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いつか子どもは大人になります。
逆に大人は子どもになれる(戻れる)のでしょうか。
子ども心を取り戻すことはありますか。

ウィキペディアの記述なので本当かどうかは分からないのですが、こんなものを見つけました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BA%BA% …
>『大人計画』の名前の由来は、子供時代にいい思い出がなかったという松尾スズキが「初めから大人でいいんじゃないか」ということでつけたものらしい。


大人は子どもになれますか?

A 回答 (14件中1~10件)

>子ども心を取り戻すことはありますか。



自分の中の子供の心を見つけることができたら取り戻せます。
見失う人がかなりいると思いますが、本当は無くしてはいませんから。

多くの人は、年を取ると子供に戻ります。
大人の時代を忘れて行くにしたがってですが。


>大人は子どもになれますか?

子どもを手放さない人と、子どもを諦めて封じ込めた人と
子どものままの人など、通常世間にはいろいろなタイプの人がいます。
どの意味で子どもになれるかを問われているのか分かりませんので、なんとも言えないですね。


私の場合、子どもの部分は自分の中心核であり
大人の部分は後天的なもので、伸び代かつ成長の記録のようなものです。
未だ毎日勉強します。楽しいので。

資質も関係するでしょうが、どういう生き方を選ぶのかは重要だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
色々なタイプがいるのですね。
歳によって大人の時代を忘れるから子どもになっていくという話は知りませんでした。

無責任で申し訳ありませんが、子ども心というのがよく分かりません。
どの意味での子ども心かは、回答を下さった方次第です。

お礼日時:2014/06/10 21:16

お礼、ありがとうございます。



>もう少し俗らしく言えばわくわく感というところでしょうか。

まさにその通りです。
毎日ワクワクがあります。
ポイントは、自らが感動に心を震わせることです。
小さな感動を、しっかりと味わい尽くすのです。

意識的に生きることを無くしては、ちょっと良かったななどと感じたことを
当たり前のように流して過ごしていたら、楽しさへの感覚は鈍くなります。

楽しさや嬉しさにアンテナを立てて過ごすことです。
多くの人は、嫌なこと上手くいかないこと・諦めなどにアンテナを立てます。
自分が楽しいこと嬉しいことの方が好きなら、自らでアンテナを立てることです。

自分で素直になって、好きな方を選んで行くだけです。
自分に正直に生きることを選ぶことだけです。
その目線が、どこで生きて行こうと楽しさを見つけることができると思います。

自分に正直に忠実に生きること。
自分の問題から逃げなければ、そんな生き方は可能だと思います。

そのポジションに自分を持って行くのも、自分以外あり得ないのです。

自分にぬるい妥協や言い訳や逃げることを選ぶ前に
しっかりと自分の本心と向き合う必要はあります。

正直には覚悟が必要ですが、後悔する人生がいいのかを
自分に問いただしているので、私は後悔しないを選んでいるだけです。

自分と向き合い自分に問うこと。
本心を選ぶこと。
それは、いつからでも始めることが出来ることができると思います。

自分の子ども心を大切にし、自分が自分に自由でいさせるためには
常識や固定観念から抜け出して、問題を起こさず楽しく生きるには
ポイントをつかんで、日々実践に身を投じることですよね。

文章に起こすと大げさに見えますが、翻弄されないので
日常は穏やかでのんきに過ごしております。
葛藤を抱え込まないので、何かを取り組むことに苦難はつきまとわないのです。

最初は自分の中でいろいろありますが、自分を乗り越えれば
その後は楽しい豊かな人生かなと思います。
一番の問題は外に無く、自分の内側にしか無いのですから。

誰しも自分の人生です。
好きなものを選ぶことだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/15 10:32

子供が大人をバカに出来るようになるのは当たり前なんですよ。



大人は大きいんだから強い、子供は小さいので弱い。体力的にも技的にも。
しかし、目覚めたばかりの人は悪をなすことなく立派であった。
悪は克服されない弱さから来るものと思うので、
子供はいつか知恵なり力を付け大人を克服し
子供は大人より先の未来を幻想ではなく現実として知る。

子供の悲劇はいつか大人になって克服される。
でも大人の知識を蓄えるにつれ注意力を欠いて
弱さ(悪)を認識したうえで克服されなかったことが
真として強に克服する可能性があるのか。
それは偽りか、せめて喜劇に出来るぐらいなもの。

弱い大人になるぐらいなら、眺めて楽しんで貰える大人になりなさい。
と我の背中を見せてあげてます。

しかし意に反し子供は「バカになりたくない」よう。
自虐してでも人を喜ばせなければ人間としてどうか?という親である。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/14 00:42

お礼、ありがとうございます。



あたかも子供の頃に戻るような認知症については
他の方が書いていらっしゃいますので。。。


>無責任で申し訳ありませんが、子ども心というのがよく分かりません。

質問内で言われていたので、自分の子ども心に意識を向ければ
「これだよな」と思えるものを提示しました。
5歳の時も、今も変わらない部分ですね。

無知でわがままで身勝手な部分とかではなく(そこは単なる無知ゆえの未熟)
純粋な好奇心や楽しみや、創意工夫や成長の喜びとかですね。

飽きないですね。
ファーブルが昆虫を観察するように、エジソンがフィラメントを探すように
好きな人が毎日星の観察を記録するように、世にあるものに飽きないですね。

一見同じようだと思っていても、日々違うのですよ。
わずかな変化が、やがて大きな変化に・うねりに潮流になるのを
見ているのも、変化を投げかけるのも楽しいのです。

おそらくは、飽きない興味と好奇心の原動力が
私の子ども心からきていると思います。

無くしたことも見失ったことも無いので、無くしたと言われる人が
どんな気持ちで過ごしてあるのかは分かりませんが。

ただ、ディズニーランドや遊園地などが楽しいと思える人は
無くしていないように思います。
本当に無くしているなら、大人は遊ばないで生きて行けるように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>無知でわがままで身勝手な部分とかではなく(そこは単なる無知ゆえの未熟)
>純粋な好奇心や楽しみや、創意工夫や成長の喜びとかですね。

多分そんな感じですね。
もう少し俗らしく言えばわくわく感というところでしょうか。
kanto-iさんの生き方が羨ましいです。
私は、成人後に毎日で面白いことを探そうと、色々新しいことに挑戦したり、変わったことをした時期がありました。私の場合は子どもには戻れませんでしたね。


私の両親が「大人は遊ばない」と昔言っていたのを思い出しました。今にして思うと、どういう意味だったのかなと感じます。
それと、生き急ぐというものは良いものではないというような内容をどこかで見た記憶がありますが、
今ならなんとなく分かりそうです。

お礼日時:2014/06/14 00:37

それが多分痴呆でしょう。


昨日出来た事が出来なくなり、日々記憶さえ失ってゆく。

正しく子供から大人への段階を逆に辿っていると言えます。
最終的には自力で食事も排泄もできなくなる…これは生まれたての赤ん坊と同じ状態ですね。
その時の老人は純粋で無垢な正しく赤ん坊のような状態だと思います。

ただ、介護する周りは大変ですけど。
子育ては日々向上しますが、介護は逆ですから…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/14 00:20

何をもって「大人、子供」と定義されているのか分かり


ませんが、少なくとも生物学的な「生殖可能になる年齢」
や戦国時代のような「戦力として有効な腕力」や「戦術的
判断のできる認識力」ではないでしょう。
そんなものが「子供に戻る」事は不可能です。

社会の組織化が発達し、自己の生命が社会的に拡張する
上で、自己の素直な感情やダイレクトな環境認識によって
生きる(「社会的に拡張」の自覚化=自律的生)ではなく、
社会的に処理された二次的情報(アメ(お金や出世)とムチ
(法規、モラル)によって他律的に生かされる)に操られる
ようになる事を、そうした他律的社会に適応するという
意味で「大人になる」というのであれば、意味を成す。

しかし、その事(他律的に生かされる)自体が、自我の
真の目覚めが不完全(自己チュー、自己顕示etc.)である
=コドモであるがゆえの必要悪(人生を通算した充足量の
最大化においてベスト(自律的な生)ではない)なのだから、
それからさらに認識を深めて、自分の感覚と社会的必要
が一致して素直に生きられるようになる事こそが真の自我
の目覚め=「大人」になる事であって、今の大人の方が
他律的に生かされている幼児に過ぎないのだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/14 00:19

過去に戻ることはできないでしょう。


しかし子どものような状況やありようにはなれるかもしれませんね。
しかしそれはあくまでも子どもではなく、″子どものような”という意味ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/14 00:18

なれないんじゃないかな?



知識や常識の積み重ねが、いろいろ行動を阻害するしね。
あんなに無邪気になれんような気がする。


でも、大人になれなかった見た目だけ大人の子どもはいるよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
「常識」とか、そんなの面白くないよという思いや、そんなことより資格試験がとか、色々考えてしまいますね。

一方で、色々積み重ね、感受性も豊かになった(?)現在の自分が子どもになったら当時より多くのモノが見えてくるのではないか?などと今思いました。
小説を書くわけでもないのに、こういうSFチックな空想をしても仕方がないのでしょうけど。

お礼日時:2014/06/10 21:49

>大人は子どもになれますか?



否。

年寄りが若者に成れるかってのと同じ質問じゃ。答も同じじゃ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/10 21:44

どうしたって戻れないでしょう。

大人は、お菓子を取り合ったり、オモチャで楽しんだりすることは出来ません。
ただ、言葉の綾として、童心に帰るということはあります。古い幼馴染に会い、昔を懐かしむなどするとき、思わず童心に帰り、当時のあだ名を呼んでしまった、など。
もしかしたら、幼心は心の底に眠りについただけで、消え去ってはいないのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やはり子ども時代とは状況が違いますよね。
私は小学生の頃友達と野原で秘密基地を作って遊んでいましたが、今作っても面白いわけがありませんし、コロコロコミックも今読んで面白くありませんし。

小学校低学年の頃、近所のお姉さんに遊んで貰っていましたが、あれは一人じゃ色々な事が出来ないから「遊んで貰う」と言うことが成り立っていたのですよね。
今はせいぜい、行ったことのない飲み屋へ、会社の先輩に「連れて行って貰う」くらいです。

童心を忘れないようにしたいです。

お礼日時:2014/06/10 21:44

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