太平洋戦争で硫黄島や沖縄では米兵も多数傷ついたのは分かるのですが、そのた日本軍が玉砕した島々での戦闘はどうだったのですか? 日本軍の銃器を見ているとその数、質ともに圧倒的に劣るため、攻撃されるだけされて、あれでは戦争では無い様に思えますが、実際はどうだったのですか?

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A 回答 (11件中1~10件)

<米軍の圧倒的虐殺的攻撃><圧倒的に劣るため、攻撃されるだけされて、


あれでは戦争では無い様に思えますが、>と尋ねておられ様に思います。

根本的な点は、日本軍とその兵士には「降伏」と「捕虜」と成ることが
許されておらず「最後の一兵」まで戦わなければならなかったことです。
こう云う相手に対する米軍は、圧倒的な武力で最後の一兵を倒すまで
攻撃したのです。結果は<虐殺的>なものでした。

「降伏」と「捕虜」に成る事を禁じたのは、東条英機が陸軍大臣の時に
示達した「戦陣訓」です。戦陣訓には
<恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々
(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚
(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を
残すこと勿(なか)れ       
— 『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」>
とあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%99%A3% …

この戦陣訓は1942年以降は各兵士の持つ『軍隊手牒』に「軍人勅諭」と
共に印刷され、周知徹底されました。*

太平洋戦争の捕虜第一号は、真珠湾に特殊潜航艇で出撃した酒巻大尉です。
出撃した10名から彼を除く9名は軍神として「靖国神社」に祀られ、
彼の家族は非国民扱いされました。当時出征した兵なら誰もが知っていた
事実です。

そういう状況下で、武器が有ろうが無かろうが戦わざるを得ず、
蹂躙される様に倒された兵士、恨みを呑んで餓死した兵士とその遺族に対して
国を免罪するのが靖国神社です。

*手元に亡き父の軍隊手帳が有ります。日華事変が始まる頃のもので
 軍人勅諭は印刷してありますが、まだ戦陣訓はありません。
*苦学生で土方のアルバイトをした時、ある現場で図体の大きな鼻を垂らした
 オッサンが昼休みに直立不動で何かをゴチョゴチョ呟いていました。
 知恵遅れの方で、皇居の方を向いて軍人勅諭か戦陣訓を暗唱しているのだ
 そうです。戦後25年以上経っていました。ちなみに、軍人勅諭は2700
 語です。
 後日、父に尋ねたところ、知恵遅れであろうが何であろうが、文字通り
 ビンタで叩き込む。それが軍隊だそうです。
 
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確かにあれは虐殺ではありますが、そもそも生きるか死ぬかの戦闘ですから基本手を抜いて戦うことはありません。

そもそも米軍からすれば草むらや地下壕に潜んでいて近づいたら襲ってくる日本兵は脅威ですから、圧倒的な火力をぶつけるのは当たり前です。
ただし米兵個々の日本兵に対する虐殺(降伏した日本兵射殺等)は、脅威に感じていたというよりも「猿野郎を殺せ」的な差別観からくるものがありました。全員ではないですが…。
では結論ですが日本軍という「窮鼠」は死力を振り絞って米軍という「猫を噛む」といった状況が度々あったため、硫黄島や沖縄等で徹底的な掃討(虐殺)が行われたのです。

あとssssanさんの言われるバターン死の行進は当時の日本軍の状況を客観的に見てないですね。そもそも当時日本軍は度重なる戦闘に補給が薄れつつあり、食料はおろか医薬品すら足りなくなり始めてました。更に日本軍歩兵は基本徒歩で移動しており、数万の捕虜を移送できるトラックなんて用意してません(そもそも日本軍からすれば数万の敵が一度に捕虜となるなんてかんがえてませんでした)
そんな状況で捕虜を移送しようとすれば当然炎天下のなかとはいえ徒歩しかありません。つまりあの状況で日本軍はなんとか捕虜を移送しようとしたが、炎天下による脱水や医薬品不足が重なり結果的に多くの捕虜に犠牲が出たということです。
というか捕虜をとったら条約だの人道だのが面倒だから殺せば良かったとか何様だナチ公?
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質問者さんーー太平洋戦争の定義知ってますか―?知っててこの呼称使ってたら勝手にして下さい、知らなかったら、この呼称は米だけが使ってる呼称を戦後日本教科書に入れただけです、メディアはむ米の目かそれぞれの社の意思かは゜分かりませんがそれに従ってるだけですよ。



日本は先の第2次世界大戦は大東亜戦争ですよ知らなかったら記憶して下さいね。


米公の軍は功勢に転じて島伝いに攻めてくる時は日本兵捕虜は情報持ってる兵以外は皆殺しでした戦闘で戦死と言う事で捕虜取れば食料から虐待からジュネーブ条約で面倒に成るので日本軍が白旗上げてても構わず攻撃してました、む弾打ち込んでましたね、記録は幾らでも探せば有ります。

日本軍でせ有名なのは米兵パキスタン兵等の捕虜を収容所まで移送の例の約10万捕虜移送のバターン死の行進ですねでBC級戦犯として消えましたが、米軍のま様に戦闘で戦死にしてれば何にも問題有りませんでしたね。

後戦場に掛ける橋のタイビルマの国境に鉄橋掛けた時の英豪とかの捕虜使用も今でも文句言って来てますからね―東洋人に捕虜使役はよっぽど悔しいのかケチ付けて来てますねー今は当人の子共.孫かな。

ここで捕虜使役させられた人が猿の惑星の原作者ですからねー、映画の猿は日本兵がモデルで。
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日本軍の太平洋戦争での戦没者は230万人。


そしてその半数以上である140万人の死因は、餓死です。
銃器や装備の質・量以前の問題として、日本軍の兵士は、飢えていたのです。

戦時中、軍上層部から異例の通達が全部隊に対し発せられました。
「友軍の死者の肉を食ってはならない」
これがどういうことかわかりますか。
つまり、上層部が認識するほどに「共食い」が一般的であったということです。
敵であるアメリカ軍よりも恐ろしいのは、飢えた友軍でした。
そして日本軍は戦陣訓によりアメリカ軍への投降を許されていませんでした。

飢えて死に(あるいは殺され)食われるか、アメリカ軍に無謀な突撃をして殺されるか。
多くの兵士は、後者を選びました。

戦争末期にはもう戦争とは言えなくなっていました。
日本軍はアメリカ軍より先に、兵站を無視した本国の軍上層部の官僚たちに虐殺されていたのです。
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日本軍の下士官、兵は優秀だった。


士官の指揮が悪く、日本軍は負けた。
戦後のアメリカ軍の評価です。

また、アメリカ軍による日本兵投降者虐殺は、あった様です。
日本軍は、全員バンザイ突撃をして、生存者ゼロは、勝者の作られた歴史です。
日本軍生存者無しで、戦闘模様の全く不明な地域もあります。
そういう場合、唯一の証言は、アメリカ軍によるものです。
戦後70年で、実戦のアメリカ兵達も鬼籍に入り、事実は闇の中に入ろうしています。

日本軍捕虜は殆ど無かった所に、もっと日本を知りたかった情報将校は、日本軍生存者に懸賞金をつけたところ、
ゾロゾロと予定以上の捕虜が、直ぐに集まったそうです。

また、とあるアメリカ兵が、戦利品として恋人に、日本兵のガイコツ(ドクロ)を送って、恋人が喜んでいる写真が残されています。
とても、尋常な事とは思えません。

確かに、『戦陣訓』はありました。
初期の強い日本兵は従ったかもしれません。
バンザイ突撃による玉砕もあったでしょう。
でも、敗戦濃厚となって大量に召集された人達は、『生きて帰ること』を考えてたの証言が多くあります。

サイパンの崖に飛び降りる、婦女子のビデオも残されています。
では、何故、沖縄は、あれだけの人達が生き残ったのでしょう?!
もちろん、ひめゆりの話しは有名です。
生きる事を選択した人達が、多くいた事の証拠だと考えます。

ダラダラと書きましたが、玉砕は、アメリカ軍に作られた物がたくさんあるのでは?と思います。
アメリカ軍の虐殺を隠す為に・・・
ビルマのイギリス軍、南西地域のオーストラリア軍も同様だと思います。

だから、自分達のことを隠すため、戦後の戦犯容疑に隅々まで、こだわったのでは?!
と、私は思っています。


質問者様の趣旨から、外れていたらゴメンナサイ。
日本軍は勇敢に戦った。
玉砕地域もあった。
しかし、僅かな差で負け戦となり、連合軍虐殺により、玉砕とされた地域もあった。



銃器の事は、38歩兵銃は、まだまだ優秀だった。

日本軍の歩兵戦闘は、目標に向かって、中隊長を先頭に、1ヶ中隊が突撃するという、対ソ戦闘しか想定しておらず、教育もそれしかしていなかったからです。
支那戦線は、分駐し、警備討伐戦は、特殊な物で、その戦闘方法も研究されましたが、当初だけは実行できましたが、人事がそれを許さず、定員階級より下級の者が指揮をとり、島嶼戦に即応できなかった。
つまり、日本軍は、太平洋戦線の島嶼戦闘の仕方を、知らなかった。

守備戦闘では、攻撃軍の1/3以上の訓練された守備兵力が最低限必要です。
だから、島嶼戦闘の仕方を理解しはじめたから、硫黄島では、あれだけの戦闘ができたのです。

砲兵戦力は、日本軍は大幅に、アメリカ軍に劣っていました。
日本軍は、歩兵1ヶ大隊あたり砲兵中隊1ヶ中隊が基本でした。
師団もその比率で、連隊があります。
重砲は、軍に配属されるものとしていました。
一方のアメリカ師団は、野砲、山砲自体の能力も優れていましたが、重砲も師団内に大隊として持っていました。
また、1会戦分の砲弾数は、10倍の差がありました。

悲しい貧乏国、日本と大工業国アメリカの差です。
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>日本軍の銃器を見ているとその数、質ともに圧倒的に劣るため、攻撃されるだけされて


それは、いくらなんでも日本軍をなめすぎです。全くそんなことはないです。
米軍も首脳部から前線の兵士までそんなに気楽に考えていた人は一人もいませんよ。

基本的に、ただでさえ攻城戦というのは攻める側が圧倒的に不利な上に、島への上陸戦となると、上陸できる地点というのは本当に限られますから、さらに攻める側に不利です。
また、基本的に、第二次大戦当時の空爆や艦砲射撃では野戦築城して待ち構えている軍隊には、ほとんど有効なダメージは与えられません。(敵の空軍基地や海軍基地を無力化することはできますが)
当時は、上陸側にとっては、敵が機関銃の照準を合わせて待ち構えているところに無防備に上陸する以外の選択肢は全く存在しないです。

また、銃器を見ているとその数、質ともに圧倒的に劣るため、というのも実際にはそんなことはないです。
もちろん、全く予想もしていなかったところを攻められて日本軍側の準備が出来ていなかった場合は別ですが。
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「私たちが想像するより損害を出している」が実際です。



タラワ島の戦いは、期間こそ3日間という短さでしたが、「地獄のタラワ」と呼ばれるほど米軍は苦戦しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9% …

硫黄島の戦いに並ぶ「忘れられた海兵隊が最も苦しんだ戦いのひとつ」がペリリュー島の戦いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA% …
米軍の損害率は40%近くに達しました。一般的に、師団の戦力が30%以上失われると「全滅」扱いになります。


タラワ、ペリリュー、硫黄島、沖縄。これらの戦役を通じて分かったことは、「要塞化された島に対して艦砲射撃も空爆も、ほとんど意味がない」ということでした。もちろん事前の陣地構築が肝心なんですけどね。米軍は上陸開始にあたって島の形が変わるほどに激しい砲爆撃を加えましたが、日本軍の陣地やトーチカを破壊するには、そこまで米兵がやってきてひとつひとつ戦って潰すしかなかったのです。

また意外に思うかもしれませんが、小隊規模の遭遇戦なら、日本軍とアメリカ海兵隊の火力はほぼ互角でした。日本軍側に擲弾筒があると、日本軍有利。もし米軍に迫撃砲の支援がつくなら米軍有利でした。
ただし、砲兵部隊の支援がつく大隊規模以上の戦いとなると米軍有利。師団レベルになると、米軍の師団砲兵は質量ともに桁違いとなるので、フィリピンの戦いのような戦いとなると日本軍不利でした。
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無謀な戦争で、靖国の英霊を量産しました。


日米開戦(ハワイ急襲作戦)は、欧米の日本に対する経済制裁に対しての報復が動機でした。欧米は、満州国デッチアゲまでは日本の中国侵略を黙認していました。上海・南京占領から中原作戦へと、中国全土への宣戦布告無き戦争拡大が、諸国の大きな反感を呼びました。
枢軸三国に対する5ヶ国連合が、今日の国連安保常任理事国です。
日本軍が中国で暴れ回ったので、中国もそこへ参加しています。
トラトラトラ作戦後、アメリカでは急速な軍備拡張が行われ、日本の勤労奉仕同様、多数の米女性も軍事工場で働きました。新型の兵器と弾薬が量産され、日本の人海作戦に物量作戦で臨んできました。
日本軍は戦線は拡張するものの、十分な補給体制は取れませんでした。
開戦後アリューシャン列島のアッツ島占領までは漕ぎ着けましたが、それ以上の対米侵攻は出来ませんでした。米軍が反撃を開始して、最初に奪還したのがアッツ島でした。この時日本軍は、食料弾薬の補給も援軍派遣も出来ず、数千人の将兵を見殺しにしました。
有名なアッツ島玉砕です。これが玉砕第一号です。
それ以来、あらゆる戦線で玉砕戦法が採られました。玉砕すれば靖国の英霊という栄誉が与えられました。インパール作戦などは、雨期の密林を食料も尽きて彷徨い歩き、餓死作戦とも云える惨めなありさまでした。
武器も弾薬も兵糧も医薬も尽き果て、戦傷者の救護もママならぬ中で戦病死者も多数でした。
のっけから無理な戦争でした。
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まぁそうですね。

「戦争やむなし、一年暴れて見せましょう」と言う有名な言葉からも、「勝つ気はなかった」ことが伺えます。


真珠湾攻撃の山本五十六も、成功するとは思っていなかったでしょう。だから、歩兵の上陸舞台を用意していませんでした。(その時、ハワイを制圧していたら大分、戦況が変わっていたのに。)成功しないと思っているなら、何故やったのか意味が分かりません。


そもそも、アメリカと戦争する意味が分かりません。戦争目的は石油の確保です。当時アメリカの植民地のフィリピンに石油って出ましたっけ?謎です。



そんな糞戦争なので、戦略も何もないので現場の兵士の多くが犬死しました。
重要な事は、「何故そうなったか」「無謀な戦争を回避する術はなかったのか」を考える事です。



何でそんな糞な戦争に入って行ったかが、良く分かる本をオススメしておきます。

『嘘だらけの日米近現代史』
http://www.amazon.co.jp/%E5%98%98%E3%81%A0%E3%82 …




(私は糞は糞で糞なりに良くやったとか考えない主義ですが、当時の前線の兵士はかなり健闘しています。例えば、北海道がスターリンに侵略されなかったのは、占守島の戦いで彼らが奮闘したためです。スターリンは北海道まで占領するつもりでしたが「出来なかった」ので、今も日本の国土となっています。)
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>そのた日本軍が玉砕した島々での戦闘はどうだったのですか? 



アメリカの奇襲攻撃ですよ。日本は「この島にはこないだろう、来てもまだ先の事だろう」と思っていたので、まさか奇襲してくるなんて誰も思ってなかったんです、

そうなってしまうと、アメリカ軍の奇襲がわかった時は既にアメリカ軍が上陸してる時ですから、日本兵は手にもてるものだけもって逃げました。
食糧とか弾薬とかの物資はほとんどは置き去りです。

逃げたのはいいが、食料もないし弾薬もないし兵器もありませんから交戦なんてもちろん出来る状況じゃありません。一旦後退しようにも、救援が来る見込もありませんし泳いで他の島に逃げる何てこともできません。

普通なら白旗あげて降伏の状況です。

しかし、日本兵は交戦を選んだのです。
主な方法は夜間のゲリラ戦です。物資がほぼないので正面からの交戦はできないので確実に敵を仕留めるにはこれしかなったんです。しかしアメリカはもう準備万端でゲリラ戦の対応もしていたのであんまり効果はありません。そのうち弾薬がなくなり食糧もついたので、特攻したのです。

沖縄とか硫黄島とかはある程度準備もできてたし上陸も予測できてたし準備も万端でしたが、これがその他の島との大きな違いです。
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Aベストアンサー

作中では30代以降の女性自衛官は出てこないようですが、
 ・(若い?)女性キャラを活躍させる
   主人公とその周囲の女性が活躍する物語ですから、
   彼女たちに「おばちゃん」のような役割を持たせた
 ・特地が事実上戦闘地域なので、実務優先で編成した
   設定上は任期がある士を減らして曹以上を中心に編成
   したことになっているからその年代の女性が少ない。
が理由ではないでしょうか。
   
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B6%E7%94%B0%E3%83%9F%E3%83%81%E5%AD%90

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Aベストアンサー

既に、今まだの回答者で言い尽くされていますが、補足として以下の文を引用します(少し長文になります)。
1944年秋・アメリカ軍統合参謀本部はニミッツ提督の計画ー日本本土の正面攻撃ーを支持した。

テニアンとサイパンから日本へ爆撃飛行をする際にB-29の飛行士が直面した最大の障害は、硫黄島がもたらす致命的な三重攻撃だった。日本への直行路に横たわるその島は、マリアナ諸島と日本の丁度真中にあって、二つの滑走路と一つのレーダー・ステーションを持っていた。
日本に向かう「超空の要塞」(B-29の事ー回答者注)が硫黄島に近づくと、そのレーダー・ステーションは爆撃機の日本到着より二時間前に本土の防衛軍に警報を発した。その上、日本を攻撃する為往復2千500マイルの飛行で北に向かって飛ぶ巨大なB-29は、硫黄島を基地とする、敏捷で小さい戦闘機には簡単な標的だった。
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以上です。

既に、今まだの回答者で言い尽くされていますが、補足として以下の文を引用します(少し長文になります)。
1944年秋・アメリカ軍統合参謀本部はニミッツ提督の計画ー日本本土の正面攻撃ーを支持した。

テニアンとサイパンから日本へ爆撃飛行をする際にB-29の飛行士が直面した最大の障害は、硫黄島がもたらす致命的な三重攻撃だった。日本への直行路に横たわるその島は、マリアナ諸島と日本の丁度真中にあって、二つの滑走路と一つのレーダー・ステーションを持っていた。
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Aベストアンサー

欧州戦線のアメリカ軍死者数
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空軍(陸軍航空隊)    36461  69.9%
海軍+沿岸警備隊     6039   16.1%
合計           183588 63%


太平洋戦線のアメリカ軍死者数
陸軍           41592  22.8%
空軍(陸軍航空隊)    15694  30.1%
海軍+沿岸警備隊     31485  83.9%
海兵隊          19733  100%
合計           108504 37%

どちらの地域か不明    66

総合計          292131

参考まで。
https://blogs.yahoo.co.jp/takeshihayate/38342247.html

Q非SSLアクセスをはじく方法

SSL認証のサーバを運営していますが、
SSL通信を行いたいページでも、
http://~の非SSLでもアクセスできてしまいます。
SSLページと、非SSLページが混在しているため、
ポート80番を閉じることはできません。
プログラムでSSLで見せたいページは、https://~で
呼び出しているのですが、
利用者が自らブラウザで「s」をはずしてしまった事態に、アクセスできない対応を取りたいのです。
プログラムはPerlです。
SSLと非SSLとどのような判別方法があるでしょうか?
ご教授願います。

Aベストアンサー

環境変数で判断すればいいでしょうね。

例えば、SERVER_PORTならサーバーのポート番号になるのでこれが443でなければSSLでのアクセスでないことがわかります。

他にもSSL通信のときにのみ現れる環境変数があるのでそれで判断することもできます。

一例
SSL_CIPHER
SSL_CIPHER_ALGKEYSIZE
SSL_CIPHER_EXPORT
SSL_CIPHER_USEKEYSIZE
SSL_CLIENT_CERT
SSL_CLIENT_VERIFY
SSL_PROTOCOL
SSL_SERVER_A_KEY
SSL_SERVER_A_SIG
SSL_SERVER_CERT
SSL_SERVER_I_DN
SSL_SERVER_I_DN_C
以下略(他にもあります)

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米軍は空襲で積極的に橋を爆破しましたか?
無差別空襲だけが有名で、橋の話はあまり聞きません。

Aベストアンサー

 第二次大戦時の米空軍では、鉄橋の破壊はかなり困難だったかと。
 工場を数十機のB29が空襲して、命中弾は一発もなし何て事が有った位なのですが…。

 なお、時代は下がりますが、航空機による橋梁攻撃だとベトナム戦争時のタンホア橋への攻撃が有名かと。
 (スマート爆弾[誘導弾]の歴史を語る時に必ずと言って良いほど上げられます。)

 この橋は米空・海軍による3年間、800ソーティー以上の攻撃機による攻撃に対して、何度か通行不能には成りつつも素早い修復で攻撃を耐え切った橋です。
 (北爆停止まで耐え切った…。)

 北爆再開後は、米軍の威信に掛けた最新鋭のF-4ファントムII(今でも自衛隊では改良型が現役)とAGM-62 ウォールアイ(テレビジョン誘導滑空爆弾)によってやっと橋桁を落とす事に成功しました。
 (ただし完全使用不可能[ベトナムが復興を諦める程の被害を与えるまで]にするには、上記兵器をもってしても更に10数回の空爆を必要とした。)

 つまり、頑強な鉄橋を破壊するには、ベトナム戦争時の最新鋭機の照準性能と誘導爆弾が無ければ困難な訳です…。

 また、少々な被害だと簡単に復旧されてしまいますし、橋ですから当然内陸で、敵による激しい迎撃を受けつつ攻撃する事を強いられます。

 第二次大戦時の米空軍では、鉄橋の破壊はかなり困難だったかと。
 工場を数十機のB29が空襲して、命中弾は一発もなし何て事が有った位なのですが…。

 なお、時代は下がりますが、航空機による橋梁攻撃だとベトナム戦争時のタンホア橋への攻撃が有名かと。
 (スマート爆弾[誘導弾]の歴史を語る時に必ずと言って良いほど上げられます。)

 この橋は米空・海軍による3年間、800ソーティー以上の攻撃機による攻撃に対して、何度か通行不能には成りつつも素早い修復で攻撃を耐え切った橋です。
 (北爆停止...続きを読む

Q古着=ビンテージ!?

レトロファッションが好きで、よくオークションなどでファッションアイテムを検索しています。
そんな中「ビンテージ」という言葉がよく分からなくなってきました。

ビンテージジーンズとかは年代物で、またその年代に応じて付加価値が付いてくるもの、と自己解釈しています。
ですが古着のサイトやオークションでは商品全てに「ビンテージ」という言葉が付いています。
正直、なにを基準にしてビンテージと呼べばいいのか分かりません。

年代物で古かろうと、当時も今でも流行らない、誰もほしがらないような品もビンテージと呼んで良いのでしょうか?
それとも自分がいいと思った古い物には「ビンテージ」と勝手に言っても良いもの?もしそうであるのなら何年くらい前の物がビンテージになるのでしょうか?
それともビンテージとは経過年数関係無しに、見た目の風合いのこと?

色々考えるほどよく分からなくなってしまいます。
使い方を教えて下さい。

Aベストアンサー

ニューヨークから失礼します。ビンテージは、英語でvintageで、もしカタカナで書くのであれば、本当はヴィンテージとした方が良いのですが。日本のインターネットオークションでこのビンテージという言葉を使っている方がたも本当は、正しい意味を知らずに使っていることと思います。 こういう業界の人たちは、私自身も含めて子供の頃の学校の成績はあんまりよくない人たちですから、今回のような疑問に関しては、あまりを信用せず、ご自分で確認されるのがよいでしょう。
 まず、vintageのvinは、ご存知かとは思いますがワインのことです。つまり基本的な意味の一つ目は、ワインの年代、年代物を表わす際に、例えばThis wine is of 1962 vintage.”このワインは、1962年のものだ。”などと使います。
 2番目には、ある年のワインの出来が良く、しかもすでに数十年の歳月が経っている場合、何年のvintageだ、という言い方をします。
 3番目、車の場合ですが、本核的に自動車が生産されはじめた1917,8年から1930年代に生産された自動車をvintageということもあります。今の大量生産の自動車とは異なって、製造ラインに乗っていこそすれ、大変手間ヒマをかけて創られていたこと車に対する、ある意味”敬称”的な言葉です。もちろんvintage carと省略せずに言うことも多いです。 
 4番目、時計、しかもオークションにかかるような何十年前に造られた名作名品の場合、vintageというものは、製造から百年経っていないものについてを言います。そして百年以上経っているものについては、antiqueアンティークと言います。これはその世界において定義とされています。従って、腕時計が本格的に製造され始めたのは20世紀に入ってからですから、腕時計のアンティークものがようやく登場してきた
ということになります。繰り返しますが、百年経っていないものは、全てvintageと表現し、antiqueと表現をすることは間違いなのです。
 洋服の世界、しかもカジュアルなものであれば、一般には1950年代から60年代にかけて生産され、しかも当時の米国の有名メーカーのものは、大変丈夫に作られていました(私の研究では1963年頃の米国産衣料品の品質水準は世界一でした。)ということで、この時代、
デニムもションヘル機によって織られて縦落ちのきれいな、今のデニムとは似て非なるものであったこともご存知と思います。ということで、
ごく大雑把に、彼らのニュアンスでは、20年から30年くらい前に作られて、保存の程度が良く、当時も名作として定評があって、つまり
デザインもベーシックでトラディショナルなものに対して、vintageという言葉を使用しているように思われますが、如何でしょうか。
 最後に、vintageと同じような意味で使われることが多い、classic
クラシックですが、これも間違った意味で日本では使われています。
クラシックの本当の意味は、”最高品質の”とか”傑作品”という意味
で、古びたとか言ったニュアンスの言葉ではありません。つまりクラシックスーツと言えば、古くさいスーツではなく、最高のスーツというのが西洋における正しい意味になります。
 

ニューヨークから失礼します。ビンテージは、英語でvintageで、もしカタカナで書くのであれば、本当はヴィンテージとした方が良いのですが。日本のインターネットオークションでこのビンテージという言葉を使っている方がたも本当は、正しい意味を知らずに使っていることと思います。 こういう業界の人たちは、私自身も含めて子供の頃の学校の成績はあんまりよくない人たちですから、今回のような疑問に関しては、あまりを信用せず、ご自分で確認されるのがよいでしょう。
 まず、vintageのvinは、ご存知かとは...続きを読む

Q太平洋戦争時、米国や米軍の短波を東京で受信できたか

太平洋戦争時、米国や米軍の短波放送を東京で受信できましたか。
サイパンあたりの電波を東京で受信できたと、何かの本で読んだ気がします。
質問ですが、
1.米国の日本語放送はありましたか。あったとしても一般国民は短波放送を聴くことができませんが。
「東京ローズ」のような人が米国にもいましたか。
2.ポツダム宣言を受け入れるという昭和天皇の「聖断」には、確かな情勢分析があったと思います。
敗色濃厚となるにつれ、天皇には正確な戦況の上奏はなかったらしいので、天皇の情報源にはラジオ(短波受信機)もあったのではないか、と推測している方もいますが、そのような可能性はありますか。戦況の分かるような放送や無線を皇居で受信できましたか。

現代史をまったく理解していない者の質問ですが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

当時、皇居内に高性能な短波又は全波受信機などが完備されていたとしても、
何も不思議ではないとは思いますが、
下記URLの記述をみますと、少なくとも公的には、
陛下ご自身が短波・中波ラジオ等を直接聴取されていらしたわけでもなさそうですね。

◆ネットジャーナル「Q」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/
◇第135回『終戦と放送』の中の
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no135.htm

「【2】―1ザカライアス放送とは■トルーマン米大統領の対日声明」によれば、

「日本側でもこの放送(※ザカライアス放送)はすべて外務省、同盟通信、
放送協会などで傍受していたが、日本でこの放送が聞ける短波受信機は、500台程度だった。
一般国民は中波のラジオ以外の所持を禁止されていたからだ。
また、中波でもサイパンからいわゆる「謀略放送」が行われたが、
日本側の妨害=防圧放送で、一般国民はほとんど聞くことが出来なかった。」とあります。

「【2】―4天皇の決断に影響も」では、

…加瀬俊一著『日本がはじめて敗れた日』には、
「無条件降伏を緩和または解明せよと議論が、漸増しつつ、我が方の傍聴所を通じて流入した。
これらの報道は、適切な分析ののち、毎日遅滞なく政府要路に配布された。
このうちには、もちろん、陛下も含まれていた。」と記している。
加瀬俊一東郷外相秘書官らは「(ザカライアス放送の内容は)
実は、(天皇の)お耳に入っているんです。入るようにしたのは我々です。」と述べ、
天皇の弟宮である高松宮を通じて伝えたという。
(NHK国際放送ラジオ・ジャパン「終戦の条件を探れ」1991・8・15)…

続いて、VOAをサイパンで中継した中波放送(周波数1010kHz、出力50kW)などに対して
日本側では放送協会が最大33箇所(東京方面:川口送信所10kWなど)から
防圧放送=雑音放送を実施していたようですから、聴取するには難はあったようです。
またネット検索では、短波放送に対しても妨害工作の記述も見受けられるようですが、
はっきりしません。

戦時下のラジオ聴取状況に関しましては、下記URLが興味深いです。
(抜粋するには無理がありますので、未読なら御一読いただければと思います)
◇関西学院大学>社会学部紀要>第87号
(寄稿)「太平洋戦時下における日本人のアメリカラジオ聴取状況/山本武利」
http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/87/87-ch1.pdf

あと、米軍側でも妨害電波の対抗策として周波数を少しずらして放送する事も考慮して、
宣伝ビラには「周波数が850~1100kHz(kc)の間で変動するかもしれない」
と記載されていたようです。
さすがに全周波数同時妨害などは物理的に無理でしょうし、
逐一周波数を合わせるにしてもタイムラグが生じるでしょうから、
結局はイタチごっこ。
だとすれば、当時高額だった短波又は全波受信機が無くても、
そこそこ普及していた中波ラジオでも断片情報は得られたと思いますし、
何より雑音放送が届かないエリアであれば当然聴取出来たはずです。

さて、肝心の東京となると、実態は定かではありませんが、
(知識が希薄の為、あくまでも私見にすぎませんとお断り申し上げた上で)

例えば、愛宕山受信所(東京・芝※港区)が1945年7月焼失、川越移転に関連して、
◇『川越市立博物館 博物館だより 第63号』<5/8>
http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/ippan/pdf/63.pdf
「ポツダム宣言の受信」項目によれば、
「…同盟(※同盟通信)は、独自に世田谷区上北沢の住宅に小規模な受信施設を設けた。
そこではロイター、AP、UP、サンフランシスコ放送を傍受していた。…」などと
記述されています。
愛宕山受信所であれ、世田谷区上北沢であれ、何れも「東京」、
単純に考えれば傍受する以上は妨害電波などはもってのほかでしょうから、
受信可能人口を考慮すればサイパン中継の中波放送等に対する妨害工作は必然としても、
サンフランシスコ放送(VOA短波)など受信可能人口が極めて僅かであろう
短波放送に関しては、傍受を阻害するような妨害工作は出来なかったと思いますから、
少なくとも東京では短波放送は受信出来たと考えますが如何でしょうか?

何れにしても、制空権を握られ大量の伝単を撒かれる状況に陥った末期には、
妨害電波など焼け石に水に過ぎなかったかもしれませんね。

では、また、いつかどこかで?…

当時、皇居内に高性能な短波又は全波受信機などが完備されていたとしても、
何も不思議ではないとは思いますが、
下記URLの記述をみますと、少なくとも公的には、
陛下ご自身が短波・中波ラジオ等を直接聴取されていらしたわけでもなさそうですね。

◆ネットジャーナル「Q」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/
◇第135回『終戦と放送』の中の
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no135.htm

「【2】―1ザカライアス放送とは■トルーマン米大統領の対日声明」によれば、

「日本側でもこの放送(※ザカライ...続きを読む

Q警察の検挙率について知りたい。特に放火

 不祥事が多いのも始め、警察の検挙率が低いと叫ばれている昨今ですが、警察の検挙率が公式発表されているサイトってありますか?。
 
 特に放火の検挙が非常に低いという話を聞いた事があります。放火は何故に検挙率が低いんでしょうか?。
 
 

Aベストアンサー

犯罪の種類や検挙率等をまとめたものを『犯罪白書』と言い、毎年集計し発表されています。
紹介したいですが、沢山あり過ぎて・・・
『犯罪白書』→『検挙率』で検索してみて下さい。 色々と出て来ます。
発生率を見ると放火というのは、凶悪犯罪の部類では強盗に次いで高い事がわかります。

一方、消防に関して 『消防白書』→『原因』で検索してみて下さい。
出火原因の中で放火(放火の疑いも含む)がトップです。

強盗等と違い犯人と被害者の接触が無い、また、目撃者となる通行人も少ない時間帯に行われる犯罪という事も検挙率が上がらない一因であると思います。

これらの白書は図書館にも結構置いてあるようですので、現物をご覧になる事も出来ると思います。

Q太平洋戦争で地上戦の場合、米軍はどこを目指しますか

都市への空襲を終了したら地上戦になるはずでしたが米軍が地上軍を九州か千葉くらいに上陸させた後、彼らはどこを目指して進軍する予定でしたか?首都陥落でよく戦争は終了してると思いますが当時の日本はすでに東京が廃墟でしたね。

Aベストアンサー

陸軍の補給基地としてサイパンは遠いので沖縄を攻撃したのです。沖縄から戦車を本土に運んで地上戦となると、四国や九州では東京へ行くには海を渡らねばならないので上陸作戦は本州になるでしょう。日本海側への上陸は山越えにので東京制圧するには問題があり、太平洋側になるでしょう。上陸用舟艇は砂浜が好ましいので千葉県の九十九里浜への上陸が容易で東京にも近いと考えます。その後、東京を攻略したでしょう。ドイツの場合でもベルリンは廃墟であってもベルリンを攻略することで戦争は終っています。


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