東ティモールについての質問です。
現在、東ティモールはどういった状況におかれているのでしょうか?
国際的には国家として認められているのでしょうか?
また、実質的には独立国としての体裁を持っているのでしょうか?

A 回答 (1件)

 前に同じような質問がありました。

その参考URLをごらんください。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=73883
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Q東ティモールについて

今度ゼミで東ティモールについて発表したいと思っているのですが、今までの東ティモールや、現在、これからの問題など東ティモールについてのいろいろなことを教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

この日刊ベリタというところは東ティモールの記事をよく載せています。

東ティモールの関してはオリジナルの記事が多いので役立つと思います。

参考URL:http://www.nikkanberita.com/

Q東ティモールについて

今東ティモールについての現状について調べているのですが、何かいい情報源はあリますか?一応本などでは調べているのですが、1年前に発行されたものなど、微妙にタイムラグがある物が多いので、出来れば最新の情報が入るものが望ましいのですが・・・。

Aベストアンサー

こんにちわ。平和構築という観点からの最新情報は残念ながらOPENにされていませんね。と言うより現在の東ティモール政府にそれだけの能力がまだ備わっていないようです。人口、農業、インフラ、教育などあらゆる統計は2002年UNDP資料くらいしか見当たらず、ベースは旧インドネシア時代のものだったりします。

インドネシア・ネガラ銀行東京支店の友人にヒヤリングしたところ「あぶないから行ってはダメ」という程度の情報しか出てこないような、情報のない国です。

平和構築活動については、伊勢崎賢治さんの「東ティモール県知事日記」が、国連の能力の問題点の浮き彫りにするという視点でおもしろいです。

治安現状について若干のデーターを差し上げます。

○東ティモール警察(PNTL) 
2004年2月現在の勢力は約3000名。2003年12月に国内全ての治安維持の責任がUNPOL(国連警察)から移譲された。任務・配置は、各市レベルに配置されている一般警察官が約2,400名(20%が女性)、主として群衆統制の増援任務を持つUIR(特殊部隊)が164名、国境警備に任ずるBPU(国境警備隊)が300名、国境付近における元民兵等武装勢力対処にあたるRDS(緊急展開部隊)が120名であり、脅威に応ずる必要な機能を組織的に編制している。しかしながら、未熟な訓練練度、装備不足、使命感及びリーダーシップ不足等の諸問題を抱えており、現段階での各種事態対処能力は脆弱である。

○東ティモール国防軍(F-FDTL)
現在1,200名態勢であり、将来的には予備役約1,500名を含める3,000名態勢を予定している。配置は、1大隊が東部のロスパロスに駐屯し、東部地域の防衛任務にあたっている。2大隊は、メティナロ(ディリ県)で訓練中である。2004年5月UNMISETの任務終了後の配置は未定である。軍の整備は継続されているが、予算や熟練指導者等の不足により遅滞している。また、東ティモール政府は国内の治安維持におけるPNTLとF-FDTLの任務区分を明確にしていないため、現段階での明確な任務がなく、隊員の士気は高いとは言えない。このため、PNTLとの関係は必ずしも良好な状況とは言えず、度々個人レベルの争いが生起した。

なお、警察・軍ともに旧インドネシアに雇用されていた者、ファリンテル(独立義勇軍)戦士は一切雇用されない。怨念を持ったものに治安維持の任を任せるわけにはいかないという趣旨ですが、逆に教養・経験・指導力不足の若者ばかりの組織となってしまいました。

また、国境周辺には突発事故を防止するために軍を配置していません。(それだけ根深いものが残っているのですね)

更に、東ティモール政府には警察・軍を維持する財力がありません。

難民については、今でも2万人くらいの東ティモール人が西ティモールに居るようですが、これについての情報は私は持っておりません。(すみません)

UNMISET任期満了・撤退後の治安に対する予測ですが、PKF軍司令官等へのインタビューを通じて「概ね維持されるだろう、心配はない」とのこと。
私も中部山岳遅滞へ視察に行きましたが問題なしです。(国境周辺はまだ遠慮して行っていません)

ディリ市内は、併合派民兵によって破壊された建物がいまだ屋根もなく壊れたままですが、ぼちぼち修復されつつあり、落ち着いています。

グスマオ大統領は教育に熱心で、制服のポロシャツを着た生徒たちが市内をにぎやかにしています。

東南アジアで最も貧しい国ですが、卒業旅行の候補地にでも入れておいていただければ、部外者ですが嬉しく思います。

こんにちわ。平和構築という観点からの最新情報は残念ながらOPENにされていませんね。と言うより現在の東ティモール政府にそれだけの能力がまだ備わっていないようです。人口、農業、インフラ、教育などあらゆる統計は2002年UNDP資料くらいしか見当たらず、ベースは旧インドネシア時代のものだったりします。

インドネシア・ネガラ銀行東京支店の友人にヒヤリングしたところ「あぶないから行ってはダメ」という程度の情報しか出てこないような、情報のない国です。

平和構築活動については、伊...続きを読む

Q東ティモールって・・・・・・

ちょっと前はよく東ティモールのことについてよく耳にしてたんですが、

今思うと私世界史高校で習ってるのに全然わかってないことにきずきました・・・

なんだか、東ティモールはインドから独立したんですよね?

で、今はどんな状況なんでしょうか?

どうして東ティモールが独立したがったのか?だうして争ってたのか?など、

全然わかってない馬鹿な私に東ティモール情報を教えてください。

お願いします。世界のことに詳しくなりたいんです!^

Aベストアンサー

チベットに引き続き、こちらもカキコしてみました
というわけで、東ティモールですが
インドから独立したわけではありません
インドネシアから独立したことになっています
厳密には、大航海時代にポルトガルの植民地になり、
その後ずっとポルトガルの植民地でした
一方、インドネシアはオランダの植民地になっていました
そして、時代は流れて第2次世界大戦(太平洋戦争)のときに
これらの島々は日本に占領されたのですが
戦後、元の宗主国(植民地を持っている国)に返されて
その後独立運動が起こり、インドネシアがオランダから独立しました
同じ時、東ティモールもポルトガルからの独立を主張したのですが
同じ島の西半分がインドネシア領なため、一部にインドネシアに併合されようとする勢力があり
インドネシアが、その勢力と一緒になり東ティモールまでインドネシア領としてしまったのです。
そして、近年インドネシアの併合は不当なものであったという空気が世界中に広まり独立することになったわけです
詳しくは、参考URLでどうぞ

参考URL:http://www5b.biglobe.ne.jp/~toku/timor-history.htm

チベットに引き続き、こちらもカキコしてみました
というわけで、東ティモールですが
インドから独立したわけではありません
インドネシアから独立したことになっています
厳密には、大航海時代にポルトガルの植民地になり、
その後ずっとポルトガルの植民地でした
一方、インドネシアはオランダの植民地になっていました
そして、時代は流れて第2次世界大戦(太平洋戦争)のときに
これらの島々は日本に占領されたのですが
戦後、元の宗主国(植民地を持っている国)に返されて
その後独立運動が起こり、イ...続きを読む

Qある国家の一部が平和的に独立した例をご存じありませんか。

ある国家の一部が平和的に独立した例をご存じありませんか。

理不尽な不利益を一部の地域にばかり押しつけ続けた場合の最後の手段として、「その国家から独立する」があると思うのですが、多くは戦争をしてしまっています。
もっとも、日本は防衛力の自衛隊しかないので、攻撃的な武力鎮圧はできないでしょうが…。

Aベストアンサー

 イタリアが抱える内国・サンマリノは平穏に独立を成し遂げた事例。
個人的に独立時に国内・周辺国に紛争が伴わない独立事例としては、リヒテンシュタイン・ブルネイ・ポリネシア諸国などをあげられる。
 その数は意外に多く30を越えるが、いわゆるミニ国家で知名度が低い国々(特に太平洋の環礁国家)

 なお、”民族自決”の政治原則から、分離独立の正当化が可能とも言われるが、国際法的にはグレーである。

 独立を領邦国家の一地域としての地位を得る、の意味ならば、欧州諸国には数多くの独立事例がある。(詳細は、『分離独立』を参照されるのが適切だろう) 
 これらは、ある自治体に編入されていたが、民族・習俗の違いから、分離独立を為したと看做され、独立と評されるのが通例である。

 もっとも一般的に日本国民にとっては、独立とは国家のことであるから、ここでは、独立を精査しない。

 さて、現代社会において、自国の一地域が分離独立を要請すると、国際政治的なパワーバランスで判定されることが多い。
 簡単にいえば、分離独立した方が自国の利益になれば、その分離独立を支持(国家承認)することになるが、国家の構成要件(モンテビデオ条約)に準拠する基準から簡単な問題ではない。
 なお、自国の一地域の独立蜂起に対して、国内事由として治安維持を目的として、独立派を取り締まることが出来るが、独立派(独立を主張する側が形成した政府)が承認されれば、治安維持的行為は、交戦と看做され、国際政治的には戦争状態と看做される恐れがある。
(もっとも、自国の立場で押し切るパワーがあれば問題ないが)

長々となったが、独立に伴う戦争(内紛)は国家樹立の試金石であって、実は必要条件とも言える。
国家として軍隊ではなく、治安維持能力もない国家が乱立することは、周辺国にとっても不幸であるから、治安維持能力を図る意味でも、武力紛争によって独立国の警察力を試す意味が、独立戦争にあるかもしれない。
 もっとも、平和主義である私にとっては、合意形成でノンビリ独立を為すか?領邦国家化し、国内において緩やかな地方分権によって独立性を維持するなどを考えてほしい。

 EU社会が、相対的に安定的なのは、領邦国家として国家運営され、国家として分離独立するのではなく、領邦国家としてソフトランディングしやすかった背景があることも、現代史学の見地としても有力になりつつある。

 イタリアが抱える内国・サンマリノは平穏に独立を成し遂げた事例。
個人的に独立時に国内・周辺国に紛争が伴わない独立事例としては、リヒテンシュタイン・ブルネイ・ポリネシア諸国などをあげられる。
 その数は意外に多く30を越えるが、いわゆるミニ国家で知名度が低い国々(特に太平洋の環礁国家)

 なお、”民族自決”の政治原則から、分離独立の正当化が可能とも言われるが、国際法的にはグレーである。

 独立を領邦国家の一地域としての地位を得る、の意味ならば、欧州諸国には数多くの独立事例があ...続きを読む

Q東ティモールの現在

東ティモールについての質問です。
現在、東ティモールはどういった状況におかれているのでしょうか?
国際的には国家として認められているのでしょうか?
また、実質的には独立国としての体裁を持っているのでしょうか?

Aベストアンサー

 前に同じような質問がありました。その参考URLをごらんください。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=73883

Q旧ソ連邦 独立できた国とそうでない国

チェチェン問題が深刻化しています。

旧ソ連邦の時代の共和国には「ウクライナ」や「カザフスタン」のようにCIS(独立国家共同体)となったところと、バルト三国「リトアニア」などのように完全に独立できた国と、「チェチェン」や「ブリヤート共和国」のように現在もロシア連邦に含まれる共和国に分かれますが、CIS(独立国家共同体)化した国と、そうでないほかの共同体の違いは?(なぜ、独立国家になれないのか? なれたのか?) また、なぜ(どういう経緯で)バルト三国が完全にロシアから独立できたのか?

具体的なことを御存知の方いらっしゃいましたら、わかりやすく教えてください。混乱を避けるためにある程度専門的な知識がある方の回答のみに限らせてください。また、わかりやすい参考文献等(書籍)ございましたら、教えてください。

Aベストアンサー

旧ソ連邦は15の連邦内共和国から構成されていました。こらら15共和国は、ソ連邦の解体と同時に独立国となります。それに対しチェチェン(当時はチェチェン・イングーシ)などは、15共和国の1つであったロシア共和国の、さらに中に置かれていた“自治共和国”扱いの地域だったのです。だからソ連邦解体が独立を意味しないのです。
ロシアにしてみれば、チェチェンの独立を許せば今度はロシア連邦の崩壊の危機を招きます。石油産出地であるチェチェンが独立すれば、他の資源埋蔵地域が後を追うことは必至となります。
バルト3国の扱いが他の12共和国と違うのは、これら3国はもともとがソ連邦ではなく第2次大戦以前の1940年までは完全な独立国であったこと、それゆえバルト3国のソ連邦併合自体が西側諸国に支持されていなかったことがあります。西側諸国がバルト3国の完全独立を後押ししたのです。なお、バルト3国はロシアから独立したのではなくソ連邦から独立したのであって、そういう意味ではロシアと同格ですのでお間違えのないように。
チェチェンの最初の独立宣言は1990年11月27日のチェチェン人民代議員大会で採択されています。これはソ連邦崩壊どころか1991年8月の保守派のクーデター失敗よりも前のことでした。しかしこの当時、このニュースはまるでジョークのように扱われ、バルト3国の独立宣言とは“格”の違いを見せつけられました。西側諸国から相手にされず、ロシア国内のの民族問題として扱われてしまったことが、現在の悲劇に繋がったのです。

旧ソ連邦は15の連邦内共和国から構成されていました。こらら15共和国は、ソ連邦の解体と同時に独立国となります。それに対しチェチェン(当時はチェチェン・イングーシ)などは、15共和国の1つであったロシア共和国の、さらに中に置かれていた“自治共和国”扱いの地域だったのです。だからソ連邦解体が独立を意味しないのです。
ロシアにしてみれば、チェチェンの独立を許せば今度はロシア連邦の崩壊の危機を招きます。石油産出地であるチェチェンが独立すれば、他の資源埋蔵地域が後を追うことは必至とな...続きを読む

Q東ティモール情勢がいつの間にか悪化してる?

なんか東ティモールで暴動が起こったりしていつの間にか情勢が悪化してるそうですが、なんでこんなことになってるのか教えてください。
わたしの情勢の知識は「グスマン大統領で独立万歳!これから新しい国造り!」くらいで止まってます。

Aベストアンサー

急速に状況が悪化してきたのは去年からです。

2006年3月、西部出身者の兵士達が、昇級や給料について東部出身者より冷遇されていると抗議の声をあげストを行います。
政府はこの兵士達を除隊処分にし解雇しました。
除隊させられた兵士達は怒り武装蜂起し反乱を起こします。政府は鎮圧軍を差し向けますが、この鎮圧軍の中から反乱軍に合流する者(西部出身者)が多数出ました。
また、首都では、西部出身者が東部出身者の家に投石や放火を行ったり、若者達が反政府暴動を起こします。
もはや事態が手に負えないと判断した政府は、周辺諸国に治安維持の為の軍の派遣を要請しました。

それまで政権与党である「フレティリン(東ティモール独立革命戦線)」は東部出身者を優遇していました。フレティリンが独立を求めて戦っていた時代、東部は最もフレティリンを支持し支え、独立闘争を支えた地域であり、フレティリンの幹部にも多数の東部出身者がいたのです。
独立後は、政党となったフレティリンの重要な支持基盤でした。その為、フレティリンは東部を優遇していました。
その政策に対する西部の不満が噴出したのです。また、独立を達成しても一向によくならない経済や、高い失業率への不満が若者達の暴動になってあらわれました。

オーストラリア軍等が治安維持の為に東ティモールに派遣された為に、暴動等は一応の収まりを見せます。
しかし、今年6月に選挙が行われ、これまで政権与党であったフレティリンが敗北して政権の座を失い、反フレティリン連立政権が樹立されると、熱烈なフレティリン支持者が、これを不服とし暴動を起こしました。
それが現在の状況です。
つまるところ内政の失敗と、民主主義の不成熟により暴動が起き、情勢が悪化していると言えます。

急速に状況が悪化してきたのは去年からです。

2006年3月、西部出身者の兵士達が、昇級や給料について東部出身者より冷遇されていると抗議の声をあげストを行います。
政府はこの兵士達を除隊処分にし解雇しました。
除隊させられた兵士達は怒り武装蜂起し反乱を起こします。政府は鎮圧軍を差し向けますが、この鎮圧軍の中から反乱軍に合流する者(西部出身者)が多数出ました。
また、首都では、西部出身者が東部出身者の家に投石や放火を行ったり、若者達が反政府暴動を起こします。
もはや事態が手に負えな...続きを読む

Q独立国家を建国したいのですがどうすればいいのでしょうか

自分達で新しい土地を見つけて国家として独立させてたいのですが
独立国家を作るために法律的には何をしなくてはいけないのでしょうか、教えてください。

Aベストアンサー

軍事力を使って占領する。
革命を起こしてその首謀者になる。
分離独立運動の指導者になる。
といった事が可能性として高いのですが、それでは「新しい土地を見つけて」という事にはならず、ご希望にそえません。

「新しい土地をみつけて独立国を創る」という事ですと、最近の例として、イギリスの「ゼーラント公国」、イタリアの「セボルガ公国」があります。
どちらも法律の盲点をついて独立宣言した国ですが、世界で国としてみとめた国はありませんが。
ゼーラント公国の場合、イギリス領海外にある放棄された油田の掘削櫓を買い取り独立宣言したものです。
セボルガ公国の場合、イタリア統一条約にセボルガが抜け落ちていたために、法律的にイタリアではないとして独立したものです。

そのような事例を探せば、まだ見つかるかもしれませんが、国際的承認は困難でしょう。
ゼーラント公国の場合、唯一の国民がケガをしてイギリスの病院に入院して以来国民がいません。
セボルガ公国では、公共サービスの全てをイタリアに依存しており、実質観光目的の独立宣言になっています。

また、領土を持たなくても国家として認められる事があります。
マルタ騎士団国は、ローマ市内のいくつかの建物を領土とする国家です。
世界の半数近い国が国家として認めていますし、国連にもオブザーバーとして参加しています。
領土は無くても独立国家となる事は可能です。

また、バチカンのように、世界的影響が大きい独立した組織をつくりあげられれば、独立国となる事も可能でしょう。

「新しい土地」という事であれば、月や火星に各国に先駆けて移住して国として独立する事も可能かもしれません。
月ですと問題になるかもしれませんから、土星の衛星のトリトンなどが良いかもしれません。

軍事力を使って占領する。
革命を起こしてその首謀者になる。
分離独立運動の指導者になる。
といった事が可能性として高いのですが、それでは「新しい土地を見つけて」という事にはならず、ご希望にそえません。

「新しい土地をみつけて独立国を創る」という事ですと、最近の例として、イギリスの「ゼーラント公国」、イタリアの「セボルガ公国」があります。
どちらも法律の盲点をついて独立宣言した国ですが、世界で国としてみとめた国はありませんが。
ゼーラント公国の場合、イギリス領海外にある放...続きを読む

Q東ティモールの独立について

今回、東ティモールが独立することになりましたが、
意外と早く独立したことに驚いています。
根本的に民族的な理由が多いのですか。それとも宗教的?
独立しても、経済資源などあるのですか。
インドネシアは観光地としても有名ですが、
この国はどこらへんで国を維持できるのでしょうか。

Aベストアンサー

確かに早く独立へと動き出したのは驚きですが、独立に関する住民投票のあとのインドネシア軍の行動が激しすぎ、かえって国連軍の
看視が強化されたためにスムースに事が運んだのかも知れません。

民族はただでさえ多民族なのにこの東チモールだけでも13~16程度の言語があると云われて複雑ですがポルトガル統治時代の
カソリックが彼らを反イスラムで結束させたかも知れません。。。

産業はコーヒー、大理石、石油(南海域の海底油田)ということになっていますがどれに重点を置くかで決るように思います。

http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/introduction/geography.html

観光については残念ながら知らない国ですが、戦前からのホテルもあるようですから、全部が近代化されないうちに古いホテルに
泊まるのも一興かと思います・・・昔、ペナンの木造の「イースタン&オリエンタル・ホテル」に泊まった時に、壊さないうちに
香港の「レパルスベイH」、シンガポールの「ラッフルズH」にも泊まっておけば好かったと想ったものです。
・・・多くの課題はこれからだと思います。

http://www.asahi-net.or.jp/~ak4a-mtn/introduction/travel.html

確かに早く独立へと動き出したのは驚きですが、独立に関する住民投票のあとのインドネシア軍の行動が激しすぎ、かえって国連軍の
看視が強化されたためにスムースに事が運んだのかも知れません。

民族はただでさえ多民族なのにこの東チモールだけでも13~16程度の言語があると云われて複雑ですがポルトガル統治時代の
カソリックが彼らを反イスラムで結束させたかも知れません。。。

産業はコーヒー、大理石、石油(南海域の海底油田)ということになっていますがどれに重点を置くかで決るように思い...続きを読む

Qスペイン カタルーニャ州は独立国家になる可能性はありますか 夢物語ですか?

スペイン カタルーニャ州は独立国家になる可能性はありますか
夢物語ですか?

Aベストアンサー

カタルーニャ、バスク、スコットランドはいつ独立してもおかしくないと思います。
後は住民のやる気次第ですね
ユーゴスラビアだって6つに分断してなんとかやってるし


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