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デリダの差延の概念で、リベラリズムとリバタリアニズムの違いとか、新自由主義と新保守主義の違いとか、そういう政治・経済用語の微妙な違いを説明することはできませんでしょうか?

A 回答 (3件)

差延の概念はデリダのフッサール批判である「声と現象」で初めて言われた考えで、差異と時間的なズレを合成したものです。


差異はすでに言語学者のソシュールが言語の意味は「語と語とのネガティヴな差異から生じる」と言っていたことに由来し、ソシュールのいう言語の性質、パラディグム(範型)とシンタグム(文法)の内のパラディグムに相当し、1つの語の意味はその家族類似の他の語との差異によって、生じる、ということ。
たとえば、猫は犬や猿や他の動物との差異によって成り立っているということです。
デリダはフッサールが自我は根源的な声から生じると言ったのに対して、意識と意識の差異から生じる、しかも時間的なズレから生じると言って批判しました。
言い換えると自我という実体は存在せず、それは「差異の戯れ」なのだということ。

このようにデリダの差延はフッサールをはじめとする近代哲学の根源が存在するという思想に対する批判として持ち出されたもので、リベラリズムとリバタリアニズムの違いとか、新自由中主義と新保守主義の違いに応用できるものではありません。
もともと哲学の中の自我とか心に対する批判として言われたもので、それを政治・経済問題の微妙な違いを説明するのに使えるとは思えません。

もし、使えるというのなら、デリダの「声と現象」をぜひ読んでみてください。
たぶんそれを読んだなら、あなたのイメージする差延とはまったく違うことが分かると思いますよ。
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この回答へのお礼

なるほど、私の理解が浅すぎたようです。もっと、ちょっとした創意工夫で応用できるような概念ではないか?という期待があったのでガックリでしたが…詳しい解説をいただき、ありがとうございました!

お礼日時:2014/09/02 22:20

直接の回答ではありませんが、まず、この手の話では「何を定義して言っているか」を明確にしないと無意味です。




例えば、新自由主義と言っても、ネットで議論されている「新自由主義」は定義が怪しいものが多いです。

デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義の定義によれば、「"自由競争"の大義名分を掲げつつ、実際には"不公平な競争"を助長するものであり大企業優先の国家介入を指す」との事。


ネットでよく言われる、「自由競争をするのが新自由主義」とは全く逆の意味になりますね。




wikiにも「新自由主義の代表的な論者であるフリードリヒ・ハイエク[27]、ミルトン・フリードマン、デヴィッド・ハーヴェイ[28]、ノーム・チョムスキー[29]などによる説明の間でも、新自由主義の意味に合意は見られないため、偏見や曖昧さの無い新自由主義の定義の作成は困難である。」と書いてある通り(ハーヴェイは、結構明確にしてるんだが)、提唱する人によって定義が異なります。




だから、同じ「新自由主義」でも「○○の提唱する新自由主義の定義によれば」と言うように、定義を確認しないと議論がちんぷんかんぷんになります。


当然、比較もちんぷんかんぷんな事になります。


新保守主義も同じです。新自由主義に関しては、誰かの提唱する定義を紹介できるほど、私は詳しくありませんが、その学者によって定義は異なるでしょう。
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差延の本質は、主体との相対的関係性に由来する。


しかし、主体の根源である自覚自体が、その根拠である
「現在」を失い、「記憶(過去)」による「予測(未来)」
として得られる場合、あえて差延を主張する=先入的な
存在性を疑うのは、今さらな古典的な努力である。
「存在とは、存在しない事が分からない事」であり、
量子的相補性を成す時間軸と空間軸の虚数関係が、
自我仮説(記憶(時間の流れ)=過去=超光速)と時空
仮説(予測(空間の広がり)=未来=光速下)の相補分化
である時、存在の根拠となる現在(実体)はどこにも
なく、差延自体が実体なのだ。

政治・経済用語は、そうした幻想の上に成り立つ思い
込みの概念(人間の作ったもの)なのだから、信じる
事でのみ成り立つものであって、差延の適用など必要
としない。
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