プロが教えるわが家の防犯対策術!

自殺しようとして思いとどまって、頑張って生き抜いて、生きてて良かった、自殺なんかしなくて良かったという話はよく聞きます。それは素晴らしいことです。
その逆はないのでしょうか。
いわゆる、あの時死んでいけばよかったとか、死んだ方がましだったと思うことが無いのでしょうか?
自殺という重い決断を絶って生きるという選択をした方、教えて下さい。
また関係者の方でもいいですので教えて下さい。

A 回答 (7件)

自殺ではなかったのですが、あの時死んでいた方が良かったと思ったことはありますよ。


私の場合は病気でした。
2週間前からなんか体調が変でした。
微熱があって体の節々が痛い。
風邪だろうと判断した私は市販の薬で様子を見ていました。
しかし朝起きると首から下が全く動かなくなっていました。
私が隣でワーワーと叫んでいるので目が覚めた夫が救急車を呼んでくれました。
それから三ヵ月はまるで地獄でした。
全身麻痺の上に激痛に見舞われ、一睡も眠れない。
何故私を助けたの?何故あのまま死なせてくれなかったの?と見舞いに来る度に夫を責めました。
まさしくあれは生き地獄でしたね。
それでも人間と言うのは勝手な生き物で、痛みが引けばまた生きる希望が湧いてきました。
リハビリ専門の病院に転院後、元に戻るのを期待しつつリハビリに励むも、思う様な成果も得られないまま退院。
それでも信じてリハビリを続けていましたが、医師の口からは無情にも障害者手帳の取得を進められてしまいました。
再度この時も何故あのままと夫を責めてしまいました。
今ではもう受け入れるしかありませんので、夫を困らせないようにしております。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
わたしはまだまだできることがあります。
もっと一生懸命生きなければいけません。
がんばってみます。

お礼日時:2014/07/15 17:02

今はないですね。


たぶん、これからもないでしょう、きっと。

飛び降り自殺しようとする人を止めようと近づくと飛んでしまう、ということがありますよね?。
まあ「ありますよね」というのもなんですが…そういうケースがあります。
アレは目的として「飛んで死ぬんだ」というものがあるわけですが…その時点では「他の選択肢」もちゃんと頭の中にあるのです。
だから迷うわけじゃないですか?。
それを止めようとして刺激すること「止めろ!」と呼びかけることで「飛ばなくていいのかもしれない」と一瞬思うわけです。
しかし同時に今度は「それだと今のこの状況は何だ、今まで何があったんだ」と思い返してしまう。
「揺り戻し」が来るわけです。
不安定で、短絡的思考になっているから、選択は二者択一しか無い。
それで飛び降りてしまうわけです。

「重い決断」ということですが…確かに決断そのものは重いのかもしれないけど、それを下すための「思考」というのは、そういった時には極めて「疎か」なものなのです。
熟慮しているようで、実は色々なことを「抜かして」考えるから、その結論が「自殺」という方法にまとまってしまう。
もう少し、他の手段を考えられているならば、そういった方法は取らないはずです。
考えられない、のではなくて「考えたくない」ように自分を追い込んでいることが多いのですよ。
生きることにソッポを向いている、ということです。

今はもう、様々な経験をしているから、死ぬことが選択の中に入ってはこないということです。
私がした「重い決断」というのがあるとするなら、それは「生きてやる!」ということです。
死ぬことそのものが重いことなんかじゃないんですよ。
死ぬのは、人間呆気無いほどに簡単に死ねるからね。
それはさして重い決断はいらない。
生きていこうと決めるほうが、それよりもっとずっと、重い決断ですよ。
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この回答へのお礼

そうですか。
やはり生きることはつらいことの連続なんですね。
その苦悩の連続からなにか見出せればいいのですが。

お礼日時:2014/07/15 16:58

長く生きていれば、一度や二度はあるんじゃないですか。



他の方のお答えにありましたが、私も人生50/50だと思います。

また、人の寿命は決まっていて、若くして亡くなる方は、それが寿命らしいですよね。

私は、小学校6年生の時、学校のプールの授業で友人を心臓発作で亡くしました。

長い間、忘れていましたが、自分が親になって、この季節になると、必ず、思い出します。

そして、なんで、あんなに早く死ななければならなかったのかと・・・

納得はいきませんが、寿命なんだと思います。

人って寿命が解らないから懸命に生きるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうですね。
あなたは何月何日に死にますとわかっていればどうかと思いますが、先がみえなっからこそ色々と苦悩があるのかもしれません。懸命に生きることが一番大事なのでしょうね

お礼日時:2014/07/15 16:59

>死んだほうがよかったと思うことがありますか?



残念ながらそれはないですけど

「死んでくれたらいいのに」って思う奴はいます。
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死んでいた方が良かったなんて事は、まずないと思います。

辛くて苦しい事ばかりって事は100%ないでしょう。
棺桶に入る前に思い出せば、人生プラスマイナスゼロだそうです。
自分に対しての良い事と悪い事はフィフティーフィフティーらしいですから。
交通事故の際に、病院に着く前に、家族が事故現場で車をみて、こりゃ死んでると思いながら病院に来てみたら
生きてたって言われました。
まだ、死ぬには早かったって事でしょう。
考え方ひとつで、変わりますので、楽天的に考えれば、死んだ方がましだったと思うことはないと思います。
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もしアノとき死んでたら今の自分はいないから


良かったって思えないだろうな。
今生きてるのは選択し続けたからだな。

知らなかった能力の足りなかった自分を
哀れだったなと思うことはあるが
やはり知らない方が良かったとは思えない。
ただ経験したくなかったことは山ほど起こったが。

でもこれが戦いだから。
矢尽きて刃朽ちて手足が砕け散って
歯も目も使えなくなって戦えなくなるまで
冷たく理不尽で無慈悲な世界に戦いを挑み続けるんだろうな。
出来るだけ自分の祈る方向に行くように。

永久に生きるわけじゃないから我慢できるけど楽じゃないね。
しかし麻薬でも山ほどやってラリったまま死んだ方が
仕事をしなかった分は楽だったのかもしれんと思う。
でもこのまま納得できない状態で負けるのはイヤだった。
人間というわずかな小さな命の抵抗だったとしても。

だからアノとき死んでる訳にはいかなかったけど
やっぱり楽じゃないなあ。人生苦界とはよく言ったモノだ。
と笑う。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
人間苦界まさにその通りだと思います。
私もあきらめずに頑張っていこうと思います。

お礼日時:2014/07/14 12:20

ありますね。


きつい時は「あぁ、このまま死んだらラクなのに」とか、
「あぁ、今から大地震起こって日本沈没しないかなぁ」ってね。

それでも生きてるのは第一には死ぬ勇気がないからです。
痛いの苦しいのイヤですから。

後はとりあえず納得して死にたい。
「やるだけはやった」って。

どうせ死ぬんなら、一生懸命成長したほうが、自己満に浸れます。
それだけです。
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この回答へのお礼

そうですか。ありがとうございます。
やはり辛いことは消えないのですね。
その先にある何かを見つけるために頑張ろうと思います。

お礼日時:2014/07/14 09:36

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