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文学のカテに、おそらく高校生と思われる方が、「方丈記は
<読んでみてあまり面白いとは思いません>
それなのに、方丈記は
<何百年もの間人々に読まれてきたのか>」
という質問がありました。

私も、高校生のころ、学校の授業でも、受験勉強でも、上の質問者と同じように、方丈記は面白くない、と感じていました。(ただし、そのころでも、徒然草は面白かったです)  しかし、30歳代ころに、方丈記は読み返したら、興味が出、東日本大震災の後では、リアリティを感じました。
高校生への回答は、ほとんどが、もう少し年をとると、方丈記は面白くなる、というものでした。

ところで、私の質問は、高校生に興味の少ない方丈記を、なぜ教えるのか、ということです。面白くないものは、学習意欲も湧かないと、思います、もちろん、、授業時間数がいくらでも余裕があれば、当面は面白くなくても、将来のため、方丈記を学んだ方が良い、のはわかります。しかし、授業数枠の制約のなかでは、高校生にはもっと興味のあるものを教えてやった方が良い、と思いますが。

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A 回答 (12件中1~10件)

 この質問を改めて読みそして寄せられた回答に目を通してみましたが、質問者様と一部の回答者様の間には少なくとも誤解のあることに気付きました。


 「国語科」の領域で扱う文章には2種類があります。一つは説明の文章であり、もう一つが物語の文章です。このうちの後者をおそらくは文学理解と誤解しているのでしょう。
 けれども物語の文章をターゲットとして設定している理由もあります。それは説明の文章での論理性と物語の文章での論理性の違いを理解する切っ掛けを与えそして自らが主体的に考えるとの姿勢を養うことを目的としているとの点です。
 一般的な意味での「論理性」が純粋に論理的で合理性に裏打ちされているのに対し、物語の持つ論理性には「感性」との要素が加わることで、解釈の幅が少し拡がりもします。この点が大事です。
 そして中学校の課程以後で扱う「古典の領域」では何を学習目標とするかとの現実的な課題もあります。現在の言葉と古典の言葉での違いもあれば、その性質に基づく文法の違いもあります。
 こうした要素を理解することで、言葉の持つ豊かさを身に着けていくことを目標ともしています。これが英語をはじめロマンシュ語やゲルマン語の文化圏ならば、ラテン語で過去の文章を読むとのカリキュラムにもなります。
 文学的素養を過去の作品に求めてしまうと、それは個人の感性を伴う部分ですから、習熟度や理解度を測る「評価の問題」からこぼれ落ちてしまう生徒児童を切り捨ててしまうことにもつながりかねません。もっと卑俗な例でいえば「どっちがイイのか」との比較に堕してしまうとの愚問を大規模な形で進めてしまい。それでは教育が本来的に持つ「培う」との意味合いから遠離ってしまうことともなります。
 こうした意味で、『方丈記』を採り上げているのは、平安末から鎌倉初頭にかけての源平争乱の時代とその背後にある「移ろいゆくもの」を語る「無常」との意識を物語では、折々に触れての日記的な或いは随想的なメモの形で後世に残したこの作品が持つ文学史上の意味を学ぶとの視点に基づいて採り上げられてもいます。
 「無常の系譜」を辿っていけば、芭蕉から利休そして世阿弥から兼好から長明、あるいは定家から西行へと遡って行くこともできます。そうした流れの中に『平家物語』もあれば近世の上方落語や江戸落語も顔を覗かせてくる形です。
 こうした意味からすれば、漱石版の『方丈記』を彼の日記や講演などから復原することも可能であり、流れに身を委ねる力の使い方もあれば、来し方行く末に思いを巡らすとのスタイルもあるでしょう。
 教えてやるなどの上から目線が持つ意味と水先案内人として裏方に徹して「主役は貴方なのだから、貴方自身が読んで考えていくことが大切だよ」との間では、教えてやると肩に力の入ったスタイルで測ることのできる問題とそれを越えている対象を同じスケールで測ることと同じにしかなりません。これが答だ!との例の正解病患者を大量にコピーすることに僕は疑問と危惧を感じます。
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この回答へのお礼

再度もご回答ありがとうございました。
いつものながら、鋭く・深い分析には敬意を表します。
ご回答は、私にとっては難解で理解しきれていませんが、私の頭で理解できたことを自分の言葉で綴ります。
今まで、私の頭の中ですっぽりと抜けていた面を指摘して頂きました。それは
<「古典の領域」では何を学習目標とするか>
でした。その目標をおおざっぱに挙げると、次の二つになります。
1.まず、物語を味わう、(大層に言えば、人生を考える)
2.前項をよりよく実行できるため、テクニック(文法など)や文学史(位置付けなど)を学ぶ
今回の一連の質問・回答の溝は、次のように発生しています。
私は、一項を求めているから、今興味の持てる・味わえる物語が大切である。、
一方、あらかたの回答者様は、暫くは辛抱し、将来を見据えて学び、実力を蓄えろ、みたいですね。

お礼日時:2014/07/21 08:55

  入試問題に出るからでしょう?


教えていなくて入試に出たら、親が文句を言います。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<入試に出たら>
ということもありますね。鶏が先か、卵が先か、は分かりませんが、入試が教育へ大きな影響を及ぼしているのですね。

お礼日時:2014/07/25 08:36

面白いと思う高校生もいるからじゃない?


私は学校では中学生の頃に習いましたが、わりと好きでしたよ。少なくとも受験のためにコミックまで読んだ源氏物語よりは。
平家物語と方丈記は、自発的に他の内容も知りたくて本を買いましたから。

興味を持つのは人それぞれだと思うので、広くいろいろと教科書で扱うのは悪いことじゃないと思います。
中学の頃は本に飢えていて、若草物語や赤毛のアンなども教科書で読んで興味を持って、全巻を読みました。そういうものじゃないです?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<興味を持つのは人それぞれだと思うので、広くいろいろと教科書で扱うのは悪いことじゃないと思います。>
頭が柔軟で、何でも吸収できる可能性のある若い時に、いろいろな間口を広げるようしておくことは、貴重ですね
。とはいえ、方丈記が好きだったそうで、potatorooms様は、早熟だったのでしょうね。

お礼日時:2014/07/21 10:41

克己心を鍛えるためです。



興味が無いことでも、必要なら教えなければ
なりません。

楽しいことだけ、興味のあることだけを
勉強していたのでは、克己心が育ちません。

必要なことは、イヤでも苦しくても、歯を食いしばって
やるのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<克己心を鍛えるためです。>
ですね。方丈記は、(かわいそうに)その対象に選ばれた、のですね。

お礼日時:2014/07/19 12:36

高校は義務教育ではありませんし、私も含めて、世の中には勉強の嫌いな人の方が圧倒的に多いです。

だから高校に行けば、興味の湧かないことを、嫌々教え込まれるのです。それが嫌なら高校へは行かなくてもいいのです。質問者さんは「方丈記」のことを挙げておられますが、三角関数に興味を全く感じない高校生もいますし、「日本で英語は不要だ」と言い切る高校生も大勢います。その意見を全部受け入れたら、高校では何も勉強しなくてもいいということになります。強制的に、嫌々勉強するのが偽らざる実態だと思います。それを否定するなら高校に行かなくてもいいわけで、確固たる理由があって高校へ行かないという態度は素晴らしいと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<強制的に、嫌々勉強するのが偽らざる実態だ>
ですね。方丈記は、同情しますが、その対象に選択された、のですね。

お礼日時:2014/07/19 12:30

 件の質問に回答した一人です。

その質問を逆手にとって、尚且つ揚げ足取りをしている形ですね。
でも「高校生にはもっと興味のあるもの」といっても、具体的なデータも確たる論拠も示されていない以上、他の回答者から寄せられた回答を踏みにじる行為は許されもしないはずです。
 もし反論がおありでしたら、根拠となる事実を明記した上で補足をお寄せいただけましたならば、お話しさせていただきます。
 およそ現代の高校生が古文をまともに読めるとお考えでしょうか。漱石や鷗外の作品ですらヒイヒイ言いながら読んでいる程ですから、推して知るべしでしょう。
 逆に言えば『徒然草』ほど独断的で退屈そして意固地な作品も他にはそうそうみることもできませんね。人生に役立つなどといったつまらない処世訓は安雑誌の得意とするところですので、それこそ百害あって一利なしの典型です。
 仮に『徒然草』を扱うならば同時に小林秀雄の『当麻』をサブテキストとして併読させる必要もあります。そうすれば、なぜ教科書に『徒然草』が採り上げられているのかを生徒自らが知るための手掛かりとなり、同時に作品の意味を理解することにもつながりますから。それは裏を返せば、『徒然草』に対する評価がある程度固定されているとの事実に起因もします。
 逆に『方丈記』にはそれがない。あったとしても唐木順三の『無常』やこの作品を貫く「無常観」とその形成に関する見解は未確定のままです。
 そうした作品には現代の高校生が持つ様々な印象での読み方の違いが生じることを議論させても殊更に問題もないでしょう。むしろ授業の形としてはベストに近いともいえます。

 追記
高校生に教える、このことが誤解であることは言を俟つまでもありません。高校は義務教育課程ではないのですから、自身で学ぶ意思のない者は落第なり除籍しても不当性を訴える根拠ともなりません。
 そこまで手取り足取りする対象は少なくとも小学校までです。中学校はそれ以後への課程のためのトレーニング機関とも呼べますので、教えるとしても調べる順序や助言をするだけで事足ります。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
反論はありません。

お礼日時:2014/07/19 12:17

なぜ方丈記を教えるか、それは高校生の興味があるかないか、とは関係がないのです。



たとえば現代文ならどうでしょう。興味のある現代文なんてそもそもそれほどあるのでしょうか?村上春樹すら知らない高校生はたくさん居るでしょう。
しかし、現代文を使って、日本語の構造や、文章から意味を読み取る訓練(勉強)はする必要があるので、文章として切り出してもまとまっていて、使いやすい現代文を題材に教えることになります。

方丈記についていえば、枕草子・徒然草と並ぶ日本最古で最高峰の随筆になります。随筆とは現代語でいえばエッセーですが、つまり「日常的な内容について、自分が思ったことをつらつらと書く」ということです。

これはメールやツイッターにもつながる「人が文章を書く」という本質をあらわしている、ともいえます。

国語はそもそも「自分の思っていることを(日本語の)文章を通じて相手に伝える」というのが教育の最大のテーマです。受験戦争のために行っているわけではありません。

ですので、教科書の作り方も「日本語の知識を蓄えながら、自分を適正に表現できるようにする」ことを目的としています。
方丈記や徒然草は、日本文学の原点であり随筆の原点です。

言葉というのは、まったく新しい言葉や文章を思いついて書くなんていうことは誰にもできません。和歌でいうところの本歌取りをして、模倣しながら文章力が高まっていくのです。
そのような文章のたたき台のひとつが「方丈記」であり「徒然草」である、といえます。もちろん、もっと新しい文章をたたき台にしている人も居るでしょうが、そのたたき台になった本は方丈記かもしれないのです。

ですから、興味があるなしに関わらず、日本語を勉強するからにはこれらの随筆や古事記などの古代日本語、源氏物語のような小説、そして日本語の骨格となっている漢詩も学ぶ必要があるのです。
これらの土台があるから、よりよい日本語が書けるようになっていくといえます。

これがイギリスであれば、まずシェークスピアそしてディケンズさらには聖書などが取り上げられるでしょう。聖書に関しては学校教育で教えるのが少々難しいかもしれませんが・・

また興味がない、という点で言えば数学なんて興味のあるなしに関わらず教えられている教科の最たるものだと思います。
しかし、北野武監督(ビートたけし)が「二次元方程式を知らないと映画を組み立てられないし、ベクトルとか行列なんかを知らないとカット割ができない、微分積分が出来ないとスリラーやミステリーを作れない」といています。

まったく私も同感で「数学なんて社会に出てから絶対に使わないと思う」と発言する女子高生は昔からたくさん居ますが、高等数学の基礎を習っているから、さまざまなことへの理解力が発達するという点では「大いに役立っている」といえます。

学校の授業は明治殻見ても100年以上、寺子屋のノウハウも合わせれば200年以上の歴史と蓄積があるのです。

方丈記を高校生などで学ぶのは意味があるのです。興味はあるほうがよりいいですが、無くても学習することそのものが、社会に出てから役に立つのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
今回も沢山の貴重な回答を頂きましたが、初めて方丈記そのものの説明を頂きました。
<方丈記や徒然草は、日本文学の原点であり随筆の原点です。>
方丈記は、他のものと区別される特質を持っているのですね。面白いとか否とかに関係なく、方丈記は学習しなければならないのですね。

お礼日時:2014/07/19 08:29

>もっと興味の持てるものを教えず、なぜ、将来きいてくるるものをお教えるのか、が知りたいのですが。



高校生ともなれば、興味の持てるものは自分で
調べるなり、なんなりできますが、

古典文学などというものは、
そこで教えないと、生涯、触れることがないからでしょう。

千年以上昔の文章をまんま読むことができる国
というのも世界的には珍しいですからね。

また、興味の沸かないものにでも、
無理やり興味を持たせる。
学習する態度を身に着けさせるということも
社会人になる前にあたって大切な学習の一つです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<興味の持てるものは自分で調べるなり、なんなりできます>、
ですね。 
<興味の沸かないものにでも、無理やり興味を持たせる。>
必要があり、方丈記は、その目的のために、てごろのものなのですね。

お礼日時:2014/07/19 08:13

たぶんだけど楽しめる年齢になっても知りもしないのはどうかということではないでしょうか。


日本人はなぜか母国の歴史や文化に否定的。
もうちょっと自分の生まれ育った国に自信をもってもらい知識も深めてほしいなあ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<楽しめる年齢>
の際に、役に立つように、面白くなくても、外のものを差し置いてでも、急いで学習するのですね。

お礼日時:2014/07/19 08:02

万葉集も源氏物語も枕草子も同じです


そう 若者が読んでも理解できないのです

当時の文学作品は大人向けです
大人が理解出来ればよいのです
奈良・平安の歌人が1300年の後に子供が自分の文学を学ぶ事など夢にも思わんでしょう

だから大人になった高校生が理解出来ればそれでいいのですよ
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<当時の文学作品は大人向けです>
よって
<大人になった高校生が理解出来ればそれでいい>
のは、分かります。

ただし、高校の限られ綬業時間数の枠の中で、高校生がより興味の持てるものを教えないで、なぜ、興味の少ない方丈記を教えるのか、が知りたいのです。

お礼日時:2014/07/18 22:24

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