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一部を書きますが

人間とは何か?どのような存在かが分からなければ人間の本当の目的 価値も分からないのではないでしょうか。

人間は存在する為に生きているのです。存在する事が価値なのです。存在してるだけで価値があるのです。

物質も動物も存在をせめぎ合っています。動物の世界ではそれは弱肉強食の生存競争となります。

人間は存在をせめぎ合っています。しかしそれが生存競争になってはいけません。意欲を引き出す競争が良いのです。

適度な競争を活かしながら時間をかけて真の目的を一緒に目指して行きたいものです。本当の目的と人間の合意です。

人間の本質は存在しようとする性質(存在性)、生きようとする性質の集まり 存在性itselfです。

人間の精神は性質で出来ています。クオリアと言うのも 赤や青や低音等を人間が記憶するように性質(精神)として捉えたものです。

概念なども人間が覚えたのです 憶えたのです。これらも存在性の一つです。

「存在性」とはそのもの、その存在が存在する為に必要な性質 又は有効な性質を言います。 

存在を目指せば存続につながり存続を目指せば永遠につながる。

付記 性質と言うのは大きな概念ですが 力 速さ サイクル等の働き 相互作用 などを含む概念です。 

エネルギーの完全循環する永遠はあるか・・・

A 回答 (13件中1~10件)

どこが論じてるのか全くわからんし。



>存在を目指せば存続につながり存続を目指せば永遠につながる。

わかりやすいところを指摘すると、これどこも論じてないよね。おまけに
存在しようとする性質が人間の本質で、その本質を目指せば存続に繋がる。と
貴方の説明からするとこういうことなんだけど。本質を目指さなきゃ存続できないってことなの?
本質は存続しようとする性質じゃなかったのかよ。
そもそも本質とか価値とかに対して、貴方の主張には大本の理由が存在しないよね。
なぜ?とかどうしてそうなるの?そういうところが完全に抜け落ちてる。

持論っつか、単に貴方の思い込みとしか読めないよ。

>人間の本質は存在しようとする性質(存在性)、生きようとする性質の集まり 存在性itselfです。
>「存在性」とはそのもの、その存在が存在する為に必要な性質 又は有効な性質を言います。 

何で同じことを繰り返したのかもわからんし。
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yuniko99様、こんばんは。




悪くはなさそう、なんですけど。

「無為自然」にも惹かれるかなあ。
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この回答へのお礼

無為自然ですか 道教か何かでしょうか?

僕も興味がありますねえ

今の時代がそれをなかなか許してくれないですねえ

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/17 13:12

質問者様の質問、回答者様方のご回答、すべての方の洞察には感心いたしました。


持論を拝見させていただき、なんかしっくりこないんですよね。
無い頭を絞りに絞って意見を述べさせていただきます。

存在することに価値がると断言して、人間とは何か・どのような存在か分らなければ人間の本当の目的価値もわからないというのは矛盾しているように思えます。

人間の目的も価値が分らなくても生きていれば価値があると言っているのに精神性と意欲を引き出す競争競争に価値があり、、生存競争、せめぎ合いをしている人々の存在否定している。

真の目的を一緒に目指す(本当の目的と人間の合意)は質問者様が個人的な考え価値の押しつけですよね。

あとのクオリアとか存続の永遠とか、エネルギーとかは私の理解を超えていますのでわかりません。

失礼を言いましたが、素朴な疑問です。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/20 16:55

「人間とはなにか」「どのような存在なのか」



人生の時間、自分の時間や経験を通して、だんだんとおぼろげだったものが見えてくる、といった感じでしょうか。人が形づくられるというか。10代の自分と20代、30代の自分は考え方の幅も奥行きも広がり、深くなっているでしょうし、感じ方も、経験が増えているために、もしかしたら変わっているかもしれません。
自分とはなにか、他者とは? という問いの答えも時間と共に見えてくることだと思います。

「目的や価値」

色々知ったり、経験していく上で、自分に合うもの、合わないものが見えてきて、「これがやりたい」という答えが見えてきたりする。大きな目的の他にも、小さな目的が次々と出てくることもあるし。自分の価値は、人におっしゃってもらうことで知る、といった感じかもしれません。その中で、自分はこれができて、とか、こういうことを知っていて、とか、自信ともつながることかもしれません。

「人は、存在するために生きている」

亡くなる、人生を卒業する、という考えも必要かもしれません。人が亡くなることで、その人から教えてもらうこと、気づかせてくれることがある。亡くなってもご縁は続きますね。後、自分より若い人に、「お先にどうぞ」と道を先に行かせてあげたり、人やなにかを失う勇気も必要な時があるし。

後、言葉にできにくいもの、概念と捉えるには曖昧な絵的なものや言葉も存在します。

「適度な競争」って、いいですね。必要ですね。
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この回答へのお礼

今は過競争時代ですねえ

お金の方が人間より大切にされてる感じです

共産主義やお金のない社会も決め手にはなりそうにないと思うのですが

亡くなった後も縁が続く という言葉はいいですねえ

大地に爪痕を残せ という言葉もありましたね

目的や価値も僕なりにはあるのですが まだまだでしょう。

人間とは精神であり 存在性であると考えています。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/16 20:22

詩的ですね。

たとえば、「存在とは性質(クオリア)である」という言明も、
その『性質』とは何かという答えが、「力、速さ、サイクル等の働き、
相互作用などを含む概念」というのでは、単なる言い換えであって、
何も深い認識を導いていません。
目指しているのが、感覚的に心を落ち着かせる文章であれば、それで
良いのですが、たとえば「存在の持っている量子的相補性は、時間軸と
空間軸が対発生している結果であり、それは認識の不完全さによって
原理的な超弦(光速)の潜在化による非光速性(超光速=過去=記憶=
時間、光速下=未来=予測=空間)によって派生している」といった、
新たな発見につながる事はありません。

「発見に何の意味がある?」と思われるかも知れませんが、上記の
結果として、「人間は存在するため」という主張が、物質的な豊かさの
追及なのか、精神的な豊かさの追求なのかに、別れる事になるのです。
「生物は生存競争の結果、競争とは異なる段階に至る」という指摘も、
決して生存競争をやめるのではなく、生存競争を勝ち抜くために、
単細胞生物が多細胞生物になったように、個体が集まって社会的
生命へと進化し、より競争を勝ち抜く力を強化するためのものでしか
ありません。
こうした見識があってこそ、分業化=助け合うために個体間の争いは
制限されるのであり、またその社会生命的認識を怠って自己チューな
まま社会行動をとらせるべく、お金や出世といった“馬車馬の目の前の
ニンジン”が発達して、意識は弱肉強食ななな他律的に生かされる
(お金をもらうためにイヤイヤ働く)ようになってしまっている、という分析も
可能になるのです。
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この回答へのお礼

先生の言葉は難しいですが 僕の言葉を読み違えないでください

>「存在とは性質(クオリア)である」という言明

などと書かれたら私は当惑します その様な事は書いていません

存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギーである というのが僕の考えです。

クオリアという言葉は必要ないと思います。

しかし他の文はわかりました 参考にさせて頂きます

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/16 17:29

 こんにちは。




 ★ 人間は存在する為に生きているのです。存在する事が価値なのです。存在してるだけで価値があるのです。
 ☆ このくだりのみを取り上げます。

 1. そもそも《~~する為になる目的や 価値があるというときの値打ち》が ひとという存在になじむものなのか? これが 最大の問題になると考えます。

 2. ひとなる存在は その存在じたい――それは 動態――よりほかのことのために生きているものか?

 3. つまり 存在とは 生きるということである。のではないだろうか?

 4. 存在することが 存在することである。それは 生きることである。という自同律を言うほうが ふさわしいと考えます。

 5. 《わたしは わたしが存在するために生きている》のではなく 《わたしは 存在することが生きることであり それは わたしであること》だ。と言い切ってしまってよいと考えます。

 6. 《わたしは わたしである》。《わたしはわたしであるわたしがわたしする》。これが ひとなる存在です。

 7. 存在の基本(ないし基礎)は それ(この自同律としての中身)以上あるいはそれ以下あるいはそれ以外のかたちでは あり得ないと考えます。

 8. 言いかえると この存在について《値踏み》することは なじまない。《価値評価》の対象ではあり得ない。

 9. いかにうつろいゆかざるを得ない時間的にして限りある存在であるとしても それ相応に言わば絶対的である。生きているあいだは この《わたしがわたしである》自己同一性が 普遍的に・また不可変的にあてはまる。――このように公理として証明以前の決まりとして 心得られ合っているものと捉えます。
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この回答へのお礼

言葉を正確に使うなら 人間は生きていて 生命を持った動物として

脳を持ち 脳の働きを中心に精神を持っていて その精神に人間の本質がある それが我であり 人間とは厳密には精神のことである

それが人間存在ではないかと考えています

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/16 20:35

>人間は存在する為に生きているのです。

存在する事が価値なのです。存在してるだけで価値があるのです。

○言葉というのは何とでも言えるものです。
人間の代わりに、組織やスローガンを入れてみるとよくわかります。例えば、人間の代わりに「中国共産党」を使えば、そのような世界が生まれるわけですね。自国だけで完結していればそれでも他国に害はないのですが、それを広めようとするととんでもないことが起きるわけですね。悪いことは押し止めないといけませんね。
間違いは間違いであるとして押しとどめることはいつの時代でも必要なことなのですね。集団的自衛権もその範疇のことですね。
さて、本題に戻って、このように簡単に何とでもできることに真理があるかといえば、あるように見えて無いのですね。常識的になるほどと思える事の中に真理はないというのが非常識な世界の考え方ですね。
わかりやすく言えば、多数の平凡な市民が受け入れられるような言葉に真理はないと言えるのですね。これよく間違うのですね。間違うから問題や争いが起きるのですね。人間が本当に人間足らんとするならば、動物的感性を捨てることですね。それが動物と人間を隔てる唯一の方法ですね。哲学は人間が動物足らんことを説く学問ではありません。人間が人間であるべきを説くものですから「人間は存在する為に生きているのです。」が前提では犬や猿並みの哲学になってしまいますね。その程度の持論ではないかと推察します。
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この回答へのお礼

そうですか それはどうも

お礼日時:2014/06/16 21:41

そうですね、私は、存在するとは、基本だと思います。

土地のようなものです。土地がなければ家は建ちません。存在しなければ、人生を送ることはできません。どのような人生を送るのかが焦点の合うべきところでは有りますが、私達の存在にはタイムリミットが有りますから、そこを考えることも十分思索になると思います。
また、そのタイムリミットは個人的であり、人類全体のタイムリミットではないですから、個々、生きる者として考えることと、人として考えることは、また異なることでしょう。

どの思索に間違いがあるというのではなく、この点について思索すると良いのでは、と言う提案ならできます。
存在するという基本に基づき、いかなる人生を築くべきであろうか、どのように生きたら良いであろうか、限りある人生において、どのように生きられるのか、このようなことを、私ならば考えます。
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この回答へのお礼

土地にも価値がありますよねえ

昔は空き地に過ぎなかったかもですが 今は土地は高価です。

人間はタイムリミットがあるから、しんどい思いをしても子供を育てるのではないでしょうか

そうしてタスキを繋いで来たのではないでしょうか

限りある人生に、どう生きられるか

確かに僕も頭もボケてキましたから そろそろ考え時ですねえ

もう遅いかな?

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/17 20:13

悪くないのですが、これは持論というより、貴女の現在の悩みですね。


つまり自分の意味は何か。何のために生きているのか。自分が存在することに価値はあるのか。ひょっとすると、ないのではないか。
私は周囲を混じりあいたくはあるが、生存競争はいや。弱肉強食の世界はもっといや。もっと私の意欲を引き出す競争にしてよ。私は今の生活に意欲がもてない。
質問文を読むだけで、質問者さんの現状が浮かび上がってくるようです。

悩みはあってもいいのだが、きちんと自覚して向きあうこと。悩みを「持論」にすりかえてるうちは一歩も先へ進めません。
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この回答へのお礼

これは私の現在の悩みではありません

20年近く前に考えたのです。それに女性ではありませんので^^
分からなければ乞うご期待☆

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/16 17:05

"人間は存在する為に生きているのです。

存在する事が価値なのです。
存在してるだけで価値があるのです。"
  ↑
そうなると、存在する為には何をしてもよい
ということになりませんか。
裏切りでも何でも、どんな醜いことでも、
存在の為には許される、
いや、それが正しいのだ、ということに
なると思いますが、それでよいのでしょうか。

人間が、人間が、といいますが、それでは動物と
同じではないですか。


”人間は存在をせめぎ合っています。しかしそれが生存競争になっては
 いけません。意欲を引き出す競争が良いのです。”
     ↑
・せめぎ合いと
・生存競争と
・意欲を引き出す競争と

1,どこが違うのか
2,違うとすれば、その基準と根拠が必要でしょう。

それが出来なければ、ただの言葉遊びです。
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この回答へのお礼

存在する為には手段を選ばない人もいます。過去の歴史には残酷なこと 戦争等がくり返し出てきます

それが現実です。裏切りや醜いことも日常茶飯事です。

しかしそれでは長い目で見れば自滅する それを悟ったはずなのが第二次世界大戦だったのではないでしょうか

ところが今 それを忘れて また集団的自衛権を認めようとしています

それも日本を守るつもりなのでしょう

人間は長い年月をかけて文化・文明を広げて来ました

せめぎ合いと 生存競争と 意欲を引き出す競争

どこが違うか? 3つを並列に並べたのは間違いです

生存競争も 意欲の競争もせめぎあいです

生存競争は命をかけて競争し 負けたら死んでしまうものです

意欲の競争は 勉強の競争とかスポーツとか経済の競争です

死んではいけません 死なないようにしなければなりません。

生存競争は動植物がやるものです。人間の体も動物ですから

生存競争に勝って 牛や豚を食べています。しかし人は食わない。

意欲を出す競争は 教育から始まります。学び育むものです。

お礼日時:2014/06/15 22:23

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