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太平洋戦争で、第一段作戦終了後、進行した師団(G、2、5、38、48等)を現地復員し、内地よりの補充を加えて、第10~18の独立守備隊が、編成されました(第10のみ新編)
(1)配置された地域は分かっているのですが、正確に所属独立守備大隊が、どうしても分かりません。
推定は出来ますが、事実が分かりません(特に12、15、16、18)
(2)また、独立守備隊に所属せず、独立守備大隊単独で配置された物もある事は、分かっています(40、41、42)これら以外にもあったのでしょうか?
(3)これらの独立守備隊は、後に独立混成旅団、そして師団に編成されて行く事は、分かっていますが、その過程で、第18独立守備隊が、後に第94師団に改変されて行く事は分かっています。その過程で、独立歩兵大隊の番号が分かりません。
(4)これら独立守備隊の補充担任が、第10のみ、3D、16Dなのは分かっていますが、第11~18分かりません。
以上、私の調べた結果です。
これらの分かる方、教えて下さい。また、特筆する戦歴等があれば、教えて下さい。
戦史資料室へ行けは、お断り。
よろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

 先の大戦中の南方戦域における独立守備隊は、



1)1942年2月軍令陸甲第12号により臨時編成された

 第10独立守備隊:留守第3師団にて編成。独守第31~35大隊。補充担任:第43師団。


2)同年9月軍令陸甲第71号により現地において復帰(復員)した第10野戦補充隊、独立混成第4連隊、第5兵站地区隊、第43兵站地区隊、第78兵站地区隊、第47兵站地区隊本部、第47兵站勤務中隊、第48兵站地区隊本部、第48兵站勤務中隊、第14野戦勤務隊本部、第15野戦勤務隊本部、陸上勤務第77中隊、陸上勤務第78中隊、陸上勤務第108中隊の人員及び内地からの補充員を以て臨時編成された

 第11独立守備隊:独守第36~39大隊。補充担任:第46師団。

 第12独立守備隊:独守第43~47大隊。補充担任:第42師団。

 第13独立守備隊;独守第48~51大隊。補充担任:第65旅団。

 第14独立守備隊:独守第52~55大隊。補充担任:第47師団。

 第15独立守備隊:独守第56~59大隊。補充担任:第64独立歩兵団

 第16独立守備隊:独守第60・61大隊。補充担任:第47師団。

 独立守備歩兵第40大隊:補充担任:第42師団

 独立守備歩兵第41大隊:補充担任:第42師団

 独立守備歩兵第42大隊:補充担任:第42師団

 ※独守第40・41大隊は、ボルネオ島において独立混成第4連隊(岡山歩兵第154連隊補充隊にて臨時編成)の復帰人員を基幹として編成されたのち1944年11月~1945年2月にかけ独立歩兵第432大隊、独立歩兵第554大隊へ改編改称した。

 ※独立守備歩兵第42大隊は、初めビルマ南部のちマレー、第94師団編成要員となる。

3)1942年12月軍令陸甲第111号下令により、

 第17独立守備隊:独守第62~65大隊。補充担任:第46師団。

 1943年3月軍令陸甲第28号下令により

 第18独立守備隊:独守第66~69大隊。補充担任:第42師団 

 となっています。

 1945年5月には軍令陸甲第67号下令によりシンガポールにおいて独立警備歩兵大隊2個が編成されています。参考まで。



 独立守備隊関係の戦記:熊井敏美『フィリピンの血と泥  太平洋戦争最悪のゲリラ戦』 時事通信社

 中比パナイ島の第11独立守備隊に所属していた将校の回想記で、陸大卒の司令官 I少将(元第10野戦補充隊司令官)がゲリラの襲撃に怯えるようすや、田中軍司令官の視察の車列がゲリラに銃撃される不祥事、その報復として住民をゲリラとみなして片っ端から射殺するなど、当時の対ゲリラ戦闘の過酷さが描かれた書です。このようなタイプの戦闘は華々しさはなく、後ろめたさがあるためか文献はすくないようです。熊井氏も戦犯として刑に服しています。NHKアーカイブにて名前で検索すると回想を見ることができます。

 

この回答への補足

第18独立守備隊は、94Dのどの独立歩兵大隊になったのでっしょうか?
また、第42独立守備歩兵大隊の編成経緯を教えて下さい。

補足日時:2014/07/13 07:37
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この回答へのお礼

大変参考になりました。
長年のモヤモヤが解消されました。
第42独立守備大隊の編成経緯だけ、教えてもらえないでしょうか?
戦記:熊井敏美『フィリピンの血と泥  太平洋戦争最悪のゲリラ戦』探したいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/13 07:36

南方軍ってーどの辺なんですか―戦場は

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 独立守備歩兵第42大隊について



 独立混成第4連隊が復帰してボルネオ行となった際にビルマ南東部に残置された部隊が、42大隊となりました。大隊長は小原金祐大佐。補充担任所在地は仙台。大隊は引き続きビルマ南部および北部マレー地区の警備に従事していましたが、シンガポールへ移駐し同地から輸送船にてビルマ、ラングーンへ出発し、同地警備。のちタボイへ移動、1943年にモールメンヘ移動し主力は独立歩兵第138大隊へ改編となりました。第138大隊の補充担任所在地は山形。
 


参考資料:『岡山県郷土部隊史』同刊行会 66年 非売品 

  『旧帝国陸軍編制便覧 第二巻』 大内那翁逸ほか編 2000年 非売品 国立国会図書館蔵

  『ビルマ方面部隊略歴』 厚生省援護局 61年 非売品 「アジア歴史資料センター」で検索可 

  『陸軍部隊調査表』 陸軍省 45年 非売品 

 第42大隊の第94師団編合については『~編制便覧』にもとづく。マレーに残置していた一部を指すものを推測されます。

 独立守備大隊に軍属として所属し、のちに第94師団兵器勤務隊に入った方へ私が聴き取りした話では、兵器は潜水艦で、弾薬は輸送機で補充されたゲリラ部隊は機関銃や迫撃砲を装備し、まともに撃ち合いをしたらとてもかなわなかったということでした。

 近年戦争記録の開示が進んでいます。南西方面の独立守備隊のような知られざる部隊記録も今後情報を得られるようになればよいと思います。
 
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この回答へのお礼

とても、わかりやすく、ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/14 15:47

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