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詩人について

賞賛されている詩人の詩が誰にでも理解されないのは何故なんでしょう?
また、何故何を言っているのか理解できない人は理解できないのでしょうか?

A 回答 (5件)

このご質問は新聞記事のようないわば実用的な文章と詩とを比較してみれば理解し易いと思いますが、ひとことで言えば両者では評価する基準と、読む側に前提としているものが大きく異なるからです。



例えば新聞記事では「わかり易さ」というのは重要で欠かせない要素です。一度読めば明確に意味が理解できるものがよいとされ、何回も読み直さないと意味がわからないような記事、あるいは読み方によってさまざまな意味にとれるような記事はよくないとされています。(検閲の目をかいくぐって真実を伝えるような場合だけは例外ですが…)

一方詩では「わかり易い」詩ももちろん存在しますし、回答者のようにこれを好む人も少なくないとは思いますが、それは必要不可欠な要素ではないと思います。また読み方によってイメージが広がっていき、さまざまな意味に読み取れるということが、詩の場合には欠点ではなくむしろ美点とされます。

読む側に前提として求めているものも両者では違います。新聞記事が前提としているのは政治・経済・社会・文化などに対する基本的な知識だけです、昔は新人記者に「中学生が読んでも理解できるように書け」と教えていたそうですが、そういうことです。

しかし詩が読む側に求めているのは、そのような知識をただ多く持っていることではなく、言葉に対する鋭敏な感覚と柔軟な感性です。簡潔に昔風にいえば詩心があるかどうかです。これは知識の量とは必ずしも比例せず、個人差が大きいと感じます。このため「詩は理解できない」という人が少なくないのだと考えます。

あまりよい例ではないかもしれませんが、「提灯に明かりをともす」ことを「提灯に火をつける」と書いたのでは「提灯を燃やす」のと区別できないから「提灯の中の蝋燭立ての蝋燭の芯に火を点ける」と明確に書くべきだとするような立場から、最も遠い場所にいるのが詩人だということではないかと回答者は考えています。
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「詩人とは特権ではない。

不可避である。…詩人は、断じて手品師でない。詩は断じてトウル デスプリでない。根源、それだけの事だ。」(高村光太郎「第百階級」序文より)
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 こんばんは夜分に失礼します。

韻文が散文と最も異なる点は「最小限の言葉で最大のイメージを引き出すことのできる豊かさ」ともいえます。
 俳句が十七文字であり、ソネットは十四行詩です。何れも限られた字数の中で、言葉の世界を旅しようとの試みを行いもします。
 「蛸壺やはかなき夢を夏の月」との芭蕉の句を字面どおりに読んでもただただシュールな光景が浮かんでくるだけでしかありませんが、ひとたびそれが「須磨」との場所で詠まれた作と説明されたなら、解釈も一変します。須磨は栄華を誇った平氏一門が西国へと落ち延びていく最初の場所です。陣屋を張った背後は急峻な崖が迫り眼前には明石の海が広がるとの文字どおりの天然の要害とも呼べる地です。
 けれどもその自らを守るべき要害の地が反って徒となり、そこに自らを閉じ込める形ともなってしまったのが「一ノ谷の戦い」「義経の鵯越(ひよどり越え)」の逸話です。
 ですから、この句が須磨で読まれたことやその意味を考えて読むことを芭蕉は鑑賞者に求めてもいます。安堵できると思って腰を下ろしたはよいが、そこは出口なしで行き止まりそして一方通行との最悪の場所であり、それが同時に平氏の行く末を物語っていたと芭蕉が解釈したならば、その一端をどこかにヒントとして遺してもいるはずで、それが「蛸壺」と同時にやがては日の出と共に沈み行く「月」との言葉にも表されています。そして「夏」が夜明けの早いこともそこに掛け合わされ、平氏の栄華が一夜の夢のような儚いものとの眼差しで眺めている芭蕉の姿を垣間見ることも想像に難くはありません。
 一時の栄華が無常以外のなにものでもないとの理解は芭蕉が師と仰ぐ西行のスタンスとまさに同じといえそそうした背景を読み解くことも一つの愉しみともいえます。
 あとは、百人の人がいたならその百人全員が同じ感性や知識そして想像力を有しているとも限りません。そして感じ方も一様ではありません。
 私はユーミンの作品が好きだけど、貴方はどう?と聞かれた時に、私は中島みゆきの方が好きだなという人もいるでしょう。それくらいの基準ですよ。比較することに格別の意味があるわけでもなく、またそうした無意味な順位付けをすることが逆にその作品の輝きや息吹を奪うことにもなりはしまいか。僕はこんなことをかんがえてみました。
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>>賞賛されている詩人の詩が誰にでも理解されないのは何故なんでしょう?


>>また、何故何を言っているのか理解できない人は理解できないのでしょうか?
両方まとめて答えると、詩というものは、極力少ない単語数で、感情・情景などを表すものですから、その理解には、教養が必要だからです。
親が俳句(一番短い詩!)をやっていますが、素人目にいいと思える俳句は、せいぜい二線級の人の作品で、トップクラスの人の俳句は、意味が分からないか、意味が分かっても、それがどうした、という感想しか持てません。
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>賞賛されている詩人の詩が誰にでも理解されないのは何故なんでしょう?



余りにも簡単に理解されると、有難味が薄れるからです。

>何故何を言っているのか理解できない人は理解できないのでしょうか?

永遠に理解不能でしょう。というのも詩人本人が解っていないのですから、致し方ありません。
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