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結婚して23年になる妻が亡くなって、1ヶ月になります。

妻は7年前に乳がんになり、4年前に背骨や肺、肝臓に転移しました。転移してからは通院や入院も増え、入院時はできるだけ付添うようにしていました。有休だけでは足らず仕事に支障も出ましたが、仕事より妻を最優先にすると決めていましたので苦労はありませんでした。

病気になる前も夫婦円満でしたが、妻が病気になってからは一層、結びつきが強くなり、出かけることが不自由になっても2人で楽しめることを見つけて、「おいしいね」「おもしろいね」「楽しいね」と言いあい、妻が亡くなる直前まで本当に楽しく過ごしていました。

それが9回目の入院で、具合が悪くなってから3日ほどであっけなく逝ってしまいました。私も妻も、もう少し時間がある、まだがんばれると思っていましたので心の準備ができておらず、1ヶ月経っても妻が亡くなったことをうまく受け入れることができません。

これからは妻がいない、独りで生きねばならない、田舎にいる80歳を過ぎた母を残してはいけないと頭では考えるのですが、どうしても心がついていきません。もう2度と会うことはできないとわかってはいるのですが、妻に会いたいという気持ちが抑えられず、さびしくてつらくて、毎日声を出して泣いてしまいます(子供はおりませんので家では独りです)。

妻は人からも頼られるしっかり者でしたが、内心さみしがり屋で、抗がん剤の副作用がきつかった頃、「一緒に死んでくれる?」と漏らしたことがあります(独りで死ぬことを怖がっていました)。妻の後を追っても妻に会えるとは思いませんが、私自身にとっても、妻との幸せな想い出が心の中に熱くあるうちに行くことが、一番幸せな終わり方ではないかと思っています。

母がいますので頭ではがんばらねばと考えますが、妻がいないつらさと共に、妻と過ごした23年は十分に幸せだった、私も50を過ぎもう十分生きたとも思います。

2週間後が妻の納骨で、来月は妻の54回目の誕生日です。これからどうするかまだわかりませんが、自分の気持ちの整理のつもりで書かせていただきました。アドバイスでなくても、感想などをいただければ幸いです。

A 回答 (4件)

1961aug さまへ



心よりお悔やみ申し上げます。

私は昨年3月に自分で乳癌を見つけ、5月に手術しました。ここでどなたかの質問に答えさせて頂いた時、1961augさまも、奥様が乳癌の治療中とのことで、お答えを読ませて頂いた記憶があります。私の夫が1961年生まれなので記憶に残っていました。

確か奥様は、複数のお医者様から誤診されて、乳癌であることがわかったときはかなり進んでしまっていて、転移再発した時には「よけいな手術をしたことさえ後悔した」と書かれていましたよね。
今、とても他人事とは思えず、涙が止まりません。

奥様もご主人様も、7年間の闘病生活、本当にお疲れ様でした。お金も、体力も、気力も、消耗してしまいましたね。
具合が悪くなって3日間で亡くなられたことは、予期しなかったことだけに、ショックが大きかったでしょうね。(私の父は、ある日突然心臓病で亡くなりましたので、その分悲しみが大きかったです。)
ただ、慰めにはならないかもしれませんが、苦しい時間が3日だったということは、最後に神様が奥様に味方をしてくれたのかもしれません。

私たち夫婦も子供がいません。
夫は、私が先に逝くことは「契約違反だ」と申しますが、どちらが先に死んでも、残されたものは深い悲しみと寂しさに包まれるだろうと予想しています。
奥様は、幸せな最期だったのではないでしょうか。
旦那さまから限りない愛情を沢山いただいて、死の直前まで楽しく二人で過ごすことができて、すてきな人生でしたね。

私がもし奥様のような最期を迎えられた暁には、夫にも、私と同じように最後まで幸せな人生を送ってもらいたいです。
夫は私がいなければ、毎日インスタントラーメンばかり食べる生活になりそうなので、ちゃんと夫の健康を考えてくれる、優しい奥さんを見つけられたなら、是非再婚して幸せな人生を送ってほしいです。
器用な夫ではないので、簡単に軌道修正することができないかもしれませんが、新しい人生を早く見つけて、私がいなくても強く生きていく力を探してもらいたいです。

抗がん剤治療の副作用で辛かったとき「一緒に死んでくれる?」と言われた奥様は、あなたをおいて、安らかに一人で旅立たれてしまったのですね。でも、いつの日かきっと、奥様はあなたをお迎えにくると思います。
その日まで、あなたの幸せを望んでいるに違いないです。沢山の幸せをあなたから頂いた分、あなたにももっと幸せな時間を残したかったのでしょう。

寂しい時間と悲しみがあなたさまを苦しめると思いますが、奥様との幸せだった時間を振り返りながら、ゆっくりと新しい人生に向かって歩み出せる日がくることを心より願っています。
私には何もできませんが、あなたを苦しめる全てのものから守ってもらえるように、そして、心穏やかな時間が再びやってくるように、天国に旅立たれた奥様と一緒にお祈りいたします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

去年の10月に回答したときの回答者の方ですか。
回答した頃のことを思い出して、思わず泣いてしまいました。

azumatokyo様とは年齢も家族構成よく似ていますね。
――「夫は、私が先に逝くことは「契約違反だ」と申しますが」
私もよく言っていました。
――「器用な夫ではないので、簡単に軌道修正することができないかもしれませんが」
これもよく言われていました。

ただ妻はazumatokyo様ほどしっかりしてなかったので、私の再婚とかは望んでいませんでした。
むしろ「再婚したら化けて出てやる」方だったとに思いますが、それはそれで可愛く、愛しく思っていました。
治療が長くなるにつれ、相互依存が強くなったのかもしれませんが・・・

妻が手術した時に同室だった方は今も元気で、仕事もしておられます。
妻は肝臓の転移が急に悪化してしまいましたが、これからもどんどん新しい薬や治療法が開発されてきますので、azumatokyo様はきっと大丈夫です。

ご主人のためにも、病気に負けないようこれからも頑張ってください。

お礼日時:2014/06/17 22:27

自分の最愛の方をなくなるのは辛いものなんですね。

私の母親が自殺しました。私は今年短大を卒業しました。卒業間近でした。屍を第一発見しました。父親は単身赴任、兄は独り暮らし、姉は昼夜不規則の仕事で私と母親は二人で家にいました。私含めた三兄弟は、ケンカしました。今でも謝りたいです。特にいちばん近くにいた私は母親の自殺に気づきませんでした。止められなかったことが心残りです。
父親はいちばん悲しみました。聞いた話で、父親と母親は結婚が難しかったです。気難しい親戚たちで、ましてや父親は高校生で留年もしてました。しかも父親と母親は婚約もしていないし、母親の方が年上です。そんな時に母親は妊娠しました。親戚たちから受けた圧力は想像も出来ません。しかし妊娠した母親は子どもを生むことしか考えませんし、父親は退学願いを書いていたそうです。それらにより父親と母親の愛は本物だとも言い、父親は祖父に母親を一生守ると言ったそうです。もちろんこのとき父親の高校卒業、父親は就職がしっかりしてからしか子どもに会わさないことを条件しました。なのに結果、母親は自殺しました。父親は母親のことを後悔しても仕方がないと私に言います。しかし、父の涙は私たちには見せません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに妻は最愛の妻でした。私達は子供に恵まれず二人だけでしたので、妻は私のことを誰よりも1番大事に思ってくれ、私も妻のことを1番大事に思っていました。

長く一緒に暮らしていると互いの好みもわかりますので、二人とも気に入るようなドラマや料理があれば「おもしろいね」「おいしいね」と言いあい、妻も喜んでいると思うと、私も心の底から嬉しくなりました。

そういう妻がいなくなり、1ヶ月経ってもつらいばかりです。

お礼日時:2014/06/17 21:58

こんにちは



人は悪い思い出よりもいい思い出の方が心にいつまでも
残っていると思います。

何よりも奥様を優先して、楽しい時間を過ごしてきたのですから
人一倍その気持ちも強いのだと思います。

人それぞれ考え方が違うので、
早く忘れたほうがいいとか、楽しかったはずだからとか
周囲は勝手な判断を下しがちですが、
本当の心根は本人でしか判りえません。

同じ気持ちを共有したもの同士にしか判るはずはありません。
外野はしょせん外野です。

1か月なんて23年に比べれば経ったの276分の1です。

これから先、同じ気持ちや感情を共有する方が現れるかどうかは
判りません。

でも、人は記憶が薄れていきます。
これは大なり小なりありますが、誰にも訪れることです。
その記憶が薄れるのを怖がっているのは自分の気持ちの変化を
恐れているからではないでしょうか?

今はまだ泣いていいと思います。
一人の時は、声を上げてもいいと思います。
泣いたら泣いただけ、少し心が洗われると思います。

入院して短くして逝ってしまったのは、楽しいまま旅立ちたかったのかも知れませんね。

沢山沢山泣いてください。
それも、明日には陽が昇りまた沈みます。

周囲で起こることは変わらず、そこにあるものがいないという辛さは
本人にしかわかりません。

今のお気持ちを大切になさってくださいね。

奥様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

――「記憶が薄れるのを怖がっているのは自分の気持ちの変化を恐れているからでは」

おっしゃる通りです。幸せだった妻との23年が、「あの頃は幸せだった」と言うような過去の記憶になることが耐えられないと思っています。

「妻に励ましてもらえている」と思えるような、新しいことにチャレンジできるならまだよいのですが、もう若くもなく、がんばる張り合いもない今は、その自信もありません。
「妻に会いたい、そばにいてほしい」と、叶わないことを毎日何度も思ってしまうことが苦しいだけです。

お礼日時:2014/06/17 21:20

貴方と奥様の幸せは見えるように伝わってきます


1人が不安で寂しくて辛くて、でも頑張らないとって
気持ちが独りでに交差すると
1人では中々整理つきませんよね。
でも貴方の心の中で奥様は生きていますよ。
奥様は残りの人生を楽しく貴方らしく生きて欲しい
そう思っているのでないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

妻はよく「がんばじゃ!」と励ましてくれていました。
生活にしろ仕事にしろ色々チャレンジしたいこともあったので、妻がいればまだがんばれると思うのですが、今はもう、一人でがんばる自信がありません。

生きる張り合い、がんばる支えがないことが日に日に重くなっています。

お礼日時:2014/06/17 21:01

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