プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は16歳です。不登校です。
この前初めて行った精神科で先生が、ちょっとだけ発達障害がありますねという様なことを親に言っていたのが聞こえました。
調べたら、高機能広汎性発達障害というのが少しチェックが当てはまるなー、ぐらいでした。
先生に障害ですとはっきりと言われたわけではありません。
ただ私は、小学生低学年の頃から記憶をすることが得意で、国旗を全部覚えたり、少しだけ円周率を唱えたりします。時間をかけてじゃないと出来ないし自分で進んで覚えます。自分で楽しいからです。
でも最近、観ていた舞台作品のセリフをなんとなく覚えていたら、繰り返すうちに2時間半の舞台をほとんど一人で言えるようになりました。他の作品、ドラマなどのセリフを大量に覚えることも好きです。
これは障害があることと関係があるんでしょうか。
先生にしつこく聞かれたので何か分からないのですが手先は器用な方です。 関係ないですかね?(笑)
(カテゴリーが分からなくてごめんなさい)

A 回答 (6件)

将来の為に頑張るって一体何なんだろうね。


みんながコミュ力高いのは良いとしても、下らない雑談に混じる能力が高かろうが低かろうが、社会全体にしてみればどうでもいいことで
でも、なぜかそれが重要であるかの様な雰囲気。

雑談力は、たしかに上司に気を使う能力として出世力になるかもしれないけど、その力を皆が持つべき訓練すべき雰囲気は、おかしいと思うよ。

大人はそういう面倒な社会に生きてきて、うんざりしてる筈なのに、尚も「人はコミュ力だ!」と次世代を洗脳する
大人自身が嫌だと思ってる社会が今後も維持されて欲しいのかと。
結局、自分の人生が総論や教訓を語りたかっただけ。自分史が自分にもあるのだと安心する為に若い人が洗脳されてる気がしてならない。

演劇が好きならそれ一本で生きて何が悪いのか。演劇がしたがる人なんて50人中一人くらいしか居ないでしょう。社会全体としてはそういう人が存在してても許容範囲内のはずで、むしろ多様性、娯楽サービスの維持向上を目的としては応援してもいいくらいの筈です。
しかし、それとは逆の流れを社会は押し付ける。

それが間違いだとは言い切れないが、押し付けてくる過程は人として間違ってる。大人たちは自分たちが生まれてきたくない世界を正当化している。完全なドM

ドM体質でそに人は幸せになれるのか、後世もドMにして幸せがあるのか、深く考えないといけない。しかし、誰もドMの是非について真剣に考えないだろう。

わたしなら、君は自身の思うべき道に進むのが正解だというだろう。

発達障害について、もしそうであっても良いのでは? 
障害があるのに役者として活躍したら凄くかっこいいし、その他の発達障害者、あるいは一般人に人の可能性の凄さとか希望を伝えられる存在になれる(偉大)

障害なんてクソ喰らえです。
結局、障害あろうが無かろうが人生を謳歌した者の勝ちですよ。
自分の立場をフル活用すべし
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この回答へのお礼

そうなんです。対人恐怖症を治さないと、社会に混じれないということを思い知らされてきました……。
でも、少し軽くなった気がします。例え障害だろうと自分がそれに左右されないような生き方も出来ますよね。障害なんてクソ喰らえ
自分の意思をしっかり持ちたいと思えました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/09 10:30

言いたくはないし、医師ではないので断定すると医師法に触れるので禁忌なのですが。



アスペルガー/高機能自閉症 そのものだと思います。

不幸な事にあなた様は「天才」になる事はない。
この症状は大天才から、完全な知能障害まで、とても広く、実際上「知能と無縁」に現われます。

上の方の人は「発達障害を持つが大天才」
下の方の人は「全く箸にも、棒ににもかからない」

になります、あなた様の場合真ん中より多少下でしょう。
多分人生は「ごく普通」の方よりつらいでしょう、でも困るほどではない。
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この回答へのお礼

アスペルガー……聞いたことあります。
天才でもないし分かりにくいと思います。やっぱり大変なんですかね……
誰にも言っては貰えないのでご回答頂けて助かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/09 10:23

ご自身のことを「プライドが強い」と自覚するようなことがないと考えてよろしいでしょうか。

「相手から低く見られるの堪らない」と思ったりしますか。それもないと考えてイイでしょうか。
 ~~~~~~  ~~~~~~  ~~~~~~
「人と接すること自体に苦手意識を覚えている」と言葉どおりに受け取ってイイでしょうか。
「苦手なことがあるなら、その苦手を克服すればイイのだ」と考えることは出来ますか。
「人と接することが苦手ではないようにする」という方向で考えたことがありますか。
スポーツ、演技、演奏、勉強などでも、だいたいは得意な場合でも、ある種のことがどうも苦手だということはあります。その場合、ステップバイステップで積み上げることで、不得意を克服していきます。 人前で話すのが不得手、気楽に人と接するのが不得手、なんていうことのないいわゆる日常会話が不得手、初対面のヒトが特に不得手という場合でも、簡単なこと、ローレベルなことから繰り返し練習し慣れることで、やがて平然と自然な流れで出来るようになるものです。
話す材料、話題に困る、何を話したら良いのか困惑して話せなくなるのであれば、演劇やドラマでの会話、対応の例をたくさん記憶してパターンとして、それを自分でも使っていくやり方があります。「おはよう」「やあ,おはよう」「今日も暑いね」「いやーいつもお元気ですね」「忙しそうだけど、手伝えることありますか」「私手先は器用な方だと思ってるんです。やってみないとうまくいくかわからないけど、手伝わせてください」「最近造ったのがあるから見てもらえますか」「ここんとこが、ちょとダメかなと思ってるんだけど、なかなか難しくって、いま考えてるんだ」 
通常、対話や会話の多くは、言葉の示す内容そのものを深く考えてやっているのではないでしょう。 言葉のやりとりをしていることで、繋がる密度や、つながり方、喜怒や共感、疲労や親和などの感覚をお互いに交換して、安心出来る場面をこしらえているような役目を、会話はしていると思います。

> 何度も治そうとしたんですが、やっぱり上手くいきません。悩んでしまいます。
何を治そうとしたのでしょう。 演技、演奏、プレイでも、その不得手な部分の「上手な見本」をまねるように、まねて習得する、自分のもの・自分の腕前・自分のくせにてしまうという方向に向かった方が成功度は高いと思います。

> 演劇に興味を持ち、そういう理屈でないものにすごく心打たれた
ヒトと感情を通わすことができない、他人の感情が測れないということは、arm19938さんにはないのではないでしょうか。 アスペルガーなどの場合に一般に懸念される状況では、arm19938さんはないでしょう。 普通の人よりも多少多感なのかもしれないかもしれません。 
幼稚園の頃は大勢の遊びに参加しなかったりして、(親が保育士なのですが)疑問に思われていたということですが、自分が興味を持つ対象が大勢の人とあわない状況があった場合でも、そうしたことはあるかもしれません。 しかし、30人いてみんなが同じような遊びに夢中になるとは限らないものです。 みんなと遊ぶことに興味がなく、一人遊びをしていたことが多いというだけで、発達障害の傾向があると思い込むのは、ちょっとおかしい、間違う危険が高いと思います。
こういうサイトの情報だけでは、arm19938さんがどのような生育経過、発達過程を持っていて、どういう状態にあるのかを推定するのは難しいです。
発達障害をもっていると簡単に決めつけて方針をだすのも間違いである危険は高いです。

> 好きなこともありますし。頑張りたいです。普通になんとか出来ると信じたいです。
なにが好きなのかがわかりませんが、自分を信じ、未来を切り開けると信じ、頑張ってください。

> 驚くくらいに集中力は無いのです。自分の好きな物には集中できます。
> 勉強は、ただ今までの時点で、ですが偏差値60程でした。
好きではないものには集中力も湧かないのに、現時点で勉強の偏差値が60というのは、無関心でほったらかしで低得点の分野でも、ある程度は理解できているので、他の勉強や得意分野を応用していて、総合的な偏差値を出せているということでしょう。
他の勉強もある程度はした方が、将来のためにイイです。(小中高の勉強はみな基礎学力、基礎知識ですから、好きなことを将来も深く・高度にやっていくのには大事になってきます。特に、言葉や文に関する力と数学の知識、理科系の簡単な基礎知識は不可欠になります) それはそれとして、今までの時点で偏差値60程ならば、発達障害などの言葉や他人からの評言を気にせずに、「不得手の克服で一層高いレベルにいく!」ことをねらってください。
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この回答へのお礼

丁寧に書いてくださり本当にありがとうございます。
ちょっと衝撃的で動揺していただけなのかも知れないです。
人と会うときも、次こそは上手く溶け込もう上手く話そう、という風に「治そうとして」いました。でも本来そんなに力入れるものでは無いですよね…。カウンセラーの先生と言葉を交わすだけでも少しずつ慣れていきたいです。
「ヒトと感情を通わすことができないことはない」という言葉に助けて貰いました。
障害なのかと自分で思い込んで落ち込んでいたのですが、たくさんの言葉を貰い落ち着いて考えられました。
障害でなく長所だと信じてます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2014/08/19 01:26

一人作業を任せるには素晴らしい人材なんだけど、チームワークで共同でスケジュールを調整する必要がある仕事は、おそらくすごく苦手で本人のためにならない、



という意味でも発達障害(社交性が苦手)、という程度だと思います。

職業の向き不向きはあると思いますので、そこは主治医の先生の助言も含めて色々な職業を想定した準備を進めながら、通信制なりも含めて高校を卒業する、という人生設計をし始めたほうがいいかと思います。

ネガティブではなく、自分が得意で自分にストレスがかかりにくい職種や職場をポジティブに捜そう、という生き方ですね。
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この回答へのお礼

苦手、という風にで捉えるようにしたいとは思ってます。
やっぱり高校は卒業するべきですよね。先生の力も借りながらなんとか頑張りたいです、、。
そうですね、合ったものを探していこうと思います、ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/19 01:12

No.1の回答者tombanさんの通り、強く考えることはないと思います。


記憶力が優れた方が、何かに興味を持てば、普通の人にはとても及ばないような、スゴイ記憶力を発揮するのは当然のことと思います。
手先の器用さもあって、記憶力も優れているなら、他にも才能に恵まれているのかもしれません。
ただ、不登校の16歳という情報も記載されているのですが、なぜ不登校なのかに関する情報がほとんど記載されていません。 ですので、質問文に書かれていることだけでは、幼少期からの状況も推察しようがありません。 発達障害なのか、身体的なことがあるのか、何か特別の事態が最近発生したためなのかも、さっぱりわかりません。
このサイトで質問し、回答を読んで内容を理解し、ごく自然なお礼の文を書いているので、識字障害・学習障害ではないでしょう。
「時間をかけてじゃないと出来ないし自分で進んで覚えます。自分で楽しいからです」ということから想像すると、じっくりと落ち着いて比較的長時間集中していることも多そうですから、多動性の障害もなさそうです。
舞台作品のセリフを覚えたり、他の作品、ドラマなどのセリフを覚えたりするとき、その作品の展開に感銘を受けていたり、登場人物の状況を理解でき、共感したり、どうも好きにはなれない登場人物がいるのでしょうか。また、演出家の意図しようとしているものをどう受け留めているでしょうか。 そうした意図や心情、登場人物の台詞のやりとりの妙などにも関心があるのであれば、仮に発達障害であったとしても、気にすることはないと思います。
友人や先生と5分10分と会話したり出来ますか。ドラマやテレビの感想などドウデモいいような日常的会話を親や兄弟と出来て、今後の進路ややがて社会にでることに関して自分なりの考えを考えたりすることが出来ているなら、口数が少ないとか不登校とか身体虚弱などのことがあっても、あまり心配しないのがイイと思います。

この回答への補足

中一の時から目立たないいじめのようなものは受けてきました。人間としての自信が無くなったのはそこからでした。

補足日時:2014/08/18 18:40
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この回答へのお礼

丁寧なご回答をありがとうございます。
不登校の理由は、中学の時から人間関係を上手く作ることができずに、人と接すること自体に苦手意識を覚えているからです。少し幼稚園の頃は(親が保育士なのですが)大勢の遊びに参加しなかったりして疑問に思われていたようです。
でも小学生の頃はほとんど問題無く友達も好きでした。
発達障害とは、先天的なものなのでしょうか?そうでない場合もあるのでしょうか。
勉強は、ただ今までの時点で、ですが偏差値60程でした。
でも驚くくらいに集中力は無いのです。自分の好きな物には集中できます。
ちょうど不登校が始まった頃の事で不思議なのですが、演劇に興味を持ち、そういう理屈でないものにすごく心打たれたのです。専門的な詳しいことは分かりませんが…。だから、人との付き合いは大の苦手だけど、演劇鑑賞は大好きなんです。普通に考えたらおかしいかもしれませんが。
日常的な会話というと、雑談などは本当に避けています。家族の会話とかにも入っていけないです。
これでは私は、将来生きていけないんじゃないかと考えます。何度も治そうとしたんですが、やっぱり上手くいきません。悩んでしまいます。
でも死にたいとかは思いません。好きなこともありますし。頑張りたいです。普通になんとか出来ると信じたいです。ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/18 18:35

まあ、あまり心配されないのがいいと思いますよ?。



例えば「私は鬱病だと思ってるんですが」という人の数多くが、実は「性格的なもの」であったりするわけです。
病院で鬱病だと判断される人は、もちろん軽度の人もいますけど、かなり見た目重篤な感じがするものです。
横になったらもう動きたくないとか、朝早く起きることが難しいとか、何を見ても死にたいと思うことにつながるとか…そういうものなんですね。

障害というからビックリしてしまいますけど、昔であれば「ちょっと変わってるね」くらいで済んだ話でした。
個性的とか、やや怒りっぽいけどいい人とか、そういうことで済んでいたのです。
最近になって、早期の発達障害の発見を行って、早めの対策をすることで社会になじませていこう、という「指針」が出来、それいらい煩くなってきただけで、これまでは「障害」などとは言わなかったし、特段大きな問題も起きてはいなかったと思います。
もちろん、今のように社会がギスギスしていなかったことも大きいのですが。

障害=不登校、ということではないはずです。
色々なプロセスが重なって、今の現状があるわけで、発達障害云々というより、あなたを受け入れていく「余地」というものが、学校に、そして社会には無かったか、足りなかったということだと解釈しています。

得意なことは得意なこととして、誇ればいいのですから。
スピルバーグ然り、アインシュタイン然り、ではないですか?。
得意なことがあるのは「いいこと」です!。
ですから、あまり「自分は特別なんだ」とは思わないで。
ただ普通の16才なんですよ?。
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この回答へのお礼

なんかよく考えれば、心配しすぎだったのでしょうか。
答えてくださって安心できました。別に普通ですよね。変わってるねとは言われます(笑)
私の性格で、他の問題があることも少し自覚したいと思います、、。
とても助かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/18 05:11

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