プロが教えるわが家の防犯対策術!

日本語を勉強中の中国人です。ある作家についての見方についてお伺いします。

社会のこれあれ厳しく鋭く正直に指摘するのに、プライベート面で複数の女性と関係を持つ(奥さんの妊娠中で不倫、女性関係もいつも乱れている)作家のこと、どう思われますか。好きになれるでしょうか。作家の生き方と作品をわけて考えたほうがよろしいでしょうか。それとも生き方と作品が一致していない作家のことを信用しないほうがよろしいでしょうか。ご意見をお願いいたします。

また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (9件)

厳しく真面目な発言をやっていくなら、自らも襟を正した方がいい。


そんな風に思う人は少なくはないように思います。

多くの人は、大なり小なりだらしない所を持つことも
あるかと思います。

何にだらしないかは、人それぞれ違うのでしょうけど
完璧って難しいですよね。
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この回答へのお礼

No.9さんのお礼欄をお借りしてまとめてお礼させていただきます。皆さんのご回答はどれもとても参考になり、大変よい勉強となりました。作家も人間で神様ではないと自分のなかでこのように理解できました。心から厚くお礼申し上げます。

お礼日時:2014/08/09 12:13

子曰、其言之不怍、則其爲之也難


子夏曰、小人之過也必文

その作家が作品を造るにあたってひょっとすると不道徳なことが必要なのかもしれませんよ
不道徳を恥と感じるからこそ、その不道徳を隠すために生まれたのが社会批判的な作品なのかもしれません

私は作家の生き方と作品を分けて考えるべきではないと思います
作品が立派で行いが下品な人は、心理的に屈折したものがあるからだと考えます

その屈折が創作意欲を生むのか、作品の方向性を決めるのかはわかりませんが
生き方と作品を分けて考えるとそういった人間的なものの見方ができなくなってしまいます

それは群盲象を評すのようなことになりかねません
だから信用すべきかどうかを判断するなら分けて考えてはいけないと思います
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>「作家の生き方と作品をわけて考えたほうがよろしいでしょうか。



そうでしょうね。


端的な例としては「ある命題の証明」とかですか。

その、私生活が、どうでも?
(「法に触れる」くらいなら、問題だろうて、・・・因果応報か)


>「ニュートンのことを信用しないほうがよろしいでしょうか」
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>会のこれあれ厳しく鋭く正直に指摘するのに、プライベート面で複数の女性と関係を持つ(奥さんの妊娠中で不倫、女性関係もいつも乱れている)作家



>好きになれるでしょうか
私は面白い(興味がもてる)作家だと思いますが、当然ながらこれは趣味の問題でもあり、嫌う人が居てもまったく不思議ではないとおもいます。むしろ当然であり、特に作品を知らない間は普通は遠ざける方が健康的でしょう。ただ、若い美人の女性作家がもてはやされることとこれは(逆ですが)ちょっと似ているのかなとも思います。ですから
>作家の生き方と作品をわけて考えたほうがよろしいでしょうか。

普通はそうだとおもいます。ただ、この作家に深く魅入られたりして、作品と実生活との間の矛盾などを比較する、いわゆる作家の全体的な研究をする場合は(当然ですが)そうはしない(できない)でしょう。

>生き方と作品が一致していない作家のことを信用しないほうがよろしいでしょうか。

信用するなとは誰もいえません(いうおせっかいな人も居るかもしれません)が、そういう態度もあり得るとおもいます。でも、作家の私生活はいずれ忘れ去られますが、作品は、それが独創的なものであれば彼の死後も残ります。作品がすべてだという考え方もあり、この考え方は偏狭だといえないこともありませんね。
ただ、いえることは、彼と同時代で個人的に付き合うことは(いかに作品がすぐれていても)ちょっと、と私も思います。
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その作家の書く文章は哲学(世界観、価値観)ではないか、


もし哲学だとしたら、その作家はそれを信じていない(間違っ
ていると思っている)のでしょう。
もし、言っている事に学ぶべき内容があれば、作家の如何
に関わらず習得すれば良いだけの話だ。
美味しい料理だって、栄養を吸収すれば残りは糞(作家)だ。
別に相手を尊敬するために学んでいる訳ではないでしょう?
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私は文学作品を読むときに、作家個人の私生活なんかには関心を持ちません。


文学作品と作家とは別で、文学作品は独立だと考えています。
昔は文学作品と作家を結び付けて考える批評もあったようですが、戦後フランスの文学理論などでは、読者論が主流になり、文学作品は作家の「表現」ではなく、読者の読み方次第、という考え方が持たれるようになりました。
ロラン・バルトは「作者の死」という論文で、文学作品の作者なんか、無視すればいいんだ、と言っています。
読者の解釈次第で、いろいろな見方や解釈があるので、それでいいのだと思います。
ロラン・バルトはそれを「テクストの快楽」と言っています。
どんな解釈をしてもいいとなれば、たしかに快楽ですよね?
昔よく学校で国語の先生にある文学作品を取り上げて、生徒に「作者はこの作品で、何を言いたかったのだと思いますか?」と質問して困らせたけど、もう作者は死んだのだから、悩むことも困ることもないと思います。
私は私で、その作品に自分なりに解釈すればいいのですから。
解釈はこれ一つしかないと、押し付けることもないし。
昔は作者が権威で、作品の意味は作者がいちばんよく知っているという先入観がありました。
だけど、これは文学作品を書いた人なら知っていることですが、作者だって、一人の読者なので、自分の書いたものの意味なんてよく知らないのです。
作者がいちばんよく知っているに違いないなんてウソです。
作者もよく分からないで書いています。
何を書こうと初めから分かっていて、書く作家はいません。
書いている中で、考えているんです。
それに自分で文学作品を書いてみれば分かるように作品の主人公などが独り歩きして、作家はそれを追いかけることしかできないんです。
作品の中で主人公がひとりでに歩き始めます。
作家は書いているのではなく、書かされているのです。

昔は日本でも「私小説」といって、自分の私生活をリアルに描くことがはやりました。
その場合は作家の私生活を知る必要もあったかも知れませんが、昔は読者の数が少なかったから、それでも良かったかもしれませんが、今は読者の数がはるかに多くなっています。
昔の作家の作品の発行部数は数百です。
それが今は数千から、何万です。
自分の身の周りの私生活を書いていたら読者は離れて行きます。
読者は作家の私生活が知りたくて、作品を読んでいるわけではない。
作品そのものが面白いから、作品を読んでいるのです。
だとしたら、文学作品を読むのに、どうして作家のことに関心を持っていられるでしょうか?
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・・・ほほぉ。



かたじけない。


いや、これは、日本でも、よくよくある問題点の指摘と思います。

(曰く)
「長所に抜きん出ている」生徒に対して、「いやいや、短所だらけだから、短所を補いなさい」
・・・日本流だとか。
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 人の“思い”と“生き方”にはなぜか“ずれ”が有るようです。



 思い出すのは志賀直哉という作家です。作品は好きでしたがある時、癇癪を起して目の前のテーブル(お膳)をひっくり返した、と云う事を知った時にその“人間性”を疑ってしまいました。

 へえ~、志賀直哉ってそんな人なんだ、なんて。
 以来、この人の作品は読みたくなくなってしまいました。

 “信用”以前の問題、と云うより心情の世界の事なんでしょう。
 “わけて考える”ことが出来るなら、しても問題はないと思います。

 私は二度と志賀直哉の作品を読む気はしませんが。

 不自然な表現について、

 「社会のこれあれ厳しく・・・」

 これは社会のいろいろな事、と云う意味で云っているのだと思いますが、そうならば「社会のあれこれに就いて厳しく・・・」と云うのが正しいように思います。

 
 
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その作家が、「プライベート面で複数の女性と関係を持つ(奥さんの妊娠中で不倫、女性関係もいつも乱れている・・・というのはけしからん!」と言っていないのであれば、他のことでいくら「非常識だ」「感心出来ない」だのと言おうと、主張と相反してはいないと思います。


・・・ということになると思います。

もし「プライベート面で複数の女性と関係を持つ(奥さんの妊娠中で不倫、女性関係もいつも乱れている・・・というのはけしからん!」と言っているとしても、「してはいけないと思っていても、してしまう」のが人間な訳ですし、「理想」と「現実」の狭間で苦悩するのが人間です。
その作家自身も「自分自身」を評価しているとは限らないですし、そういったことがクリア出来ている人間に憧れと尊敬を抱いているからこそ「(自分も含めて)かくあるべき」と主張するのかもしれませんし・・・そういう意味なら嘘ではないですし、一応矛盾はしていないと思います。


一番信用できない作家(文学に限らずアートでも音楽でも映画でもなんでもそうですが)というのは、「見栄」とか「金」とか「名誉」とか「今、目の前にある問題解決」・・・等といった「創作」と別次元の理由の為に嘘をつく作家だと思います。それは「信念」の無い作家とも言えると思います。
「社会のこれあれ厳しく鋭く正直に指摘する」のであれば、それは文字通りその作家にとっての「嘘ではない」のでしょうから、「信用出来ない」どころか、正直で可愛いものだと思います。
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