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ズバリ、現代小説と近代小説の違いとは何でしょうか?
一応、比較対象として、
近代小説では、三島由紀夫、川端康成、谷崎潤一郎、夏目漱石、などなど。
現代小説では、東野圭吾、伊坂幸太郎、石田衣良、京極夏彦、などなど。
これらは、飽くまで例としてです。この他にも比較対象を以っても大丈夫です。
ちなみに、ラノベを含むか含まないかはご自由にどうぞ。

A 回答 (3件)

歴史というか、いわゆる「文学史」の中に取り込まれている作家が、「近代」の枠組みに入っているような気がします。


受験のために勉強した文学史の中に三島由紀夫もいました。


そういえば、文学史に出てくる作家は「〇〇派」とか「〇〇主義」のようにカテゴライズされていたのを思い出しました。
自分の推測ですが、「現代」の枠組みの作家は、まだご存命で第一線で活躍中ということもあって、「〇〇派」「〇〇主義」のような評価が定まっていないのでしょう。そういう点も近代と現代の区別になっているのかもしれません。
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この回答へのお礼

伊坂幸太郎や東野圭吾が時折馬鹿にされているのも、やはり似たような理由なのですかね。まだまだ、その作家についてわからないことがある、みたいな。

お礼日時:2014/08/24 16:40

ありゃりゃ



近代の作家と
現代の作家の例が
すごいことになっているぞ
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第二次大戦を境にして近代、現代と分けられることが多いようです。



ですので、三島、川端、谷崎は現代ですね。近代までは戦争をテーマにすると本人の意図とは無関係に「反戦」のレッテルが貼られるので、書くことができませんでした。翻訳物や時代物が多かったようです。戦後になって作家自信の戦争体験などを基にした作品が書かれるようになりました。
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この回答へのお礼

ありゃりゃ、戦前後が境なんですか。不覚です。

お礼日時:2014/08/24 16:36

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Q文学部で現代日本文学作品だけを学ぶのは無理?

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を考えたことがありません。

しかし、その文学部について調べていて引っかかる点が少しありました。
他の大学もそうだと思うのですが、国文学は文学部の中でも「東洋文化系」という大きなくくりの中に属していますよね。
その東洋文化系の必修科目や専門科目は、
・中国・韓国語・サンスクリット語などの外国語
・中国古典文学・漢文・国語古典文学・インド古典文学
がほとんどという印象でした。
国語学や国文学もありますが、それ以上に外国語や他国の古典文学の授業がかなりを占めていると思います。
さらに国文学の授業でも、古典文学だけを扱うのが文学部の一般的常識だと聞きました。これは本当なのでしょうか。
教授の研究テーマを見ていても、現代日本文学を専門にしていらっしゃる方がいらっしゃいませんでした。
京大以外の国立大も軽く見てみましたが同じような印象を持ちました。

これは、大学の文学部に進学しても現代日本文学を本格的に学ぶことはあまりできず(卒論を除く)、他国のものを含む古典文学・外国語ばかりということになるのでしょうか?

古典文学も外国語も嫌いではありませんが、現代日本文学をあまり学べず、そちらにウェイトがかなり寄っているなら、他学部に進学して独学で文学を学ぶ方が幸せなのかなぁという気がして迷っています。
文学部で現代日本文学作品だけを、とまでは言いませんが、少なくともそれを専攻にしていると言えるようにはなりたいのです。
それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか?

文学部に在籍経験のある方や、その辺の事情に詳しい方の回答を頂けたらと思います。些細な情報でもかまいません。よろしくお願いします。

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学、政治学などの社会科学はもとより心理学や哲学といった思想系、時には人間が対象として観察している自然科学分野にまで及びます。そしてそうした全てをひっくるめた歴史にも脚を踏み入れねばならないことも普通です。
 「小説を読むのが好き」と仰る質問者からすれば、近代以前の作品は「小説」ではないのかもしれません。けれど『蜻蛉日記』や『更級日記』も解釈次第では「小説」でもあるとの事実を忘れてはならないでしょう。両者は共に「私小説」です。それは「私に降りかかった事象」を私の目線で見たこととして「自己対象化」の要件を完璧にクリアしていることによります。
 この要件を近代以後の作品に適用してみるならば、漱石、竜之介、そして公房や由紀夫、健三郎といった作家全てにあてはまることにもなります。
 こうしたことを考えてみると、最初の質問である「文学を学ぶ」とはどの様な意味を持ってくるといえるでしょう。そして具体的な内容はどの様な言葉として説明することになるでしょう。ここまで来た時、一先ずの定義を示すこともできます。少なくとも「文学なるもの」を研究対象とする時にしか、この言葉を使うことが出来なくなるとの話です。
 恐らく今後もノミネートされることはあっても村上春樹さんがノーベル賞を受賞することもないでしょう。それは文学が時空を越えて数多くの人と感動や認識を共有することで認められているからとの「文学の存在理由」との間でかなりの隔たりがあることも作用しています。
 『青が消える』が普遍の問題を扱っているといえるでしょうか。この作品をどの様な視点からターゲットとして観察することができるでしょうか。少なくとも僕には公房と類似するテーマを扱いながら彼の一連の作品を凌駕するとも考えられません。春樹が書いているのは「僕にとっては大切なもの」が他から見れば「さほどの意味はないもの」であるとの描写に留まっている点で、公房の足下にすら及ばない。だからどうしたの?で終わってしまうほどの作品ともいえます。
 質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。
 少し厳しい言い方になりますが、質問者は「文学」を全く知らないといっても過言ではありません。公房が海外でF.カフカやS.ベケットさらにはA.カミュ、健三郎がG.グラスなどとの同時代の観察者として考察の対象になっていることをご存知でしょうか。またなぜ和歌や俳句に関する研究で外国の研究者の方がより本質的な部分にまで切り込むことができるのか考えたことがあるでしょうか。
 芭蕉の旅は西行の旅と重なる部分が数多くあります。清少納言や兼好の言葉には李・杜、白居易をはじめ多くの言葉がちりばめられてもいます。これはなぜでしょう。それを読む人からすれば、まさに現代の言葉でもあるからです。雪降る朝の光景が「香炉峰の雪」を想起させると清少納言が感じたから、それを言葉にしたのであり、そうした姿をペダンティックと評するのも一つの解釈です。けれどもそれは「清少納言という人物像に対する評価」であり「『枕草子』に対する評価」とは異質なものといえます。
 どうやら質問者は「大学で学ぶ」ことを勘違いしている可能性も多分にあります。専門の教員がいないから学ぶことができないとなれば、質問者の文学に対する姿勢は常に受け身といえ、そこから何を引っ張り出すかとの最も大切な作業を放棄することになります。このような生半可な姿勢では理論構築のない分野とはいえ、何を求めるかとの自らが立てた問いに対する答えを見つけることは到底叶わないともいえます。
 「京都大学の学風に惹かれる」とはあっても、文学部に学風は無関係です。京大文学で「学風」と呼ばれるのは歴史学での「内藤史学」や哲学での「西田哲学」といった「研究スタイル」や「アプローチ視角」での特色です。老婆心ながら誤解されませんように。
 なお「日本文学科」や「国文科」が対象領域として扱うのは必ずしも古典だけではありません。近代以後、「第三の新人」と呼ばれる作家までは対象範囲に含まれます。志望選択をする以前に少なくとも、近代文学史の概要程度は頭に叩き込んでおいていただきたいですね。それが常識ですよ。

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学...続きを読む

Q昔と今の小説の違い

近代と現代の小説の違いを教えてください

Aベストアンサー

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8728132.html

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13142108678

Q面白い近代文学作品・作家を教えてください

来年度、卒論でひとり作家を選び、その作家の作品について様々な研究をします。
しかし…日本文学を専攻しているのに、近代文学ってつまらないような気がして今までほとんど読んだことがありません!なので、どの作家を選んでいいのか困っています。
おもしろい作品に出逢えたらいいな、と思うので、おすすめがあればぜひ教えてください。

Aベストアンサー

 どの辺りから、近代文学に分類されるのかが分からない程度のものです、はじめまして。
私も日本文学が苦手です。内輪のことをぐだぐだ言っていて、スピード感がないのがまずいやですね。でも、梶井基次郎の「檸檬」はいいです。ものすごく短い作品ですがキレが違います。「闇の絵巻」なども気に入ってます。対象から距離をとっていたくせに、一瞬間合いが縮まる感じが巧いと思います。
 それから、坂口安吾もひねくれた感じで、バサバサ斬ってて気分爽快です。「堕落論」。

Q日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと?

いまいち、ピンときません。近現代の日本文学を理解する上では必須の概念のようですが。たとえば、封建時代には無かったこういう考え方が、明治以降の思潮として生まれた…というような具体例をふまえて、わかりやすく教えていただけませんか。素人にわかるようにお願いいたします。

Aベストアンサー

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自我が自然な発達段階を経て成熟し、それと軌を一にして市民社会も成熟した、その結果としての文明ではないわけです。
そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。

ではヨーロッパの近代をささえた「自我」とはなんなのか。

これをまた考え始めると、大変なのですが、ここでは簡単に、「わたしとはなんなのか(わたしはなぜわたしなのか、わたしと他者はどうちがうのか、といった一連の質問も含みます)」という問いを立て、それに答えていくこと、としておきます(もし自我とはどういうことか、に興味がおありでしたら、宮沢賢治の作品を自我という観点から読み解いていく見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫が大変おもしろく、参考になるのではないかと思います)。

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。

近代社会を構成するのは、ひとりひとりの市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想であり、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのは、その思想であったわけです。

さて、上でも言ったように、ヨーロッパでは百年~二百年の期間を経て成熟していったところへ、日本は一気に追いつかなくてはならなくなってしまった。

文学も、それまでの戯作文学のように、楽しみのためだけに読むようなものではダメだ、西洋の芸術観に基づいた新しい文学が生まれなければならない、と、そのように考えられるようになった。そうやって、明治二十年代に入って、新しい文学が起こってきます。

その代表的な作品が、二葉亭四迷の『浮雲』、あるいは森鴎外の『舞姫』です(『舞姫』に関してはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=993639で回答しているので、もし興味がおありでしたら、ご覧になってください)。

両者とも、知識階級の青年を主人公にしています。
主人公は、どういうふうに生きたらいいか考え、悩み、自分が良いと信じる生き方と、社会の現実が相容れないことに悩みます。
つまり、現代までつながってくる問題が、明治二十年代に、初めて登場したのです。

この二葉亭や鴎外がここで提出した問題は、そののち、鴎外自身や漱石によって深められ、あるいは明治四十年以降からは私小説という表現形式をとって現れたりもします。

その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。

非常に大雑把に書きましたが、「日本文学における近代的自我の確立」と言ってしまうとずいぶんたいそうなことのようですが、その内容は、そうしたものである、と考えて良いのではないでしょうか。

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自...続きを読む

Q小説って何?

小説というのがよくわからないのですけど感想文じゃないですよね?
テレビで小説家の人が言ってたのは誰かの身になって考えた事を書くと言ってました。例えば、猫の気持ちになって猫なら人間を見てどんな事を思うのかというのを書くと。
でも、ただこれだけなんでしょうか?
山本一力さんとか室井祐月さんとかすごいらしいですけど。芥川賞とか
とる人というのは普通の人が書いたのとどこが違うのですか?
詳しい人教えて下さい。よろしくお願いします。m(_ _)m

Aベストアンサー

小説とは簡単に言えば、多かれ少なかれ作者の想像によるフィクションを含んだ物語を、文章のみを使って書いたものです。

私小説にしても、ノンフィクションといいきっていても、ある程度は脚色などもありますし、物語性を増すような書き方になっているはずです。

また売っている小説には挿絵などがある場合もありますが、そちらはなくても小説としては読む分に差し支えないものなので小説の一部ではないですね。

小説の名称そのものに対していえば、壮大な物語である神話や英雄伝説に対して、もっと身近な小さな物語を扱うので「小さな説話」=「小説」という訳です。中には神話や英雄伝説などを扱う小説もありますが、それは神話そのものではなくて、あくまで神話を題材にして作者の視点で書かれた物語ですので、やっぱり小説は小説です。

賞をとる人と普通の人が書いたのは何が違うかという問いには、その賞の特性もありますので一概には何が違うとは言えませんが(文学系なのかエンターテイメントなのか等)、賞をとるのは、その賞の求めるところに最も近い小説という事です。

まぁ簡単にいえば上手いという事ですが、何が上手いかは物によりますし(文章が上手い、物語が秀逸、キャラクターが魅力的……)、また賞によって同じ作品が「良い」「悪い」が変わったりします。

でもまぁ他のものと何かが違う光るところのある小説って事でしょうね。

>テレビで小説家の人が言ってたのは誰かの身になって考えた事を書くと言ってました。例えば、猫の気持ちになって猫なら人間を見てどんな事を思うのかというのを書くと。

ちなみにこれは、その作者の方が「私は小説を書く時にはこういう風にして書いている」というだけの話であって、そうやって書かなければいけないものではありません。

小説とは簡単に言えば、多かれ少なかれ作者の想像によるフィクションを含んだ物語を、文章のみを使って書いたものです。

私小説にしても、ノンフィクションといいきっていても、ある程度は脚色などもありますし、物語性を増すような書き方になっているはずです。

また売っている小説には挿絵などがある場合もありますが、そちらはなくても小説としては読む分に差し支えないものなので小説の一部ではないですね。

小説の名称そのものに対していえば、壮大な物語である神話や英雄伝説に対して、もっと身近...続きを読む

Qすっごく純粋に「小説ってつまらないような」と思っている(思うようになった)方

物書き卵です。
でも小説が面白いと思えなくなってしまいました。
だからといってあきらめたわけでも方向性を見失ったわけでもない(と思う)のですが、ヒントにもなるしむしろ助けになると思いますので、率直な意見を頂けたらと願います。

正直、小説って面白い?
テレビ見てた方が面白くない?
漫画の方が工夫されてない?
アニメや映画の方が見応えない?
ゲームしてた方が共感しない?
音楽聞いたり絵を見たり、自分の趣味をしてた方が感性が育たない?
ネットしてた方が新しい発見がない?

エッセイや実録などのリアリティにかなわないと思わない?
教養本の方が為にならない?
結局読みたいから買ったのか買ったから読んでいるのか分からなくない?
「ああ、ページ数あとこんなけしかないなんて」でなく「まだこんなにあるのか」なんて思ってない?
読んだ後、思い返してドキドキ、なんて最近しなくない?
登場人物が紙の上の存在であることに絶望的なもどかしさ、なんて最近しなくない?
ページをめくるのがもどかしくて、とか手がわずかに震えて、とかつい表情だけでなく声がでちゃって、とか最近なくない?
説明文、機械的に流し読んでない?
想像力、かえって失ってない?

やばい、あらためて書いたら、ちょっとモチベーションが自傷状態。
ちなみに物語の意味は問うておりませぬ。あくまで「小説」です。

どかんと「小説ってなんであるのかね、だらだら妄想と専門分野の知ったかぶりじゃん」とけなして頂いて結構です。
「昔は好きだったけど、今はこういう所が嫌い」「こういう作品はいいけど、こういうのはどうかな」とかでもいいですが、できるだけ総合的な感想ください。
「そんなことないよ、小説大好きだよ、こんな風に感じていつも楽しんで感動してるよ!」という意見ももちろん頂きます。見習いたいです。

物書き卵です。
でも小説が面白いと思えなくなってしまいました。
だからといってあきらめたわけでも方向性を見失ったわけでもない(と思う)のですが、ヒントにもなるしむしろ助けになると思いますので、率直な意見を頂けたらと願います。

正直、小説って面白い?
テレビ見てた方が面白くない?
漫画の方が工夫されてない?
アニメや映画の方が見応えない?
ゲームしてた方が共感しない?
音楽聞いたり絵を見たり、自分の趣味をしてた方が感性が育たない?
ネットしてた方が新しい発見がない?

エ...続きを読む

Aベストアンサー

小説は娯楽のために読むには回りくどいし、教養のために読むというほどには書き手に教養がない(特に最近は)。特に忙しい人には、読む理由も必要も無いと思います。

テレビや漫画やゲームが小説と比べて本当に面白いか、というのはまた別の話ですよね。個人的には、疲れたときにちょっと気分をほぐすには小説よりテレビが向いているだろうし、多少暇なときの娯楽としても漫画やゲームの方が優れているのではないかと思います。

一方で書籍と比べるなら、歴史小説を読むよりは学者が書いた歴史書の方が面白いということは実にしばしばあります。思弁的な小説よりも哲学書などを読む方が、考え抜かれた思索に触れることができて充実感を味わえるでしょう。美しいフレーズを探したいなら詩集に当たる方がよほど気が利いています。

問題は「単に小説がつまらない」というよりは、小説の立ち位置はどこにあるのかとか、どういう読者を想定しているのか、というのが現在は特に曖昧になっているということかもしれません。テレビや映画にアレルギーがあって漫画やゲームが苦手で活字好きで暇のある人向けの娯楽にすぎない?とすれば切ない存在ですね。

忙しい人にでも手にとってもらえて、読んだときに「良いことがあった」と思ってもらえるような小説が今後ありうるのかどうか。村上春樹の「1Q84」みたいなのは例外的にネームバリューで売れただけなので全然参考にはならないでしょうし。まあ、控えめに言って小説は隘路に入り込んでいると思います。

もっとも、こんな私も保坂和志と舞城王太郎だけは新刊を楽しみにしていたり。この二人は思考を言葉として表現する方法が卓抜だと思います。表現を鍛える、というのは小説が生き残るための一法かもしれません。いわゆるジャーナリストの書くものとか表現ゆるゆるですから。現代の生きた文章として、表現において的確で揺るぎないものを読みたいという欲望をかなえてくれるのは、やはり小説でなくては──というのが小説に寄せる期待ですが、どうでしょうか。

小説は娯楽のために読むには回りくどいし、教養のために読むというほどには書き手に教養がない(特に最近は)。特に忙しい人には、読む理由も必要も無いと思います。

テレビや漫画やゲームが小説と比べて本当に面白いか、というのはまた別の話ですよね。個人的には、疲れたときにちょっと気分をほぐすには小説よりテレビが向いているだろうし、多少暇なときの娯楽としても漫画やゲームの方が優れているのではないかと思います。

一方で書籍と比べるなら、歴史小説を読むよりは学者が書いた歴史書の方が面白...続きを読む

Q教職に就かない人の教員免許の必要性について

来年度大学卒業予定ですが、教員免許を取得するか辞めるか決断を迫られています。(提出物の関係で)
これまで教員免許の取得を目指して来ました。
教員になるつもりはなく、卒業に必要なわけでもなく、取れるものは取っとけという気持ちからです。

大学の教授や教職関係のスタッフからは、「なるつもりがないならやめた方がいい」という意味のことをよく言われます。教員になりたくてそれを最優先できる人こそ受けるべき、就職したいならそれを優先させるべきだと。
友達も、教員になる気のない人は次々とやめていき、そういう人で取っている人はほとんどいません。
一方、親世代は「取れるものは取っとけ」みたいな感覚があるようで…。
気持ちとしてはやめたい方向に傾いています。
10年経つと失効しますし、今後やりたいことや人生計画(笑)を考えると、10年以内に教職に就くとも思えません。
資格なら他に取りたいものもたくさんあります。
あまり良いことではないと思いますが、建前上でも「教員になる!」という意志を表明すれば実習も免許の取得も許されはするみたいです。ただそこまでして取りたい気もしません。

現代において、教員にならなくても教員免許を持っていた方が有利な場面ってあるのでしょうか。
もしそういう場合があり、必要性を感じられたら続けたいとも思っています。

来年度大学卒業予定ですが、教員免許を取得するか辞めるか決断を迫られています。(提出物の関係で)
これまで教員免許の取得を目指して来ました。
教員になるつもりはなく、卒業に必要なわけでもなく、取れるものは取っとけという気持ちからです。

大学の教授や教職関係のスタッフからは、「なるつもりがないならやめた方がいい」という意味のことをよく言われます。教員になりたくてそれを最優先できる人こそ受けるべき、就職したいならそれを優先させるべきだと。
友達も、教員になる気のない人は次々とやめてい...続きを読む

Aベストアンサー

元大学関係者です。みなさんが書かれていることについてですが、No6さんの
おっしゃっていることが全てです。

以前は教員免許は取得すればそのまま有効だったのですが、現在では10年た
てば失効します。失効を防ぐためには免許状の更新講習を受けなければなりま
せん。これは前の安倍内閣のときに改正されました。この更新講習は普通は5
日間、大学等の所定機関において講習を受けなければなりません。当然費用も
自己負担です。

それに受講対象者が限られています。普通運転免許状のように免許をもってい
るものが全て受けられるわけではありません。受講対象者は下記の通りです。
(以下文科省hpより)

4.1 受講対象者(※新免許状・旧免許状共通)

 更新講習の受講対象者(講習を受講できる者)は、普通免許状又は特別免許
 状を有する者で、以下に該当する者です。
(1) 現職教員(校長、副校長、教頭を含む。ただし、指導改善研修中の者を除く)
(2) 実習助手、寄宿舎指導員、学校栄養職員、養護職員
(3) 教育長、指導主事、社会教育主事、その他教育委員会において学校教育
    又は社会教育に関する指導等を行う者
(4) (3)に準ずる者として免許管理者が定める者
(5) 文部科学大臣が指定した専修学校の高等課程の教員
(6) 上記に掲げる者のほか、文部科学大臣が別に定める者
(7) 教員採用内定者
(8) 教育委員会や学校法人などが作成した臨時任用(または非常勤)教員リスト
    に登載されている者
(9) 過去に教員として勤務した経験のある者
(10) 認定こども園で勤務する保育士
(11) 認可保育所で勤務する保育士
(12) 幼稚園を設置する者が設置する認可外保育施設で勤務している保育士

です。ですから普通で言えば一般サラリーマンは更新講習すら受講することが
できません。教員になりたいという意思が強ければいいのですが、そうでなけ
れば、時間の無駄です。

教員免許更新制(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/08051422.htm

参考URL:http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/08051422.htm

元大学関係者です。みなさんが書かれていることについてですが、No6さんの
おっしゃっていることが全てです。

以前は教員免許は取得すればそのまま有効だったのですが、現在では10年た
てば失効します。失効を防ぐためには免許状の更新講習を受けなければなりま
せん。これは前の安倍内閣のときに改正されました。この更新講習は普通は5
日間、大学等の所定機関において講習を受けなければなりません。当然費用も
自己負担です。

それに受講対象者が限られています。普通運転免許状のように免許をもってい
る...続きを読む

Q印刷会社の仕事内容を教えて下さい

 ある印刷会社に就職しようと考えています。                      仕事内容が(1)営業(2)事務員(3)印刷オペレーター(4)製本とあり、(1)は経験者のみのため(2)~(4)で考えています。 しかし家族が(2)はまだしも(3)や(4)は男性がやるような肉体労働なのではないかと心配しています。私はコンピューター相手の、特に肉体的疲労が強いわけでもないような仕事を考えていたので(クライアント相手に「ここはもうちょっとこうしないと印刷できない」とか指導したり、パソコン操作するような・・・ わかりにくくてすみません)事前にどんな仕事をするのか知りたく質問しました。どんなことでもいいので教えて下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現在印刷会社勤務なのですが、仕事内容はまさに印刷オペレーターというやつです。
印刷オペレーターというのは、営業がクライアントから貰ってきたデータを加工してフィルムや印画紙に出す仕事のことでしょう。その中でも、加工の部分と出力の部分に仕事は分かれるんですが、どちらの仕事にも女性はたくさん就いてますよ。派遣社員の方も女性がほとんどですし。ただし、クライアントとの接触はほとんど無いですが。(大抵の場合は営業の人間を通してます。)
(2)の事務員というのは、営業の内勤(校正やメールの取次ぎ等)か、総務のようなものでしょうか。女性ばかりですね。(4)についても現場は女性は結構いるという印象です。(すいません。そちらはあまり知らないんです。)

という訳で、「一日中モニターの前に座っていても苦にならない。」という方であれば、印刷オペレーターもいけると思います。スキルもあとから付いてきますし。

Qフランス語とドイツ語どっちがいいですか?

今年から大学で第二外国語勉強するのですが、
わけあって、後に英語とともに、フランス語かドイツ語の試験(卒業など学業には関係ない)を受ける必要があります。
試験に受かる事だけを考えて勉強しやすい(簡単)なのはどちらでしょうか?

それぞれについて長所・短所など些細な事でも構いませんので、なんでも教えてください。
失敗談や苦労する点なども教えていただけると非常にありがたいです。

Aベストアンサー

フランス語と比べるなら、ドイツ語は暗記して駆使しなければいけない情報量が「格段」に多いです。

例:新しい単語が出るたび単数形と複数形を両方個別に覚えなくてはいけない。(片方からもうひとつを誘導できない)

例2:格変化を理解するのは難しくないが、使い分けるのは大変。a, the, my, big, this などに相当する名詞を導く語をすべて16通りの可能性から選ばなければいけない。形容詞は加えて他の冠詞と合わさるかどうかでチョイスが3倍に増えます。

例3:フランス語で文法を間違えれば、それはほとんどの場合文法の間違いと認識されるだけで、意味は通ることが多い。ドイツ語でやっかいなのは文法が意味の伝達で非常に重要だということ。たとえば「私に猫がおもちゃの好きです。」と言われたら、真意を探るのにかなりの推理力がいります。ドイツ語では名詞の性や格を間違えるだけでこのような間違いが頻発します。

口頭や論文試験ならどちらでもいいと思います。文法の些細な間違いがその答えをまるごとばつにされる設問が多いような試験なら、↑のようなことを緻密にこつこつ覚えれる性格の人じゃないと苦労すると思います。私はそういう性格じゃなかったので、新聞くらいなら読めますが、この間センター試験を遊びでやってみたら、読解以外は全滅でした。フランス語に接した時間も同じくらいかと思いますが、そちらの試験はまあ大体できました。

フランス語と比べるなら、ドイツ語は暗記して駆使しなければいけない情報量が「格段」に多いです。

例:新しい単語が出るたび単数形と複数形を両方個別に覚えなくてはいけない。(片方からもうひとつを誘導できない)

例2:格変化を理解するのは難しくないが、使い分けるのは大変。a, the, my, big, this などに相当する名詞を導く語をすべて16通りの可能性から選ばなければいけない。形容詞は加えて他の冠詞と合わさるかどうかでチョイスが3倍に増えます。

例3:フランス語で文法を間違えれば、そ...続きを読む

Q夏目漱石『こころ』はエゴイズムを描いたのか

似た質問がありますが、少し違う視点から質問しますので皆様、盆休みの間によろしくお願いします。

よく『こころ』はエゴイズムを描いた小説とされますが、何度読んでみてもどうもしっくり来ないのです。
先生のせいでKが自殺することになったのは確かです。けれど、先生はエゴをふりまくタイプではないし、もちろん自覚的なエゴイストではありません。
うまく表現できませんが、先生は何だか流されてそうなってしまった人といった印象を受けるので、普通イメージするような「エゴ」「エゴイズム」ということではくくれないような気がするのですが。
作者がエゴイズムを描いたとすると、どう解釈すればいいのでしょうか。また、他の解釈があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『それから』『門』にも出てきます。
『それから』では主人公代助は友人の妻である三千代に恋愛感情を持つ。
『門』での宗助は、友人の妻であった御米を妻にしている。

『こころ』でKが自殺しなかったらどうなっただろう、という仮定を、『門』の中に見ることもできます。
漱石は、宗助と御米の姦通に対して、宗助夫婦から富を奪い、健康を奪い、三人の子を奪うという、という残酷な刑罰を課しています。
漱石にとって、こうしたエゴイズムの発露は、許せないものだったんです。

当時でさえ、こうした漱石の倫理観には、反発する人もあったようで、谷崎潤一郎などは、若い頃“世の中というのは、もっとふしだらな、ルーズなものではなかったか”みたいなことを言っていたようです。

漱石は人間の心の奥深くに巣くうエゴイズムを暴こうとしました。それを白日の下に晒していけば、人々は反省し、自然で自由な世界へいくことができる。それが、後期の“則天去私”の心境とされています。
晩年の『明暗』を読むと、もっとその漱石流のエゴイズムがわかるかもしれません。

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『...続きを読む


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