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武士の主君が家臣の忠誠心を得るためにどんな策をとったのか教えて下さい。

主君は家臣に知行を与えますが、それだけでは家臣に命を捨てさせることはできないと思うのです。
なぜなら知行は命をながらえさせるもので戦は命を危険にさらすものだからです。
命をながらえさせるもののために命を捨てるのは矛盾しています。

誰もが好きなだけ金をやるから死んでくれといっても断るでしょう。

そこで利益度外視で主君のために尽くす忠誠心がどうしても必要になってくると思うのですが
武士の主君たちはどのようにして家臣の忠誠心を得ていたのか知りたいです。

A 回答 (10件)

難しく考えることはありません。


力です。
絶対的な力の元に皆ひれ伏すのです。
例えば切腹を命じられたら、選択肢は3つ。
従うか、刃向かうか、逃げるか。
絶対的な力の前に刃向かっても勝てません。
逃げても一族郎党皆殺しです。
従いますね。

あとは空気です。
太平洋戦争では、赤紙が来ると万歳おめでとう。
神風特攻も集団で志願者を募ります。
ダチョウ倶楽部のようにどうぞどうぞとは行きません。
武士の空気作りが士気です。
士気が高ければ迷わず戦う兵も、士気が下がれば現実に返り、逃げ出し潰走。

質問は忠誠心を得るためにどんな策をとったのかですね?
評定に空気を作る仕込み役を用意します。
小山評定の福島と山内は有名ですね。
http://www.junk-word.mobi/taiga-drama/gou/001483 …
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この回答へのお礼

なるほど。殺されたくなければ敵を倒してこいということですか。

なるほど空気ですか。おもしろいです

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/08/20 00:27

 「一所懸命」という言葉をご存じと思います。


 一つの土地(自分の知行地)に命をかけるという意味ですよね。
 封建時代の産物である日本の武士はまさに命をかけて主君と契約します。
 「ご恩」「奉公」の関係ですよね。
 
 現代と違う一点は個人の命の重みです。
>命をながらえさせるもののために命を捨てるのは矛盾しています。
 これは現代の感覚です。彼等は一族(家)の存続と反映のためなら自分の命を
捨てて惜しくはなかったのです。個人の自我の確立は近代になってから徐々に。

南北朝時代に和歌山辺りの武士の親子がどちらが負けても一家が残るように、
親子がそれぞれの陣営に分かれて戦った話が残っています。
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この回答へのお礼

なるほど

一族の存続のためには自分個人の生死はかえりみないということですね。

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/08/20 00:24

subetenoaruji さん、こんばんは。



武士の主君が家臣の忠誠心を得るためにどんな策をとったのか教えて下さい。

主君は家臣に知行を与えますが、それだけでは家臣に命を捨てさせることはできないと思うのです。
なぜなら知行は命をながらえさせるもので戦は命を危険にさらすものだからです。
命をながらえさせるもののために命を捨てるのは矛盾しています。

それは間違っていると思います。鎌倉時代以来、武家の棟梁たる将軍に対して御恩と奉公という形がとられています。戦で勝利して、本領の安堵や新恩給与(加増)は一族や自分たちの子孫の繁栄につながります。だから、自分個人が戦で討ち死にするのは名誉なことだったのです。
これは戦国大名とその家来とも同じことでした。
詳細は下記のURLを参照ください。


御恩と奉公
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%81%A9% …
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この回答へのお礼

なるほど。自分は死んでも一族は残る。

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/08/20 00:29

 現代の日本人の価値観で理解しようとしても、中国人の言う「歴史感覚」やイスラム原理主義による行動を理解するのは難しいと思います。




 同じように、封建時代の人びとの行動を、個人を主とする現代人の考えで理解するのは困難でしょう。

 封建時代にあっては、主君も家臣も家の存続を図ることが基本でした。知行は個人に与えられたものではなく、子孫への相続が約束されていました。しかし、これは主君への忠誠が代価なので、仮に命を賭けるとしても十分な見返りが得られました。

 実は、この仕組みは近代になっても生きていました。たとえば鉄道会社や炭鉱では殉職した従業員の妻を事務所や売店で雇用したり、遺児を優先採用する慣例がありました。

 家が基本で人は従という考えは封建時代を貫く鉄則です。浅田次郎「お腹召しませ」という短編小説が評判になりましたが、まだ読まれていないのであれば一読をお勧めします。百聞一読にしかずでしょう。
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忠誠しない奴を徹底的に排除する。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E5%85%AC% …

奉公構
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この回答へのお礼

これですかね。簡単で効果バツグンではありますね。

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/08/20 00:39

忠臣蔵が持てはやされたのは忠臣があまり居なかったからです。

赤穂の浪人の9割は討ち入りに参加していないのです。大石内蔵助は城代家老でしたが、末席家老であった大野九郎兵衛は分配金を持ってさっさと立ち去っています。

戦いの負けても主君一族は切腹であっても下級武士は殺されることはないのです。だったら、戦いに負けそうになったら直ぐに逃げてしまうのです。ヨーロッパの戦いは民族が違うので負けたら殺されるのです。日本の将棋は相手の駒を使えますが、チェスは使えません。戦いの形が違っているからです。

戦いの時に日本の主君が保証したのは武士が戦死しても子への家督相続を保証し、知行を安堵させることでした。しかし、戦いに負けたらすべてが無駄ですので、戦いの支度金を出すことで家族の生活を安堵させたのです。

封建制度は土地を媒体として主従関係を結ぶ制度ですが、これを明確に表したのが鎌倉幕府の源頼朝です。関東武士が所領安堵を条件に頼朝の御家人になっていったのです。平家が荘園支配の貴族支配の真似をしていたのと大きく異なっているのです。一所懸命とは一族の土地のために命を掛けることです。利益度外視で忠誠を尽くすことは一族の時だけです。
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基本的に主君のために死ねばその後子孫がとりたてられるので、土地のために死ぬと言うのは家族のため子孫のために死ぬことなんですよ。

だから土地のために死ぬんです。

それ以外に特別なものってなると、子供のころから大名の嫡男と側近となるべきものを一緒に育てるとか、縁組であるとか、あるいは衆道といったところでしょうか。
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この回答へのお礼

一族のためってことですね。

衆道って効果はあったんでしょうか?

回答ありがとうございました。またお願いします

お礼日時:2014/08/20 00:34

御質問の趣旨を突き詰めていくと「人心掌握術(策)」ということになるかと思います。


正面から詰めていきますと一冊や二冊の本が忽ち出来上がってしまいますので、素人には回答不能になってしまいます。

「武士」と範囲を限定されましても、平将門がいた平安時代から、西郷隆盛の西南の役の明治初期までと恐ろしく広がります。
人心ですからその時代時代の価値観が入っていますので、一括りという訳にもいかなくなってしまいます。

少なくても、新渡戸稲造などが頭の中で創り出した武士道だの葉隠れ精神だのとは無縁なものであったことだけは確かです。

「誰もが好きなだけ金をやるから死んでくれといっても断るでしょう。」とお書きになられておられますが、以外にもそうでも無いということです。
現代のサラリーマンの過労死問題も、突き詰めていくと「断らずに死んでしまった」ということになります。
今でこそ過労死などと社会問題になりますが、第二次世界大戦直後の昭和二十年代三十年代には子供を養うお金の為にバタバタ死んでいました。
金を名誉とすれば、赤穂浪士のような連中も出てきます。
金どころか、お家の面目の一言で腹を切った連中もいます。

「利益度外視で主君のために尽くす忠誠心がどうしても必要になってくると思うのですが」とありますが、戦国時代になりますと忠誠心など一切無しで戦に臨んでいます。
藤堂高虎は「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と言ってのけています。
朝倉宗滴は「「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」と言っています。
鎌倉時代の一所懸命だの御恩と奉公だのといっても、当人同士の間ではあくまでも相互扶助関係が貫かれていました。
お互いに利用する価値がなければハイさようならでした。

仁義だの忠孝だの二君にまみえずなどというのは、平和なお江戸の時代に学者先生が言っていただけのことです。
幕末には江戸幕府は圧倒的な兵力を擁しながら総崩れに崩れてしまいました。
そもそも、西国大名を警戒して設置され将軍になる権利まで認められていた尾張も紀州も抵抗らしい抵抗をしませんでした。
御三家御三卿といったところで、慶喜に全部おっかぶせて我が身大事と動き回っていました。
直参旗本だ御家人だといったところで、京都の警護は多摩の郷士連中に頼まざるを得ませんでした。

とまぁ~こんなところです。
ただし、具体的に人をその場で動かすのには、歴史好きの話題に上るような人物はそれぞれにその時その場に応じてやっています。
天才的な才能を持っていたのが秀吉です。
自身は刀一つ振り回す体力も技能も能力はありませんでしたが、配下に取り込んだ連中に命がけで戦わせています。
ついには関白にまで上り詰めました。

>武士の主君たちはどのようにして家臣の忠誠心を得ていたのか知りたいです。
一般論で、これこれこうです、と分かれば、現代サラリーマンは全員社長になっているでしょう。

以上身も蓋もない話をしましたが、面白い逸話はいくらでもあります。

〇賤ヶ岳の戦いで前田利家が敵前逃亡、自分の城に逃げ帰ったとき、秀吉は単身、利家の居城に乗り込みました。
戦線離脱したとは言え、敵の柴田勝家軍の中心的武将であった利家に、「おみゃあが頼りなんじゃ」と訴えかけ、抱き込みました。
利家からしてみれば、攻め殺されることを覚悟していたタイミング、ただ一人で交渉に来た秀吉の言葉に『心を開いた』。。。

〇ある時5人の家臣(遊女好きの家臣2人と博打打ち好きの家臣3人)が喧嘩を起こして、それを高虎自らが裁いた。この時高虎は遊女好きの家臣を追放し、博打打ち好きの家臣は減知の上、百日の閉門として家中に残した。不思議に思った側近が尋ねると、高虎は「女好きは物の役に立たないが、博打好きな奴は相手に勝とうとする気概がある」と答えたという

〇高虎は8度も主君を変えた苦労人のため人情に厚く、家臣を持つことに余り頓着せず、暇を願い出る者があるときは「明朝、茶を振る舞ってやろう」と言ってもてなして自分の刀を与え「行く先がもしも思わしくなければいつでも帰ってくるが良いぞ」と少しも意に介しなかった。そしてその者が新たな仕官先で失敗して帰参を願い出ると、元の所領を与えて帰参を許したという
〇晴信(信玄)が定めや法度以下のおいて、違反しているようなことがあったなれば、身分の高い低いをとわず、目安(投書)をもって申すべし.時と場合によって自らその覚悟をする。
〇 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。
〇大将たる者は、家臣に慈悲の心を持って接することが、最も重要である。

何時の時代も人を使うというのは大変です。

尚、日本人の集団行動心理については、欧米でも有名で第二次世界大戦当時の米軍も盛んに研究していました。
それをまとめた「菊と刀」という書籍は今も読み継がれています。
こんなサイトもあります。

『菊と刀』の勉強をしましょう(74)
fshare.stust.edu.tw/retrieve/74456/index.html

先日の東北の地震の際に救援に駆けつけた米軍の司令官が、撤収に当たり地元の人にお礼を言われた際に
「お礼を言いたいのは我々の方だ、自分自身が被災者であるにも関わらず、多くの方が手助けをしてくれた。おかげで我々は任務を全うできた」
と言いました。
日本人というのはこのようなことをごく自然にやります。
大将が困っているのなら、ここは一つやってやろうか、と考えて敵陣に切り込んでいった連中も沢山いたでしょう。
お人好しなのかどうかは分かりません。
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古来、主君の命を守るために、


自らの命を捧げる忠臣はいましたが、

古来、主君の財政難を救うために、
自らの土地を捧げる忠臣はいません。

もちろん、逃げるヘタレやズルも多いのですが、
封建社会では土地一番イデオロギーは強固です。
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この回答へのお礼

shirouudaさん早速の回答ありがとうございます。

確かに土地を捧げた家来は聞いたこと無いですね。
土地>命ってことですね。

一所懸命は自分も理解できるんです。自分の土地の支配権のためなら命を懸けても守る価値はあります。
何よりこれは自分のためですから

ただワザワザ主君のために死んではせっかくの土地も意味をなさなくなってしまうのでは?と思うのですが

回答ありがとうございます。またお願いします。

お礼日時:2014/08/04 08:09

義務教育でも習っているはずですが。


「一生懸命」
土地を守るために命をかける

当時の多くの人々にとっては、
土地を失う、ということは、
一族・永遠・失業
というイメージなんです。
他の産業をイメージできないので。
商人以外はね。
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