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戦後70年を迎えてもなお中国、韓国の抗日的姿勢は変わらない。
関東軍の行いが悪かったのだろうが

おなじ日本軍が台湾や東南アジアでは、日本軍の評判は良かったということを聞く
理由はどうあれ他国に進出したわけだからよく思わない人達もいるが
同じ日本人が何故中国人、韓国人にひどい扱いをしたのだろうか
なぜ、台湾、東南アジアではしなかったのか?

お互い言い分はあるだろうが、その時代から中国人、韓国人が
日本に対する接し方が違ったのだろうか?

私祖父は満鉄駅長として父も満州に住んでいたが
祖母から聞いた現地の中国人はとてもいい人たちで、祖母も性格上差別しない人で
当時は満人を家に招き入れることはしなかったらしいが
祖母はよく呼んだらしい、まあ駅長に少しでも雇って貰いたいため当時は貴重品の卵などを
自分たちは食べずに持ってきたらしい
だから祖母から聞く満人は良い人だったと、しかも終戦後も襲ったりされずに親切にしてくれたという
ただし、大連で学生だった父は中国人は怠け者で痰をあちこちはき出し、汚くとにかく嫌いだという

質問に戻るが同じ日本人が何故、行った国での評判が真反対の違いなのか知りたい。

A 回答 (4件)

マレーシア在住です。


基本的に、こちらの人は親日といわれおり、特にイスラム教徒のマレー民族の人は良いイメージを持っていると通説では言われます。確かに、普段接している分にはそうなのですが、そのマレー民族の方からも『地元で知人が強制労働させられた。どういういきさつでそうなったのかについては把握していないものの、正直、日本軍に良いイメージは持っていない』言われる事はあります。


ただ・・・上記のような意見はどちらかというと想定内で、日本人として謝意を示す(知人は歴史的事実を確認したいだけで、特に謝罪を求めているわけではない)事で話は済むのですが、想定外の話、たとえば、

『日本人って本当に賢い!第二次世界大戦の時も自転車を使ってマレー半島をうまく攻略したって聞いてるし・・・』
『(田舎の古老から楽しそうに)占領下で週6回日本人がいる小学校に行って、『愛国心』と軍歌を学んだよ~!(その後この軍歌知っているかい、と色々軍歌を学ぶ・・・)』

のような「日本はアジアを植民地支配から解放」「日本人は戦争で悪いことをした」という日本人が普通考える良い評判or悪い評判とは異なる、どうにもコメントしずらい昔話を聞かされる事が多く・・・悩みます。


中国、韓国の日本のイメージの悪さは向こうの政治や教育のおかげだとは思うのですが、意見が極端になるのは、こんな感じの「日本は良いことをした/悪いことをした」では片づけられないエピソードがたくさんあって、それが教育や時の政治家のちょっとした発言によって良いイメージ(上の話でいえば「自転車で攻略するとは当時のイギリス植民地政府に比べて賢い」)になったり、悪いイメージになったり(上の話も「自転車で侵略するとはこざかしい」といったイメージになる可能性も)するのでは、と思ったりします。
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台湾や東南アジアでも日本軍の評判は悪かった。

台湾を平定する際、日本は毒ガスまで使っている。

大日本帝国が唱えた「大東亜共栄圏」は禍々(まがまが)しいプロパガンダだったが、戦後のアジア各国独立の契機にもなった。とは言え、「日本が独立させてやったのだ」などと恩に着せると、ネトウヨに転落する。
なぜなら、「戦後の世界はアメリカ中心に回っている」という現実認識を欠いて、戦前戦中並みの妄想に耽っているからだ。例えばインドネシア独立を概観しよう。
1945年に日本が降伏して第二次世界大戦が終わると、インドネシアは独立を宣言した。しかし、宗主国のオランダが戻ってきて、インドネシアと戦争になった(独立戦争)。泥沼化するとも思われたが、アメリカがオランダに「戦争を続けるなら援助を止めるぞ」と言い渡した。
第二次大戦で疲弊した西ヨーロッパ諸国は、戦後、アメリカから莫大な援助を受けていたのである。オランダはそれを打ち切られたくなかったので、しぶしぶインドネシアと戦うのをやめた。

これこそ、インドネシア独立の決め手となったのであり、それを知らない日本人が多いらしいのは不思議である。戦後の世界はアメリカが中心だったのだから、「インドネシア独立に関しても、日本よりアメリカの影響力が大きかったのでは」と調べてみる気にならないのは、怠慢ではないか。
そして、戦後の世界は第二に共産勢力中心に回っていた。インドネシア独立に関してもそれが見られる。インドネシアの共産主義勢力が、独立闘争を支えた。
だいたい、共産主義のように非道(ひど)いものが、なぜ第二世界(いわゆる東側諸国)だけでなく第三世界(発展途上国)でも勢力を張ったか。彼らは、独立闘争などになると侮れない強みを発揮するからである。共産党には、「民主集中制」、「政治将校」などの仕組みがあるのだ。
インドネシア独立を果たしたスカルノも、共産党の影響力を認め、気配りせざるを得なかった。のちにスカルノは失脚し、代わってスハルトが政権を取ると、インドネシアは反共国家に転じた。

そもそも、日本がインドネシアを侵略する前から、スカルノらはオランダの植民地支配に抵抗し闘争していたのである。その後、日本が引き起こした太平洋戦争が、「インドネシア独立の妨げにはなっても、助けには全くなっていない」と言えば、へりくだり過ぎでもあろう。しかし、「日本のおかげでインドネシアは独立できた」というのはキチガイである。事実はその中間、「一つの契機ではあっただろう」と思われる。
日本が降伏したからこそ、インドネシアは独立できた。大東亜共栄圏も共産主義も、いわば暴風雨であり、独立の地固めには役立った。「雨降って地固まる」である。
1960年、国連総会で「植民地独立付与宣言」が採択された。「外国による人民の征服、支配及び搾取は、基本的人権を否認」するものであり、「国際連合憲章に違反」していると、高らかに宣言された。長年にわたって暴威をふるった植民地主義は、ついに公式に否定されたのである。

私の好きなインドネシア―インドネシア歴史教科書「日本軍占領時代」
http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/b …
〔引用開始〕
インドネシアの高等学校で使われている歴史教科書の一部を翻訳し、内容を紹介いたします。〔中略〕
2006年6月、メダンのGramedia(大手書店チェーン)で購入したもの。記述の対象となる時期は、1942年の日本軍による占領時代開始から現在まで。高校3年生向け。〔中略〕
日本による占領期間は短かったとはいえ、長期にわたったオランダ時代に受けたよりも遥かに重い苦しみをインドネシア国民は体験することとなった。〔中略〕
よく見てみれば、日本の方針は反生産的(つまり、目的と結果でお互いに矛盾している)であるように見える。つまり、食料増産のための努力は、次のような原因のため失敗した;〔中略〕
多くの地域で飢饉が発生した。〔中略〕
つまり、日本によって占領された他の地域と同様に、インドネシアはその国民が極めて苦しめられた国であったと言えよう。日本民族による残虐行為は西欧民族が犯した残虐行為を超えていた。〔中略〕
インドネシアでの日本による搾取は天然資源に対してだけではなく、人的資源に対しても行われた。〔中略〕
労務者の動員はしばしば非人間的なものだった。労働環境は劣悪だった。重労働であり、食料は十分に与えられず、衛生状態も不適切だった。そして厳重な監視下の元、休息時間は短く、ミスは重く罰せられた。多くの労務者たちが、ビルマ、マラヤ、サラワク、ベトナム、ソロモン諸島などの海外へ送られていった。その多くが、送られた先で死亡した。
〔中略〕
また別の側面もあった。〔中略〕
肯定的な影響としては次のようなものである;〔中略〕
d. 多くの青年達が軍事知識・技能を習得した。それはやがて独立を守るための土台となった。
〔引用終り〕

追悼の政治――戦没者慰霊をめぐる第二次世界大戦後の日比関係史(中野聡、国際関係史、一橋大教授)
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/mono/200 …
〔引用開始〕
駐フィリピン大使を務めた湯川盛夫(在任一九五七年六月~一九六一年一月)は、赴任当時の印象について「あらかじめ覚悟してはいたものの、対日感情の悪いことには驚いた。新聞などにも、日本の悪口の出ない日は、めずらしいくらいだった」と述べている。
〔引用終り〕

学びの場.com(事務機器・学校教材の専門商社大手の「内田洋行」の教育総合研究所)
海外の教科書は、日本をどのように教えているか?(堀内一秀)
http://www.manabinoba.com/index.cfm/6,6424,13,html
〔引用開始〕
そこで今回はアジアの国を中心に、海外の教科書が日本、特に戦争時代の日本をどのように教えているか調べてみた。
〔引用者注:韓国、インドネシア、マレーシア、フィリピン、中国、台湾、シンガポール、西ドイツ、ソ連の教科書から抜粋している〕
〔引用終り〕
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>戦後70年を迎えてもなお中国、韓国の抗日的姿勢は変わらない。



ある程度の年齢の方ならご存じでしょうが、日韓ワールドカップのときは、新大久保で日本代表のユニフォームを着た青年と、韓国代表のユニフォームを着た青年が肩を組んで歩いていました。韓国の勝利を青い服を着た青年たちが「テーハミング!」と喜び、赤い服を着た青年たちがその返礼に「ニッポン!」と返しました。日本で韓流ブームがあり、韓国では日本のマンガやアニメが人気だということをお互いに好意的に報じていた時期がありました。
日中国交が回復したとき、パンダがやってきて日本中が大ブームとなりました。上野動物園の飼育員が呼ばれたとき、「このパンダは国賓だから、絶対に死なせてはならない」と厳命されたそうです。メスのパンダ、ランランが死んだとき、「さようならランラン」という歌が作られて売られたほどでした。

台湾政府の正式名称は、中華民国です。戦後の台湾政府ができたときの首領は蒋介石です。そうですよ、日本と戦争していた人です。だから、台湾(中華民国)と日本はかつての戦争相手です。台湾政府が親日的な方針になったのは、親日どころか愛日であることで有名な李登輝さんが総統になってから以降です。李登輝さんは愛日どころか激烈愛日といってもいいくらいで、先日「尖閣諸島は日本領だぜ」と発言してさすがに台湾国内でも「愛日にも程がある」と批判されました。それまでは政府はとても親日的な国ではなかったんですよ。特に中国本土出身の本省人が政権を仕切っていた時代はね。
なお、国民感情はそれとしても、台湾政府は尖閣諸島については領有権を主張しています。今は日本と割と親密な関係ですから尖閣諸島を巡って首を突っ込むことはありませんが、領有権を放棄するとは一言も口にしていません。
また、台湾にとっては日本より中国の方がよほど重要な貿易相手です。言葉も通じますしね。

インドネシアも最近は親日的ですが、昔田中角栄首相がインドネシアを訪問したときは確か反日デモがあったはずです。まあ40年も前の話しですけどね。

親日とか反日とか、まあ時の政権の態度次第でなんとでもなるものだと思いますよ。どこまで本当か分かりませんが、おトナリの国の大統領も本当は反日じゃないんだけど国内の政治的立場から反日にならざるを得ないなんて週刊誌の記事もありましたしたね。今の首相なんか、日中日韓関係どころか日米関係まで冷え切らせちゃって、なにやってんだよと思いますけどね。
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特亜地域での歴史背景が多分に理由にあり宗主国と属国関係に長くあった歴史があります。


また日本が世界的に今まで政治家が何もしてこなかった問題も多々あります。
戦後の教育問題・GHQの占領政策もあり一筋縄ではありません。

ただ武力を行使するだけが戦争ではなくプロパガンダの利用・反日的日本人の育成などすれば
長い間で見れば崩壊していきます。
思想の誘導に見られる日教組問題・宗教問題もあります。
挙げればキリがありません。

国益という理由から見れば工作して中から破壊活動をする方が派手に武器を使用するより効果的なのです。嘘も百回言えば真実になるという考えが大きく関係しています。
日本人から見れば嘘は嘘で変わらないのですが知らない他国からすれば嘘が広まり真実に化けるのです。それを今までしてこなかった政治家にも問題がありますが反日日本人が多くの問題を起こしています。

基本的に旧日本軍の規律は厳しく厳罰です。
B級戦犯しかなかったのに東京裁判ではA・C級を追加し一方的な懲罰を与えたのもアメリカです。
原爆で何十万人と一般人の殺戮をし日本家屋の破壊の為に焼夷弾を作り
春の風向きを利用し追い込むように東京で空襲を行って大殺戮をしたのはアメリカです。


今現在世界的に見て日本人の評価はどうでしょうか。
そこからも普通に考える事が出来ると思います。

細かい事実・背景などはここでは無理もありますので調べてみてはいかがでしょうか?
パラオやインドや台湾などで多く聞かれる親日理由はどこから来るのでしょうか?
先人達の行いの評価が今に繋がってるのです。

余談ですが1936年51年と2回にわたりヴァチカンでは宗教行動に該当しないとも
靖国神社に対して通達してます。

ここでは書ききれませんので親族や戦中を生きた人に良く話を聞いてみるべきでしょう。
動画や解説したサイトなどを見ることは簡単です。
生きた声を聞ける最後のチャンスです経験した声を聞いてください。
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