プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

今の成熟された高度な時代。
お金さえあればなんでもできる、なんでもしてくれる。
しかし、いいかえれば、金だけ使ってる時はよいけど
金を稼ぐ時はサービスの高度化、品質の高度化、技術の高度化
など仕事の厳しいさは昭和とはくらべものにならない。
単純なコンビニでも
昭和なら商品を陳列してレジうちするだけ。
しかし、今はいろんな過剰なサービスがあり、仕事も大変になったともいえる。

なんていうか、今は金を稼ぐ為に働くというだけで特に夢もない人が多いような気もするけど
昭和にはいろいろと夢があったようだ。
新幹線一つみても、今は別にできてもできなくてもいい整備新幹線だけ
別に長崎新幹線や北海道新幹線などできてもできなくても、ほとんどの人はどうでもいいと思うだろう。(北海道新幹線も地元札幌でも半数以上の6割はどうでもいいとの事でしたから)
空港も関空やかセントレアあたりができる頃までは夢もあったけど
その後は佐賀だの茨城だの利権なのか無駄な空港を作ってるだけの事。
平成になってできた無駄な公共施設は実に何十万。
こういった無駄に作られてきた施設の維持費の赤字だけで年に11兆円以上だという。

今の時代じゃ、はっきりって何不自由ない所にさらに金儲けしないといけないのだから
何不自由ない社会にさらに売れる物を作る、サービスしないといけないのだから
しんどいものだ。

A 回答 (5件)

昭和は64年までありましたから、後半だけでも30年以上あり、昭和32年と64年ではまったく違いますが、回答者が大学生から社会人だった昭和50年代以降に限って言うと、必ずしも「夢があった」とは言えず、現在と比較して「いい時代だった」とも言い切れないと考えます。



ひとことで言えば現在より社会での差別的な取り扱いが広く存在した時代でした。例えば就職一つをとっても、男女雇用機会均等法施行(昭和61年)以前には、男子だけ募集(女子は門前払い)という企業や職種が少なくありませんでした。障碍者などの待遇は「さらなり」です。

ただし、かっこ付きの「いい大学」を出て「いい企業」や「いい官庁」に入れば「終身雇用で幸福な生活」ができるというある種の「神話」が、「今太閤」と言われた元首相に象徴されるような、これとは対照的なもう一方の「神話」とともに今より広く信じられていたことは確かだと考えます。そうした「神話」の一つを信じてつかの間の「夢を見た」人は今より多かったかもしれないと考えます。

現代はこれとは大きく異なります。「いい大学」→「いい企業・官庁」→「幸福な生活」という神話が色あせていくとともに、「今太閤」神話や「たたき上げの立志伝」神話も(今も信じている人はいますが)神通力を失っています。そしてこれに代わる神話は生まれていません。こうした既製品の「夢を見る」人は確実に減っているでしょう。

しかし…と、いくらかの希望を込めて回答者は考えるのですが、既製品ではない自分のオリジナルの夢を信じている人は、若者を中心に昔も今も存在しているし、その割合(人数で言えば少子化で減っていることは確実です)が、減っているとは即断できないと思います。

現代は昭和50年代と比較すれば、社会では差別的な取り扱いが減少した一方で細かな規制やルールが増加しています。これは公的なものだけではなく、例えば職場でも昔は見よう見まねで先輩から学べばすんでいた業務が、今では細かなマニュアルに従わなければならなくなっていることは少なくありません。そうしないと「サービスの高度化、品質の高度化、技術の高度化」に対応しづらくなっています。

さらに国際的な競争も激しくなっている中で、仕事をして稼いでいくのは楽ではないと思いますが、「意気精神磨滅すべからず」ではないでしょうか。
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夢があって良かったなあ、なんて思えるのは後からの


話です。

当時のひとは、生きることに懸命だっただけです。
格差も今よりず~と大きかったし、犯罪も多発
していました。
貧しかったから当然です。

そして豊かになってから、過去を思うと

「ああ、昔は夢があって良い時代だったな」

と感じるだけです。

途上国の人達は夢があって幸せだなあ、と
思いますか?

貧乏と内乱に明け暮れて明日をも知れぬ生活を
送っている国の人々がうらやましいですか?
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バブル期は何でもお金の時代だったと思います。



今の方が功利主義で欲望が多いですが、お金にはこだわらないような。


バブル期はお金の循環がよくて、製品の技術は停滞したものの習慣など進歩的な面があったように思います。

それ以降は技術が革新したものの、より統制的で保守的で進歩が止まったような気がします。選択肢は増えましたね。

最近、バブルの再来のような空気も一部感じれますが、両方の悪いところが集まらないようになればと思います。

エドマンド・バーグ議員の「フランス革命の省察」ではないですが、革新的な世の中に保守主義ってあらわれるなど、時勢に対応して何か思想って起こるのでしょうか?
人間って何かバランスとっているのでしょうか?

今はバブル期の上に積み重ねているので、当然当時より技術が進んだ中で生活をしています。
それを差し引くとどうかわからないということでしょうか。
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 今の高校生を見ていると、携帯やスマホの縛りは校則より厳しい。

数分以内に返事を返さないと無視だなんて、ポケベルより厳しいよね。彼らは顔を見て話すことを苦手とし、音声でのやりとりも避ける。故に二語文での単文の羅列で会話をし、意思疎通は20%程度で友達という。俺たちにとっては、知り合い以下の関係でケンカをする。そして、離れていく。言葉を交わしたのは何分くらいなのだろう。同じく親は友達と化し、自分がいちばんだから、イヤになれば父を取り替え、家に他人が居座る。子どもから親に連絡を取ってもらって、明日返事を聞けない家庭ってなんなんだ。親子の連絡も文章で行われる。
 携帯スマホの文化は、歴史が変わるほどの失敗だと思う。つくづく、高校生の時になくて良かったと思う。ドタキャンができない駅の伝言板の時代は、ヒトとのつながりを顔で繋がらせた。

この回答への補足

たしかに便利だけど
失った物も大きい。
スマホやITの進歩で仕事も複雑化
ストレスも過剰に増えた。
質問にも書いたけど消費者の立場の時だけは良いけど。

補足日時:2014/07/20 23:01
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バブルの絶頂で全てがカネ次第だった昭和後期と比べると、今の世の中は、経済力はもちろん重視するが、環境問題やボランティアなどの社会活動も重視するようになってきたので、今の方がよっぽどい良いよ。

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この回答へのお礼

環境問題はもうどうにもならないでしょう。
アジアの少子化してない人口増えまくっている国を
どうにかしない事には、地球温暖化問題等の問題は解消されないと思う。ボランティア活動って重視されているのですか?
大震災の時の品薄時も今みたいに便乗値上げだらけでした、特に食品類は。
なにしろお金さえあれば何でもできるようになったけど
仕事の高度化で生産者の立場の時はかなり厳しくしんどくなったと思います。

お礼日時:2014/07/20 23:04

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