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こんにちは。
ネット動画見ていたら戦国時代のインテリジェンスはすごいとか、情報収集能力、謀略能力はすごいとか言っていました。
戦前の日本のインテリジェンス諜報もしご存知ならお尋ねしたいです。
よろしくお願いします

A 回答 (4件)

戦前とひとくくりされておられますが、大正デモクラシー、大正ロマンという言葉をご存知ですか。


日本は明治維新以降積極的にありとあらゆる外国文化技術を貪欲に取り入れていました
昭和8年(1933年)に日本が国際連盟を脱退するまではいくらでも情報が入ってきていました。
日本は常任理事国でしたから欧米諸国の間に立って調整役を担っていました。
調整役は情報不足では勤まりません。

国際連盟脱退前後から、軍部がのさばり情報を独り占めしました。
諸外国も好戦的な軍部がのさばる国に対しては警戒して情報統制をおこないます。
渡航制限など経済制裁も加えます。
現在も軍事政権に対する国際的な対応は変わっていません。
外交というものを軽視した軍部には、国家間で情報が遮断されるとどのような事態となるのかを全く理解できませんでした。
軍事情報などというのは外交情報のほんの一部です。

当時、比較的潤沢で正確な情報を把握していたのは、満州鉄道の調査部です。
当時の満鉄調査部というのはエリート中のエリートの集団でした。
軍部など自分たちが利用できる便利な組織ぐらいにしか認識していませんでした。
軍部が牛耳り外交を軽視している内地の政府へは最低限の情報しか出していなかったようです。
このような国家全体の齟齬が敗戦という悲劇を生み出しました。

日本の歴史の中でも異様な時代であった昭和10年代の状態は、どの時代にも適用できません。
世界中から情報統制を受けていた軍部の話を戦国時代の武将と比較することは無意味です。
戦国時代は火薬に必要な硝石は全量輸入品でした。
西国大名は盛んに交易をしていました。
宣教師も自由に往来していました。
彼らを運ぶヨーロッパ船も頻繁に入港していました。
信長も秀吉も博多商人や堺商人から潤沢に海外情報を入手していました。
当然、競争相手である他の大名の情報も集めます。

江戸幕府も潤沢に情報を所有していました。
オランダだけではありません。中国船が頻繁に往復していました。
オランダが一時フランスに併合されたことも知っていました。
オランダ商館長もかくしてなどいません。
併合されただけですから、復帰できることを信じて頑張っていました。
幕府もヨーロッパの情勢を理解して、商館長を庇護し国旗の掲揚をそのまま認めていました。
江戸時代といえども、ずさんな政治はしていませんでした。

情報源の一つに大黒屋光太夫のような漂流民がいます。
鎖国令で帰国民を処罰したなどというのは、初期に自分の意志で海外で居住していた人間に対するものです。
天候など不可抗力の漂流民を処罰するようなバカなことはしていません。
(ジョン・マンジロウや大黒屋光太夫が首を切られたなどという話は知りません)

内航行路による運輸は活発に行われていました。
漁業は貴重なタンパク源の獲得ですから盛んに行われていました。
これらの船が難破して外洋へ漂流してしまうのは日常茶飯事です。
1637年~1867年の間で漂流して海外で救助されて帰国したものは256件記録されています。
漂流民は帰国すると詳細な聞き取りが行われています。
彼らの報告は大した学教育も受けていない漁民、水夫でも驚くほど正確でした。
指導的立場にあって教養もあった大黒屋光太夫の報告書は現在でも史料として通用します。
アヘン戦争の経緯も顛末も彼ら漂流民の口から幕府は掌握していました。
このような情報を幕府が独占秘匿していただけです。
これを知らない薩長の下級武士が攘夷だなんだと騒いでいました。

薩長の下級武士が作った明治政府は、自己を正当化するために江戸幕府を卑下中傷しました。
第二次世界大戦後には左翼思想家が自虐史観を振りまきました。
この際に江戸時代はロシアのような専制君主下の農奴社会だったと歪曲しました。

これらの影響は現在でも色濃く残っています。
先入観なしに歴史を楽しんでください。
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raupoa さん、こんばんわ。




日露戦争の明石元二郎の諜報・謀略活動はいかがでしょうか?

詳細は下記のURLを参照ください。

明石元二郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3% …
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一例を挙げます。



オランダは一時期滅亡した時期があります。当時、江戸幕府はオランダと交易をしています。オランダの商人は滅亡した事を知られると不都合なので、健在な振りをして商売します。

でも何故か、江戸幕府は「オランダは滅んだ」と認識しました。当時は情報が限られていて、オランダに行って確認する術なんてありません。何故分かったのかは不明ですが、限られた情報や、実際にあったオランダ人の心象などで嘘を見抜いたのでしょう。こう言う事を「インテリジェンス」と言います。

要するに、「嘘の情報に騙されない力」ですね。
政治的には、スパイに染まった部下を見抜けるかどうか。それがインテリジェンスが問われます。


*オランダ本土は滅亡しましたが、一応オランダの植民地(今で言うインドネシア周辺)は残っています。オランダはインドネシアの畑を輸出用の高級品の作物「だけ」を育てる事を強制します。当然穀物など育てないので、食糧不足になります。インドネシアは、大量の飢餓者を生みました。しかし、そのお陰でオランダは財政的に建て直し復権しました。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D% …


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E4%BA%95% …

小野田さんと横井さんで日本に戻った時の風貌がぜんぜん違うので、父(1930年出生)は
「ああ 中野出身だからな」


会社に中野出身者がいた。
卒業試験が上野から青森までの電車に乗ってスパイの(本物ではなく試験用ですが)持っている書類を取ってくるというもの。誰がスパイなのか分かるんですか?と聞いたら
「分かるから卒業できた」
とのこと。
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