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先の「天皇の戦争責任?」の問いかけについて、色々なご意見を頂き、ありがとう御座いました。改めて自分が不勉強、研究不足である事がわかりましたが、非常に参考になるお話を沢山頂戴し、考える事がまた増えました。以下はあくまで感想文で、問いかけは無いですが、ご意見あれば、是非お願いします。

「戦争責任」と言う言葉は、実はかなり曖昧な言葉でしたね。例えば、始めた責任、指揮した責任、止めなかった責任、長引かせた責任、迎合した責任、負けた責任、勝った責任、等等、色々な責任があり、戦争に対する何の責任?がこの言葉では明確では無い。更に、誰に対する責任、と言う点も曖昧です。日本国民に対する責任、諸外国への責任、裁判所に対する責任、ご先祖様に対する責任、等々も曖昧ですね。政治家とかもこの言葉を使わない方が良さそうですね(逆か、政治家だから使うのか)。もうちょっと正確に私の質問を言い換えると、「天皇は戦争において、命を捧げる象徴でありながら、未だに天皇として残っている事について、日本人は何故自然に受け入れられるのだろう?」と言う疑問でした。

つまり日本国民に対して戦争に関する何の責任も問われない、と言うのは、ちょっと変じゃない?と言う所ですかね。天皇制度、立憲君主制度、王政云々の議論を別にして、心情的・感情的に何の怒りや憤りを感じない、と言うのが不思議だったんですよね。あの大地震以来日本人は真面目だが、実は結構あっけらかん、と言うか良い意味でも忘れやすい人達なんだろうな、と感じてますが、この話にも通じるのかもしれませんね。昔から台風、地震、津波、雪等の災害に晒されてきているわけだから、生きる術として覚えてきたのかもしれません。それが日本人の良い所かもしれませんが、海外の人から見ると、真面目で良い奴なんだけど、ちょっとKYな時がある、的に映る場面があるのかもしれませんね。

所で戦争に関する評価が進まない一つの理由は、その後の日本の発展にあったのかもしれませんね。つまり、その後日本が辿った軌跡を振り返れば、負けて良かった、と言う整理もあるかもしれない。太平洋戦争後に繁栄を見せたのは米国と日本で、被害国として訴えている中国は、共産宣言で列強からの独立を果たせたものの、大躍進・文革等で衰退、韓国(朝鮮)は朝鮮戦争を経て国を分断された悲劇はありますが、その後国内地方同士での喧嘩が横行し復興も遅れた。敗戦国なのに、戦勝国よりも良い状況にあるから、何を反省すべきか見えにくくなっている、と言うのも多少あるかもしれないですね。努力してきた自負も手伝っているかもしれません。

ただ、所謂「人道に対する罪」的な行為があったならば(特定の行為をこの定義に当てはめる際、議論を呼びますが)、恥ずべき事として反省すべきですよね。ま、今は正に斯様な行為があったのか否かアチコチで議論になっていますが。ここの議論は敢えて今入っていくつもり無いですが、南京事件や慰安婦連行と言うのは色々言われてますが、少なくとも一定規模であったのでしょうね。全く無かった事実では無いはずと思うんですよね。であれば、これについては謝り続けても良い感じはしますね、「あれは悪かった。日本も当時必死だったけど、あれは違うわな。末端の管理不行き届きでした。」、みたいに。

所で、誰も喧嘩に負けたくないし、「あの時~~すれば、戦争に勝てたかもしれない」と言う意見もありますが、果たして日本は戦争に勝っていたら、同じ様な繁栄を実現できていたのでしょうかね。ゴルフ回った後の懇親会でのタラレバ議論じゃないですが、あの戦争の先にユートピアが待っていたとは思えないんですよね。大東亜圏が成立したとしても、やはり資本主義・民主主義・自由主義がもっと発展していた西欧列強と再度争いがあったかもしれませんし、結局遠回りして今の状況に至るのでしょうかね。タラレバですが。日本は美しくて、愛おしくてたまりませんし、日本人としての誇りもありますが、やっぱり西欧の思想・哲学の方が進歩的と言うのは認めざるを得ない、と感じますね(人類は、現状維持・退化より進歩すべき動物と考えてます)。悔しいですけど。

因みに、良いか悪いか別にして、英国が世界中を植民地に仕立てた様な事、特に全く異質の文化で、しかも自国から遥か彼方にあるインドを安定的に統治(議論の余地はあろうと思いますが)してた事等、日本人には到底できませんよね(大東亜圏構想は植民地主義では無かった、と言う議論もあろうでしょうけど、ま、横に置きます)。異文化におけるマネジメント能力が、どちらかと言うと不得手と思うんですよね。これは、比較的日本人は西欧人に比べて、欲が無いからと思うんですよね。資源が限られ、災害に満ちた国に生きた我々は、外に向かって不足を補うのでは無く、中で倹約して生きる道を選んだから。勿体ない、控えめが良し、食べ過ぎは駄目、不作に備えて明日・来年の為に取っておく、慎ましい、と言う概念などが美徳になっているのは、まさにそこから来てると思うんですよね。大雑把に言うと、狩猟民族では無く、やっぱり農耕民族と思います。狩猟民族は今日を目一杯生きて、明日は別途考える、と言う感じですよね。

天皇の話に戻りますが、結局人間だったわけだから、相当ストレスを抱えて生きてたのでしょうね。仮に自分がその立場だったら、重すぎて耐えられないと思いますが、天皇は辞めたくても辞められなかったのでしょうね。以下抜粋。

「陛下の苦しみは、東京裁判の開廷と共に強烈なものになったと云う。他国民に与えた人物的損害や自国民に与えた苦痛を原因とする心の葛藤、退位に関するお気持ちをそのまま、御座所でそのまま訴えておられた。それは大変激しいもので、ご自身を責めにせめておられた。 また、侍従次長であった徳川義寛の日記に、以下のような記述がある。東条らの処刑の日。自分の死ぬべくところを代わってくれたというようなご心境であられたと思う、と村井は遠くから陛下のご様子を拝していたが、当夜、天皇が三谷侍従長と交わされた会話について、直接田島長官から聞く機会があった。村井が書き残したメモに従って再現してみよう。
陛下 三谷、私は辞めたいと思う。三谷はどう思うか。
三谷 お上が、ご苦痛だと思し召すほうをこの際はお選びになるべきであります。お上がおいやになるほうを、ご苦痛と思おわれるほうをお選びになるべきであります。(『徳川義寛終戟日記』)」

上の抜粋が本当であれば、興味深いですよね。

因みに私は西欧育ちですが、日本の教育は近代史を軽視している様に思いますが、明治維新以降の日本の歴史を教える事にもっと力を入れるべきでしょうね。日本の凄さ、そして弱さが分かり易いですし、日本人としての意識が強まると思うのです。それより昔の話は、日本の文化を覚えると言う意味では有意義でしょうが、明治以降の歴史を端折ってまで突っ込む事も無いと感じます。近代史をシッカリと理解する事から、誇り高い強い日本人が増えると思います。

A 回答 (6件)

>やっぱり西欧の思想・哲学の方が進歩的と言うのは認めざるを得ない、と感じますね(人類は、現状維持・退化より進歩すべき動物と考えてます)。

悔しいですけど。

●下はとあるインタビューの話です。

「今でも天皇の戦争責任を追及する声が少なくありませんが?」

「問題は、天皇の戦争責任を追及してどうしようということだ。退位させようというのか。では退位させてどうしようというのか。天皇制を廃止して共和制、共産制にしようというのか、だ。
私は天皇は戦争責任を感ずるべきだと思う。
しかし、それは戦争を防止できなかった立憲君主としての道義的責任であると思う」

「天皇には戦争犯罪人としての責任は無いと思いますか?」

「無い」

「閣下が言うフェア原則によれば、天皇に責任が無ければ閣僚、大将にも責任が無い事になりませんか?」

「それは違う。政治の責任と権限が与えられた者は、国家と国民に対して責任を負わねばならない。彼らは君主と国家と国民に不幸を与えた」


○このインタビューで質問をしているのは日本の戦史研究家、児島譲氏です。
回答しているのは極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁判長を務めたウェッブ氏です。
東京裁判から20年以上経った1969年に児島氏がウェッブ氏を訪ねてインタビューされました。

質問者様が傾倒するあちらの国の方がこういう事を言っています。
それも日本の戦争犯罪人を裁いた東京裁判の裁判長がです。

確かに思想が進歩的ですね。

それに真実を突いてる。
特に閣僚、大将ら権限のあった者が君主(天皇)、国、国民に不幸を与えたと判断しているところなど特にです。

このインタビュー記事は1991年に文春文庫から出版された児島譲氏著書の「天皇と戦争責任」に載っています。

また、同じ本に大戦期、アメリカの国務次官だったグルー氏が、1945年5月28日という終戦三か月にトルーマン大統領に献言した言葉も載せられています。

「…天皇と天皇制が日本の侵略的軍国主義の源泉だと考え、天皇と天皇制を日本から排除しようとするのは日本の歴史を知らぬ者の言う事である。
ほぼ800年間というもの、天皇は京都に位置して実質的に帝位を離れ、政治は将軍たちが運営した。
・・・中略・・・
たとえ裕仁天皇が1941年の開戦詔勅にサインするのを拒否する気持ちがあっても、軍国主義的野望の怒涛を押し返す事はできなかった。
要するに、日本の軍国主義は軍閥から誕生しているのであって、軍国主義者たちにとっては、軍国主義的な天皇は必要ではなく、ただ天皇が存在することで十分である。
したがって、日本から軍国主義者が一掃されれば、天皇は純粋の象徴として新しい指導者たちに利用されて、平和な新日本建設の礎石になるであろう」

グルー氏は駐日本大使であった経験もある人ですが、日本の事をよくわかってますね。
悪い言い方をすれば天皇が単なる象徴で傀儡であった事を見事に看破しておられます。

勿論、当時の日本の国民も天皇陛下が言い方は悪いですが傀儡のような感じだったのは知っています。
だから東條英機元首相が憎まれたんですよね。



ところで・・・

>因みに、良いか悪いか別にして、英国が世界中を植民地に仕立てた様な事、特に全く異質の文化で、しかも自国から遥か彼方にあるインドを安定的に統治(議論の余地はあろうと思いますが)してた事等、日本人には到底できませんよね(大東亜圏構想は植民地主義では無かった、と言う議論もあろうでしょうけど、ま、横に置きます)。異文化におけるマネジメント能力が、どちらかと言うと不得手と思うんですよね。

インドを安定的に統治ですか。
古来、インドでは、50年ごとに大飢饉がくるとの言い伝えがありました。
実際、11世紀から17世紀までに14回の大飢饉が記録されています。
しかし、東インド会社が徴税権を得た1765年から1858年までの約90年間には12回の大飢饉が、イギリスの直接統治の最初の約半世紀の1860年から1908年の間には20回の大飢饉が発生しています。
これ、イギリス人がインドの既存の農業と産業体制を破壊し富を収奪した結果です。
インドの飢饉はイギリスがもたらした蔓延的な人災です。

イギリス人により、それまでの産業を破壊され露頭に迷い、餓死するしかなかったインド人達の職人について、当時のインド総督だったイギリス人のベンディング総督が次のように言っています。
「商業史上、この惨状に比すべきものは殆ど見出せない。綿職工たちの骨がインドの平原を白色にしている」

また、当時のインドの荒廃ぶりを、イギリス人のインド研究家パームダット氏は次のように言っています。
「最も破壊的な戦争、あるいは外国がもたらす破壊の猛威さえも、とうてい及び難いほど徹底したものであった」

人種差別政策もインド統治の柱でしたね。インド人が官僚になる事を禁じたり。
ウェルズリ総督なんて「インド人に嫌悪感しかもたなかった」と言われるほどですしね。
セポイの乱をはじめインドで反英運動が度々起こり、独立を求める運動が止まなかったのも頷けます。
そしてそれを武力でねじ伏せたイギリス。

死と破壊と貧困の上に作られた安定的統治、それをまぁ日本人に真似しろと言われたら、私だったらしたくないですなぁ。

インドじゃありませんが、同じイギリスが植民地にしたオーストラリアなんてもっと酷いですね。
イギリス人達が現地人のアボリジニを殺しに殺しまくって。それもハンティングとしてですからね。
兵士にアボリジニを捕獲、殺害を許可する法律まで作っている。
だからイギリス人が来る前、最大で約100万人いたと言われたアボリジニなんて1920年代には約7万人しかいません。
イギリス人によるアボリジニ虐殺は人がどこまで残酷になれるのかの一つの歴史的な例でしょうね。
1901年にオーストラリアは独立しますが、オーストラリア政府がアボリジニに謝罪したのは2008年なってから。しかも賠償は無し。オーストラリアの人達は凄い思想と哲学をお持ちのようで。

ほんとイギリス人は凄い異文化マネジメントですなぁ。
死と破壊と殺戮の嵐。
日本人にはとても、とても真似できません。私は真似したいとも思いませんが。

しかもイギリスっていうのは、同胞の植民地に対しても凄いマネジメントですからね。
何せ凄すぎて、アメリカの植民地はイギリスに対して独立戦争をしかけましたから。

いやぁとてもとても真似できません。

日本の場合、満州国という植民地があったわけですが、この国を1936年にアメリカの黒人デュボイス氏が訪れています。
この人はアメリカの黒人地位向上協会の人で欧州各国の人種差別の実態を調査した後、満州を訪れました。
彼はアメリカに帰国後、黒人向け新聞に次のような記事を載せていました。
「町は平和で秩序が保たれている。満州においてリンチが起きるなんて想像できない。警察や学校を含めすべての政府機関で満州人が雇用されている。まるで差別など存在しないかのようだ」
デュボイス氏は欧州の人種差別を批判しましたが、日本には好意的でした。
まぁ実際には満州国にも差別はありましたが、アメリカや欧州の国々の人種差別ほど酷くは無かったと言えるかもしれません。

そんなわけで私としては、欧州の人達に比べてマネジメント能力が低くて結構ですよ。別に気にしませんし同じになりたくありません。
狩猟民族の歴史のように、西欧の人達の、あの侵略と破壊の歴史を尊敬しようとか、真似しようとかは全く思いません。
はっきり言って西欧の人達が海外進出しなければ、世界はもっと平和だったんじゃないかと思ってます。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。参考になるお話でした。

所で、異文化マネジメントについて、申し上げました通り、段落冒頭に「良いか悪いか別にして」、「安定的に統治(議論の余地はあろうと思いますが)」と言う事で一応リスクヘッジしたつもりだったので(笑)、あまり議論するつもりは無かったのですが、ここで私が言いたかったのは、イギリスは自国の利益の為の植民地政策に成功していた、と言う事です。その結果植民地側はとんでもない被害を蒙ったかもしれませんが、結果としてイギリスは特した。一方、インド人の中にはイギリス統治によって、インドが発展できた、と考える人もいます(実際、見聞きしてますので。世論を代表するとまでは言いませんが)。つまり、イギリスは自国の国益を追求する事に徹底し、植民地と国際社会の理解を得てきた(或いは文句を言わせてこなかった)。これは日本人にはできないだろうな、と言う事です。

確かに、西欧諸国が海外進出しなければ世界はもっと平和だったかもしれません。ただ、人類の進歩は遅れていたと思います。持論ですが、「欲」が人類の進歩の出発点と思ってます。歩くの疲れた=車、遠くまで行きたい=飛行機、夜も何かしたい=電気、寒い=暖房、暑い=冷房、珍しい美味しいものを食べたい=世界を開拓、等々、基本的に欲を満たす為に人間は色々な事を試行錯誤して発展していくものと思います。では、人類は欲があった方が良いのか、無いほうが良いのか。私は前者をとります(「人類は進歩すべきと考える」と途中別の段落で申し上げたのはその為です)。ただ、環境問題、戦争、人口増加、等々考えると、後者が良い、と言う考え方も理解できなくも無いです(ただ、その場合の世界を客観的に評価できる動物にはなっていないかもしれませんが)。

お礼日時:2014/06/03 16:41

天皇は神だと洗脳された人々が昔は沢山いて、何故か今でもその洗脳が解けない人がいて、つまりはそういうことなのでしょう。



天皇を一個人として、しっかり見てしっかり語ることが出来るようになれば、良いのでしょうけどね。


洗脳された人が洗脳された人の証言を元に語ってる状況が、特にここの回答者は多いですね。一般の人で洗脳されている人はそれほど多くないのですがw
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前回はお礼ありがとうございました。

以下、私もつらつら書いてみます。

私も子供の頃アメリカでの生活経験があります。文化的な違いに対するショックは大きく、アメリカで初めて「日本人」であることに私は気がつきました。それ以来、個人的にずっと「日本ってなんだろ」と考え続けています。

さて、アメリカに行って最初に驚いたことは「アメリカ人は自分の国にとても誇りを持っている」ということです。小学校などでは、国旗に向かって毎朝忠誠の言葉を唱和しますし、大統領などのリーダーへの信頼はとても篤いのが印象的でした。

当時の日本(今から30年ほど前)は日教組による教育がまかり通り、日の丸ですらまともに上げないような時代だったからです。

日本人であると自覚した私が一番最初考えたのは「アメリカの大統領に匹敵するほどの日本の代表は誰だろう」ということでした。そこで私が思ったのは「そうだ!天皇がいるじゃないか!」ということでした。

日本に帰ってきた私は、自分で日本の歴史や天皇について調べます。当然最初にぶつかるのは「戦争への天皇の責任」というものです。

ところがこれがあやふや極まりないのです。日本の政治的な歴史は責任をあいまいにしていることが多いのですが、特に太平洋戦争の開戦については「誰に責任がある」というのがほとんど改名できないぐらい、あいまいな意思決定で開戦している、というのが本当のところなのです。実に恐ろしいことですが、明確に○○が「開戦するのが正しい!」と主張して、それにみんなが賛同して開戦が決定した、といことではなさそうなのです。

また、もうひとつ日本の奇妙さは意思決定というか責任機関が2重になっていることが多い、ということです。

もっとも頻繁な例で言えば武士の「目付」というものです。一人の人がある任務で誰かと交渉するときに、必ず目付けがいて、ふたりで一人の使命を果たしていました。外国から来たペリーなどもこの制度を奇妙に思って記録しています。

また、幕末長州藩の藩主毛利敬親は「そうせい候」として有名で、家臣の進言に対して「そうせい」としか言わなかったといわれています。

これは多少馬鹿にした言い方なのですが、当時の日本の政治権限のあり方を見ると、天皇も周辺の公家が奏上した内容を追認するだけ、徳川の将軍も老中が纏めた政策を追認するだけ、とかなり広い範囲で「権威」と「権力」の分散が図られていたように見えます。

これのような「権威」と「権力」の分散は非常に日本的な特徴であるといえます。

なぜなら、日本以外の国では、国の権力と別の国の権力が争うのが戦争であって、負ければ征服されて、征服されたほうは国の権力機構がなくなればよいほう、場合によっては「勝者の権利」で民族が滅ぶことがあったのに対して、日本の戦争や権力闘争は常に「天下を誰が取るか」ということだったからです。

これは、日本国内の権力争いが常に「天皇家が統一した日本を誰が運営するか」ということで、ここに究極の「権威=天皇」と「権力=勝者」の分離が見られるわけです。

外国では通常一体化している「権威と権力」が日本では分離しているのが大きな特徴でしょう
またはイギリスなどで見ると「権威は教会・権力は王」と権威が宗教的な勢力にあるのに対して、日本では権威も権力も政治的な勢力にあるように見えるのが特徴です。

で、天皇を「政治的な権力」とみるから「天皇責任」がでてくるわけです。

実際のところ、日本の天皇が本当に「政治的な権力」であったのは、朝廷誕生から鎌倉幕府成立まで、もう少し足掻いても南北朝の終焉をもって、天皇の政治的統治能力は失われた(完全に委譲された)と見るのが普通です。

この委譲された権力を狙っておきたのが戦国時代であり、最終的にこの権力を手中に収めたのが徳川家であります。その後250年間もの間、天皇家は徳川家の世代交代を支える「権威」でしかなかったわけです。

ところが、尊皇攘夷の気分が盛り上がり明治維新がおきると、天皇に権力を戻す動きが起きるのですが、実際に明治憲法ができてみると、やはり天皇は権威で権力は大臣が輔弼している、日本的な政治体制になっているわけです。

日本においては「常に権力の2重バックアップが働く」というのが、天皇制を解く鍵である、と思います。

日本人はこれらのことを意識してやっているわけではありません。しかし、根回しとか腹芸とか、本音と建前という2重構造も、同じような役割を果たしているといえないでしょうか。

このような構造の世界観からすれば、なんとなく天皇には責任があるような、でもやっぱり無いようなという結論に至っていくわけです。

面白いのは、これを指摘している人は結構居る、ということです。司馬遼太郎氏も指摘していますし、前都知事の猪瀬氏は「帝の肖像」の最初で「皇居の周りを回る車や各省庁の建物を見ていると、実態のない権威を中心として回る日本の象徴のように見える」とかいています。

日本人は、天皇家が昔々日本を統一して、この国の形を整えてくれたこと、古い時代から日本人はそれに協力してこの国をひとつの国として存続させてきたこと、それを無意識の中に記憶しているから、戦後すぐでも天皇の御幸には人々が集まったのだと思います。天皇からみれば「このような状況を許したのは私の不甲斐なさだ、許して欲しい」であり、民衆の気持ちは「先祖代々のこの国を守る、という天皇家との約束を果たせなくて申し訳ない」であったと思います。

アメリカ人であれば、元々が移民の国ですから「俺が、または俺の父ちゃん・じいちゃんが星条旗に忠誠を誓ったから、俺はこの国を誇りに思ってこの国を守る」というでしょう。自分で国を選んだという責任感です。
もし、このような国への忠誠の気持ちが千年つづいたら、と想像してみてください。そしてその御旗は星条旗ではなく天皇家であったとしたら、西洋的な考えでも分かりやすいのではないでしょうか。

1千年以上おなじ国体がつづく国「日本」だからこそ常に天皇家は民衆に敬愛され、長い間に特殊な権力構造ができて、太平洋戦争に負けても天皇制を維持できたのだと思います。

今の日本人は「西洋的な考え方・近代的な考え方」でしか物を見ることができません。千年のパースペクティブで見ないと分からないこともあるのではないでしょうか。

この回答への補足

長文コメントありがとうございます。参考になります。千年単位で見るのは容易ではありませんね(笑)。

確かにおっしゃる様に意思決定は皆でする場面が今日でも多いですよね。責任の所在が明確にならないはずで、最後は皆が悪かった、皆で反省しよう、となりますね。因みに先の津波で福島県で悲劇が起きましたが、これについても誰も責任を負っていないのも実は不思議だと思っているんですよね。

これが日本人の性質と言えばそれまでですが、もやもや感が残りますね(それもまた心地良い時ありますが)。しかし戦争の最終評価を下せない国民は、同じ様な苦しい戦争を再度引き起こす可能性はあるのでしょうかね。或いは、皆「なんとなく」戦争はしたくない、と言う総意が形成されているから、大丈夫でしょうかね。
これでは諸外国から「考えが分かりにくい」、と言われても仕方ないかもしれませんね。

補足日時:2014/05/31 21:40
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残念ながら、何回読んでも質問が分らない…。



天皇は、自分の出来る範囲で、戦後の全国行幸で、責任を果たしています。

戦争の各種責任は、臣下のトップ達が、天皇に責任が及ばない様に、自己責任として、受けています。

太平洋戦争は、アメリカに、目障りにになった日本が戦争をする様に、陥れられた結果です。

日本の戦争のお陰で、東南アジアはもちろん、中国、韓国、北朝鮮の建国が叶っているのです。

感謝されても、文句言われる筋合いは無いと、私は考えます。
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前の質問で回答(No4)して、お礼(のような何か)をいただいた者です。


(前の質問へのリンクくらいは示してください。)

【天皇の戦争責任?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8614338.html


ここは ぼくのいけんはっぴょう の場ではありません。
あなたの「主張」の為に真面な質問が流れるのは迷惑です。

今回も「思い付いた言いたい事」を語らせて頂きます。
尚、質問者様からの評価は期待していません。
受け手に能力がなければ言い方に配慮しても無駄ですし。


>「天皇は戦争において、命を捧げる象徴でありながら、未だに天皇として残っている事について、日本人は何故自然に受け入れられるのだろう?」と言う疑問でした。
>心情的・感情的に何の怒りや憤りを感じない、と言うのが不思議だったんですよね。

当時の日本人は質問者様が思う程、感情で暴走する愚か者ではありません。
なので、天皇に責任はないと思っているからです。
(でなければ憲法による法治や民主主義などできません)

日本は立憲君主制である帝国憲法を制定し、国家元首(天皇)の権力を制限(実質無力化)し、個人の感情で政治が動く専制君主国家ではなく、文明国であることを示しています。
である以上、戦前は神格化された絶対権力者という教育はしておらず、国民もそんな認識はしていません。
よく歪曲された情報を語る方がいますが、天皇が神格化されたのは、終戦前の一時期のみです。

それに、どの国でも戦時中は戦争の遂行が最優先となり、その為にあらゆる手段を使います。
実態として象徴がない国は(自国に都合の良い解釈の)「自由」や「正義」を使います。

天皇が戦後も受け入れられているのは、それらとは別に↓のように国民から愛されていたからです。

昭和天皇は戦後に国民を励ます為に全国を行幸しようとしました。
GHQは敗戦国の指導者が歓迎されるとは考えられず、行幸をすれば罵声や石が飛んできて、天皇の地位は失墜し、自分達の占領政策にプラスになると思って許可しました。
しかし、現実は日本中で熱烈な歓迎を受け、GHQは非常に驚いたそうです。
(行幸先で「昨日の鰻はうまかった」といったら、その後のお泊り先には毎日鰻が届いた という話もあります。陛下は喜んでいましたが、お付の者達はうんざりしたらしいです)

【昭和天皇の広島巡幸_1947.S22.12.7_背景に原爆ドーム】


【昭和天皇とマッカーサーの会見を通訳官が証言】
https://www.youtube.com/watch?v=inE1DSH0jrk



>あの戦争の先にユートピアが待っていたとは思えないんですよね。

根拠も示さずに想像を語るのは自由ですが、
質問者様は、大東亜戦争の原因となった経済封鎖やハルノートは、日本が悪かったからで、されて当然の事だと、西欧の学校で教えられているのでしょうか。

タラレバ議論じゃないですが、それらを受け入れれば日本は明治維新の時の農業国まで戻ると思います。
その場合の国力では、独立や国際社会での地位の維持は不可能で、今より素晴らしいユートピアが(確実に)待っていたとは思えません。



>少なくとも一定規模であったのでしょうね。全く無かった事実では無いはずと思うんですよね。であれば、これについては謝り続けても良い感じはしますね、

証拠のない事に謝罪する必要はありませんし、するべきではありません。

【参戦勇士九人が語る「南京事件」の真実】
https://www.youtube.com/watch?v=OHaZh901LqA

それに、質問者様は、前の質問での私の「講和条約」の説明を理解したうえで、仰っているのでしょうか。

質問者様は西洋暮らしがご自慢のようですが、
向こうでは 謝罪=非(犯罪の事実)を認める だと思いますが。
それに法学や裁判制度の本場である西洋の方が↓が徹底していると思いますが。

裁判や議論では【告発側の立証責任】(告発側が被告の有罪の証拠を出す義務がある)が常識となっています。
なので「事実でないという証拠がない」という屁理屈は通用しません。

一方で無実の証明は不可能とされています。(何も無かったなら、起らなかったという証拠すら存在しない)
これは【悪魔の証明】とも言われています。
そもそも訴えられたという理由だけで、被告が苦労して潔白の証明をしなければならないこと自体が理不尽です。
以上から、被告は原告の証拠を否定できさえすれば無罪となります。

証拠としての資料についてですが、よく証言をそのまま証拠として論理を進める方がいますが、
↓の理由でそれだけでは証拠にはなりません。

A1:自称当事者(被害者)=本当に被害者とは限りません。
A2:本当の当事者(被害者)だとしても、全ての証言が事実とは限りません。
以上から、検証されていない証言に、証拠としての能力は全くありません。

更に、証拠がないのは関係者が証拠を隠滅したからだという主張もありますが、↓により無効です。

B1:証拠・資料を隠滅したという証拠はあるのか。
B2:B1が事実としても、処分された資料の中に証拠となる物があったという証明はできるのか。
B3:B2が事実としても、それが証拠能力のある資料である証拠はあるのか。
(資料=証拠能力があるもの とは限りませんし、処分した者が証拠になると思っていた資料=本当に証拠能力がある でもありません。)


それに、中韓とは国交回復時に、戦後処理を済ませています。
他国にも条約による賠償をしています。
(実は日本ほど、戦後処理をしっかりした国はありません。)
韓国については、そもそも謝罪や賠償の必要すらありません。(実際賠償はしていません)



>異文化におけるマネジメント能力が、どちらかと言うと不得手と思うんですよね。

差別や圧政による支配を「マネジメント能力」があるというなら、私は無能で結構です。

1857年のセポイの反乱へのイギリスの対応
タイムズ紙は「キリスト教会の破壊1に対し100のヒンドゥー寺院をたたきこわせ。
「白人殺害1に対し、老若男女を問わず1000人の暴徒を死刑にせよ」と報復を訴えた。
事実、イギリスは、みせしめのため捕虜の集団銃撃や焼き殺しなど、珂責ない弾圧と虐殺を行った。

イギリスではありませんが、西欧諸国のオランダは↓の愚民政策を350年間行っています。

1:人民を文盲のままにして各地の土侯(サルタン)を使って間接統治した。
2:異民族(アンボン人、ミナハサ人、バタック人)をキリスト教に改宗させ、警察官や軍人として登用。
そして、オランダとの混血児を作り中間階級として使い、民族の分断を行った。
3:流通経済は華僑にやらせ、搾取への憎悪は華僑に集中させた。
5:インドネシア人による一切の集会や団体行動を禁止した。
(3人以上での立ち話すら許されず、反乱罪で処罰された)
5:国民の統一を阻止する為に、320の種族語を放置し、どれかを標準語に設定する事を許さなかった。


「インドネシアの中学3年用の歴史教科書」
 「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」



徳川義寛の日記の何が興味深いのか知りませんが、
(本人以外の推測による記述も入っています。「天皇辞めたい」というのも「メモに従った再現」ですし)
仮に事実でも、会社を倒産させた社長の個人的な責任感とどう違うのでしょうか。
それらを公のもとを比較して語る意味があるのでしょうか。
バイトだって、ミスで勤め先に損害を出せば責任は感じます(少なくとも私なら)



>因みに私は西欧育ちですが、

日本人とは限らないということですね。
それに、その欧米の歴史教育は↓だそうですし、そもそもアジア史をどの程度教えているのでしょうか。
そして、その内容は事実なのでしょうか。

英国とフランスの歴史の半分は、双方の悪口。
ドイツの歴史も英国とフランスの悪口だらけ。
北欧の場合は特に凄くて、フィンランドやバルト三国の歴史は八割以上がロシアの悪口。
(フィンランドの歴史などは、スラブ(ロシア)との闘争 の連続でした。)
他のヨーロッパの歴史も程度はあってもそんなもの。



>日本の教育は近代史を軽視している様に思いますが、明治維新以降の日本の歴史を教える事にもっと力を入れるべきでしょうね。

私も歴史は幕末以後を重視するべきと思っています。
しかし、今の日本はGHQの占領政策による自虐史観教育に染まった教師が多い為に、その為の時間数を与えてしまう危険もあります。

【日本人弱体化計画~国際法と文明を無視した一方的蹂躙】
https://www.youtube.com/watch?v=ruahswrCctw

【東京裁判史観の呪い~歴史問題で日本が勝利できない理由】
https://www.youtube.com/watch?v=xzksJvbtyp8
「(続)天皇の戦争責任?」の回答画像2

この回答への補足

コメントありがとうございます。回答者様は、辛口でいらっしゃるけど、リンクを張っていただいたり、長文回答もいただいたり、実は結構優しい方ですね(笑)。色々参考になります。

天皇は日本人に愛されているから、国民は怒りも憤りも無い、と言う事ですが、正に、何故日本人は天皇を愛せたのか、が元々の疑問です。例えば、回答者様は天皇を愛してますか?私は、一定のリスペクトと存在意義は認めますが、愛しているとまでいるか自信が無いです。こう思うのは私だけですかね(回答を求めているわけではないですが)。

また、回答者様は「ミスで勤め先に損害を出せば責任は感じます(少なくとも私なら)」とおっしゃってます。つまり、天皇は責任を感じて然るべきだったと言う事ですか?

天皇は責任を感じるのは当然、一方で国民から責任を問われないのも当然、と言うのは不思議な状況ですよね?正にこれを理解したいのです。

因みに日本人です、私は。また、海外育ちは自慢じゃないですよ(笑)。

補足日時:2014/05/31 21:08
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昭和天皇は自ら戦争の責任を取ろうとしてます


自身でも「この戦争の責任は朕にある」と述べていますよ?
ただし 周りが認めなかった
また マッカーサーも日本統治のため天皇の責任を黙認しました
せめてもの罪滅ぼしに昭和天皇は全国行幸をおこなっています
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

お礼日時:2014/05/31 21:12

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