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3年前に祖母が亡くなりました。
私にとっては母も同然な、大切な存在でした。
亡くなったことに対する悲しさや淋しさは、もちろんありますが、それほど私を苦しめていません。
ただ、唯一、後悔のようなものがあり、たまに思い出すと苦しくなります。

それは、入院中に子供(祖母にとってのひ孫)を十分に連れていかなかったことです。
最後の瞬間にも立ち会わせませんでした。

意地悪や悪意があって会わせなかったのではありません。
子供に病気がうつるとかそういうつもりでもありませんでした。
病院は個室ではなかったし、子供を連れて行くのはマナー違反だと思っていたのです。
祖母がとても会いたがるので、1年間で2回ほどは連れていきました。
3歳でしたが騒ぐ子ではないので、目立ったご迷惑にはならなかったとは思いますが
子供がいること自体が不快に感じる人もいるかもしれないし、私の子供の方が何の菌を持っているかもしれないし・・・と、頻繁に連れていこうとは思えませんでした。

危篤の知らせがあった時も、夜だったのもありますが、子供は預けていきました。
私が着いた時には「苦しそうに見えますが、本人は意識や感覚がなくなっているので苦しさは感じていません」と説明される状態でした。
けれど・・・私が耳元で「おばあちゃん、来たよ!○○(私)だよ!」と声をかけた瞬間
祖母が目をぱっと開いてこちらを見たのです。
そして、一瞬何かを探すような目をして、何か言いたそうな顔をしました。
私はすぐに、ひ孫も来ているのか気にしたのだと分かりました(妄想かもしれませんが、いつもそうだったのです。それに、なぜかその時は確信に近いものがありました)
「□□(ひ孫)はお義母さんのところでねんねしてるよ!」と答えるとすぐに目を閉じ、それ以降は何の反応もなくなりました。

その時は、祖母のそばにいたい気持ちでいっぱいで、子供を連れてこようなんて思いつきませんでした。
けれど、後になってみれば、最後くらい会わせてあげるべきだったのでは・・・と思います。
ただ、最後の状態は、大人でもショックを受けるくらいの姿になっていましたので、ひいばあちゃんが大好きな3歳児には見せない方がよかっただろうとも思います。

そうなると、入院中にもっと会わせてあげればよかった・・・と思うようになりました。
マナーとか、他の人がとか、、思いっきり迷惑行為ならともかく、私は何を気にしていたんだろうと。
親バカではなく、静かで大人しく、言ったことが守れる子なのに・・・せっかく公共のマナーもきちんと躾けてきたのに・・・こんな時に連れていかないなんて。。
私はいったい誰に対して気を使っていたのか。常識とか良い子でいることに何でこんな真面目にこだわってしまったのだろう。
・・・と、時々、自己嫌悪になってしまいます。

とはいえ、自分の家族が入院しているから何でもあり・・・は私にはできなかったと思います。
でも、もっと会いたかっただろうな。触れたかっただろうな。と、自分が他人受けばかり気にして、祖母の気持ちに寄り添ってあげられなかったかもと悔やまれます。

祖母がそのことを怨んでいるとか、心残りで成仏できていないとか、そんな風には思いません。
ただ、ただ、自分が情けないというか、自分がしてやれなかった事に後悔というか、複雑な気持ちが残っています。

過ぎたことをいつまでも気にしていても仕方ないのですが、時々思い出されて苦しいです。
皆さんなら、どのように自分の中で気持ちに折り合いをつけますか?

A 回答 (5件)

初めまして。

中年女性です。

>「□□(ひ孫)はお義母さんのところでねんねしてるよ!」と答えるとすぐに目を閉じ、それ以降は何の反応もなくなりました。

わたしには、お祖母様、□□ちゃんがお義母様のところで寝ていると聞いて安堵したご様子にも思えました。
ほら…こんなふうに、お祖母様の本当の気持ちは、結局お祖母様にしか分からないのですから、あれこれと詮索して悪い方に考えちゃダメです。考えるなら、生きているあなたの都合に良い方に考えなくちゃ…

わたしも大切な人を失った経験がありますが、そういう経験をした人は誰でも、多かれ少なかれ自責の念、後悔の念を持ちながら生きているのかもしれませんね。
わたし自身も、「あの時、こうすればよかった…」、「もっとこうしてあげればよかった…」、「こんなことを言わなければよかった…」、などと、考えれば考えるほどキリがなくなって苦しくなります。

こういう気持ちは、相手がどうでもいい人だったら湧き起こらない気持ちで、その方が大切だった人であればあるほど、強烈になって残るのではないでしょうか。

でも、そのときはそれが最善の方法だと思っていたんですよね。たとえそれと反対のことをしていたとしても、後になって考えてみると、それもまた後悔の種になっていた可能性もあります。
例えば、質問者さまが頻繁にお子さんを連れて病院へ行っていたとしましょう。お祖母様が亡くなられてから、「子どもを連れて行ったことが病人の負担になったかもしれない」、こう思い悩むことになったかもしれません。

人間は完璧じゃありませんし、結果は予測できませんから、どうしても結果が出てから、あれこれと考えてしまいます。
特に、人の、時には動物(ペット)の生死に関わることには強烈な悔いが出やすいですし、何をどうやっても自責の念、後悔の念は残るのだと思います。
ただひとつ確かなことは、あのとき、あの瞬間、質問者さまはお祖母様と一緒のときを過ごし、ともに精一杯闘ったことなんです。あなたはお見舞いに行ってお祖母様を励ましになりました。お祖母様も命ある限り、それに応えたはずです。お祖母様はとても喜んでいらっしゃいましたよね。それは紛れもない事実なんです。
お祖母様と一緒に過ごしたときだけを、それだけが大切な日々だったとお考えになってはいかがでしょうか。

上記は、実はわたし自身にも日々言い聞かせていることです。気持ちを切り替えることは難しいと思いますが、なるべくプラスの方に考えてみてください。マイナスに考えると、ますます苦しくなりますから。
どうぞ、ご自愛くださいね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お気遣いの気持ちが心に染みました。

反対のことをしていても、後悔の種になっていたかもしれないですよね!
最後の瞬間に会わせなかったことが、色んな後悔を引っ張り出してしまったように思います。
けれど、最後の姿は壮絶でしたので、連れていかなかったからこそ、子供は今でも「ひいばあは星になって守ってくれてるんだよ」と屈託なく言えるのだと思います。いえ、思うようにします!

入院していた期間、遠方に住んでいた私は、夫と子供に色々と我慢してもらって
大切な祖母との時間を作ることができました。祖母も辛い体なのに頑張ってくれました。
その感謝の気持ちも忘れかけていました。
大切な時間を作れたこと、共に過ごせたこと、そのことに感謝して、クヨクヨしないようにしたいと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2014/07/06 10:54

初めまして(49の女です)内容は少し違いますが同じような経験をした者です。



なので私の経験でのアドバイスなので参考になれば幸いです。

先ずは質問者様の行動は間違えではなかったと思います。

昔なら最後の時は家で療養したり看取ったりとありましたが今は談話室や個室でない限り小さいお子様はお見舞いも難しいですからね。

今後の気持ちの持ち方としては亡くなられて3年と言うことは三回忌も終わったんですね。

上手く言えませんが…
『月命日』(この日は気にとめておくだけでも良いらしい)『命日』と、あの世ではお祝いで。
三回忌は3歳で七五三。
七回忌は小学校入学。
と続き三十三回忌までで…。

なので年に1回
入院中は会わせてあげれなかった分をその時にお墓参り(お婆ちゃん家)に会わせに行ってあげて『報告』(こんなに大きくなど)で良いと思いますよ。
てか気持ちは分かってるはずで、ちゃんと上から見ていてくれてますよ。
そして質問者様の気持ちを考えて逆に心配しているかも知れませんので明るく生きて下さい。
それも恩返しで供養かと。

あっ、お墓に行けない場合は仏壇がなくてもお水とお花を供えて手を合わせるだけで大丈夫で伝わるらしいですよ。
(お願い事は×らしい!心配して上でゆっくり出来ないらしいです。なので安心させる為に報告のみで)

お墓参りが家ならば手を合わせるだけは電話らしいと聞きました。

あっ、お盆やお彼岸はあちらから来てくれる日?簡単に言えばで訪問される日ですね。
おもてなし日(笑)

つたない文章で失礼致しました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>先ずは質問者様の行動は間違えではなかったと思います

そう言っていただけて、なんだか安心しました。ありがとうございます!

入院中に会わせられなかった分、お仏壇、お墓、日々の中でいっぱい報告しようと思います。
実は、祖母が亡くなってから、なかなか恵まれなかった第二子を授かりました。
祖母の紹介で来てくれたのかな?なんて感じてしまいました。
上の子のことも亡くなる前に「私が守ってあげる」と言っていたので、今でも信じてます。
回答者さんのおかげて、そういう感謝にもっと目を向けようと思いました。

お墓参りが家ならば、手を合わせるだけは電話。いいですね!
さっそく電話しました★
ありがとうございました!

お礼日時:2014/07/06 11:02

もう過ぎてしまったことなので、いまからどうすることもできません。



マナーを守ろうとしたことは、悪いことではないのです。その点は同じように感じます。

ただ、時によっては相手が何を求めているのかを考えなければならないことがあります。

貴女がいま、そのように後悔の念を持つと言うことは、祖母様により、そのことを強く教えて頂いたような気がしてなりません。

相手に喜んでもらうには、自分がどうすればいいのか、できることがないか、場合によっては柔軟さを求められることもございます。

今後の人生において、考えることですね。

祖母様がいたからこそ、貴女もお子さんもこの世に存在しているのですよ。忘れてはいけません。

これから子育てをしていく貴女に、思いやりの心を伝えてくれたのですね。

会わせなかったことの後悔もありますが、前に向かって教えてもらったことを忘れずに進んでください。

それが貴女の祖母様に対する供養になるものと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>場合によっては柔軟さを求められることもございます。

そうですね。本当に私の課題だと思います。
私の母は、常にルール無用の傍若無人タイプだったので「いいのよ!こういう時は!」というのに抵抗が強いのかもしれません。
自分が周りにどう見られたいかではなく、目の前の大切な人がどうして欲しがっているかをもっと素直な気持ちで受け止めるべきでした。

これからは、祖母の教えを胸に、もう一歩成長していきたいと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2014/07/06 10:44

> どのように自分の中で気持ちに折り合いをつけますか?



いい勉強になったので自分は自分のひ孫にはいい思い出を残してあげよう、とか
自分が自分の死期を悟ったら孫たちに感謝の手紙を残しておこう、とかですかね。
何事も経験ですが、それがいい経験になるかどうかは今後に活かせたかどうかですから。
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この回答へのお礼

>それがいい経験になるかどうかは今後に活かせたかどうかですから

その通りですね。祖母との最後の経験、ちゃんと活かしたいと思います。

祖母も、ひ孫を本当に可愛がってくれました。手紙もくれました。
子供もとても懐いていて、ひいばあちゃんと歩く時は手を引いてゆっくり歩くなど教えなくてもしてました。
そう考えると、祖母は私にだけでなく、ひ孫にも大切な物を残していってくれた気がします。
私もそんなひいばあちゃんになりたいです。

ありがとうございました!

お礼日時:2014/07/06 10:30

心の中で語りかけることです。

私事ですが、19年前に逝った母は夢の中ではまだ生きていることになっていて、時には大ゲンカしたりまでしています。あなたの心の中から消えるまで、おばあ様は永遠に生き続けます。大林信彦監督の「ふたり」にも同じような設定がありましたね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お母様と夢の中で会えるなんて素敵ですね!
私の中には祖母が生きているのが分かります。祖母ならこう言う、こうするだろうとよく思います。
きっと、祖母はそんな事気にしなくていいと言ってるはず。
でも、祖母が何と思おうと、自分自身に対する「何やってんだ私」の気持ちの整理がつかないのです。

みなさんが、私と同じ立場だったら、子供を病院に連れていったでしょうか。。
人による。と分かっていても、自分が真面目すぎるのかと気になります。

お礼日時:2014/07/04 23:10

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