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うつ病と言ってもいくつかに分類されるのかもしれませんが、

うつ病になる人とうつ病にならない人の違いは何でしょうか?

ほぼ同じ出来事が重なったとしても、うつ病にならない人もいるでしょう。

ざっくり、心の強さ弱さなのかもしませんが、それはつまり何なのでしょうか?

強いからと言ってなるものではないとしたら、例えばどのような面があるとあるのでしょうか?

一概には言えないとしたら、例えばどのような面があるとならないのでしょうか?

A 回答 (6件)

うつ病に認知療法が効果的であることを見ますと、認知の歪みがあるかないかだと思います。



歪みという言葉はあまり好きでは無いのですが、認知療法を検索するとその言葉が使われていますのでそのままにしました。

簡単に言えばポジティブかネガティブか、ということでしょうか。

例えば一般的には喜ばしいことでもうつ病を患う人はいます。昇進や結婚などです。
そこに付き纏うのは責任です。
このプレッシャーに対応できなければ自己防衛反応としてうつ病になってしまうのかもしれません。

そういう意味では自身の能力に自信を持てない人は陥りやすい傾向にあるのではないかと思います。


どのような面があるとならないか?
バックアップがあるないは大きいのではないでしょうか。
人格の基盤を築けている人はどれだけ苦労をしてもうつ病にはなっていないような気がします。
人格の基盤を形成するのは環境です。

興味深い記事を読みました。
戦中に米軍戦闘機の機銃射撃から逃げた少年はそれを全く意に介さなかったそうです。
生きるか死ぬかの瀬戸際を体験したにも係わらず。
現代でしたらPTSDになったと大騒ぎでしょう。
当時はそれが当たり前の時代でした。それが少年を支えたんです。

人は孤独に弱い生き物だと思います。
それぞれの能力には限界があります。
昔の日本が良いとは決して思いませんが、現代に助け合いの精神が欠如していることは事実であり、それが精神疾患に拍車をかけている面もあるのではないでしょうか。

この回答への補足

ありがとうございます。

以下に、感想をアウトプットさせていただきます。

きょうだいで一番上の人は責任感があり、
自由奔放な末っ子より、うつになり易い?と仮説を立てたことがあります。
下のきょうだいのためにという犠牲、他者優先が幼少の頃から在ると、
我の強さは薄く、自分の欲求と抑えの中間で(要するに不安定な状態)になり、何らかの作用でカックンと傾き倒れちゃうような感じあるでしょうか。
責任感があり、面倒見が良い。。それは人格の基盤が盤石というのではなく、常に責任を背負って張ってる状態?
こんなはずじゃないというギャップで活動が停滞した状態が長いと負のエネルギーが内に向かって注がれるような?
そういうイメージでしょうか。

すみません。浮かんだ言葉を書きとめながら整理させていただきました。

補足日時:2014/08/20 07:23
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人の心は、何時如何なる時にも、固定化されることはありません。

この意味は『自分の心を安定をさせよう』とした場合には不可能と言う意味です。

自分の心を何時も安心出来る状態にしようという試みは、叶わない望みという意味です。

うつになるという意味は『何時も安心していたい、と望む状態』になっているという意味があります。

逆にうつにならない人の場合では、安心したいと考えていない人の事です。

人間には、気にする事と、気にならない事が在ります。もっと分りやすい書き方をするなら、”嫌な事柄を”意識して、厭な事柄を無かった事にしたり、厭な事柄から逃げ出そうとする場合があります。この逃げ出そうとする”心”が問題を大きくしています。

ストレスという言葉から説明すると分り易いかも知れませんので、ストレスとの向き合い方という説明で解説します。

うつに成り易い人の場合では、何事もストレスに『自分の頭の中で作り変えてしまう傾向があります。』なんでもない事でさえ、避けて通ろうとする事で、犬に追いかけられてしまう場合のように、後からストレスに成って追いかけられてしまうようなものです。

うつに成り難い人の場合では、何事も真っ直ぐに受け止める事が出来て、叱られた場合では『ア! しまった』と感じて、自分の失敗を素直に認める事が出来ます。次から同じ失敗をしない対策をしっかりと立てる事が出来ます。失敗したら素直に叱られる事を受容れてしまう人の事です。

うつに成りやすい人の場合では、失敗をしたら叱られるのが恐いから、叱られないための”心”の準備に余念がありません。詰まり叱られる事の仕事の内容ではなくて、言い訳の準備に入るという意味です。

”心は”叱られないための仕事の工夫に使われる事ではなくて、叱られる事の不安の除去の方に使われています。叱られる原因を考える事無く、叱られたら如何しようという風に働く為に、次の失敗を呼び込む事になります。

叱られないための、仕事の工夫がしていない事から、次にも同じ失敗を重ねる事になる事から、予期不安が働いてしまって、仕事の工夫どころではありません。失敗を指摘されて叱られる不安を不安する事になります。

本当に大事な事がぼやけてしまう事を意味します。失敗したら叱られて『次に失敗を繰り返さない努力が求められていますが』失敗したら叱られる事を回避するための努力が始まっているという意味です。

物事の本質が『湧き上がる不安の除去』の方に行ってしまって、本当に大事な事が見失われてしまいます。

一番大事な事は、目の前の仕事に身を入れて、懸命にこなしてゆく事ですが、失敗したら如何しようという風に『ありもしない不安から逃げようとして』心此処にあらずの状態になる事です。

心此処にあらずの状態での仕事は、上手く行く筈がありませんので又失敗をして叱られる悪循環になります。

結論から言うならうつに成りやすい場合では『頭の中の心配事』を大事にしてしまって、現実の目の前の事柄をおろそかにする場合です。

逆に言うなら、どんな心配事があろうが、目の前の事柄に的確に対処する事が出来るなら(対処するようにするなら)うつに成っている暇が無くなるという意味になります。


頭の中の心配事を重要視するのか、現実の目の前に起きている事を重要視するのかの違いが『明暗を分ける』と言えます。

分かりやすい書き方をするなら、頭の中の心配事は心配事としつつも、目の前の事柄や仕事に『今の自分自身の全てを投げ入れる時』うつに成っている暇など在りません。

その逆に、目の前の事柄や仕事をおろそかにして、頭の中の心配事を大事にしている場合では、仕事さえ放棄をして『心療内科の診察に行こう』となると思います。

何が大事なのか?という価値観の相違が明暗を分けているという言い方も出来ると思います。

自分の事を大事にした場合では、仕事さえほっぽり出して医師の元に駆けつけると言う意味です。

自分の事を後にして仕事を優先する時にはうつになる暇がなくなるという意味です。

身体が悲鳴を上げてしまって、ダウンするほど仕事をする場合は論外です。

この回答への補足

ありがとうございました。

私の知ってるうつの人(そうなる前も知ってる)と重ねてみましたが、

正直申し上げると、当てはまってないような気がしました。

仕事も集中し、物事先を読んでビビる傾向は無いようなタイプだからです。

補足日時:2014/08/24 19:27
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自分を責めるか責めないか


それだけの違いだと思いますよ。

参考にしてください
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8629965.html

この回答への補足

ありがとうございます。

補足日時:2014/08/22 06:41
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心の柔軟性ですね、漠然としていますが。


例えば僕は幼少期にやったらバカにされる、
やらなかったら叱られる、という家庭環境で育ちました。

結果、家ではイイコでしたが外では相当悪いことをしました。
ようはいいことをするか、悪いことをするか、
二つしか選択肢がなく、どちらかをするとどちらかの欲求も高ぶると不器用な生き方をしていました。

ところが現実はどうでしょうか、
人によってはイイコトでも人によっては悪いことです。
そのグレーの状態でどう考えどう生き抜くかの
スキルはまったくなかったです。
なので鬱になり会社も辞めました。
今は投薬少々となんといってもカウンセリングで
生き方を見直しているので、以前より柔軟になり
ストレスもたまりづらくなりしたね。
まだまだやりますけどね。

この回答への補足

感想としては、凄く深く、良いお話しを頂戴しました。

回答者様の言わんとしていることは、正しく理解できないかもしれませんが、
大変参考になりました。ありがとうございます!

補足日時:2014/08/20 18:40
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身に降りかかった出来事をどう捉えるか?だと思います。



怒り、憎しみ、損得勘定などの感情を基にした自己中心的な視点、自分の側からの視点からしか見る事が出来ないとストレスになります。

それが自律神経の働きを乱したりして、うつ病になるんだと思いますよ。

例えば、上司に叱られた事を自分の仕事振りを内省する事なく、「叱られた!」「パワハラだ!」「自分は一生懸命やってるのに」「何であの人は叱られないの?」みたいに思っていると異常を来します。

この回答への補足

ありがとうございます。

補足日時:2014/08/20 05:27
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難しいことは分かりませんが、


自分自身が納得できない限り悩み続ける人と、
解決できようができまいが、ある思いをポイッと捨てられる人の違いでしょうか。
良くも悪くも悩み続けることなく、人の迷惑とか気にせず自分勝手でいられる人は鬱病にはならないでしょう。
悩むタイプの中でも鬱病になる人とならない人がいるのは、
溜め込むキャパシティが大きいとか、うまく流す術を持っている人ではないでしょうか。

この回答への補足

ありがとうございます。

私も責任感が1つかなとは思っていましたが、
責任感の中を紐解いたようなご回答で大変参考になりました。

補足日時:2014/08/19 19:57
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