小学生なのですが、中原中也のある一篇の詩を読んで感動しました。他の詩も読みたいと思ったのですが、僕が感動したものは詩というより散文のようで、他の詩は意味が分からなくて昨日から唸りっぱなしです。

どうしたら詩を理解できるようになりますか。

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A 回答 (3件)

まだ小学生だからわからないという詩もあると思います。

逆もあるかもしれないけど。

いろいろ難しいことに出会ったり、悲しい出来事があったり、美しい自然に気づいたり、自分がだれにも理解されていないんではないかと思うような経験とか、自分が世界でいちばん幸福ではないかと思ったり、人間にはどうしようもないこと、この先たくさんあるであろうそういうことにしっかり向きあって行けば段々わかることも増えるのではないでしょうか。
それと言葉を考えて大事にして行くことを併行して行くと好いのでは。心と言葉を大事にして行くことが必要でしょう。

とは言ってもやはりどうしても合わないとか、本当に面白くない作品もあると思います。

でも、前はなんとも思わなかった作品がなんでこんなに好いんだろうとか、ああこういうことだったのかとわかるようになる体験もあります。おもしろいものです。

短歌や俳句などの場合「鑑賞」といって、作品によって自分の中に描き出されたその歌の世界や解釈を描き出す作業があります。
これは絵や写真に付ける言葉と同じでその作品をひとつの見方に決めつけるのではなくて、ああそういう見方もできるんだなと世界を膨らませるすぐれた物もありますから、嫌わずに読んだ方が良いと思います。その同じ見方をする必要はありませんけれどそれによる発見もあります。
一見なんのことやらわからない、気分ででたらめに書いたように見える世界でも実は昔の文学作品や別ジャンルの作品を踏まえていたり、そうやって芸術の世界もできています。

岩波ジュニア新書に茨木 のり子の「詩のこころを読む」という本があります。まだ見てなかったら。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A9%A9%E3%81%AE%E3%81 …

とりあえず今わからない物は、心の端に音楽のような音の並びとして、しまっておけば良いのではないでしょうか。あとでああこういうことだったのかと思う・腑に落ちる瞬間がきっとあると思います。
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世の中にはいろいろな人が居て、いろいろな育ち方をする。

ですから、一つの物を見ても、いろいろな解釈、いろいろな理解が成立する。絶対的にこれと断定することはいけない。

いろいろな理解を認めようという態度が大切だと分かれば、詩の意味を知ろうなどとしなくなる。ただただ、詩を感じれば良い。

中也だって、この詩の意味はこうと決め付けられたくないと思うよ。もっともっと、いろいろな解釈、もっと深い部分を感じ取って貰いたいかも知れないよね。だから、もっと大人になると、違う読み方、違う感じ方が出来るかも知れないしね。

詩は理解しようとせず、それを読む人が、自分勝手に、何かを思ったり、何かを考える契機になったりすれば、最高。「誤読」で良いのです。周囲から、それは間違った理解、間違った解釈と言われようと、そのように読んだ読者にとっては、「誤読」内容こそが真実なのです。そういう自分を信じる感覚、感性を大切にして、個性豊かに生きてみませんか。

それとも、学校の先生が示す一律の解釈を暗記して、平均的な型に嵌った生き方をしますか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
しばらく好きなように誤読してみようと思います。

お礼日時:2014/08/01 15:17

いろんな本をたくさん読むことです。

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Q詩の書き方

 詩って何でしょう?
私はもう学生ではないですが、子供の頃授業で詩を書くなってことになったら困ったものでした。
 歌詞だったらメロディーにのせて歌ってしまえば
作文だろうが、日誌だろうが、般若心経だろうが、
日本国憲法だろうが、歌詞かもしれません。
 でもそんなものを詩集に載せて詩だといっても誰も納得しないでしょう。
 
 別に上手い詩を書こうなんて思っていません。
詩の書き方にルールはあるんですか、ないなら
作文や毎日書く日誌も詩になってしまいすが、
なにか詩にみえる文体たかがあるのでしょうか?
詩に使うと詩らしく見えない言葉とか、タブーとか
あるのでしょうか?
 
 非常に馬鹿らしい質問ですが、国語の授業が大の苦手だった私です。教えてください。よろしくお願いいたします。
 

Aベストアンサー

詩というものを文学の一部門と捉えるなら、ルールや形式は当然存在します。
作文は明確に詩とは言えませんし、日記も違います。
詩という言葉の定義からすれば、

風景、人事など一切の事物について起こった感興や想像などを、一種のリズムを持つ形式によって叙述したもの。押韻、韻律、字数などの律格あるものと、散文的なものとある。<広辞苑第三版>

とあります。
言語のリズム感は特殊なので、あくまで拍子とは考え難いようです。

具体的な書き方としては、
肝心なことを明記せずに、読み手に感じさせるように。
断片的な単語の羅列から、深い精神性を表現しようとする。
が代表的といえるかも知れません。
そこにテーマが存在すれば、より深く又は鮮明にとなりうるものでしょう。

「今日は雨が降りました」は日記ですが、
雨に対しての個人的なもしくは、客観的な事実を通しての感情の起こり等を書きつづるなら、それは詩と呼べるかと思います。
もちろん比喩を用いるという方法もあります。

あくまで一例なので、これが全てではありません。
日常会話で使用しない言葉を用いることも、詩的表現を高める上で有効でしょう。
それらの判断は、個人が行うものと考えて良いと思いますから、絶対ルールは存在しないと思います。

ただ、詩表現は自由度が高いので、何をやっても許される的発想も多いのも事実です。
書き手の詩に対する価値の位置づけで様々に変化しうるものですし、その度量の広さも詩表現の良さだとも思います。
そう言う意味では、詩に相応しくない言葉やタブーは無いように思います。

詩というものを文学の一部門と捉えるなら、ルールや形式は当然存在します。
作文は明確に詩とは言えませんし、日記も違います。
詩という言葉の定義からすれば、

風景、人事など一切の事物について起こった感興や想像などを、一種のリズムを持つ形式によって叙述したもの。押韻、韻律、字数などの律格あるものと、散文的なものとある。<広辞苑第三版>

とあります。
言語のリズム感は特殊なので、あくまで拍子とは考え難いようです。

具体的な書き方としては、
肝心なことを明記せずに、読み手に感...続きを読む

Q中原中也でどの詩が好きですか?

中原中也の詩で、一番気に入っている詩を教えてください。
タイトルと、何故気に入っているのか、どこが他と比べて抜きん出てるのか、というより違うのか、等々教えてください。

Aベストアンサー

「生ひ立ちのうた」です。
~私の上に降る雪は 真綿のやうでありました~
(1)
幼少時・・真綿のやうでありました
少年時・・みぞれのやうでありました
二十三・・ひどい吹雪とみえました
二十四・・いとしめやかになりました・・・

わずか三十年の人生を生き急いだ中也ですが
弱冠二十四歳にして悟りの境地なんて
悲しすぎますね。
この詩の(2)も
純真無垢な詩人の魂が感じられて
とても心にしみ入ります。

日々の雑念、煩悩に追われる中
彼の詩を読むと自分に素直になれる気がします。

Q詩の書き方について

あるコンテストに応募しようとしているのですが
「400字詰原稿用紙換算で30枚以上。短歌・俳句・川柳は60首(句)以上」という規定があるのですが
首というのは、1首で一つの詩。という意味ですか?
↑で正しければ60首すべての題名はつけるのでしょうか。
その場合原稿用紙にどう書いていけばいいのでしょうか
(前の詩とは1段落あけるとか

教えてください。

Aベストアンサー

まずは、投稿要領の詳細が定められていないかどうか確認されるといいかと思います。



普通、短歌(五+七+五+七+七=31文字)を1首、
俳句・川柳(どちらも五+七+五=17文字)を1句と数えるようですよ。

ただ、短歌、・俳句・川柳はいずれも「詩」とは言わないように思います。

題名を付けることは必ずしも必要ないと思います。

なお、下記の、ある「投稿要領」を参考にされるといいかもしれません。ただ、絶対的なものかどうかは保証の限りではありません。

参考URL:http://www.tankajin.com/shiryou/toukou.html

Q中原中也の詩に詳しい方お願いします!

ほとんどうろ覚えなのですが、以下の詩が載っている詩集教えていただけないですか?
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子供が死んだような内容で、「さう!」という一文が入っている。
早春、とか歩き出そう、とかいうような単語が入ってたような気がします。
ほぼうろ覚えで申し訳ありません。
探しても「二月」というタイトルの詩は入ってなくて・・・。
他の方の作品なんでしょうか?

中也が子供を亡くしたときに作った詩ってありますか?

Aベストアンサー

ひょつとして、これ?
http://www.nextftp.com/y_misa/tatihara/tatihara_12y.html

Q抽象的な表現を使っての詩の書き方について

個人的趣味の範囲でファンタジー小説まがいなものを書いてるものです。
そこで、魔法を唱える呪文を抽象的な表現で書きたいのですが、中々思い浮かびません。
想像力の欠如と言われればそれまでですが、どうにか上達する手段はないものでしょうか。
何卒アドバイス宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

No.1です。
過分なお礼の言葉をいただき、回答者冥利に尽きるというものです。
急にお悩みのようなのでもう一度登場しました。

ここで問いかけていらっしゃる課題は、広くいえばレトリックの問題なのです。
レトリックとは、論理なり情感なり、自分が内に秘め、主張したいと思っていることを、より効果的に表現するための技術のことです。

いま、「この酒はなんておいしいのだろう」と言いたくなったとします。
けれどもこの言葉を、同席している他の誰かがすでに口にしてしまったとか、
この通り一遍の言い方では自分が抱いている気持ちが相手に十分に伝わらないのではないかとか、
もっと美しく述べたいと感じたとき、人は別の表現を工夫します。

たとえば「桃の花の満開の下にたたずむ天女のようにこの酒はわたしをこころよく酔わせる」とか、
「このバッカスの贈り物は神々の住むオリンポスの果樹園から収穫され搾られたものにちがいない」などと。

こうした表現上の工夫は、背後にしっかりとした明確な実感がなければ空虚なもの、うわついたものになりがちです。(上のわたしの例文なんか、その典型例でしょう、苦笑)

こうした言葉の工夫を分類・整頓し考察したものが修辞学なんですが、それら特徴的な表現方法の命名は学者によってけっこうばらつきがあり、思うほど確立されたものではありません。
ネコとネズミのようにはっきり分類できるものではないし、われわれはそのような区別をしながら言葉を発し、あるいは綴っているわけではないからです。

メタファー(隠喩)は確かに大切な概念ですが、佐藤信夫『レトリック感覚』を多少とも身を入れて読んでいれば、(講談社学術文庫P.123)
◆詩における隠喩は別として、言語一般に関しては、隠喩はむしろおだやかなものであり、あまり意外性のないものである。
という卓見は忘れられぬところです。

近代から現代へかけて、少なくとも詩人たちにとっては、より本質的なものはイロニーまたはアイロニー(皮肉、当てこすり、逆説、一種の反語法、など広範な概念です)であり、アナロジー(類推、関係づけ)でした。
あるいはウィットとかユーモア、諧謔と呼ばれるもの。
(これも最近の詩では様子が変わりつつある印象です。しかし、ここのところはわたしではよくわかりません)

レトリックの本を読むのはいいことです。それによって、
頭の中で漠然と雑居していたもろもろの表現のしかたに筋道がつき整頓がつき、
なにより、表現するということに自覚的になってきます。
先に触れた佐藤信夫のレトリックに関する著述は、わたしの知る限り講談社学術文庫で五冊出ていますが、
いずれも有益なものだし、読み物としてもたいそうすぐれたものだと思います。

けれどもこうしたものは、小説を書こうという実践家にとっては、
一二種に目を通して肯いておけばとりあえず十分なので、
それよりは生きた例文、すなわち他者が書いた小説とか、詩のアンソロジー、エッセイをよく読みこみ、
また幅広く読み、陳列品ではない、ナマの活き活きした表現に出会うことのほうがはるかに価値が高いし、よく身に着くことなのです。

そして感銘した表現、お気に入りの言葉の組みあわせを何度も口の端にのせ、空で覚えてしまったり、
またそれをもとに工夫、アレンジして自分なりの表現を試みたり、発想のヒントにする。

そのためには「もの」や「こと」に対する常日頃からのふれあい、知識や感覚や認識を深めることもとても大事だと、最初の回答でわたしはひかえめに述べたつもりです。

今回のご質問を読むかぎり、小説のなかに本腰を入れた「詩」を放りこもうというのではなく、
韻文の詩のような行わけのもの、魔法の呪文のようないわくありげなもの、すぐには意味の通らぬもの、
そうしておそらくは、あとで語句の一つ一つが解明されたとき、読者がなるほどなと手を打ってくれるようなもの、
そうしたものがお書きになりたいのかなと判断し、その一二の拙例を、「実践的」にやってみました。
あまり適切でなかったのが質問者さんにとってお気の毒(大汗)。

小説の雰囲気づくりや展開にとって薬味になる呪文(詩も、もともと呪文の一種なんですが)をあみだそうとすることは、
キャラクターや筋も考えあわせながらですから、なかなか工夫しがいがあると思います。
これによってプロットも変更を迫られたり、あらたなアイデアを思いつくきっかけになったりするかもしれませんね。

No.1です。
過分なお礼の言葉をいただき、回答者冥利に尽きるというものです。
急にお悩みのようなのでもう一度登場しました。

ここで問いかけていらっしゃる課題は、広くいえばレトリックの問題なのです。
レトリックとは、論理なり情感なり、自分が内に秘め、主張したいと思っていることを、より効果的に表現するための技術のことです。

いま、「この酒はなんておいしいのだろう」と言いたくなったとします。
けれどもこの言葉を、同席している他の誰かがすでに口にしてしまったとか、
この通り一遍...続きを読む

Q中原中也の詩の漢字読み

「寒い夜の自画像」という詩が好きです。音読したいのですが、発声をすると急に「この読み方で合っているのかな?」と疑問が湧いてきます。たとえば、タイトルの「夜」も「よ」なのか「よる」なのか。
こう思うというご意見でも結構なので、()の部分の読みが合っているか添削頂ければ幸いです。

寒い夜(よる)の自画像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜(よ)を我は嘆かず
人々の焦燥のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰(ばち)と感じ
そが、我が皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諌(いさ)める
寒月(かんげつ)の下(した)を往きながら。

陽気で、坦々として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!

Aベストアンサー

こんばんは。
私でしたら、
・寒い夜(よ)の自画像
・罰(ばつ)と感じ
・寒月の下(もと)を往きながら
と、読むと思います。
私は読みが分からないときは、
(1)字数を数えて、語呂の良いほうを選ぶ
(2)前後の文脈に合った方を選ぶ
この2点で大体判断します。
日本の詩は、五七調が多いので、それにのっとって読むと、『寒い夜の自画像』の題名は、『よる』より『よ』の方が適当である、と判断できます。
後の二つは、何度か読んでみて、その方が読みやすく、詩の内容を頭に描きやすいと思ったので、
添削させて頂きました。
ということなので、正解かどうかは分かりません。
失礼致します。

Qこれは、文法に沿った書き方?それとも詩的な文法無視描写? 単語がオーバーラップしているような???

こんにちは、いつもお世話になります。

Iain Crichton Smith著のCollected Poemsという詩集を読んでいます。

その中のThe Dedicated Spiritsという詩にある一節で、意味はわかるのですが、文法的にこんな書き方はアリなのでしょうか?

~~~~上記詩集の詩より引用~~~~~~~
The demons we abhor
dwell in the waste of mirrors we
choose to protect us from the fury
of the destructive fire.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕の解釈では、
The demons we abhor dwell in the waste of mirrors(我らが忌み嫌う魔は鏡の傷に住む)
と、
mirrors we choose to protect us from the fury of the destructive fire.(我らは、鏡をもって破滅の炎から自らを保護した。)
と、mirrors(真理、知恵、分別の象徴?)がオーバーラップしているように感じるのですが、、、

これは、文法に沿った書き方なのか、文法無視の詩的描写なのかどちらなのでしょうか? 文法に沿った書き方ならば、ロイヤル英文法をもっていますので、復習すべき文法項目だけでも良いので教えてください、よろしくお願い致します。

こんにちは、いつもお世話になります。

Iain Crichton Smith著のCollected Poemsという詩集を読んでいます。

その中のThe Dedicated Spiritsという詩にある一節で、意味はわかるのですが、文法的にこんな書き方はアリなのでしょうか?

~~~~上記詩集の詩より引用~~~~~~~
The demons we abhor
dwell in the waste of mirrors we
choose to protect us from the fury
of the destructive fire.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕の解釈では、
The demons we abhor dwell i...続きを読む

Aベストアンサー

書き忘れましたが、mirror は例えばこちらの辞書の
>something that gives a minutely faithful representation, image, or idea of something else
の意味で使われているのではないでしょうか。我々を代表する政治家ととらえると分かりやすいかもしれませんね。あの人なら我々の暮らしを守ってくれるだろう、意志を反映してくれるだろうと思って選んだ政治家が、次第に政治の世界のドロドロに染まってその鏡が曇り不正を働いた、という場合にピタリと当てはまるかと。

Q中原中也の詩「含羞」の「あすとらかん」について

おりしもかなた野のうえは
あすとらかんのあわい縫う
古代の象の夢なりき

ここの意味がどうしても理解できません。詩である上に夢の話だから普通の理屈にはあわないと言われればそうかもしれませんが、どのようなイメージを思い浮かべたらいいのでしょうか。あすとらかんとは「ロシアのアストラハン地方に産する カラクール種の生まれたばかりの子ヒツジの毛皮」。古代の象とはマンモスでしょうか。子羊の毛皮の間を縫うマンモスとはどういうことなのか、あまりにシュールで分かりません。現代詩と違い、中也の詩ではこんなに分かりにくい箇所はあまりないと思うのですが。

Aベストアンサー

象徴主義の影響を受けて書かれたものなので、語の意味よりも、音楽性が問題になります。この部分の解釈も、人により様々です。下の資料も参照してください。内容は少し難しいです。

http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/4315/1/KokubungakuKaishaku_37%283%29_71.pdf

Q鑑賞文の書き方

高1です。

現国と芸術の宿題で、詩や歌、映画などを見て、鑑賞文を書け、という課題が出ました。

現国での鑑賞文と芸術での鑑賞文では、やはり書き方や文の構成が変えるのですか?

どのような主点で文章を書けばいいのですか?

具体的にお願いします。

Aベストアンサー

自信はありませんが・・・

現国の作文は正しい日本語を書くことが大事で、
芸術では日本語が正しいかより、意見が独創的かどうかを見るのではないでしょうか?
芸術の先生は、国語の先生とは違って、日本語の添削が仕事ではないでしょうから。

芸術の作文では、その作品が作られた時代の歴史的背景を勉強すると、書くことが思いつくと思いますよ。
なぜ作者がその作品を作ったかを調べてみたらいかがでしょうか。
(たとえばピカソのゲルニカの鑑賞文を書くときは、その時の政治情勢、戦争の理由、等を調べて書かなければ、適切な鑑賞文は書けないでしょう。)

Q中原中也「月夜の浜辺」について教えてください。

この詩の特徴、リズム、形態から、この詩の作られた背景まで、この詩に関することでしたら何でも結構ですので、あまり文学に詳しくない私にもわかるように教えていただけますでしょうか?また、小学校高学年くらいの子供にこの詩を紹介しようと思っているのですが、どういう切り口で紹介したらこの詩の素晴らしさや深みが伝わるかアドバイスいただけたらありがたいです。

Aベストアンサー

中原中也についてはくわしくないのですが、以前柳田邦男さんの「言葉の力、生きる力」という本で取り上げられていて、それによると、中原中也は2歳の愛児を失ったときにこの詩を発表したそうです。ですから
それを頭においてこの詩を読むと、すべて理解できると思うのです。ボタンは死んでしまった子供を投影しているということです。ですから、抛れずに袂にいれたということでしょう?背景を知ると、この詩の言葉がすべて意味のある言葉となってくるように思いませんか?


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