出産前後の痔にはご注意!

武士はなんで二本刀を持つのでしょうか?

A 回答 (6件)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
の解説がよろしいかと...
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この回答へのお礼

へぇこれはなかなか面白いですね。

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/07/26 08:56

実践的には長刀は役立たないからかと、部屋とか狭い所で防戦したりするときはで長刀と使い分ける短刀は。



建前は侍のタシナミー何時でも切腹の用意が武士たる由縁と形として二本差し。

で大東亜戦とかで戦闘機乗りも邪魔くさい軍刀もって戦闘機とかに乗り込んでたり将校は軍刀を差さないでチョチャラぶら下げてましたが一番有効だったのは高砂族がジャングル戦等に先祖伝来のバントウ持って出陣しましたがこれが一番実用的でしたね、枝払ったり動物捕まえれば皮裂いて解体したり敵居れば武士の短刀の役目果たしましたし、日本将校の軍刀何てドレにも役立たない、かったでした。

蛮刀は日本人か゛山菜取りに山に入ったり山仕事する時の必需品のナタと同じです役目は、軍刀で枝払って進軍とか不便ですからねーー。
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この回答へのお礼

脇差じゃ切腹用に長すぎませんか?

第二次大戦の話はおもしろかったです。
ありがとうございました。またお願いします。

お礼日時:2014/07/26 09:01

以前同じ趣旨の質問がありました。


下記に URL がありますから参考になるでしょう。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2645577.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/07/26 09:07

江戸時代には二本差しの侍は今の公務員。

一本差しは浪人や任侠で失業者。
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この回答へのお礼

どういう理由でそうなったんでしょう?

ありがとうございました

お礼日時:2014/07/26 08:59

武士が腰につけているのは打刀(うちがたな)と呼ばれる長い刀の他に、少し短い脇差(わきざし)と呼ばれる刀を差していますが、実はもう一本、脇差の下に小柄(こがら)という首切り専用の短刀も差していたそうです。

脇差は一本が使用不能になった時のスペア的意味合いがありました。
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この回答へのお礼

スペアなら長い刀二本のほうが良くないですかね?

ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/07/26 08:58

下記の解説が妥当だと思われます。

小太刀は組み討ちになったときの武器であり、太く丈夫に作られているそうです。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/osiete/s726.htm
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この回答へのお礼

なるほど。

ありがとうございます。またお願いします

お礼日時:2014/07/26 08:57

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Q武士は、なぜ刀を2本差してるの?

「二本差し」と言えば、武士を意味する言葉ですよね。
でもなぜ、刀と脇差の2本も腰に差しているのでしょうか?

そこでご質問なのですが、

1.いつ頃から、二本差しするようになったのですか?
2.二本差す理由はなんですか?
3.信長や秀吉が活躍した戦国時代で、実際の合戦場でも二本差ししていたのでしょうか?
4.武士なら誰でも、みんな二本差ししていたのでしょうか?

教えてください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

参考URLにあるように2本差すのは武士の象徴だったからです。
そして場面場面で2本差すか1本だけ差すかを分けていました。
城内では刀は入り口で預けて脇差しだけにしていますし。

それともう一つ、刀というのは時代劇にあるようにばっさばっさと人を連続では切れません。
地の利や人間の体の脂肪分ですぐに切れなくなります。
洗浄などでそうして切れなくなったり刀が折れたりしたときのために脇差しはあります。

参考URL:http://www.idj.ne.jp/~tahara/japanese/JITEN/katana.html#sashi

Q何故?お侍さんは刀を2本持ってるのでしょうか?

タイトル通りですが
お侍って腰の所に2本の刀(長刀と短刀)を、持っていていたのでしょうか?

Aベストアンサー

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・安土桃山の頃になると集団戦が
中心となったために、太刀が廃れ、
より扱いやすい打刀が主流となり
打刀(大きい方)が実用の武器となったわけです。

ちなみに腰に足緒(あしお)で吊る太刀に対して、
帯にさして用いる長い刀を打刀(うちがたな)といいます。

豊臣秀吉の刀狩以降、新スタイルの刀剣、新刀が生産されるようになり
大小拵、同じ鞘塗装、絵巻で統一された打刀と脇差の二本を腰にさす
武士の作法がしだいに完成されます。
江戸時代には幕府の規定で大刀・ニ尺三寸、脇差一尺五~七寸と
定格化されて、時代劇でみるような感じになったわけです。

この頃になると実用性はほとんど失われたので
拵も形式的なものになり、刃も薄く軽くされるようになっていて、
幕末の頃は、古刀(新刀以前に製造された刀)を用いる
示現流の薩摩藩士などとの戦いでは、刀ごと折られて頭を割られたという
事例がでたほどでした。ちなみにですが。

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・...続きを読む


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