出産前後の痔にはご注意!

日本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いといわれてます。
日中戦争の渡洋爆撃
開戦直後のフィリピン攻略
ラバウルからガダルカナル
本土から硫黄島への出撃・・・

しかし、アメリカ軍機もB29直掩で硫黄島からP51が本土へ飛行しています。

本当に日本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いのでしょうか。

「日本軍のほうが後続距離が長いことを求められる作戦が多かった」のが実際ではないですか。
つまり、御承知のとおり、無理が多い作戦である。
アメリカ軍機は航続距離が長くても、あまり無理な作戦はしなかった。

私の知っている範囲でアメリカ軍機が航続距離で無理をしたのはP-38の山本五十六機撃墜か、
前述のP51の硫黄島から本土直掩か。

それもP-38は16機で、日本は零戦6に一式陸攻2機。
P51の本土直掩は日本軍機は1万メートルの高さはまともに飛べないので激しい空中戦にはならない。無理してません。

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A 回答 (10件)

まあ、漫談です。



本当に長くなったのは、双発の九六陸攻からです。それ以前の陸海軍機は列強並の皇族能力です。

これはワシントン軍縮会議で建造中の戦艦の一部を廃棄し、それ以外は空母にするしかなくなった日米海軍のおかれた状況をまず鑑みなくてはなりません。

空母艦載機は当然攻撃力を戦艦の主砲より遠方におよぼすことができます。つまり、水平線のかなたから相手を一方的に攻撃できるわけですね。当然そのなかには相手の本国もふくまれます。日本のように太平洋に面した細長い列島だと、奥地というものがなくなり、いいように攻撃されかねません。満州国は日本の根拠地にするにはまだまだ発展途上の時代です(結局、根拠地にはできなかったのですが)。

水平線の向こうに隠れた敵空母・艦隊を攻撃するには、相手の艦載機より最低でもおなじ、できればそれ以上の航続距離が必要です。日本だけではなく、空母保有国共通の悩みでした。空母には空母が理想ですが、空母の建造にはカネがかかりますし、空母を戦力にするためにはさらに艦載機をそろえなくてはなりません。当然パイロットもです。ビンボウな日本には当面、無理な相談です。

その中で日本海軍は、空母に乗せることはいったんおいておいて、

陸上を作戦基地とし、エンジンが複数で、大型で、単発機より兵器搭載能力が大きく、複数の乗組員が搭乗して専門の航法担当乗員がいる、長距離作戦可能な航空機、

で、敵が攻撃目標(本土)に接近する前に先制攻撃したらいい、という考えに至ります。これなら空母は必要なく、航空機だけで大丈夫です。

で、上記の条件を満たす航空機を飛ばせるエンジンを持っていた三菱内燃機が、双発の九六陸上攻撃機を完成させ、海軍に採用されます。自社エンジンをベースに燃費を重視した設計で、長距離作戦行動が可能でした。

当時中国大陸で戦争をしていた日本は、本来の目的ではない陸上攻撃に九六陸攻を投入します。渡洋爆撃が有名ですが、これも陸上支援のための作戦でした。しかし、長距離作戦能力は有効だったため、だんだんと大陸への投入が加速します。とうとう国民党政府拠点の重慶に対する、戦略爆撃にまで投入されました。
ドイツ人がロンドン爆撃で四苦八苦するより、数年前の話です。

この過程で日本海軍機は、九六陸攻が大陸で発揮した長距離作戦能力に影響を受けたかたちで、設計要求に航続距離が大きいこと、という一文が盛り込まれるようになります。
単発戦闘機にも要求しました。十五試艦上戦闘機はその最たるもので、後にA6となります。零戦です。

陸軍機の航続距離ですが、中国大陸で戦争をしていたため、やはり双発機に、作戦可能時間が大きいこと、という形でメーカーに要求し、こちらは九七重爆撃機として形になります。
そして、日本の戦争方針が南方進出となった段階で、陸軍単発戦闘機にも、進出する爆撃機の護衛(海軍の零戦は、護衛能力は要求されていません)、長距離侵攻、を主眼とした要求をメーカーに提示し、形になったのがキ43、一式隼戦闘機です。
陸軍は軽戦闘機と重戦闘機の二本立て運用を考えていました。隼は軽い方です。二式が重い方で、乙戦闘機、つまり局地防空戦闘機のあつかいでしたが、大陸での航空機運用経験が無意識に反映されたのか、航続距離は1200キロ(落下タンク仕様で1600キロ)と一件短いように見え、実はメッサーシュミット109よりはるかに長いものでした。Bf109のそれは、650キロです。

同時期の米軍主力陸上戦闘機のP36が1600キロ、P-40が1700キロです。
日本の局地戦闘機といい勝負なのですから、日本の軍用機全般がいかに長距離を飛んだかということの証明でもありましょう。

大陸で戦争をしていたという経験が、結果的に日本陸海軍機の航続距離を長くした、と結論づけていいと思います。
P-38は、P-40で使っていたアリソン・エンジンを2個つけて、大型重武装そして高速ねらいの飛行機で、大きいからタンクを積むスペースが確保できた(ただし、胴体に爆弾つむかタンクつむかは選択式です)たので、長距離が飛べましたが、単発戦闘機とガチンコしたら欧州でも太平洋でもいま一つな結果でした。山本長官襲撃にあれだけの数をそろえたのが、いい例です。マクガイアというエース・パイロットはこの機体で四式に撃墜され戦死しています。

P-51は燃料タンクは機体にたくさん搭載していた飛行機ですが、この切り替え作業がけっこうメンドウで、事故を頻発し終戦まで解決していません。
本機はエンジンが当初アリソン、そのあとパッカードと試行錯誤して結果パッとせず採用はわずかだったところへ、たまたま機体をみたロールス・ロイスの関係者がマーリンつませたら化けた、という飛行機です。
たしかに優秀だし大型ドロップタンクを2個つければ長距離作戦が可能でしたが、そうなるのは零戦、隼があばれていた時期よりあとの話です。

日本の軍用機は開戦後の発達は欧米に一歩ゆずりましたが、体質的に長距離作戦ができる、という傾向は、終戦まで維持していたと考えます。

長文失敬。
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P38とかP51は陸軍機なんで何とも言えませんが、


こと海軍機に関して言えば、日本機の航続距離は長いです。
大戦初期の機体については他の回答者さんが挙げられてますが、
中後期についても、後継機の52型、天山、彗星もF6F、SB2C、TBFに比べて航続力は長く設計されています。

これは帝国海軍には昔からアウトレンジ構想というのがあって、
日本は資源に乏しい国なので、大型艦を沈められてしまうと再建が困難なため、
できるだけ敵の攻撃を受けずに倒すために、武器により長射程を求めたのです。

つまり、相手の射程外から一方的に攻撃する、と。
その最たるものが大和の46cm砲であり、他国に先駆けて採用した61cm大型酸素魚雷であり、
航続力の長大な艦載機なのです。

ドロップタンク(増漕)、インテグラルタンク(翼内タンク)を世界で最初に採用したのは日本です。
それだけ艦載機の航続力に力を注いでいたということです。
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sumiyoshigawaさん、こんばんわ。



本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いといわれてます。
これはたとえば、大戦前半期のゼロ戦とF4F 、九十九艦爆とドーントレス、九十七艦攻とデヴァステイター、B17と一式陸攻と比較した場合に米軍機よりも航続距離が長いといえるのです。B29は戦略爆撃機ですので、日本には比較するべき機体がありません。


「日本軍のほうが後続距離が長いことを求められる作戦が多かった」のが実際ではないですか。
つまり、御承知のとおり、無理が多い作戦である。

その通りです。対戦前半は特に攻勢の海上作戦が多かったので、航続距離が長くないと生還率が低かったのです。


アメリカ軍機もB29直掩で硫黄島からP51が本土へ飛行しています。
P51の本土直掩は日本軍機は1万メートルの高さはまともに飛べないので激しい空中戦にはならない。無理してません。

しかし、命中精度を上げた精密爆撃を考えると高度3000m位でないと成功しなかったようです。だから、夜間爆撃を行ったようです。東京大空襲のときにはかなり空中戦や高射砲による迎撃が行われたようです。
それから、これは機械全般に言えることですが、P51戦闘機は大戦後半期の機体であり、ゼロ戦に比べて設計が新しいことからいろいろな性能面で零戦やほかの大戦前半の日本の戦闘機と比べて凌駕しているのは当たり前だと思います。
また、大戦後半になってくると本土決戦などを考慮に入れた戦闘機が開発されたので、航続距離が長大な戦闘機の開発が行われることはありませんでした。
詳細は下記のURLを参照ください。

B17

http://ja.wikipedia.org/wiki/B-17_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F% …
p51
http://ja.wikipedia.org/wiki/P51
F4F
http://ja.wikipedia.org/wiki/F4F_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
ドーントレス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC% …


デヴァステイター
http://ja.wikipedia.org/wiki/TBD_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
B29
http://ja.wikipedia.org/wiki/B29


97式艦攻
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B8%83% …
99式艦爆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B9%9D% …
ゼロ戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F% …

東京大空襲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC% …
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馬鹿みたいに軽くしてるから。


戦闘機は男の子だが、零戦は女の子。零戦は普通の航空機に重い機銃付けただけで、戦闘機じゃない。
「日本軍機は航続距離が長いのでしょうか」の回答画像7
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零式艦上戦闘機二一型  3,350km  


F4F-4 1,240km
九九式艦上爆撃機一一型 1,472 km
SBD-5 1243.8km
九七式艦上攻撃機三号 1,021km 
TBDデヴァステイター 700km
一式陸上攻撃二二型 2,500km(爆撃)/6,060km(偵察)
B-17G 航続距離 5,800 km(最大)、3,219 km(爆弾2,722 kg 搭載時)  陸攻に対応する機体がアメリカにあまりありませんが強いて言えばB17でしょうか?

日本が航続距離が長いというのはざっくりいうとこのあたりの機体の比較です。
特に目につくのがゼロ戦の航続距離で、この航続距離があるがゆえに台湾から直接フィリピンを渡洋攻撃し、かわりに空母は真珠湾に使われています。
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NO4です。



追加

南九州の、真珠湾攻撃部隊の訓練は有名ですが、フィリピン攻撃の為、台湾、海南島で、零戦のテストが行われていました。
名前は忘れましたが、ベテランパイロット達が、ガソリン節約の為の最良巡航速度のテストが行われていました。
その結果、最良の巡航速度でのフィリピン攻撃の目処がついたので、翔鶴、瑞鶴の真珠湾攻撃が公式に認められました。
あまり知られていませんが、台湾でのテストが、真珠湾攻撃の大幅な戦果拡大に、一役買っています。
こうして、零戦は、カタログ値以上の航続距離を手に入れました。

また、開発当初の予定外の航続距離で、96陸攻、1式陸攻が、プリンス・オブ・ウエールズ、レパルスの撃沈を可能にしています。

こうして、機動部隊のポートダウイン、セイロン島攻撃を可能にしています。

戦争中盤~後半にかけて、日本はカタログ値で無理をして行き、アメリカ軍は余裕を持って、対峠して行きました。
結果が、海戦で勝てない、そして敗戦につながるのです。
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陸軍の飛行機は、そんなに航続距離は長くなかった。


標準的だったと言えるでしょう。
それは、陸軍機は対ソ戦の為に開発されました。
満洲の飛行場から飛行場へと、前線へ移動し、対地支援を主な目的として開発されました。
重爆は、各国と比べると、爆弾搭載量が少なく、軽爆より長い航続力を持っていて、ソ連飛行場制圧を任務としました。
だから、陸軍は空地分離を早々に実施しています。

一方海軍は、艦上機と陸上機に別れます。

艦上機の空母戦力は、当時の艦隊決戦戦略の元、後方からアメリカ艦隊に補助攻撃をかける目的に、開発されました。
だから、長い航続距離が求められました。
決戦は、一回きりで、後は残敵掃討戦と考えられたので、防弾を重視せず、後続距離を重視しました。
言わば、一回きりの特攻作戦です。

陸上機の96陸攻、1式陸攻は、南洋諸島の陸上基地より出撃して、1コ中隊の徹甲弾使用の密集体形爆撃により、アメリカ戦艦1隻と刺し違える為に、開発されました。
よって、艦上機と同様、防弾は考慮されず、超長い航続距離が求められました。
だから、1式ライターと呼ばれる程、防弾はありませんでした。

陸上機の内、局地戦闘機は本土防衛の為、高い上昇力、重武装が求められ、比較的防弾対策されていました。
局地戦闘機は、本土防衛、前進基地防衛の為、長い航続距離は必要とされませんでした。

実際の大東亜戦争は、戦前予想と違う展開を進み、航続距離の長い、零戦、1式陸攻が、遠方作戦に投入されました。
反対な言い方をすると、零戦、1式陸攻の航続距離で作戦が建てられました。

零戦のガダルカナル戦も有名ですが、開戦時の台湾からフィリピン攻撃は、零戦航続距離によって達成されました。
シミュレーションで、零戦の台湾からフィリピン攻撃の見込みついたから、真珠湾攻撃に、翔鶴、瑞鶴の随伴が認められました。

これで、質問者様への答えになっているでしょうか?!
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航続距離が長いのは、主に海軍機です。

陸軍機は概ね航続距離が短いです。
理由は、陸軍機は主に地上部隊の支援が目的ですからそれほど長い航続距離がそもそも必要なかったのと、「人道的な」陸軍機は防弾装置などをちゃんと備えていたのでその分航続距離と爆弾搭載量が犠牲になったのです。

日本軍機が高高度へ飛べなかったのは、液冷エンジンが作れなかったことに尽きます。高高度では空気が薄くて空冷だとオーバーヒートを起こしてしまいます。そのためには液冷エンジンの実用化が必要不可欠でした。
三式戦闘機飛燕の液冷エンジンは、ドイツのBf109のDB601エンジンのコピーなんですが、1936年に初飛行した飛行機のエンジンが1944年になっても作れませんでした。理由は、液冷エンジンは部品の精度がある誤差の範囲のクオリティじゃないといけないのですが、この「クオリティが安定した部品の生産」つうのが日本はついぞできませんでした。

>アメリカ軍機は航続距離が長くても、あまり無理な作戦はしなかった

冗談じゃあねえっすよ。日本のマニアの間じゃあまり知られていませんが、アメリカによるドイツ本土爆撃は、アメリカの軍事マニアの間で永遠にホットな議論になる議題です。
なんせB17だけの単独でドイツ本土奥深くに昼間爆撃行。待ち受けるドイツ空軍。バタバタ落とされるB17。一番ひどいときは帰還率が50%程度でした。つまり、10機行って5機しか還ってこない。1機には乗組員が10人いて、1機落ちるとほぼ確実に全滅。100人の乗組員が、その日の夜には50人。
これを落ちても落ちてもじゃんじゃん爆撃に行かせました。何とその犠牲者は約2万人。あの日本の特攻隊の犠牲者が2000人程度ですから、その10倍です。第二次大戦のありとあらゆる戦役の中で、唯一戦死者数が負傷者数を上回っている戦いでもありました。
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基本的に艦上戦闘機は足が長かった。

同じ海軍機でも局地戦闘機は足が短い。
P-51の足が長いのは、ドロップタンクによる物。


>P-38は16機で、日本は零戦6に一式陸攻2機

山本長官が零戦6機で良いと言ったから。暗号が解読されているとは思わなかったし。
事実、暗号解読していることがばれないように、偶然触接したように思わせる工作をしている。


>日本軍機は1万メートルの高さはまともに飛べないので激しい空中戦にはならない。

既に日本軍は制空権を失っていたので、そんな高空で戦闘した記録は少ない。
B-29も高空からの精密爆撃から低空での無差別爆撃に戦術を変えている。
またP-51(に限らず艦載機も)は低空での対地攻撃を多く行っている。


>アメリカ軍機が航続距離で無理をしたのは

ヨーロッパではB-17の護衛で結構無理をしていますよ。
ドイツまでエスコートできるのはP-47かP-51くらいしかなかった。
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>>日本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いといわれてます。



有名なゼロ戦は、登場したとき、アメリカ軍が驚いたほど航続距離が長かったですよ。
日本海軍からのゼロ戦に対する要求仕様が厳しかったのですけど、それを堀越二郎の設計により実現したわけです。

>>本当に日本軍機はアメリカ軍機より航続距離が長いのでしょうか。

まあ、防弾版などを初めとして、パイロットの人命軽視ともいえるほど軽量に作っていたから、一般的に、航続距離は長かったといえるでしょうね。

>>「日本軍のほうが後続距離が長いことを求められる作戦が多かった」のが実際ではないですか。

「航続距離が長い」という利点を生かそうとした作戦をやりがちだったのは事実です。ただし、おっしゃるように、その作戦には無理がありましたね。

>>しかし、アメリカ軍機もB29直掩で硫黄島からP51が本土へ飛行しています。

米国は、アメリカ大陸を横断できる航続距離の航空機を持っていました。当然、日本側もそれは知っていました。
その距離は、サイパンから東京までの距離です。
つまり、サイパン陥落は、東京空襲を米国が可能になったことを意味していました。

そのことを知る東條内閣は、サイパン陥落後、責任をとって総辞職しました。
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参考URL:http://www.gohawaii.com/hokeoj/school/report.html

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よろしくお願いします。

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日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

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潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

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その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

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より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
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こう言う空気が流れます。

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>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

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>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

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Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
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大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
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なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

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銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q日本海軍による通商破壊戦(太平洋戦争)

日本海軍による通商破壊戦(太平洋戦争)

Wikipediaによると日本海軍は通商破壊戦を1942年9月まで行っていたとあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E6%94%BB%E6%92%83#.E6.B2.BF.E5.B2.B8.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E9.80.9A.E5.95.86.E7.A0.B4.E5.A3.8A

これについて質問なのですが、
開戦初期に潜水艦により通商破壊戦で戦果をあげているのに、なぜその通商破壊戦を中止したのでしょうか?その理由がWikipediaには書かれていないので、知ってる方、どうか教えて下さい。お願いします。

Aベストアンサー

こんにちは

開戦から'42年秋迄の10ヶ月間、組織的に継続して米国西海岸沿岸で
通商破壊作戦が行われていた、というよりは、アメリカ側の撹乱を
企図した作戦が、数度(確か4回)同地で実施された、というのが
本件の実相のような気がします。

と申しますのも、初回('41年12月)こそ、一時に合計9隻の潜水艦を
作戦に投入したものの、以後は2,3隻という少数しか投入しなかった
ことを見ると(とてもあの長大な米国西海岸沿岸の通商路を破壊する
には)あまりにも少な過ぎる戦力、ですから、本格的な通商破壊戦を
企図していたとは、考えにくいですね。

ただ、ほんの数回とは言え、艦船に対する攻撃以外にも、地上目標を
砲撃したり、搭載されている偵察機(水偵)に爆撃を敢行したりと、
今思うと"かなり無茶な"ことしたお陰で、特に米国の一般市民に恐怖
を与えたのは紛れもない事実ですから、かけたコスト(投入した戦力)
の小ささ(?)からすれば、それなりのリターン(戦果)は得られた
と言えるのかもしれません。

さて、何故この後パッタリと米西海岸での作戦行動を止めてしまった
か?なのですが
とどのつまりは"その作戦に回せる潜水艦が(余裕が)無くなった"と
いうことだと思います。

開戦時の帝国海軍の全潜水艦戦力は約60隻強で、そのうち外洋での
作戦行動が可能な大型艦(いわゆる 伊号潜水艦)が50隻弱でした。
全て稼働中ということは有り得ないので、即応状態のものが約3割
(他は、整備・補給・訓練など)と仮定しますと、稼動可能なフネは
15から(せいぜいいっても)20弱ではないか?と思われます。

ちょうど42年の夏以後から"ガダルカナル"に代表される"太平洋の島
をめぐる日米の争い"が激化してきましたので、海軍は超多忙であり、
当然潜水艦の稼働率もかなり高くなっていたものと想像されます。

そのような状況下で、往復するだけでも日数のかかる米西海岸での
作戦は優先順位が低くなってしまったのでしょう。

こんにちは

開戦から'42年秋迄の10ヶ月間、組織的に継続して米国西海岸沿岸で
通商破壊作戦が行われていた、というよりは、アメリカ側の撹乱を
企図した作戦が、数度(確か4回)同地で実施された、というのが
本件の実相のような気がします。

と申しますのも、初回('41年12月)こそ、一時に合計9隻の潜水艦を
作戦に投入したものの、以後は2,3隻という少数しか投入しなかった
ことを見ると(とてもあの長大な米国西海岸沿岸の通商路を破壊する
には)あまりにも少な過ぎる戦力、ですから、本格的な通商破壊戦を...続きを読む

Q日本のミサイル防衛にTHAADが無いのは何故?

【ワシントン共同】米陸軍当局者は26日、米領グアムに配備した高性能の地上発射型迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)が完全な稼働状態に入ったことを明らかにした。との報道です。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130427/amr13042709290001-n1.htm
一方日本の場合イージス艦から発射するミサイルとPAC3でTHAADはありません。
日本の場合THAADは無くても良いのですか?


 

Aベストアンサー

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km にある化学圏) に突入してきた最終段階での弾道弾を撃墜する Missile です。

一方、日本が Aegis 艦に搭載している SM3 (Standard Missile 3) 161B Block IA は射程 400km、射高 250km で、先端部が Kinetic 弾頭と呼ばれる高機動弾頭になっているように、空気のない大気圏外での超高速運動能力を持たせたものとなっていて、THAAD よりも高性能な Missile になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=Clny6teU5ik&feature=youtu.be

最初に海上自衛隊に配備された「こんごう」の SM3 161B Block IA は高度 160km を飛行する模擬弾道弾の直撃撃墜に成功していますし、現在は日米共同開発になる Block IIA の地上試験を終えて来年に飛行試験、2018 年には現在の Block IA を Block IIA に置き換える予定になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=A6CIu9fRk3k

地上発射型で射程が 200km しかない THAAD では幅数百km 長さ 2000km 余りの日本列島に数十基の発射機を配置しなければならず、何時 Terrorism だの過激な反対運動の前に壊されるか判ったものではないのに比べ、SM3 は部外者など近付けない Aegis 艦の中にありますし、相手国の Missle 発射機から 400km 以内の海域に派遣すれば 1 隻で事足ります。

相手国が日本に向けて発射する Missile の Course は決まっていますので、日本列島近海に配置する Aegis 艦の数も数隻あればよく、既に海上自衛隊は上記「こんごう」型 Aegis DDG (Missile 護衛艦) を 4 隻、次級の「あたご」型 Aegis DDG を 3 隻運用していますので、2~3 隻が定期整備中であっても常時 4~5 隻は緊急配備に就くことができるようになっています。

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km ...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Qセロ戦の飛行高度は当時世界最高だったのですか?

沖縄の慶良間でうかがった話ですが、第2時世界大戦当時、アメリカのグラマン機(と聞いた記憶がありますが、間違ってましたら失礼します)を上回る高度をゼロ戦は飛行できた、ということなのですが、それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 
であるとするならば、アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

Aベストアンサー

>アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

 戦艦大和の話なんかでも出てくると思いますが、
航空機が兵器として使われたのは第一次世界大戦が
最初で、太平洋戦争初期は軍艦の時代だったんです。

 それとエンジン製造技術はアメリカのほうが
上だったんで、何でゼロ戦の運動性能があんなに
いいのかアメリカ側には見当がつかなかった
んです。
 
 

>それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 

 確かドイツのメッサーシュミットのほうが
性能が上でした。ドイツはジェット戦闘機も
第二次世界大戦で使っているし、航空機の
性能という意味では、戦前、戦中もドイツが
トップだったと思います。
 戦争が終わるまで、アメリカは日本がドイツの
技術協力のもと、戦闘機を作っていると思って
いたと言われています。終戦後、アメリカは試作機も含め
日本の戦闘機をできる限り全機種、航空母艦に
乗せて本国に運び、研究したと言われていて、
日本の飛行機に対する警戒は相当なものだった
ようです。

 戦争中にゼロ戦が殆ど無傷でアメリカ側の
陣地に不時着した事があって、それでゼロ戦の
秘密がばれたんだと言われています。
 ゼロ戦は短時間の迎撃用に設計されていて、
急発進、急上昇を主な目的で作られていた
ため、装甲を薄くするなど軽量化が測られていた
んです。

 太平洋戦争末期には、アメリカの飛行機の
性能のほうが上になったため、他の方の
回答にもあるB-29の高度までゼロ戦は上昇
できませんでした。

 

>アメリカ軍はなぜそれを上回る戦闘機を開発しなかったのでしょう?

 戦艦大和の話なんかでも出てくると思いますが、
航空機が兵器として使われたのは第一次世界大戦が
最初で、太平洋戦争初期は軍艦の時代だったんです。

 それとエンジン製造技術はアメリカのほうが
上だったんで、何でゼロ戦の運動性能があんなに
いいのかアメリカ側には見当がつかなかった
んです。
 
 

>それは全世界の戦闘機中においても最高度なのでしょうか? 

 確かドイツのメッサーシュミットのほうが
性能...続きを読む

Q第二次世界大戦頃までの戦闘機乗りの生還率は?(撃墜王の事が知りたいです)

撃墜王なる言葉がありますが
調べて見ると5機墜とすと与えられた称号らしいです、もちろん諸説ありますが
5機墜とす位は熟練パイロットなら出来るのでは?なんて思いましたが
たぶんこれはTVゲームしてる感覚で捉えての結果だと思います
全然ピンときません
生涯戦闘で5機でエースなんて呼ばれるって事は
ものすごく生還率が悪かったと予想出来るのですが・・・

撃墜王って呼ばれるにはかなり大変だったのでしょうか?
また太平洋戦争までの生還率など
素人に解りやすく教えて頂ければ幸いです
よろしくお願い致します

Aベストアンサー

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんとか生きのこる「その他大勢」になるか、という事になるわけです。

 ただし、生存率に関して言えば、国によって条件が異なり、落とされても歩いて自陣に返ってもう一回出撃、なんて恐ろしいことが平気で起こるWW2のドイツ(3桁級がゴロゴロ。肋骨負っても再出撃した奴もいた)、ローテーション態勢がしっかりしていて、それほどスコアを伸ばせないアメリカ、洋上を長距離侵攻が多く必然的に死にやすい日本など、「その国の事情」があるので、一概には言えません。

 なお、現在ではそもそも空戦自体がほとんど発生しないので、撃墜経験のあるパイロットの方が希少です。最後のエースは1986年のイラン空軍人でした。もう20年以上前の話です。

直接的な回答ではありませんが、
アメリカ軍の集計では
・エースは総パイロットの1%に満たない
・しかし、全撃墜数に於けるエースのシェアは40%位
・トップ・エースは生存率も高い(米軍の場合、20傑中戦死者は3人だけ)
という結果が出ています(これがアレグレッサーなどの摸擬空戦を重視する訓練へと繋がっていく)。

 つまり、パイロットになると、大体は戦果を上げることなく敵に喰われる。その時点で運が良いか、技量がいいものは生きのこり、やがてエースになるか、運が良いだけでなんと...続きを読む

Q住民票、身元証明書を取る際に必要なもの

住民票と身元証明書を市役所に取りに行きます。印鑑などいるのでしょうか?必要なものを教えて下さい。

Aベストアンサー

H20.5から窓口での本人確認が法律で義務化されています。
つまり、本人確認のため、
運転免許証、パスポート、
住基カード、健康保険証などが必要です。
ただし、顔写真がないものは、複数の提示を求められることがあります。
あとは、ハンコと手数料ですね。

Q局地戦闘機 雷電について

雷電はなぜあんなにズングリしているのでしょうか?
(まああのズングリした機体を見ると親しみを感じてしまいますが・・・)
エンジンの関係でしょうか?

あの機体ですから、F6FやP51といった戦闘機相手ではなく、
B24、B29といった爆撃機の迎撃に活躍したのでしょうか?

同じ局地戦闘機 紫電改と比べると地味な感じを受けますね。
紫電改は対戦闘機用で、雷電は対爆撃機で用途が違ったからでしょうか?

Aベストアンサー

漫談です。

実は昭和14年ごろから、中国で爆撃機が戦闘機の迎撃でひどい目に遭った海軍は、迎撃機をデザインしたらいいんじゃないか、と、三菱ご指名で十四試局地戦闘機の要求書を交付しています。そして、零戦を終えた堀越氏が主査となってデザインがスタートしたわけですが、エンジンの選定と振動問題で手こずったのは、みなさんご指摘のとおりです。この振動問題、殉職者はでるわ、一年以上つぶれるわ。中島がおなじような元は爆撃機向けエンジンつけたキ44(鍾馗)が上手くいっているのと対照的です。なら、陸海軍とも同じ飛行機装備したらいい、というのがスジですが、そうはいかないのが恐ろしい現実でした。

あげく海軍はJ2(雷電)に過剰な期待をして「零戦をやめてJ2を主力にする。空母にものせる」と言い出すわ、しかしJ2の主査である堀越氏に零戦の改造もさせるわ、「零戦後継機」デザインしてと言って技術者として使いつぶしてしまい、いいことなしでした。さらに、「胴体太いからターボ・チャージャーつくんじゃないか?」と研究始める始末です。

しかもそのあいだに、海軍はN1水上戦闘機を川西に発注するというムダをしました。できたときには使う予定だった南方の島嶼地帯が危険になりすぎ、琵琶湖などを基地にして使っていたという。
結果として雷電が昭和十八年になってもパッとしない。で、この水上戦闘機を陸上戦闘気にしよう、と海軍はいいだし、結果、紫電、紫電改となります。結局、生産現場は零戦、雷電、紫電、紫電改つくるというわからんことになり、あげく昭和19年に三菱の主力工場がある名古屋を東南海地震が直撃して大惨事になります。
海軍だけでこれだけのサワギしていますが、貧乏な日本はこのうえ、陸軍の飛行機も作っていました。雷電が作られた背景が、いかにムチャクチャだったかを理解してください。

それで、乗員からは評判がよくありませんでした。これは操縦のしやすかった零戦あがりのパイロットが、操縦特性がまったくちがう雷電を嫌がったからです。また、実際離着陸が難しい飛行機で、特に着陸時に前が見えないという欠陥がありました。現場では、横の窓を見ながら着陸するという工夫をしています。また、操縦席がムダに広い、というヘンな悪評もありました(ガラスから顔が離れるので、見張りがしにくい。かつ、装備していた防弾ガラスの質も悪く透明度が低い。J2の操縦席は宴会ができる、と言われました)。

ただ、南方で油田地帯を防空した部隊は、油田地帯からえられる高品質な油脂を使っていたので、期待値に近い性能を発揮させることができてB17/24/29をよく撃墜しています。

戦後、アメリカがテストしたのですが、この時は好評でした。コクピット広いのはF4/F6/P40/P51も同じですし、振動もアメリカ人の感覚なら、許容範囲だったのです。多少のことは気にしないで、必要なときに戦場にいた飛行機のほうが、勝利に貢献したわけです。

日本の戦闘機は、基本的に繊細なデザインをされており、調子がいい機体に上手が乗って、タイマンだったら、同じ腕のパイロットが乗ったアメリカの戦闘機などこわくはないのです。ただアメリカ側はそれを知っていたので「みんなで殴ればこわくない」を実践し、万が一おとされてもすぐにレスキューがくる、という手際のよさでした。
また、高速の実験ができる風洞が日本には少なく、厳しく見ると、高速域性能を引き出すデザインは、全て失敗しています。

漫談です。

実は昭和14年ごろから、中国で爆撃機が戦闘機の迎撃でひどい目に遭った海軍は、迎撃機をデザインしたらいいんじゃないか、と、三菱ご指名で十四試局地戦闘機の要求書を交付しています。そして、零戦を終えた堀越氏が主査となってデザインがスタートしたわけですが、エンジンの選定と振動問題で手こずったのは、みなさんご指摘のとおりです。この振動問題、殉職者はでるわ、一年以上つぶれるわ。中島がおなじような元は爆撃機向けエンジンつけたキ44(鍾馗)が上手くいっているのと対照的です。...続きを読む


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