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江戸時代の税率と、現在の税率。
江戸時代は初期の不安定な時代を除いてください。現在は相当江戸観が変わってきているそうですが、それも含めて知りたいです。

今、何にでも税金がかかり、もう実質どのくらい収入を政府に取られているのか分からないほどなんですが、実際何パーセントくらい取られています?
源泉引かれて、消費税払って、年金払って、健康保険払って、そして車や家があればさらに取られ…

それで、政府が行う公共投資の差、江戸時代と現在、どれだけ社会にまともに還元されているのかというのも知りたいです。


まず年収中央値でどのくらいなのか知りたいです。
江戸時代であれば、皆さん何円換算の給料をもらっていたのか、分かりますでしょうか?
江戸時代はえたひにんが税を払っていたのであればそれも含め、現在は税金を払っている解雇者無職者も含めた中央値が概算でも良いので、できれば知りたいです。

つまり、現在のように派遣の人の暮らしほど逼迫した人々がこんなに無数にいたのか?どっちが人間として生きていられたのか。等々の判断材料にしたいです。(現在30%が非正規労働者で、その中の数パーセントは技能職で高給を取っている人もいるとは思いますが、その割合はごく僅かだと思います。私も派遣経験者です。恐らく皆さん逼迫されていると思います。それに、リストラは非常に身近なものになっていて、正社員でも離職すれば一気に逼迫、転落する状況を見て…不安は増すばかりですが…)

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A 回答 (4件)

”実際何パーセントくらい取られています?”


   ↑
国民負担率なら41、6%です。


江戸時代ですが、これは藩によって異なります。
4公6民、5公5民が標準と言われていますが、
農業技術の発達による生産性向上や
隠田の開発などにより、実質3公7民、場所に
よっては2公8民、などという処もありました。

このように農民の生活はどんどん向上していきます。
だから物価は上がります。
これに対して武士の収入は同じです。
だから、武士、特に下級武士の生活はどんどん貧しく
なっていきます。
拝領した土地を貸したり、内職したりすることになります。

増税など出来ません。
当時の文献には、百姓の了解を得ないと何も決められない
という記載が残っていたりします。

また、年貢さえ納めていれば良いのだから、
百姓ほど気楽な商売はない、なんてことも
言われていました。
(NHK 高校講座 日本史より)

かつては、マルクスの進歩史観に汚染されて、百姓は
地獄の苦しみみたいなことが言われていましたが、
最近は実証研究が進み、百姓は意外と自由で豊かな
生活をしていたことが判明して来ました。


”まず年収中央値でどのくらいなのか知りたいです。”
    ↑
これは難しいですね。
武士と百姓、商人、町人でそれぞれ違うでしょうし、
現代と物価も異なります。
身分間の違いよりも、身分内の違いの方が大きかった
ということは言えますが。

大工 270万
商人 430万
武士 200~300万 ?
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J004.htm
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この回答へのお礼

こんな面白いホームページがあったとは。ありがとうございます。
「身分間の違いよりも、身分内の違いの方が大きかったということは言えますが。」
これは想像が付きますね。小作人などは、いわゆる農民階級の庶民で、この層が一番多かったのではないかと想像されますよね。

これは持論なんですが、小作人が虐げられていたという逸話もあるような印象ですが、逸話が残るって事は、それは「当時のニュースになった出来事=珍しい出来事だった」と捉えることもできると思うんです。実際はそこまで困窮していなかったのかなぁと…しかも、小作人が一斉に蜂起すれば、公務員と化していた武士だけでそれを簡単に抑えることができるとも思えませんし…もし蜂起されれば、甚大な被害を被り、中央から領地召し上げの可能性もあるかもしれませんし…
「百姓の了解を得ないと何も決められない」
これは納得できそうです。

ホームページを拝見させて頂いても、中流階級~下流階級がもしその通り現在の中流と同じような年収感覚だったとしたら…当時の単純な社会構造を鑑み、今ほど困窮することもなかったかもしれません…村社会での助け合いもあったはず。

派遣だともう少し下…でしょうかね?
困窮した幕末にかけての武家と同じくらい?
ホームページの内容に沿うなら、今は逆の状況なのがちょっと面白いですね。公務員ほど収入が約束される職業はない…。しかも、恥ずかしいことをしたら、自ら腹を斬っていたわけですから、そういう人たちに支配されるのはちょっとうらやましいぐらいかも…。

もっと下の使用人、下人などの身分の人の総数や生活はどんなものだったのか。西洋の奴隷のように扱われていたのか、それとも労働力として、言い方は悪いかもしれませんが、家主の財産として大事にされていたのかなども興味がわいてきます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/24 19:54

幕末の通貨増発は、金銀の交換比率が国内と国外で大きく異なっていたためにそれを修正しなければならなくなり、仕方なく結果として通貨の大幅増加とインフレに繋がりました。


詳しくは
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/zairyou/ …
にあります。

幕末の金銀貿易交換比率の推移
 1854年・日米和親条約で日本通貨と米国通貨の交換レート:1ドル銀貨=1分銀で、日本に有利な固定レートだったので、幕府には大きな貿易黒字になりましたが、1857年にアメリカ側が不利な交換レートの改定を要求し、下田条約でやや日本に不利な銀の交換比率に改正しました。交換レート( 1ドル銀貨=1分銀3枚)
 しかし、ここで大問題発生、幕府の小判と銀貨の交換レート1両小判=4分銀が国際的な交換比率と比べて3倍の価値の差あった為に、海外の金銀交換比率:金1=銀15、幕府の金銀交換比率:金1=銀5であったことから、日本で金を仕入(小判3枚=ドル銀貨4枚)れて、国外に持ち出すと(小判3枚=ドル銀貨12枚)価値が3倍になりますので、1ドル銀貨と1分銀3枚が交換され、小判が1分銀4枚と交換されて海外に大量に流出します。(安政のゴールドラッシュが発生)
 幕府は金の流出を止める為に小判の金の含有量を減らして、小判(通貨)の価値を下げることで日本からの金の流出はとまりますが、貨幣価値の減少は物価の上昇となって下級武士の生活を困窮させて、攘夷運動が盛り上がることなり、明治維新に繋がっていきました。

増発の加減が難しいと思うかもしれませんが、そうでもないと思います。インフレ率が2~3%程度になれば止めればよいだけです。ただし、バーナンキなどはインフレ水準目標を提唱しています。デフレで上がらなかった物価の水準を取り戻すために、少々インフレ率が高めになっても構わないという考えです。十数年もデフレが続いている日本では、もしデフレでなかったら今頃物価水準はどのあたりだろうと考えて、そのレベルまで物価を上げる。これはちょっとやりすぎになるかもしれません。しかし、計量経済学を駆使しシミュレーションをすれば、どこまでやればどれだけのインフレ率になるかを予測できますから、リスクはほとんどありません。

アベノミクスでは日銀がお金を刷って、国債を大量に買うということで、刷ったお金は今銀行にありますが、それは国民に渡っていません。国民に渡すには政府が国債を発行し、金融機関に売ってそのお金を吸い上げ、それを財政支出として使えばよいだけで、減税や介護、医療、福祉、教育、防衛、研究開発等に使えば良いわけです。刷ったお金ですから将来世代へのツケにはなりませんし、将来世代もいくらでも刷って使うことができます。これは江戸時代と変わっていません。
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この回答へのお礼

そういえばなんかそんな条約がありましたね。不平等条約的な感じで習った記憶があります。
なるほど、いつ習ったか忘れましたが、大人になると理解出来ますね。そういう事だったんですか…。これは、幕府が悪いとも言い切れないですね…。黒船で泡喰ってるところに、海外列強の国際経済の流入みたいな?
勉強不足を攻めるのも酷な気がするので、ある意味なし崩し的にインフレ、倒幕ですか…。なるほど。

そうですね…ただ、インフレを金融的に起こすことでどう変わるのかがどうも想像できないんですよ…インフレは経済の結果なのか、それとも何かの原因、原動力となり得るのか…
江戸時代の場合も、経済成長期も実際に開墾され、或いは実際に産業が進んで、結果的にインフレの状態が進んだ、つまり社会のパイが増えることで、国民の給料も上がったという風に見えるのですが、逆にインフレを先に強引に起こすことで、何か構造が変わるのかな?という、いわゆる一般人の疑問です。

お金の価値だけ下がり、物価が上がってインフレになっても…つまり給料が増えても支出が増えるだけであまり何も変わらない気がするんですよ。


あと、アベノミクスの件ですが…
アベノミクスはおっしゃられるように増税しちゃってるんですよね…消費税以外でも、かなりいろんな税率をいじっているそうで…
ド素人でも、「ますます国民の財布が固くなり、社会の雰囲気は沈み、物が飛ぶように売れるような好景気は今後味わえないだろうな」「そう思う国民が増えて、ますます社会派沈んでいくな」と言うのが分かる、デフレスパイラルに燃料補給するような一番マズイ手を打っていると思うんです。さらに企業は減税ですよね。

「企業はどうせなんだかんだ言ってたいして給料は上げてくれないだろうな」「とても、企業減税した効果だけで、今後の日本の補償制度を支える利益が出るようには見えないよな」「ますます老人国家になり、若者は殺されるな」と言う雰囲気も出てしまえば、ますますお金は流れなくなり、子供も作れなくなり…
そうなれば、増税による税金の増収も数年だけのことになる…
もしそうなれば、さらに数年後日本の経済規模は縮小した状態で、さらに難しい舵取りを迫られる。
子供も産ませていないので、高齢化の歯止めはもう利かない。
そういうわけで、海外の人を日本に呼ぶ。ますます労働力は安くなり…
国の補償制度の予算も劇的に増えていく…

素人でも分かるバカをやっているようにしか見えないんですよね…
うーん…やっぱり派遣に落ちたら数年か数十年後は死んでねって感じでしょうか?(苦笑)

国民のその下層の1/3もの人の経済活動が縮小したら、日本は今までのように立ちゆかなくなるのは火を見るより明らかなんですが…
昔の自民党のような凄い政策があって、そして戦後復興という凄い産業需要がある時代とは違うんですよね…アベノミクスも昔の自民がやったことに比べたら…「税率いじってみました」程度では…

数年後はヤバイかもですね。
今の当たり前が、数年後にもあるのかな?等と思いますが…終身雇用の時代からたった20年?10年?程度で劇的に変わった。数年後、10年後、まだ豊かな日本であることを祈りたいですが…

お礼日時:2014/05/26 00:06

どの時代も同じですが、税金を集め使っているだけでは市中に出回るお金は増えず、経済は拡大しません。

金、銀を掘って通貨を増やしたり、採掘に限界が出てくると改鋳を行い金銀の含有量を減らして通貨の量を増やしていました。それにより税金は大幅に軽くできたわけです。以下に歳入に占める貨幣改鋳益の割合(%)を示します。

 年     割合(%)
1840    41.2
1841    51.4
1842    35.6
1843    25.6
1845    33.3
1854    25.3
1855    25.3
1857    25.1
1861    49.6
1863    52.3
1864    70.3

現代でも通貨を発行し税金を軽減することにより経済を拡大することはできますが、政府はもっぱら増税に頼る方針のようです。結果としてデフレで経済は縮小し、国民は貧乏になっていきつつあります。こんな国は世界で日本だけです。アベノミクスはそれを克服しようとして出発しましたが、増税により腰砕けになる可能性があります。
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この回答へのお礼

なるほどなるほど、黒船がやってくる頃に一気に増刷したというわけ?ですよね?それまでは増刷しても限度を守っていたから安定していたと?そんな感じでしょうか。
確かに、増刷によるインフレというのはアリかもしれませんね。加減がめちゃくちゃ難しそうで、世界経済と繋がってしまっている今現在、これをやるとどうなるのか…と言ったところでしょうか?

難しいことは分かりませんが、少なくとも今の政治家、自民党も含めてですが、やらせるのはちょっと怖い感じもします。今の大臣は…確か1万円配った人ですよね?光栄の信長の野望やってますみたいな。減税すればいいだけなのになぜか…??

当時は、徳川が自己責任で日本を支配していて、ミスれば徳川ももろとも傾くという構造でしたが、今は政治体制がちょっと違ってて…ホント何をやらせるのも怖いというのは否めない感じもします…
ここ10年の間に政府側の怠慢でとんでもない損失を出した事件が何件かあったと思うのですが、それらも何かうやむやだし…

かといって、このまま放って置くと、ジリ貧なのは間違いない。そこで増税して一部業種に再配分(実際は減税で、お金を再配分する方向は年金とか国保とかだと思いますが)…これがアベノミクスですよね?
その一部業種が、2倍3倍業績を上げれば、何年か後に国民にもお金が行き渡るみたいな?
もしかしたら海外企業がちょっと来てくれるかもみたいな?
おおざっぱすぎるかもしれませんがアベノミクスってこういう事ですよね?
実際は自分の政党や自分自身の支持層を狙っての政策だというのは、勿論根幹部分にあるとは思いますが…

どっちも怖いですね…
国民が豊かなら、相対的に国は強くなる、つまり政治家達も豊かになるのに、それをしようとはしない…自分の支持基盤になる人、業種以外は見えない政治家達…

赤ちゃん増やしてくれるのが一番安心な政策な気がするのですが…ただこれも、地球の環境面的にどうなのかというのもあろうし…どちらにせよ、アベノミクスの方向性は真逆ですよね?相対的に若者殺し。もしかしたら、何年か何十年か後に、若者にお金がまわるかも政策ですよね…
もしかして、今の世界って、思った以上にやばいかも…

お礼日時:2014/05/25 11:18

江戸時代は四公六民と言われて、土地の面積から割り出された収穫高の4割が年貢として幕府に収められることになっていました。



しかし、農民の方も馬鹿じゃないので、基準となる土地の面積などをちょろまかして、代官様の台帳にのる石高を低く誘導したそうです。

新井白石という人が実際の耕地面積から換算してみると、実効税率で28%だったそうです。

現代日本の農民が殆ど税金を納めず、消費税で支払った税以上の補助金を貰って、実効税率がマイナス状態になっていることを考えると、江戸時代の農民は大変良い納税者だったと言えるでしょう。

この回答への補足

何かの皮肉?
ジョークや風刺なら、もう少し唸れればうれしいんですが…
申し訳ない、何度読み返してもこの文章の意図するところが分かりませんでした…

補足日時:2014/05/24 15:52
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この回答へのお礼

現代日本の農民が殆ど税金を納めず?
聞いたことない話ですね??
ちょっと意味が分かりません。

お礼日時:2014/05/24 15:34

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Q江戸時代の税金について

江戸時代では庶民からどのような方法、名目で税を徴収していたのでしょうか?

農民から収穫した米を年貢として納めさせるシーンは時代劇などで馴染みがありますが、江戸に住む普通の町民や商人からはどのように徴収していたのか、あまりイメージが湧きません。

江戸時代でも所得税や住民税などが存在していたのでしょうか?

ご回答よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

江戸時代の町(チョウ)の税金について最初に上げられるのが地子です。これは、町屋敷地にかかる税で、農村の年貢に相当しますが、城下町を形成するときに商工業者を集めるためや、為政者の加恩として地子を免除することが多く(城下町の多くや・京・大坂など)、江戸も地子免除(地子免許)でした。
さて、それ以外には小物成りに類する税。御用金。人夫役に類する税。現在の住民税に近い町入用などがあります。
小物成りは高外地に課税される税の総称で、農業以外の産業にかかる税でした。農村・都市を問わずに、土地収益に関する山手・川手、産物に関する漆年貢・茶畑運上、商工業者に関する問屋運上など、名称・種類が多くあり、町にも関係する小物成りもありました。その中には分一と呼ばれ売上や収穫の何分の一かの形で税率が決まっていたものが多くあります。市場の売り上げの1/20もしくは1/30を納めた市売分一のように多くの売上や収穫に薄く、広くかけました。売家の場合にも分一がかかりました。
小物成りに含まれるものとして、冥加・運上がありました。後代になると両者は一定の税率(対象により税率が違う)になるなど同じようになります。
冥加は、村の年貢にあたる地子を免除された御恩(冥加)に対して、そのお礼の意味でも冥加の言葉は使われ、最初は自主的な献金の形式をとりますが、その後定率納税の形になります。町では商工業者の営業免許税の性格が強く、個人上納だけでなく、株仲間上納がありました。金納なので冥加金と呼ぶこともあります。
運上は農業以外の商工業や林業・漁業などの従事者に、一定の税率をかけた一種の営業税で、金納なので運上金とも呼ばれました。
御用金は、幕府・諸藩などが財政不足を補うために窮民救済などの名目を立てて臨時に御用商人などに臨時の賦課です。本来は借用の形式ですが、返済されなかったり、利子分は献金に切り替えさせるなど、臨時の課税の性格が強かったものです。
次に労役(夫役)がありました。近代以前の納税には米などの物納と、労働力提供の形式があり、労役も納税の一種でした(小物成の一種としても考えられていた)。江戸では町人足役と呼ばれ、町人に課された夫役で、上下水道の整備、城郭や堀の清掃、防火などの都市機能を維持発展させるためや、幕府のために働く人足を出すものがありました。代銀納されることも多くありました。夫役の中心的なものは公役(クエキ)で、上記の目的で町人に付加されたものです。代銀納の場合賦課の基準が定められていました。土地20坪を一小間とし、日本橋などの中心部では5小間、芝などでは7小間で銀30匁とされ、借家人の分も含め地主が支払いをしました(店賃の中に含まれると考えられた)。
また、夫役の中には国役と呼ばれ、職人が江戸城の建築などに年の数日無償で従事する夫役がありました。これは戦国時代に大名が必要物資を確保するために職人を集めて大名に奉仕させたことに直接には由来します。江戸幕府も職人を集め、一定の町(職人町と呼ばれる)に住まわせ、地子を免除するかわりに普請や武具の納入などをさせる夫役です。後に代銀化し、棟梁などの頭役がまとめて納入するようになります。
最後に、現代の地方税、住民税にあたるとされる町入用があります。町は商工業者でもある地主・家持の本町人で構成された自治的な組織で、町役人である町名主などの役職や、寄合所・事務所である町会所、町の独自の掟である町法を持つのが普通でした。この町の町名主などの町役人、木戸番・火消等の人件費。町内の道路普請費用。その他町を運営するための運営費、事務費などの使われる費用でした。これは町名主に納めました。
以上ですが、江戸(他の都市も同じ)では、地借・借家・店借は、地主の町人に地代や店賃を支払うだけで他の負担はなかったが、長の運営には参加できませんでした。

地子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%AD%90
地子免許
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%AD%90%E5%85%8D%E8%A8%B1
小物成
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%89%A9%E6%88%90
分一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E4%B8%80
冥加
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A5%E5%8A%A0
運上
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E4%B8%8A
御用金
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%A8%E9%87%91
夫役
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E5%BD%B9


以上、長くなりました。参考まで。

江戸時代の町(チョウ)の税金について最初に上げられるのが地子です。これは、町屋敷地にかかる税で、農村の年貢に相当しますが、城下町を形成するときに商工業者を集めるためや、為政者の加恩として地子を免除することが多く(城下町の多くや・京・大坂など)、江戸も地子免除(地子免許)でした。
さて、それ以外には小物成りに類する税。御用金。人夫役に類する税。現在の住民税に近い町入用などがあります。
小物成りは高外地に課税される税の総称で、農業以外の産業にかかる税でした。農村・都市を問わずに...続きを読む


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