エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

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A 回答 (7件)

まずですね、一神教ってのが興るんです。

「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
3宗教の経緯について、ダイナミックな説明をして頂きました。
3つの宗教は、一神教と言うこともあり、代々緊密につながっているのですね。
まず、出発点が、
<ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。>
ですね。首都に神殿を建立したのですね。(今、まだ理解できていないのは、地理的にはあまり要所とは思われないエルサレムが、なぜ首都とされたか、ですが) その地を、何千年後のユダヤ教徒は、聖地としているのですね。
ユダヤ教から発生した
<キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」です。>
ですね。おそらイエスは、エレサレム周辺を主な活動の地にしていたのですね。
そして、ムハマンドは、
<偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」。
ということで、
<エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。>
ですね。
<もともとの根っこであるユダヤ教の聖地は、当然そこから発展した同じ神をあがめる一神教の聖地>
になったのですね。

お礼日時:2014/07/29 11:49

>ユダヤ教の流れからキリスト教やイスラム教が生まれる



これの補足になりますが、イスラム教の聖典は、
コーラン+新約聖書+旧約聖書(の部分)です。
したがって、たとえば旧約聖書のモーセ関連などは3宗教共通のエピソードに当ります。

※アラーの神とヤハウェの神は、呼び名が違うだけで全く同じ神様です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<共通のエピソード>
があるそうですね。たとえば、キリスト教では、救世主とされているイエスは、イスラム教では、預言者の一人とされているのですね。3宗教は、同族だけど、(大きな)違いがあるのですね。
エレサレムに3宗教の聖地が在るのですが、たまたま在るのか、そこには必然性(たとえば地理的に)が存在しているのか、知りたいところです。

お礼日時:2014/08/02 12:58

<ユダヤ教という特異な一神教となり、その流れからキリスト教やイスラム教が生まれるということになります。


思考の似た3宗教ができたのですね。


ユダヤ教イエス派が「オイラたちはユダヤ教ではないよ」として出来たのがキリスト教

人生どうやって生きていこうかとムハンマドが悩んだ時に、アラブ人の信仰と違う信仰を持っている集団がいた、それがユダヤ人である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%89% …

622年7月16日のヒジュラ(聖遷)以降、当時メディナで対立していたユダヤ人とアラブ人の仲介となるメディナ憲章の締結により影響力を得てウンマ(イスラーム共同体)を組織したムハンマド

ムハンマドはメッカからメディナに逃亡したという面もあるが、メディナサイドで見ると、アラブ人でありユダヤ教を理解できる人物としてムハンマドがメディナに仲介者として招聘されたという側面もある。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、(私が)思ってたよりお互いに親和性を持っているのですね。それは、3宗教の誕生の経緯によるのですね。
ある面では、エルサレムに代表される紛争は、その悪い親和性(近親憎悪)が強く働いているのでしょうね。

お礼日時:2014/07/30 09:31

(1) 西アジアの厳しい自然環境の中でゾロアスター教を含めた一神教が誕生します。


 恐らくは生死さへ危ぶまれる乾燥地帯で人々は真剣に唯一絶対の神を見いだしたの
でしょう。それがエルサレム・イスラエル・パレスチナの地ではユダヤ教だったのです。

(2) ご存じの通り、ユダヤ教の偏狭さと厳しすぎる律法を批判してキリスト教がうまれ
キリストを偉大な預言者の一人としてイスラム教がうまれます(詳細は省略)。

(3) エルサレムはユダヤ教を信仰するユダヤ人の中心都市。そしてキリストが処刑された
 所。イスラム教を起こしたマホメットがメッカから1日(?)でやってきた奇跡の土地と
いうことで隣接して神殿があります。

(4) だって元々あの地域はユダヤ人とアラブ人が混住していた所だし、ユダヤ民族と
アラブ民族は兄弟のような血のつながりだしね。早く対立を煽る勢力がなくなります
ように
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
エルサレム周辺は
三つの宗教が
<隣接して>
いるところですね。人も
<混住していた所>
ですね。
ところで、この回答を読ませて頂いているうちに思いついたことですが、かの地周辺は、ある特定の人や民族や宗教が、圧倒的優位に立って他をせん滅することはなく(またはできず)、互いにほぼ均衡していたのですね。そのため、紛争の種が残り、今だにくすぶっているのですね。これが幸いだったのか、不幸なのか、私には分かりませんが。

お礼日時:2014/07/29 19:48

古代における超大国は二つ



メソポタミア地方
ナイル川流域地方

その中間にあるのがパレスティナ地方です。

勢力の中心部にある人間というのはあんまり悩まない。満足度が高いから。
ちょっとハズレくらいにあると悩みます。

ということで、悩んだ結果がユダヤ教という特異な一神教となり、その流れからキリスト教やイスラム教が生まれるということになります。

儒教も中原の外れ、魯国だったり
仏教もヒンドスタン平原の外れ、現在の国でいえばネパールだったり

中心からちょっと外れているところから生まれるようです
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<中心からちょっと外れているところから生まれる>
に興味を惹かされました。
<ユダヤ教という特異な一神教となり、その流れからキリスト教やイスラム教が生まれるということになります。>
思考の似た3宗教ができたのですね。
脱線しますが、古来からの中国文明に対して、陸続きである朝鮮半島ではあまり価値ある文化が発生しなかったようですね。一方、海を隔て、つかず離れずの日本島には、特異な文化が育ったようですね。

お礼日時:2014/07/29 13:06

イスラエルはイエスキリストの生誕地だからです(ガラリアのナザレ地方)


だからそれに起因する3宗教はエルサレムを聖地としているのです
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
まず、キリスト教では、教祖の生誕地がナザレ地方ですね。何かの理由で、エレサレムを聖地にしたのですね。
後発のイスラム教も、キリスト教を踏襲して、エレサレムを神聖な土地にしたのですね。
そして、既設のユダヤ教も、振り返ってみて、かの地を聖地にしたのですね。

お礼日時:2014/07/28 22:02

すべて、エルサレムの地から起こったユダヤ教から、キリストを経て当時は異教とされたキリスト教が起こりヨーロッパ方面に広まり、ムハンマドを経たものは中東の乾燥地域などでの生活の知恵が入ったイスラム教として腐敗しやすい肉を避けるとか酒を飲まないとか断食月を設けるとか、各地方ごとに適合させていったからではないですか。



その権威付けをさかのぼると、結局かのエルサレムでの伝説なりユダヤ人の受難の歴史に来てしまうわけで。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
ユダヤ教において、
<エルサレムの地から起こったユダヤ教>
<エルサレムでの伝説なりユダヤ人の受難>
が大本なのですね。後発の二つの宗教は、その地に権威付けを求めたのですね。

お礼日時:2014/07/28 21:46

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  キリスト教は、最初、自分たちの教えこそが、唯一神ヤハウェの「真の新しい教え」だと主張し、ユダヤ教の伝統を、『旧約聖書』の形で、継承し、一方、ユダヤ教とキリストの福音はどう違うかで、『新約聖書』の形で聖典をまとめたのです。ユダヤ教は、『旧約聖書』とは呼びません。それに相当する文書記録は、『ユダヤ聖典』となります。『新旧約聖書』の「旧約」を認めては、ユダヤ教の立場がなくなるのです。
 
  キリスト教は、元々ユダヤ教の分派で、独立した教義を立てて、「異教」となったのだと云えます。しかし、ユダヤ教の教えは、「古い啓示」に基づくものだという考えを持ちます。従って、分離までのユダヤ教の歴史は、そのままキリスト教の歴史に取り込まれ、ユダヤ教の聖地や記念の場所も、全部、キリスト教の聖地、記念の場所として継承しています。エルサレムはユダヤ教の聖地・聖都で、それ故、キリスト教の聖地でもあり、また、「ゴルゴタの丘」とか、「十字架の道」などは、エルサレムにある、キリスト教の聖なる記念場所となっています。
 
  イスラム教は、ユダヤ教の分派でも、キリスト教の分派でもなく、むしろ、アラブ族の民族宗教だとも云えるのですが、古い多神教のアラブ族の宗教の限界を超えるため、ムハンマドは、天使ジャブリール(キリスト教の天使ガブリエルに対応)から啓示を受けたと主張し、「神」は、ユダヤ人に啓示を与え、「聖典=ユダヤ聖典」を与え、自己の意志を表明したが、うまく人類に伝わらなかった。そこで、「預言者イーサー(イエズス)」を使わし、新しい啓示と新しい「聖典=新約聖書」を与えたが、なお、人類は、「神」を正しく認識しなかった。そこで、「最後の封緘」として、「最後の預言者ムハンマド」を使わし、ムハンマドを通じて、「最後の啓示=聖典クルアーン」を人類に与えた。これがイスラム教であるというのですが、これは、ユダヤ教・キリスト教の分派ではなく、勝手に、ユダヤ教やキリスト教の聖典や預言者や教えを、ムハンマドとその預言に先行する預言であるとして、教えに取り込んだもので、最初から分派でないのです。
  
  つまり、イスラム教の側では、ユダヤ教やキリスト教は、共通の神の啓示を受けた「兄弟」となるのですが、ユダヤ教側からは、勝手な理屈を付けて、ユダヤ教を汚す宗教にしかならないのです。だから、ユダヤ教とイスラム教は、歴史的に、決してよい関係ではなかったということがあります。キリスト教は、ユダヤ教から分派したということが歴史的に明らかなので、イスラム教は、キリスト教により寛大で、キリスト教も、イスラム教よりも、ユダヤ教の方に、より好意的だとも解釈できます。
 
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  パレスティナ問題は、元々ユダヤ人が、紫のカナーンへの侵略者であったこと。この地域は、必ずしもユダヤ人の独占地域ではなく、昔から、ユダヤ人と砂漠のベドウィンや海のペリシテや、その他多数の民族などが共有してきた土地で、第二次世界大戦後、イスラエルを建国し始めた時、そこにはすでに、「パレスティナ人」というイスラム教の人々と、ユダヤ教を信奉するユダヤ人が共存していたという事実があるのです。
 
  第二次世界大戦後の「イスラエル建国」において、ユダヤ人は、また侵略者として登場した訳で、原住民であるパレスティナ人が、迫害され、イスラエルに対し抵抗運動を行っているということです。このことは、エルサレムが、三つの宗教の「共通の聖地」という問題とは、また別の問題なのですが、イスラム教とユダヤ教は昔から仲が悪く、特に、イスラエルを建国した、西欧から来たユダヤ人は、イスラム教を認めない人々だったので、問題が複雑になったのです。
 
  話が少しずれましたが、イスラエルに三つの宗教の聖地があるというより、三宗教共通の聖地は、一応「エルサレム」です。ユダヤ人は、エルサレムにかつてあった、「神殿」の名残=嘆きの壁、神殿の壁を聖なる場所とし、キリスト教は、エルサレルムの神殿は無論、ゲッセマネ・ゴルゴタなど、キリストに関係する場所が記念の場所で、聖地になり、イスラム教にとっては、「岩の神殿」跡が聖地になるということになります。
 
  聖都エルサレムが、三つの宗教の共通の聖地になります。その理由と、どの程度の範囲かは、以上に述べた通りです。
  

  
  三つの宗教とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教ですが、これらは、「至高の神」として、「同じ神」を信仰していると主張しています。ただし、一番古いユダヤ教は、キリスト教の「神」と、ユダヤ教の「ヤハウェ」は同じ神だと認めていますが、イスラム教の「アッラー」を「ヤハウェ」と同じ神だと、必ずしも公式に認めていなかったはずです。「アッラー」が「ヤハウェ」であるというのは、イスラム教の主張です(キリスト教も、アッラーが、自分たちの信仰する神と同一とは、公式には認めていないは...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
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Q宗教が無ければ戦争や紛争が無くなる気がします

宗教が無ければ戦争や紛争が無くなる気がします。
ですが宗教があったからこそ、人は長く生きてこれたのかな?とも思います。
必要でしょうか?

Aベストアンサー

キリスト教からは良い物も悪い物も発生しました。
残念ながら、周知の通り、社会共産主義はキリスト教から発生しました。
何故、発生したのかその当時の人間の心理状態から考える必要があるでしょう。
ですので、先の回答で説明したとおり、現在の「宗教」という教えは残すべきですが、
団体は必要ありません。紛争の火種の要素が充分にあります。
キリスト教だけでなく、他の宗教も同じ悪い方向性を持っています。

Qイスラム教の聖地はエルサレム、メッカ?

イスラム教の聖地とはエルサレム、メッカ、どちらなのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

どっちもです。

メッカ、メディナ、エルサレムの3つの都市が、イスラム教の三大聖地とされているようです。

メッカには、「神の館」であるカーバ神殿があり、また、預言者モハメッドの生誕地でもあります。

メディナには、モハメッドの墓所に建てられたモスクがあるらしいです。

エルサレムは、モハメッドが天に登った場所だそうです。

Q宗教の信仰心が強い国ほど、戦争や紛争は多いですか?

宗教の信仰心が強い国ほど、戦争や紛争は多いですか?
イメージですが、そんな感じがします。

Aベストアンサー

teeokcxxwgaaさん、こんばんわ。

そうですね。私もそう思います。たぶん、識字率が低く、教育水準の低い国々ではまだ、その国や民族に昔から伝わる宗教的教義が道徳や法律の代わりになることが多いのです。また、宗教教義にのっとった法律や教育がまかり通っているところもあります。そういうところではある宗教の信者が隣の人が豚の肉を食べたところを見て、彼自身の宗教教義に照らして、悪魔の所業だと言ったり、ある宗教の信者が牛の肉を食べたところを見て、隣の人が野蛮人だと言ったりしているうちに自分たちの宗教教義を冒されているといった被害妄想から、憎悪を募らせ、闘争を始めるきっかけになっていると思います。
こういうところでは宗教指導者というのはカリスマ性があり、信者を武装させて、内戦を起こしたりします。また、國を乗っ取り、独裁者に収まり、隣の国の宗教と対立する場合は戦争を仕掛けたりします。




日本でも、平安時代から、室町時代まで宗教的対立や宗派間対立がありました。その中には、一向宗のように戦国大名に匹敵する勢力を拡大したものもあります。
しかし、江戸時代になると、天下泰平になり、そういう武装教団としての性格をなくしていきました。信者も戦国時代のように信仰と一蓮托生とを考える過激な生活ではなく、また、宗教が自分たちを絶対的に救済してくれるというわけではないと知り、自分たちの生活を中心に考えるようになりました。
ヨーロッパでも、キリスト教の教義は今でも残っていますが、中世のペスト流行の影響でヨーロッパ人も宗教が自分たちを絶対的に救済してくれるというわけではないと知りました。

先進国の人々がいまやこういう未開というか蒙昧な国々の人々に宗教が絶対に自分たちを救済してくれるわけではないということを知らせるべきです。

teeokcxxwgaaさん、こんばんわ。

そうですね。私もそう思います。たぶん、識字率が低く、教育水準の低い国々ではまだ、その国や民族に昔から伝わる宗教的教義が道徳や法律の代わりになることが多いのです。また、宗教教義にのっとった法律や教育がまかり通っているところもあります。そういうところではある宗教の信者が隣の人が豚の肉を食べたところを見て、彼自身の宗教教義に照らして、悪魔の所業だと言ったり、ある宗教の信者が牛の肉を食べたところを見て、隣の人が野蛮人だと言ったりしているうちに自分た...続きを読む

Qエルサレム

エルサレムには
パレスチナ地区
クリスチャン地区
ユダヤ地区の他に
なぜアルメニア地区があるのでしょうか

Aベストアンサー

アルメニア人の虐殺問題が関係しているようです。

また、どこかで、本国のアルメニア人は、外国生まれのアルメニア人を受け入れにくい、という話を読んだことがあります。

エルサレムに定住する歴史については、googleで
「アルメニア人大虐殺,パレスチナ,エルサレム」
などと検索すると参考になるかと思います。

Qインドシナ紛争・ベトナム戦争・カンボジア紛争

これらの一連の歴史的な流れってどういうものですか?

Aベストアンサー

これらの紛争の共通は第二次世界大戦後の「冷戦構造」からくる「共産主義陣営」対「自由主義陣営」がぶつかったイデオロギー対立の代理戦争の側面が
あります、
「インドシナ戦争」は植民地の独立戦争ではあるのですが、この頃ホーチミンは共産主義政府を中国のバックに作っていました、
「ベトナム戦争」は南北ベトナムの共産主義対自由主義の戦いですが中国ソ連対米国のイデオロギー対立でした「カンボジア内戦」は共産主義のクメールルージュと自由陣営の対立ですが、裏に中国、米国が暗躍していました
これらの紛争の根底には戦後の冷戦構造の進み具合
による「歴史の流れ」があったのです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%88%A6%E4%BA%89

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6

これらの紛争の共通は第二次世界大戦後の「冷戦構造」からくる「共産主義陣営」対「自由主義陣営」がぶつかったイデオロギー対立の代理戦争の側面が
あります、
「インドシナ戦争」は植民地の独立戦争ではあるのですが、この頃ホーチミンは共産主義政府を中国のバックに作っていました、
「ベトナム戦争」は南北ベトナムの共産主義対自由主義の戦いですが中国ソ連対米国のイデオロギー対立でした「カンボジア内戦」は共産主義のクメールルージュと自由陣営の対立ですが、裏に中国、米国が暗躍していました
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Qエルサレムの市内を自由に行き来できますか?

エルサレムの市内を自由に行き来できますか?

国籍によって、禁止されている場所があると思います。

そのような地図を探しています。
下以外にありますでしょうか?

http://fyi.cnn.com/SPECIALS/2001/mideast/interactive/disputed.land/images/pop.jerusalem.map.gif

Aベストアンサー

今年の5月に観光(個人手配)で行きましたが、
エルサレムの真ん中に線が引いてありますが、
東エルサレムが日本の新聞では一般的にパレスチナ占領地区で
PLOがパレスチナ国家の首都にしたいとしている地区です。
しかし、現状はイスラエルの管理下でイスラエル国籍のアラブ人が
住んでいます。別に自由に行き来できます。
ちなみに私が泊まったホテルは東エルサレムのダマスカス門近くの
アラブ人経営の宿だったので、自爆テロは起きまいと思っていたのですが、
200mぐらいのところで自爆テロがあったし、なんとホテルの前で
銃撃戦が起きてしまいました。(旅行中ではなかったけど)
国籍で入れないのは「神殿の丘」と呼ばれるところで封鎖されています。
イスラム教徒だったら入れるらしいけど、観光客はだめです。
あと、パレスチナ人はエルサレム市内に入るには検問で止められます。
禁止かどうかは不明ですが。

Q大学紛争はなぜ起きたのでしょう?

東大生をはじめとする学生運動でデモなどを行った大学紛争はなぜおきたのでしょう?
当時の政治が問題なのでしょうか?
教育ですか?
それとも・・・・
学生たちは何にストレスを感じていたために起こったのでしょうか?

Aベストアンサー

私も貴方と同じ疑問を持って、調べた事があります。
(私自身は学生紛争を知りません)

すると、No.3の方が指摘されている通り、
「日常性に流される危険」という「思想」
に辿りつきました。

その「思想」の発端をさらに遡ると、日本では無く、
「フランスの哲学者のサルトル」
にまで達しました。

さらに調べると、
「自虐的な視点で自国の歴史を見るのが文化人」
とか、
「原爆を日本に落としたのは人種差別」
とか、
そういう思想(発想?)もすべてフランス左翼が
発端でした。

現在でも、「海外のブランド品」を欲しがる
日本人が大勢いるように、
当時は「思想」を海外に求めていたようです。

「ようするに滑稽な外国の猿真似」と
「それに便乗した野次馬的連中の騒動」

以上が私の結論です。


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