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人間の強い意志の力や強い願望から起きる奇跡は、本当に科学では解明できないものなのでしょうか?

強い意志や願望があっても叶わない物だってあるだろうし。
たとえば、いくらライオンが好きだからといって、ライオンになれるわけでもありません。

その起きた奇跡は、
ただの偶然だったとか、
中心人物に心を寄せた人々の見えない繋がりが生み出す物(会社などの集団で役割をこなすことで全体が一つの目的を達成させる的な)だとか、
物事を叶えようとする意志に邪魔になるものが引いたとか。

いろいろと説明できそうな気がしますが。いかかでしょうか?

花に嵐のたとえの通り、強い意志や願望があっても何かしらの邪魔や妨害が入り込んできますよね。

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A 回答 (4件)

 昔、「ラッキーをつかみ取る技術」という新書があったんですがタイトルからするといかにも胡散臭い啓発本の類で「心構えとか願とかで幸運が回ってくる」とでもいってるのかなあとも思ったのですが、実際はちょっと違いました。

直接的な筆者の趣旨だったかどうかは忘れましたが、自分のであったまわりの人間を見ていても納得するなあと思うのは、結局「幸運な人、ラッキーな人」と思われる人間ってのは特別に幸運な人間だけがそういうわけではなくて結局日頃からその何かに対してしっかりと準備がされている人間であることだったり、あるいは失敗してもめげないで限られたチャンスをうまくものにできるような人だということです。

 わかりにくい言い方なので例を上げると、たとえば大学受験一回でまぐれで合格する人間ともともとかなり優秀な人間がいてたまたま試験に落ちただろう人間がいたとします。その一回だけでみれば前者が後者より優秀なのかもしれませんが、かりにこれが10回の平均だったとするとおそらく後者の人間のほうが良い結果が得られるはずです。もしこれが人生長い目で見たときの偶然や周囲の環境による「チャンス」とするならば、どんなに願ったところでコントロールできる程度は限られています。ただ、誰でも一度ぐらいは自分の人生のチャンスというのはあったりするもんで、そのチャンスが来たときにいかに準備されているかどうかで、その人がそのチャンスを逃すか、あるいは限られたチャンスをつかみ取ってその望みを達成するかにかかっているというわけです。そういう意味では、「強い意志や願望」というのだって仮に自分の手に負えないようなチャンスが必要なものであっても、限られたチャンスを確実につかむためにいかに過剰に備えておけるかどうかというのが科学的に言うとするならば統計的に正しいやり方なんじゃないかとおもいます。大きなブレはあっても、結局多くの人間にとってチャンスと不運がやってくる機会ってのはコントロールできないなら逆に平均的にはそれほど違うはずはないということです。

 「科学的」という趣旨から厳密にはずれるならば、チャンス自体に積極的影響を与える行為というのはおそらく存在すると思います。たとえば、勉強ができる人間とできない人間の生活習慣とかは統計学的には明らかに特定の相関があるでしょうし、優秀な人間の多くはだれかに教わり上手だったりするとかいうのもその辺の能力と意志や願望を達成させやすい、社会で評価されやすいという統計的な相関があるからだということです。これを広く科学としていうならば、世の中のマーケティングとかビジネス戦略とかそういうもので取り入られているともいえるでしょう。科学というより社会学、経済学に近いかもしれませんが、一般社会での意思決定というのは思っているほど絶対的確率論の世界ではなくて、案外その目的に応じてコントロール可能な部分もあるのです。あなたが気付かないところでも活用されています。

 というわけで、もちろん「明日の朝起きたらライオンになりたい」とか突拍子もないことはちょっと極端ですが、たとえば昔のアメリカで黒人が「体の色に関係ない社会がほしい」とか100年前からすればそれこそ奇跡に近いような「空を飛びたい」ということだってその当時の常識からすれば夢に近いような意志や願望だったのか知れませんが、ただの夢物語で終わらなかったからには、その背景にはさまざまなまわりを巻き込んでいく知恵があったと思われます。現在はあくまで「人間科学」とかそのへんの学問にしか過ぎないかもしれませんけど、意思決定も一応科学的な考察はできるでしょう。 

 いずれにせよ学問である以上客観的解析手法が必要ですからかりにも因果関係に相関があるか否かなどの解析は可能ですが、それに意味をもたせるという趣旨(物事を叶えようとする意志に邪魔になるものが引いた、みたいな?)はあまり科学というとらえ方とは少し違うとは思いますね。ただ、命題の設定の仕方よっては、意思決定や願望とその成否だって科学的にとらえることは不可能ではないとは思いますよ。



 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

めぐってくる好機のタイミングを掴めるかどうかということかもしれませんね。
タイミングは少しも待ってくれませんし。こちらの都合などおかまいなしですしね。

それを掴むことができる資格を持っているかどうかとは、日頃から勉強や努力、準備を怠らなかった人で、
掴めるかどうかとは、運やタイミングが合うか合わないかかもしれませんね。

お礼日時:2014/07/28 16:33

その前に人間の意志決定て、どこに原因があるの?ってことも科学ではまったくわからないのですよ。



つまり、手をあげる、こうやって書く、読む、のそもそもの原因って何だろう?
科学にとっては、原因がわからない以上、このようなことでさえ、奇跡であり続けるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ホムンクルスを作っても、感情を持たないただの人形と同じと、
いうようなことですかね。

お礼日時:2014/07/28 16:22

先の回答は因果律の説明とかおもしろいけど、「科学は一種の宗教」というのは完全に間違いです。

この人の宗教の定義がわかりませんがw

>人間の強い意志の力や強い願望から起きる奇跡は、本当に科学では解明できないものなのでしょうか?

先ず、科学では「奇跡」を説明しません。というかそもそも奇跡といのは宗教用語で科学用語ではないので科学では(科学論文では)奇跡という言葉は使いません。科学で用いる場合単に「低い確率の事象が起こった」という意味に使う程度です。ですので「確率が低い」という単純なことで、低くても確率があるということは必ず起こるということでもあり、学的な矛盾はありません。
また「科学で解明できるか」は単に人間の能力の問題です。現在わからないことか未来にわかるかどうかは未来にならないとわからないのです。科学は占いでも予言でもありません。事実だけが問題なので、今わからないことを将来わかると断言することはありません。あなたのいう奇跡が科学的に説明できることであってもその説明ができる前に(科学的な解明ができる前に)人類が絶滅してしまう可能性だってあるのですから。
つまり「人の願い」であるかどうかは関係なく確率的に低いことがころうことを奇跡というだけで、科学で解明できるかどうは無関係です。

たとえば宝くじの1等が当たるなんて奇跡ですが、宝くじは必ず当選者がいるわけなので「当選者がいる」ということは科学的には当たり前のことです。確率を個人でみるから「宝くじが当たるのは奇跡」だと感じるだけで全体を見れば当たりまえです。

「人間の強い意志の力や強い願望から起きる」ことが物理的に矛盾がないなら科学的にいえば「起こるべくして起こった」ことなのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

それぞれの立場からの見方によって、
当たり前だとか、奇跡だとか、に別れるということですかね。
あと、その人から想定しきれなかった事態が奇跡と呼ぶ物でしょうか。
つまり、想定しきれないその人の無能が感じるのが奇跡なのかもしれませんね。

お礼日時:2014/07/28 16:28

「科学」は因果律をあがめる宗教です。


ですから、当然「再現性」が第一になります。
この二者が「同じ事だ」と理解するのは結構面倒ですが、以下のようなことです。
ある「前提」が満足されれば「同じ結果」が期待されます。
これが最初の二行と同じ意味だと言う事はお分かりになるでしょう。
同じ前提から別の結果が生じたら、「因果律」も「再現性」も崩壊します。
時にはこれが破壊される事が起きます。
その時科学は「原因」を探します。
通常「第三の」ファクターは「容易」か「極めて困難か」は別にして見出され、見出した人の「業績」になります。

これらから言えることは、一度起きても二度と起きないことは「科学」の「範疇」では無い事になります。

奇跡が奇跡である理由は「普遍的」には起きないというたった一点に帰されます。
再現性のある「奇跡」という言明は、論理学的に破綻しています。
だから科学と奇跡は両立しません。

あなたはどちらを信じても構いません、だが「科学」という宗教は、地上でたった一つ「バチが当たる」宗教だと言う事です。
空を飛ぼうとして崖やビルから飛び出せば、良くて大けが、普通は死にます。
これが「科学」を無視した時にあたる「バチ」です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

面白い解釈ですね。

お礼日時:2014/07/28 16:25

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国の将来を計る、タイミングを計る、利益を計る、数量を計る、時間を計る、計り知れない恩恵を受ける など

このほか、「処置する」という意味もあり、「取り計らう」、「特別な計らい」などの用例があります。

一方、「測る」は、物の長さ、広さ、程度などを調べることで、物のそばに尺度をくっつけて測ることから、次のような用例があります。

距離を測る、面積を測る、体温を測る、血圧を測る、速度を測る など

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QスペックだけでははかりしれないMacの神秘

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CPU / 1.5GHz
メモリ / 4GB 
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です。これは主に仕事用にメインで使っていて
家では基本的にメールやネットのみでMac Bookを使用しております。
スペックは
CPU / 2.4GHz Intel Core 2 Duo
メモリ / 2.4GB 
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です。CPUで決定的に上回っているはずのMac BooKですが
なぜか同じデータを同じアプリケーションで使用した場合
細かい所でやはりタワー型の方が速いんです。
ちなみにMac BookはOSはレパードです。
両方で使用しているメインアプリは
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