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太平洋戦争当時…
日本は封鎖された石油確保の為に南方へ進出し
結果戦線を拡大しすぎて防衛できずじまいになってしまいました

戦後 中国黒龍江省 チチハルの北で石油が噴出します
ここはかつて満州だった場所…
もし戦時中にここで石油が出たなら 欧米の利権が群がり
日本は対米交渉有利に出て 南方に領土を有したまま早期講和を実現できたでしょうか?

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A 回答 (8件)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
こんなページみつけました。

>実際に掘削した深度は1000m。その井戸で若干の油を発見したようです。油の流動性が悪く、上記にあるように、商業的採掘を諦めたとのことのようです。

見つけたけど品質が低すぎて諦めたっぽいですね。
油が戦争に直結するという覚悟の元採算無視で現地精製する覚悟があればまた違った歴史があったかもしれませんね。
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この回答へのお礼

実際に掘らなくても良いんです
満州で石油が出る となっただけで少なくともアメリカの対日政策は変更せざるおえなくなったと思うのです

お礼日時:2014/07/31 17:41

駄文を長々とペーストする前にお答えしておきます。



<もし戦時中にここで石油が出たなら 欧米の利権が群がり
日本は対米交渉有利に出て 南方に領土を有したまま早期講和を実現できたでしょうか? >

戦争は一度始まると「採算度外視」で進行します。それに日本が「ささやかな餌」を
提供したくらいでは暴走列車は止まりません。したがって、「全面降伏」は始まった時の
状況と条件で決まる「必然の結果」でしたと思います。


小さなif,ifを積み重ねたところで歴史は変わりませんが、以下は暑さしのぎの考察です。

歴史の背面で動いていたこと。
合成ガソリン「代替燃料」はその一例です。

石炭を液化して油にする試みは第一次世界大戦前からあり、「ベルサイユ独裁体制」
からの解放を計画していた第三帝国の下で本格化しました。
技術的には1913年にBegeriusが特許取得した石炭の水素添加による液化法が
ベースです。1923年にMatthias Pierがメタノールの合成に成功します。
この成功に目を付けたCarl Bosch(1931年ノーベル賞受賞、IG Farben(イー
ゲーファルベン)が合成石油の開発を進めるため、ベゲリウス特許を取得し、
1926年からIG Farben のMerseburg アンモニア工場–通常 Leuna Werke
で生産を開始します。市場価格に対してかなり割高なものでした。
その後の世界恐慌で石油価格が暴落し生産維持が困難に成ったために、
1932年にIG Farbenの2名の取締役がHitlerと直談判して1933年に最低
引取り価格と数量に付いて合意しました。
最大生産量は1943年で575万トン/年(ドイツ戦時石油需要の51%)にも
達しています。


日本へのライセンスはFischer-Tropsch法で生産開始は1939年です。
FT法が石炭からの一酸化炭素に水素を添加し触媒を使って液体炭化水素を
作る方法ですから、ドイツで採用されていたBegerius-Pier法とは違います。
23万kLの予定に対し7千kLで1943年に中止されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7% …

ここで歴史のif何故(もし)です
1)何故Begerius-Pier法は日本にライセンスされなかったのか、
2)もし日本の技術者がFischer-Tropsch法が実績の有る技術では
  無い事に気付いていたら。

それでIG Farben・Standard Oil 陰謀説の出番です。

IG Farbenとはドイツの3大化学会社と中規模の化学会社数社が合併して
設立された国策会社です。
Hitlerの最大の経済的支援者で、ロックフェラ―のStandard Oilからの
ライセンスによる合成ガソリン及び合成ゴムの製造者です。これ無しには
ドイツは第二次大戦を遂行する事ができなかっただろと言われています。
Hitlerは企業(IG Farben)を「国際的なユダヤ組織*」と公然と非難していた
にも拘らず、IG Farben、巨大化学会社で最終的にはナチの絶滅収容所で
使われた毒ガスチクロンBも生産した、にドイツ軍備の為に莫大な額の
弾薬と化学品を生産させました。
IG FarbenとロックフェラーのStandard Oil, New Jersey,は何百もの
カルテル談合を通して実質的には一つの企業でした。
http://derhonigmannsagt.wordpress.com/tag/ig-far …

* ノーベル賞受賞者も含む多くの優秀な化学者が働いており、
  その中にはユダヤ系も多かった

1929年からstandard Oil との間のビジネス関係(及びカルテル談合)は
第二次大戦中も厳守された。
http://de.wikipedia.org/wiki/I.G._Farben

さて、Standard Oilからのライセンスで日本にライセンスできなかったものは
何でしょうか。
両企業間に有った、戦略物質に関する核心技術は次の4点です。
1)ガソリンのオクタン価を高める有鉛添加剤。戦闘機エンジン用等。
2)石炭液化技術。
3)潤滑油。
4)合成ゴム。
1)は、Standard Oilがドイツにチェコ侵攻前に現物を供給しています。
2)は、ドイツで生産工場が稼働しています。
3)は、アメリカ情報に頼るまでも無かったとされています。
4)は、ドイツが東南アジアを日本に占領され困窮したアメリカの要求を
        断っています。

2)に関連する技術です。
低分子量不飽和物を使用可能なガソリンに変換する事(重合)。
この分野に関する仕事の多くはドイツとアメリカで行われた。
しかし、そのプロセスを大スケールに移したのはアメリカ人が最初で、
それはプロセスを大きな技術規模に展開できる事を示していた。
しかし、その後それ以上にアメリカプロセスを機能する様にしたのが
ドイツだった。
http://reformed-theology.org/html/books/wall_str …


結論から言うと、
日本は泥縄式に実用化されていない間違った技術に飛び付いた、
日本の技術者はそれを判断する情報も能力も無かった、
という事になり、
小さなifさえも無かった訳です。大変お騒がせでした。

何故違った技術を提供したかに付いてはStandard Oilがらみ
であり、陰謀説が生き残る可能性は高いです。


ある大先生が言って居られました。
「B29が撃墜され、軍の依頼で現地調査に行った。日本では実用化
されていない樹脂製の風防ガラスを見て「日本は負ける」と確信した。」
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/09/27 07:48

歴史にIFは無いと言います。


大きなIFは荒唐無稽な話に繋がりますが、小さなifを考えるのは
楽しいものです。

ご質問に関連する小さなifの一つは
「日本帝国が支配した満州や朝鮮で石炭液化技術が実用化していたら」
です。

ドイツは第二次大戦を石炭からの「代替燃料」で戦いました。
日本はそのドイツから石炭液化技術を導入しています。
<しかし、日本はドイツから技術は導入したものの良質のクロム鋼が
手に入らなかった事や、工作機械寸法加工精度がドイツより悪かった事などが
原因で事故が相次ぎ、北海道人造石油、南満州鉄道や朝鮮半島で
一部プラントが動いたものの計画の1/10しか合成石油を生産できなかった。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%82%AD% …

この記述は正しくないと思います。
日本は開戦の十数年前に高圧技術をドイツから既に導入しており、クロム鋼の
問題は無かったと思います。化学プラントに寸法加工精度の話も不思議です。
本質的な問題は、核心技術をライセンスして貰えなかった事と、当時の日本の
技術者がその技術はキーを欠いた物である事に気付かなかった点にあります。
キーが欠けている事に気づけば、日本人技術者の事ですからキーを探し当てた
可能性は高いです(小さなif)。

核心技術がライセンスされなかったのは、ロックフェラーが支配するスタンダード
石油の妨害によるものです。石油禁輸と石炭液化技術の妨害により日本は
開戦に追い込まれます。陰謀論見たいですね。
(後でその辺の事情を書いたドイツ情報の紹介を投稿します。)

石炭液化が成功していれば、満州は日本の生命線となり、南方進出の必要性は
薄れます。石原莞爾の言う体制の完成です。
その反面、生命線である満州と朝鮮の石油基地が常にソビエトの脅威に曝されます。
これに対処するには、ソビエト極東に進出するか反ソビエト政府をその地に
樹立する他にありません。
そうすれば、第二次大戦でソビエトがドイツ・日本に敗れていたかも知れず、
小さなifは、大きなIFへと繋がって行きます。
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この回答へのお礼

ありが゛とうございます

お礼日時:2014/09/27 07:48

戦争中に石油が出ても大差ないでしょう。


石油の精製技術云々に関しては、オクタン価の高い航空燃料に関しては日本で精製するのはほぼ不可能です。
というかそもそもアメリカでもオクタン価の高い燃料は最良質のカリフォルニア産原油を使用して作るので技術の問題以前に不可能な話です。
そして大慶油田は品質最悪の重質油ですので、これからガソリンを作っても品質は最低です。
なお重油についてははっきりいってどこの油田から作ろうが大差ないです。

戦争前に油田が発見されていて採掘が可能になっていれば日本は石油禁輸程度の事で戦争に突入する必要がなかったでしょう。日本としては戦争をする理由が特になく自分の勢力下でブロック経済を敷き自給自足を目指すことが可能になります。
ですが結局アメリカがもっとたちの悪い行為をして戦争に引きずり込まれていただけだと思います。

なお大慶油田は常温では固まってしまう特殊な油で、当時の日本に開発は不可能だったと言われています。
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この回答へのお礼

どうもです

お礼日時:2014/09/27 07:48

日本は対米交渉有利に出て





アメリカは原理主義国家で、1943年1月24日段階で日独伊の無条件降伏を条件に出している。
無条件降伏が条件というのも変な表現だが。

主 ドイツ
従 日本・イタリア

なのだから、従である日本に対する条件によって主であるドイツに対する条件が変わるということはなく、主であるドイツの条件が変わらない限り、無条件降伏という条件が降ろされることはないと思われる。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/09/27 07:48

さほど変化はないですね。


理由は二つです。

一つ。
当時の日本には原油から石油に生成する技術及び工業力が不足していたこと。
原油が見つかってもそれを使えません。
この原油を対米交渉の材料にしたところで、
「どうせ日本は自前で石油は作れないから」とアメリカに足元を見られる結果になりますね。
「石油を精製する技術は貸してやるから、満州の利権は全てよこせ」と言ってくるでしょう。
当然、当時の日本はそれを拒否しますから、歴史は変わらないわけです。

二つめ。
石油の利権に群がる、と言うことは期待できません。
なぜなら、アメリカにとっては満州で産出される石油よりも、
「枢軸国と戦争し続けることによって得られる利益」の方がはるかに大きかったからです。
戦時中、イギリスもソ連も、アメリカに借金をしながら戦争を続けていたわけですから、
日本には一日でも戦争を継続してもらい、利益を稼ぐのが開戦当時のアメリカの戦略ですので。
トルーマン大統領に交代するまでは早期講和など夢のまた夢です。
よく「ミッドウェーで勝って講和すれば…」という意見がありますが、それは絶対に無理です。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2014/09/27 07:48

戦時中では


既に石油メジャーは中東に集中してたので,低質安価な大慶油田には
手を出さない。
戦史に大差なし。

(せめて大恐慌時代までに
発見され
「外資求む、一緒に満州開発して、
反共防波堤作りましょう」と呼びかければ、
満州事変も太平洋戦争も、おきなかったかも。)

※まー、スターリンが、
「満州とモンゴルって、チェコとスロバキアみたいなもんでしょう」と
満州を中国から取り上げて、モンゴル人民共和国とくっつけて、
満蒙人民共和国連邦としたかも。
さすれば、朝鮮戦争にも中国軍は参戦せす、
朝鮮半島は、国連保護国大韓民国のみとなり、
ソ連崩壊で、満蒙も民主化親日国家となり、
旧満鉄も、JR満州として新幹線化されてる
平和な戦後となったかも。

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/09/27 07:49

南方といっても、インドネシア以外は大したエネルギー資源があるわけでもないので、



そんなに飛び飛びの島をたくさん領有することで弱点をたくさん抱えるよりは、満州を維持するので精一杯だったんじゃないですか。

満州を解放しようという名目のロシア(ソビエト)や国民党(のちの中華民国)、共産党(のちの中華人民共和国)がいましたし、その状況で日本の背後をアメリカに取られていたら、もっと早いうちに日本列島での本土決戦か、満州から日本へ帰還できない人々が増えた(捕虜や残留孤児や)だけかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/09/27 07:49

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無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

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戦争をしなかった、という選択肢は
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思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
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日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

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米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
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追い詰められ、
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日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

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なお、フランスの旧艦ですが、クレマンソー級の蒸気カタパルトはイギリス製のようですから、アメリカでしか作れないと言うことではないようです。

ただ、現在、イギリスやロシアの空母はカタパルトではなく、スキージャンプを使った離艦です、おそらく、今後のアメリカ以外の空母はSTOL能力の高い機材で運用というのが世界的な流れでしょう。アメリカにしても、強襲揚陸艦などにはSTOL+スキージャンプというのが登場するかもしれません。

アメリカ以外で蒸気カタパルトを作らないのは、空母の思想が変わってアメリカ以外での需要がないからだと思いますよ。外国で作ったとしても売れなきゃどうしようもないですから。

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Qなぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのか?

題の通りなんですが、なぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのでしょうか?

植民地支配されてもおかしくない状況であったのに欧米が進出してこなかったのにはどんな理由があるのでしょうか?

どんな意見でもかまいませんので回答していただけると光栄です。

Aベストアンサー

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかしかった。
仏教、神道がの生活の隅々まで行きわたる一方、当時の日本人は宗教の”まやかし”の部分もちゃんと理解していた。

当時、日本の文明のレベル(特に底辺のレベル)が高く、西欧文明を日本流に取り入れることに成功した。
実は、他の植民地となった国々はこれが出来ず、欧米人の思うようにコントロールされてしまっている。
例えば、日本人はヨーロッパ人以上の識字率を誇っていた。
一部のインテリが欧米を見て知識を得ると、すぐに翻訳したり本を書いたりして、
それを印刷(江戸時代からの木版印刷、貸本屋のインフラがあった)し、あっという間に全国民に広めた。
寺子屋の伝統があったので国民皆教育の立ち上げも早かった。
市場経済のインフラもすでにあったので、欧米の商人と対等に渡りあえた。

明治維新が驚異的に早く終結した。
たいていの国々は封建制→中央集権制の変換に100年はかかり、
この間に国土は荒れ、富も消耗し、人材は消失し、国民の間に憎悪だけが蓄積する。
この間に先進国にいろいろな利権を奪われる。
これが最小限で済んでしまった。
また、幕府側も新政府側もそのことを熟知しており、さっさと手締めした。

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかし...続きを読む

Q中国はなぜ1つの標準時時間しかないのか?

中国はあれだけ国土が広大なのに1つしか標準時間が無いですよね、ロシアとかはいくつもあるのに。
アメリカやオーストラリアでさえいくつも標準時間があって
国内で数時間は時差がありますよね
首都の北京に合わせてあるってことは
西側は日の出も日の入も早くて活動しにくいとか問題があるのですか?
あるいはテレビも北京や上海と同じ番組を見るので夕方にニュースを見るとかができないとかはありそうですけど。
なぜあれだけ巨大な国土で東西に広がっているのに標準時間が1つしか無いのですか?

Aベストアンサー

 端的な理由は中央集権的な社会主義国家だからですが、
それ以外に地理的な理由もあります。

 中国は人口 13 億人のうち、海から 1000km 以内の範囲に
10 億人が暮らしています。重慶や成都がある西南地区も含め
れば 12 億人になり、実は中国人口のほとんどは、東はハルビン、
西は成都の範囲にほとんど収まってしまうのです。

 ハルビンと成都の経度差は、約 22 度です。実はこの数字は
根室と石垣の経度差にほぼ等しいんですね。経度 15 度が時差
1時間に相当しますから、中国の主要都市では東と西の時差は
実は 1.5 時間程度しかないのです。

 となると、日本でも札幌と福岡では日の出が1時間以上違い
ますが、日本国内が統一時間であることに誰も困っていないの
が実情ですよね? 同様に、中国も国内に時差を設ける合理的な
理由がないと考えて差し支えないと思います。

 中国は東西にものすごく広く見えますが、実際には成都より
西の部分は人口が希薄で、時差が広がっても影響はほとんど
ないんです。だから、時差を設けて面倒くさくするより、全土
統一時間のほうが簡単だし、現実面でも困らないというわけです。

 これに対し、東西両海岸に大都市のある米国は時差がないと
困ります。カナダもバンクーバーとトロントでは離れすぎていま
すし、ロシアも人口の多くがウラル山脈より西に偏在している
とはいえ、東ロシアにもノボシビルスクやイルクーツク、ナホ
トカやウラジオストックといった主要都市があります。

 端的な理由は中央集権的な社会主義国家だからですが、
それ以外に地理的な理由もあります。

 中国は人口 13 億人のうち、海から 1000km 以内の範囲に
10 億人が暮らしています。重慶や成都がある西南地区も含め
れば 12 億人になり、実は中国人口のほとんどは、東はハルビン、
西は成都の範囲にほとんど収まってしまうのです。

 ハルビンと成都の経度差は、約 22 度です。実はこの数字は
根室と石垣の経度差にほぼ等しいんですね。経度 15 度が時差
1時間に相当しますから、中国の主要都市では...続きを読む

Q日米開戦当時の満州国の石油

日米開戦当時の満州国の石油

日本の歴史の教科書には日本の石油不足が深刻になり、それが直接の動機で開戦になったとかいてあります。しかし、満州国の奉天で石油がとれており、それでまかなえたのではないかというのが私の疑問です。実際はどうだったのでしょうか?

Aベストアンサー

『満州国の奉天で石油がとれており』

というのは何の資料に書いてあったのでしょう?
満洲国に油田は存在しなかったと記憶します。

戦後、「中国東北部」となった旧満洲国では、大慶油田と総称される油田が発見・開発されました。
昭和16年の日本は「原油500万キロリットル」があれば何とかやって行けました。
大慶油田では、最盛期には数千万キロリットルの原油が産出したようですので、戦前に大慶油田が発見・開発されていれば、南方の資源、特に石油を得るために昭和16年12月に米英蘭の三国相手に戦争を始める必要はなかったでしょう。

しかし、現実問題として、戦前に満洲国で油田を開発するのは困難だったようです。

下記の質問のベストアンサーで詳細に解説されています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1233075047

Qもし日本が太平洋戦争をしていなかったら・・

満州を放棄し、中国へ侵攻している全ての軍隊を引き上げて、
日米戦争を回避していたら、今頃(現代)の日本やその周辺国はどうなっていましたか?

例えば、
・今頃、韓国、北朝鮮、台湾やグアム、サイパン、パラオなどはパスポートのいらない日本国内旅行ですか?
・フィリピンはアメリカ領、インドネシアはオランダ領、インドやマレーシアはイギリス領、ベトナムはフランス領のままですか?
・今のような、日本は経済大国になっていないのでしょうか?

考えてみたら、戦前の日本のほうが領土的に広いので、戦争していなかったら今とどう違っていたんだろうと、ふと疑問に思いました。

Aベストアンサー

戦前の軍事書籍を読むと分かるのですが戦前の日米対立とは即ち「中国市場を巡る対立」でした。
もともと市場規模が小さく、資源も少ない日本を支配しても米国の得にならない事は明白であり、そんなことは当時から分かりきった話でした。
このため戦前から日本では「米国の圧力は中国市場を獲得するために目障りな日本を潰すためのもの」という認識だったのです。
そして戦前の日本では日清・日露の両戦争を始め多くの戦争と犠牲を通じて獲得した「満蒙の特殊権益」はいかなる理由があろうと手放してはならない、という意識が極めて強かったのです(戦後で言えば「憲法9条を絶対に守れ」と似たようなものです)。
この結果、中国大陸での武力行使は国民の強い支持を得る事となり、必然的に中国市場を巡る日本と米国との対立を深める事になってしまいました。
しかし逆に考えれば、大戦後に中国が共産化してしまえばもはや、中国における利権対立も無くなるわけで、日米の対立要因も失われるでしょう。
そうなると戦後の日本はかつての韓国やインドネシアのように軍部が強い影響を持ちつつも、開発独裁体制の元で経済成長を遂げ、その後の民主化の発展に伴い軍部の影響力も次第に減少していくものと考えた方がよいかも知れません。

戦前の軍事書籍を読むと分かるのですが戦前の日米対立とは即ち「中国市場を巡る対立」でした。
もともと市場規模が小さく、資源も少ない日本を支配しても米国の得にならない事は明白であり、そんなことは当時から分かりきった話でした。
このため戦前から日本では「米国の圧力は中国市場を獲得するために目障りな日本を潰すためのもの」という認識だったのです。
そして戦前の日本では日清・日露の両戦争を始め多くの戦争と犠牲を通じて獲得した「満蒙の特殊権益」はいかなる理由があろうと手放してはならない、と...続きを読む


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