小説『伊豆の踊子』のラストシーンについてです。
ラストは「私」が涙を流して終わるじゃないですか。あれはいったいどういあことだったのでしょうか。
私なりの解釈は、素直になれた自分に対しての安堵というか、ホッとするような気持ちが一番の要因なのではないかと…
皆様はどうお考えですか。

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A 回答 (1件)

私は質問者様とだいぶ似ているのですが、


主人公は素直になれたことで、他人の誠意や真心が真っ直ぐに伝わるようになってきて、それに気がついた。
そして、他人の優しさなどに気がついたことで、それまでの自分が哀れに思えてきたのだと感じています。
周囲の人の気遣いに感謝とそれに気づかなかった自分の哀れさに…というのが入り混じった涙だと感じています。
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Q伊豆の踊子の化粧って?

伊豆の踊子を借りて読みました。

伊豆の踊子に出ている踊り子の化粧とか髪型とかってどんなんだったんでしょうか?
書籍とかそういうのがわかるサイトなどあれば教えてください。

当時の化粧品についてとかも興味あります。

Aベストアンサー

未婚女性の日本髪は、高島田・結綿・桃割れ・(銀杏返し、もかな)等がありますが、映画化された伊豆の踊り子を観た記憶では、桃割れだったような、もしくは桃割れに似ていた気がします。
桃割れは、特に少女の髪型なので、踊り子の年齢にしっくりくると思います。
ちょうどいい本を持っていたのですが、さっとみたことろ見つからないので、古書店行きになってしまっていたようです。
化粧は、紅・白粉が主のはずです。
紅は紅皿から指等でとって塗ります。
白粉は、現在のような肌色ではなく、昔の花嫁さんみたいに、白塗りで、刷毛で塗ったのだと思います。
日本髪、で検索すると、いろいろ出てくると思います。
私は子供~20代前半まで、お正月には、日本髪を結っていました。桃割れも結いましたよ。懐かしくなりました^^

参考URL:http://blogst.jp/da10000391/

Q山田悠介って文章能力なさすぎじゃないですか? どうしてあれが人気なのかわかりません。 世界観は好きで

山田悠介って文章能力なさすぎじゃないですか?
どうしてあれが人気なのかわかりません。
世界観は好きですがやっぱり読みにくすぎて…。
みなさんは山田悠介の作品についてどう思いますか?

Aベストアンサー

山田悠介は文章能力はないけど、中高生に読みやすそうな本だとは思いますね~
私も中学生のときハマってましたし。

Q1/32 ボンネットバス「伊豆の踊子号」の車体色?

先日、アリイ製1/32いすづボンネットバス「伊豆の踊子号」<前期型>を購入しましたが、組立説明書に車体の塗装指示がありません。実物を見た事がないので、パッケージを参考にするしかないと思いますが、特にクリーム色ぽい部分の調合割合など、回答出来る方おりませんか?また、その時は少し艶をなくして塗装したいと思います。

Aベストアンサー

http://images.google.co.jp/imghp?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&tab=wi&q=
「伊豆の踊子号」

Q踊子 振る振る 白いもの

読解力がないことを曝す様ですが、解らないモンは解らないので質問します。聞くは一時の恥~…っていいますし。

“伊豆の踊子”のラスト、『ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた。』とありますが、一体何を振ったのでしょうか?

推測でも、「解らないところが良いんだってば」という解答でも結構です。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ハンカチのようです。踊り子は手ぶらで乗船場へ来たのでしょうから、別れに際して
たもとからハンカチを取り出して振ったと考えるのが自然だと思います。
夏目漱石の『硝子戸の中』に和服の女性が袂からハンカチを取り出す描写があります。
女は何かに感激したものと見えて、袂(たもと)から手帛(ハンケチ)を出して、
http://www.aozora.gr.jp/cards/souseki/htmlfiles/glassdo.html
この作品は大正4年1月・2月の発表です。
芥川龍之介の『手巾(ハンケチ)』という短編に、和服で袂にハンカチを入れていた
婦人の姿が描かれています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/akutagawa/htmlfiles/hankechi.html
この作品は大正5年(1916)の発表です。
川端康成が伊豆に旅したのは、大正7年(1918)のこと。従って、踊り子が袂にハン
カチを入れていてもおかしくありません。

ただし、白い布を振るのは、西洋から伝わった習慣とばかりは言い切れません。
『万葉集』巻五・八六八番に「松浦縣佐用比売の子が領巾振りし山の名のみや
聞きつつをらむ (山上憶良)」という歌があります。
その他、
今はとて島漕ぎ離れ行く舟にひれ振る袖を見るぞ悲しき(落窪物語
千載和歌集 巻第十四(恋歌四)
   堀河院の御時、百首の歌奉りける時、恋の心をよめる 藤原基俊
0847木の間よりひれ振る袖をよそに見ていかがはすべき松浦まつらさよひめ (0961)

ハンカチのようです。踊り子は手ぶらで乗船場へ来たのでしょうから、別れに際して
たもとからハンカチを取り出して振ったと考えるのが自然だと思います。
夏目漱石の『硝子戸の中』に和服の女性が袂からハンカチを取り出す描写があります。
女は何かに感激したものと見えて、袂(たもと)から手帛(ハンケチ)を出して、
http://www.aozora.gr.jp/cards/souseki/htmlfiles/glassdo.html
この作品は大正4年1月・2月の発表です。
芥川龍之介の『手巾(ハンケチ)』という短編に、和服で袂にハンカチを入れ...続きを読む

Qさよならを言おうとしたのは、伊豆の踊子ですか、私ですか。

”伊豆の踊子”からです。
<はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきつと閉ぢたまま一方を見つめてゐた。私が縄梯子に捉まろうとして振り返つた時、さよならを言はうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなづいて見せた。はしけが返つて行つた。>
行為者がわかりずらいです。
以下ついて、行為をした者は、踊子ですか、私ですか、教えて下さい。
 1.さよならを言はうとしたのは、どちら?
 2.それも止したのは、どちら?
 3.うなづいて見せたのは、どちら?

Aベストアンサー

これについては、作者、川端康成自身が同様の質問を受けたことがあったそうです。

川端は当初(1~3とも)「踊り子に決まっている。それが分からないのは、読み方が足りない」と思

っていましたが、作品を読み直してみて、「私」が主語(動作主)と取られる可能性があることを初めて

知ったそうです。

それは、もし主語(動作主)が「踊り子」だとしたら、他人である「私」に「さよならを言はうとした」

という内面の心理が分かるはずがないからです。

しかし、その一方で川端は「私が・・・振り返つた時、さよならを言はうとしたが」の文で、「さよなら

を言はうとした」の前に「踊り子(が)」という主語が隠されていると見るのが自然ではないか、とも

述べています。

確かに「さよならを言はうとしたが」の主語が「私」であるなら、冒頭の「私が」は「私は」とするべき

でしょう。「は」は文が前件、後件に分かれる際、後件にまで影響を及ぼす機能を有しているからです。

①私は家に帰ると、テレビをつけた。

②私が家に帰ると、テレビをつけた。

①の「テレビをつけた」の主語(動作主)が「私」であることは、疑いの余地がありません。これに対し

②の「テレビをつけた」の主語(動作主)は(おそらく「私」と同居しているであろう)「私以外の者」

となります。

これについては、作者、川端康成自身が同様の質問を受けたことがあったそうです。

川端は当初(1~3とも)「踊り子に決まっている。それが分からないのは、読み方が足りない」と思

っていましたが、作品を読み直してみて、「私」が主語(動作主)と取られる可能性があることを初めて

知ったそうです。

それは、もし主語(動作主)が「踊り子」だとしたら、他人である「私」に「さよならを言はうとした」

という内面の心理が分かるはずがないからです。

しかし、その一方で川端は「私が・・・振り返つた時...続きを読む

Q森鴎外って本当に凄い人じゃないですか?

森 ?外(もり おうがい、文久2年1月19日(1862年2月17日)- 大正11年(1922年)7月9日)は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、戯曲家、陸軍軍医、官僚(高等官一等)。陸軍軍医総監(中将相当)・正四位・勲二等・功三級・医学博士・文学博士。第一次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称されている。本名、林太郎(りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京帝国大学医学部 卒業。

Wikipediaより

この人ってまさに世界に誇れる日本のレオナルド・ダ・ヴィンチじゃないですか?

Aベストアンサー

仰ることの意味がよく理解できないのですが、要するに政府のお抱え医師として年功出世の階段を極め、趣味として書き物もしたドイツ語に堪能なひとだったということでしょうか。
若いころは結構遊びすぎ、左遷もされていますし同期よりもよほど出世は遅かったようです。そんな人間くささに同感するひとも多いようですが。
ダヴィンチの多芸多才とは比較できないのではないでしょうか。

Q小説『伊豆の踊子』のラストシーン

小説『伊豆の踊子』のラストシーンについてです。
ラストは「私」が涙を流して終わるじゃないですか。あれはいったいどういあことだったのでしょうか。
私なりの解釈は、素直になれた自分に対しての安堵というか、ホッとするような気持ちが一番の要因なのではないかと…
皆様はどうお考えですか。

Aベストアンサー

私は質問者様とだいぶ似ているのですが、
主人公は素直になれたことで、他人の誠意や真心が真っ直ぐに伝わるようになってきて、それに気がついた。
そして、他人の優しさなどに気がついたことで、それまでの自分が哀れに思えてきたのだと感じています。
周囲の人の気遣いに感謝とそれに気づかなかった自分の哀れさに…というのが入り混じった涙だと感じています。

Q次の文章はある小説の一節ですが、このシーンの描写に不都合なところがありますか?

出典:「雪のふる街」(本間昭南・著) 102ページ

>給食課の人員は課長以下総勢十五人で、内訳は栄養士が二人、元ホテルの調理長の経歴を持つ調理主任が一人、その下に女性調理人が十人、男の調理人が二人である。
>男二人の内の一人が賢一で、あと一人は賢一より五歳上で三年先輩だった。
>課長は全体の管理と食材の発注事務を担当、栄養士二人は献立作りと、病気によって特別に作る特調と呼ばれる制限食を作り、同時に看護学校生の特食実習を行う。
>他の調理人は一般入院患者と、看護学生を含む看護婦の食事作りを受け持ち、主任はそちらの現場責任者である。

質問の詳細
質問その1 このシーンをイメージする上で不都合なところはありませんか。
質問その2 言葉の使用において不適切なところはありませんか。

Aベストアンサー

うーん

課長の職名がわかりませんね
給食課の人員は課長以下総勢十五人ということは課長を含めて15名

うちわけが、
栄養士が二人
調理主任が一人
女性調理人が十人
男の調理人が二人

人数から見て課長はこの中にはいっているはずですよね。
でも、それだったらそれで「栄養士である」課長とかの表現をすべきでしょう。
特調、特食と看護学生、看護学校生は本人のケアレスミスだと思いますよ。

といっても、一読しただけでは全く違和感をもたなかったです。

Q「伊豆の踊子」の結末、なぜ「私」が甘い快さをしたの?

川端康成の著作「伊豆の踊子」をざっと目にして、その結末について、分からないところがでました。どうして主人公「私」が「美しいくうきょの気持」や「すがすがしい」や「甘い快さ」といった気持が出たのでしょうか。非常に悲しい気持を持っていたはずなのに。この本に詳しい方々、よろしかったら、100字ぐらい/以上お答え頂きたいのですが。お願いします。どうもありがとうございます。

Aベストアンサー

簡単に言えば、この主人公は身分違いで結ばれるはずもない、行きずりの踊り子に対して、擬似的な恋愛をしていたに過ぎないのです。
ちょうど現代の若者がゲームで擬似恋愛をするのと同じようなものです。
だから悲しいはずの別れも「甘い快さ」に置き換わってしまったのです。

Q小説の告白シーン

今、小説を書いているのですが、あるシーンがどうにも気に入らなくて困っています。

それは主人公が告白するシーンです。

背景としては、
ヒロインは主人公の事が何よりも大事で自分を犠牲にできるほど好き。
ですが、主人公はその思いに気づかない。
長い間、親しい友達でいたのですが
ヒロインはついにそんな関係に収まっている事に我慢ができなくなって暴走してしまう。
そして、とある事で主人公を手ひどく裏切ってしまいます。
色々あって、主人公はヒロインを振りますが裏切りを許し、元の友達という間柄に戻ります。
ですが、しばらくしてヒロインは、裏切りの罪の意識と露見してしまった為に余計に強まってしまったかなわない恋心の辛さに主人公を避け始めるようになります。
主人公は内心ヒロインの事が好きなのですが、とある事情から、自分の感情に疎く自分の心にある恋心に気づいていなかった。
でもいつでも傍にいて当たり前だったヒロインが主人公の前から消えそうになった時、自分の心に気づきます。

そこで告白シーンです。

書いたものは、主人公が自分の心を見つけるまでを言葉足らずですが必死で伝える感じになってます。
そしてヒロインは受け入れる。

でも、自分としてはどうにも納得できていません。

ここまでこじれて、言葉だけで信用できるものなのか?と。
じゃあ、キスでも入れるかと思いましたが、それでも信用できるもんかな?と。

たとえば、時間をかけてその言葉を信じさせる。
という方法なら可能です。
でも、今回は時間制限ありでリミットぎりぎりでの告白となってますのでそれは却下。

たとえば、ヒロインにはかなわないと思いながらもずっと主人公に望んでいた夢があって
(例えば、言われたい言葉とか、行きたい場所とか、etcetc)
それを主人公がヒロインの思いも知らないままに、かなえてしまう。
とか。
ショックにかたくなになった心も解れて信じてくれるかな。
と思ったりもしますが、うーん……。となってしまいます。

なんだかだらだらな文になってしまい申し訳ないのですが、なにかアドバイスくださると嬉しいです。
身近に小説について相談や話し合う人もいないのでとても助かります。
よろしくお願いします。

今、小説を書いているのですが、あるシーンがどうにも気に入らなくて困っています。

それは主人公が告白するシーンです。

背景としては、
ヒロインは主人公の事が何よりも大事で自分を犠牲にできるほど好き。
ですが、主人公はその思いに気づかない。
長い間、親しい友達でいたのですが
ヒロインはついにそんな関係に収まっている事に我慢ができなくなって暴走してしまう。
そして、とある事で主人公を手ひどく裏切ってしまいます。
色々あって、主人公はヒロインを振りますが裏切りを許し、元の友達という間柄...続きを読む

Aベストアンサー

おはようございます。
再び登場失礼します。No.3です。
ご丁寧な補足をありがとうございました。
補足を読ませていただきましたが、すでにご自分の中で答えが出ているように感じました。

>主人公がどうしても傍にいてくれって言ったら傍にいてくれるんでしょうけど、ヒロインに辛い思いさせてまでそんなことさせる奴じゃあないんですよ……。

これがポンイトですよね。
主人公の性格が掴みきれませんが、そこまでヒロインの気持ちをわかっていながら告白するというのならば

・ヒロインの心の傷を背負い、癒す覚悟をもって告白した

と考えることが出来ます。
一本筋道を通すタイプですね。
この場合は、ヒロインに「そばにいていい理由」を提示することが出来ると思います。

逆に、ヒロインの気持ちを考えて……となると、優しいだけに強く働きかけることがなく、優しさゆえに時に無自覚に残酷なことをしてしまいかねない。そんなタイプだろうと推測します。
この場合に必要なことは

・自分の弱さをどこまで見せるか

ではないでしょうか。

>主人公はヒロインを振りますが裏切りを許し、元の友達という間柄に戻ります。

この点。ヒロインの辛い気持ちを~とするならば、この時点で友達に戻るという選択をすれば、ヒロインが苦しむことになるだろうと主人公には想像がつくと思います。しかし、ならばなぜその選択をしたのか。(後に、主人公自身のエゴに気づかせることが出来ます)
これは、後の告白への伏線になりますね。
あの時には気づいてなかったが、君に辛い思いをさせることになったとしても、そばにいてほしかった。
となるわけですね。
プラス、主人公が初めて自分だけに見せる弱さ。
これをヒロインがどう感じるのかは、二人が今まで築き上げた関係によりますので私には判断できません。

自分の気持ちよりもヒロインの気持ちを考えて身を引きかねない主人公は、ヘタれともいえます。
本当に大切なもののために、どこまで強く、または弱く、醜くなれるか。
そこが告白の最大のポイントになるのではないでしょうか。

再びの長文で恐縮ですが、何かのヒントになれば幸いです。
素敵な小説を書き上げてください。応援しています。

おはようございます。
再び登場失礼します。No.3です。
ご丁寧な補足をありがとうございました。
補足を読ませていただきましたが、すでにご自分の中で答えが出ているように感じました。

>主人公がどうしても傍にいてくれって言ったら傍にいてくれるんでしょうけど、ヒロインに辛い思いさせてまでそんなことさせる奴じゃあないんですよ……。

これがポンイトですよね。
主人公の性格が掴みきれませんが、そこまでヒロインの気持ちをわかっていながら告白するというのならば

・ヒロインの心の傷を背負い、癒す覚...続きを読む


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