究に依って、宇宙の膨張とかビッグバンとかブラックホールの存在を、明らかにしてますが、これらは千変万化の存在と言うべき事と思います。

二つとない、相対に対しての絶対、であるはずの宇宙の存在こそは「絶対的存在」と云えるのではないでしょうか。

例えが飛躍していると思いますがあえて云えば、大海と岩に砕け散る波しぶき。この波しぶきがわれわれのこの千変万化する存在、と云う訳です。

たぶん、釈尊は「大海」に心を置くことが出来たんでしょう。
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この回答へのお礼

釈尊の思想でしたか。今の理論物理も仮説が多くて

紐理論 超ひも理論 弦理論 にしても紐のような性質を持つと言う事で

実際にどのような存在か分かってる訳ではないと思います

>「宇宙(如来)の本体は絶対の大心霊体」

が実際にどの様なものかは分かりませんが 心霊体と言うからには唯心的なものかなと思うばかりです

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/24 22:30

>人それぞれバラバラで、認識が一致しないなら 哲学は何をなすことができるでしょうか



回答がみんなバラバラで、これほどまで認識が一致しないってのもおもしろいですね。

それがなぜか・・・・

存在というのは、猫、人間、橋、海・・みたいな実体ある存在、空気、電気、電波、ウイルスなど間接的に実体を知る存在、点、直線、円周率などの実体を伴わない存在、そして、社会、経済など、それから、霊、魂、神など、分類すると多岐に亘るでしょう。
空想、妄想、夢想までも存在だし、最後に、それらの中心に自分という存在が存在してますね。

存在っていうのは、単純に「ある」ということを指し示しているだけで、定義しようとして上記の分類上にそれぞれ当てはめてみると迷路にハマるってことじぁないでしょうか。

つまり、言葉が足りない、それぞれに言葉が作られていないからシックリこないうえに、これらを一括りに存在と言ってしまっているのが人間という存在であり、自分という存在なんですね。存在自身が存在を定義しようとしている。

つまりは、「存在」は存在するか、というトートロジーは、考えても無駄だということ。

上記分類を精査して明確に定義してから改めて言葉を作ったらいいってことになると思うよ。
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この回答へのお礼

存在を定義する言葉がない 言葉が足りない

存在自身が存在を定義しようとしている と言う事でしょうか?

なんとか存在を見極めて表現できませんかね?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/05/24 15:28

存在とは「実質的にある」ということ。

では何があるのか。物と概念と時間。物としては‘物質/性質/相関‘、概念としては‘直感/言葉/イメージ‘、時間としては‘過去/現在/未来‘。三次元空間の中の物と概念が、時間の流れの中を現在として流れて、過去になり未来を創っていくというのが現実世界。こんなまとめ方でどうでしょうか。
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この回答へのお礼

物質と性質はわかりますが 相関というのも存在でしょうか?

概念の分類は この三つに分類できるのでしょうか?

時間も存在の内なのでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/05/24 15:38

こんばんは。

yuniko99さん。

>「存在」を定義してみてください。

【定義】存在とは、いかなる捨象概念をも問うことができない概念である。

(ここで捨象概念とは、存在という概念が、その成立過程の抽象化に伴って、捨てられていった概念)

たとえば、美しい存在から、美しいを捨てて存在となる。つまり「どんな存在」の「どんな」の部分を捨てた。捨てたものを問うて、存在は「どんな」ものかと問うことはできない。

同様に、「いつの」存在も、「どこの」存在も、「なんの」存在も、「どうしてそうなった」存在も、「どうしている」存在も、その飾りの部分を捨てて存在となるのだから、存在に関してこれらの問い(修飾語であり述語にもなるそれへらの問い)には、答えがないはずだ。

このことから、存在の、無時空性・無制約性・無性質性・無根拠性が明らかとなる。捨てられた概念の否定で、存在を形式的に規定できることになる。形式的だが、たとえば無時空性という概念を味わって、内容を意味づけていく…。
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この回答へのお礼

どうもありがとうごいざいます。

お礼日時:2014/05/24 18:59

言葉です。


ただ、この世の諸々を存在と名付けたのです。我々が。
存在とは確たるものでもなく、他の概念に勝る特別な概念でもないと私は思います。
例えばりんごというものを言葉で説明しても、説明し尽くすことはできないでしょう。りんごを実際に手にし、味わって、或いは木になるのを見知って、リンゴがなんたるかが次第に確定されて行きます。
存在も同じです。生まれて、目にし、触れ、聴き、五感と意識とで接触し、次第に存在とは何かが明確になって来ます。
その確度や様相が人によって違うのは当然でしょう。
ですから、存在を定義するものは、既に与えられていて、それを言葉にして存在と名称しているのではないでしょうか。

しかしこの回答では不服かもしれめせん。意図が違うと。ですから別の答えも用意しておきたいと思います。
それは、一、全一なるもので、似たような位相にある概念は、他に混沌や無といったものがあります。これは私の哲学(形而上学)ですが、分かりにくいのを承知で披露します。
存在は、第三の位格で、全一なるものです。第二の位格は混沌です。第一の位格に無があります。位格というのは序列、どちらが先かという意味です。第四の位格は時間です。
哲学体系を学んだわけではないので、私のこの考えは妄想のようなものと思われても結構かもしれません。ただ、古代の哲学、タオやソクラテスに触発されて自分も考えてみた結果、こうなったというに過ぎません。無論、この考えが絶対ではありません。参考までに。
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この回答へのお礼

位格として順番に 無 混沌 存在 時間 と来るわけですね

これは世界の始まりの順番でしょうか?

時間が4番目ですから 序列なんですかねえ?

存在という言葉は意外に大きな言葉なんですねえ

バラの花が存在する 酸素分子が存在する 酸素分子の存在

と言うくらいの意味で聞いたのですが

存在というのはこの世界の存在という風になるんですねえ

成る程よく分かりました どうも次節の開陳ありがとうございます

大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/24 08:59

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Q存在とは?何を持って存在とするか?

哲学ではよく「存在」という言葉を使いますが

哲学者によって、人によって、分野によってその定義が異なる様に思います。

実存主義でいう存在と唯物論でいう存在では「存在」の意味が違ってくると思います。

「存在」を定義してみてください。或いは「存在」の語感を教えて下さい

どうか端的に、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現実に、夢を一滴たらして、虚空の鍋で煮詰めたもの。

注意:食べ物ではありません。

なんてね。

例えば、部屋がある。その部屋から家具を運び出せば、空(から)になる。でも、埃とかがあるから、それも綺麗に掃除すると、部屋だけが残る。いやまだ、空気があるからといって、空気を吸い出したら、真空になる。しかしそこにはまだ電磁波が、、電磁波を取り除いても空間が、、空間を無くしたら、そこには何が残る?空間に依拠しないものが残るかもしれない。しかしそれ以上は私には想定の無駄である。わからないのだから。だか、言えることは、何も無いと言えるようになるまでに、実に多くのものを消し去らねばならない。その消し去らねばならない分が、存在しているのです。
存在、即ち在るというのは、無いと対になっている言葉です。つまり、無いことが想起され得る全てが存在していると言えないでしょうか。

Q存在の定義って何ですか?

存在の定義とはなんですか?

りんごが1個ある。あるから存在する。見えるから存在する。
「あ」という単語があります。意識の中では存在します。
「あちゃちぇ」という物体は存在しません。しかし意識の中で言葉という存在としてあります。

そんざい 0 【存在】
(名)スル
(1)人や事物があること、いること。また、その人や事物。
「少数だが反対者も―する」「人類の―をおびやかすもの」「神の―を信ずる」「貴重な―」「気になる―」
(2)〔哲〕〔英 being; (ドイツ) Sein〕何かがあること、またあるもの。有。
(ア)実体・基体・本質・本性など、他のものに依存することなくそれ自体としてあり、非本来的・偶有的でなく、絶対的・必然的にあるもの。
(イ)現に事実として今ここにある事や物および人間の実存。現実存在。
(ウ)感覚や経験に現れるもの。現象。
(エ)判断において、主語と述語を結びつける繋辞(けいじ)。「 S は P である」の「ある」。
------------------------------------------------------------------
いまいちパッとしません。存在の定義とはなんでしょう?簡単にいっていただけると嬉しいです。

存在の定義とはなんですか?

りんごが1個ある。あるから存在する。見えるから存在する。
「あ」という単語があります。意識の中では存在します。
「あちゃちぇ」という物体は存在しません。しかし意識の中で言葉という存在としてあります。

そんざい 0 【存在】
(名)スル
(1)人や事物があること、いること。また、その人や事物。
「少数だが反対者も―する」「人類の―をおびやかすもの」「神の―を信ずる」「貴重な―」「気になる―」
(2)〔哲〕〔英 being; (ドイツ) Sein〕何かがあること、またあるも...続きを読む

Aベストアンサー

それを存在していると認識したときに存在すると考えれば、存在とは認識の結果だと言えます。

目の前にコップがあるとして、目を閉じたときに、視覚に限定した場合、そこにコップが存在していると言えるかどうかといえば、言えません。

Q存在とは何か?存在者とは何か?を定義できる人いますか?

存在というと ハイデッカーとか出てきて、ややこしくなりますが

此処に酸素分子が存在する。という時の酸素分子という存在、つまり存在者 とは何か?

を定義できる人いますか?

人間存在も存在者ですよね、太陽も存在者です(私は存在者とは言わず「存在」と呼んでいます)

つまり存在とは何かを定義できなければ 我々が如何に存在しているかも説明しにくいと思うのです。

ぜひご自分の意見として 簡潔にお書き下さい。どういう語感なんですかねえ 存在って?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

存在というものを定義することは現在ではできないということ
だと思います。
学問において解明されていないからです。そういったものは、
「不可知」(非知という人もあります)として、追求すべきでな
いとする立場すらあるようです。

私流に表現すれば、久遠の昔からあり、未来永劫まであり続け
るもの、ミクロでは、素粒子から原子、細胞、人体、マクロで
は、地球、太陽系、銀河系、大宇宙まで、重層的に存在するも
のーー
これが「存在」即ち「宇宙」、「生命」ということになろうか
と思います。

自然科学がこれを解明することは、将来もないと思います、哲
学において、これを解き明かし、人々に認知されることは、あ
りうると思います。

「存在性思想」はこの生命観を志向しているように私には感じ
られます。

Q「考えること」と「哲学すること」の違い

「考える」と「哲学する」とは違うものでしょうか。同じものでしょうか。
違うとすると、何か「哲学すること」に固有の技法、頭の使い方があるのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるものですね。註:天の川が北極星ですね。
「「哲学する」にはなにか固有のコツや方法があるのでは、
ということですが」 「ありますね」
そのひとつはあなたの持っている知識や常識をすべて白紙に戻して再度論理的に考えてみる方法ですね。これは何故・何故という方法ではないですよ。まず頭の中をすべて見直して納得できるものと納得できないものを分類し、納得できるものについて更に何を根拠に納得したかを見直すのです。その根拠を白紙に戻し、それを繰り返す方法ですね。納得できないものについては書を読み根拠を探すのですね。その中で納得できるものがあれば、同じ過程で見直します。
このようにしてあなたの頭の中の金歯を捜すのですね。一個もないときはすべて捨てて学びなおしですね。やってみればわかりますが殆どがごみ知識ですね。ごみ知識をふるいにかける過程を「哲学する」といってもいいですね。
追加の参考まで

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるもので...続きを読む


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