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私は本が大好きです
特に主人公の気持ちの細かな描写や、主人公というフィルターを通しての風景描写など
つい感情移入して、映画を見るより本で泣きますし、いろんな感情が湧き出ます

本を読んでいると周りからは「いいことだ」「俺(私)はできない」と言われます
なぜ?と訊くと、本を読むことで疑似体験が得られるからだ(実体験しなくても本を読むことで同じような経験が得られる)、と口々に言います
ネット調べても同じことが書かれていました。

そこで疑問に思ったことは、小説は架空の話であり、疑似体験にしても作者自身が体験していないことを創造して書いています。それを読む読者は、果たして本当に疑似体験が得られるのだろうか、ということです

質問に入ります、小説は架空の話なのに読者は疑似体験が得られるのか?
又、疑似体験が得られないのであれば読書はただの娯楽であり意味のもたないものなのでしょうか?(何が得られるのか)

本を読むことで確実に文章力はつきますけど私が言えたことではないですね(笑

A 回答 (6件)

まず、言葉の意味として……



「擬似」というのは、
1 本物によく似ていてまぎらわしいこと。
2 そっくりまねをすること。
というのが、辞書の定義です(デジタル大辞泉より)

つまり、「本当の体験に似ている」のであれば、それは「疑似体験をしている」といえるのではないでしょうか?

例えば、閉鎖された空間で主人公が凶悪な化け物に追いかけられる、というホラー小説を読んだとします。勿論、現実的にはあり得ない設定である、と言えるでしょう。
でも、それを読んで主人公と一緒になって、迫りくる化け物に恐怖を感じたり、はたまた、どうやったら脱出できるだろうか? と考えたのであれば、それは立派な「疑似体験」といえるのではないでしょうか? 勿論、その作家の腕が良くないと、「いや、そうは思わないだろう」となってしまうのは間違いないですが。その意味では、むしろ、小説などの方が、ハードルが高い、ということではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答有難うございます

>つまり、「本当の体験に似ている」のであれば、それは「疑似体験をしている」といえるのではないでしょうか?

実際に体験することではなくて、主人公と同じ気持になれる、もしもでもその事が起きたら自分はどう感じるかが体験できますね

お礼日時:2014/08/28 19:22

私も小説はよく読みます。

あまり意識していませんでしたが、「疑似体験」を求めている部分もあるのだろうと思います。
ただし、所詮疑似体験であり実体験とは全く異なる物であって、空虚な体験である事は否めません。

ご質問の文章中に書いておられるような「本を読むことで同じような経験が得られる」ということは全くあり得ない事だと考えています。

経験・体験というものは、ただ出来事に遭遇するだけでなく、五感の全てを通して感じるものです。

また、小説に描かれることの中には現実と異なっている場合も数多くあります。少々取材して勉強したぐらいでは、実際のことは分からないものです。

小説に限らず、新聞や雑誌、エッセイ等々、少なからず疑いの目を持っていたほうが良いと思います。

では、何も得るものが無いのかといえばそうでもなく、単純に感動したり、考える材料になったり、知識を得たり、新たに興味を持ったりすることが出来ます。
また、リフレッシュになったりすることもあるでしょう。
場合によっては、疑似体験したことを実際に体験してみるきっかけにもなるかもしれません。

ただ、小説を読むに当たっては、深く考えず、その物語に入りこむほうが楽しめると思いますし、おまけとして何がしか得るものがあれば…という程度のスタンスが良いのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます

>では、何も得るものが無いのかといえばそうでもなく、単純に感動したり、考える材料になったり、知識を得たり、新たに興味を持ったりすることが出来ます。

単純に感動することが素晴らしいことなんだと思います
感動することで自分の心が豊かになることが小説で得られるものだとおもいしました

お礼日時:2014/08/28 19:26

本は疑似体験をさせてくれる


娯楽ですよね。
本は知識はくれますが
生きるための知恵はくれません。

知らない世界は知ることは
できるけど、、、

娯楽とはいえど
人間の脳には刺激、感動が必要です。
なぜなら、刺激、感動は
脳を元気にさせるから。

本の得られること、意味は知識。

小説は感動。

本はそれだけのただの媒体で。
出版社の金稼ぎのためのもの。
読者は知識、感動をくれる本
を読む。ただそれだけ。
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この回答へのお礼

回答有難うございます

>娯楽とはいえど
人間の脳には刺激、感動が必要です。
なぜなら、刺激、感動は
脳を元気にさせるから。

その通りだと思います
実用的なものではなくて、精神的に成長できますよね

お礼日時:2014/08/28 19:23

私は本を読むことが大好きで、


小学生の頃から現在まで(結構いい年なのですが)
毎日 本を読まない日はないくらいです。
別に暇でもないのですが、時間があれば本を読んでいます。

でもお友達にそれを言うと よくそんなに本を読む暇があるわね。
私は忙しくて読む暇がないわ・・・とみんな言うのです。

でも私はテレビを見るよりは本を読んでいる方が楽しいわ!って思っています。
所謂3度のご飯より好きという事ですね。

年をとると目が疲れてくるのですが、
それでも毎日本を読むのが 面白くてやめられません。
又 枕元に本を置いていないと落ち着かないのです。

ご質問についてですが、

読書は 結構 勉強になります。

何故かというと私の知らない世界や、経験したことがない事が
小説という形で知ることが出来るからです。

フィクションといっても 必ず参考文献というものがあって
事実に基づき それを元にして小説を作者が書いているからです。

人生は 経験できないことがたくさんありますが、
その知らない世界を 例え小説であっても知ることができます。

知らない世界の体験を 実際体験した方が本にして
それを元に作者は 小説に書き 人を感動させるものに仕上げていく

素晴らしいことですね。

知らない世界を、知ることができます。

難しい文献を読まなくても、小説で知ることができるので良いと思います。


大体のことがわかれば良いのです。
論文を書くわけではないのですから。

そして私は娯楽として 今日も新しい本との出会いを探しています。
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この回答へのお礼

回答有難うございます

>知らない世界の体験を 実際体験した方が本にして
それを元に作者は 小説に書き 人を感動させるものに仕上げていく

読者は難しいことを考えずに感動できればよいのかもしれません

お礼日時:2014/08/28 19:20

60代半ばになるおじさんです。


そんなに深く考えなくても「面白いから読む」それだけではダメなのでしょうか?
私は40代ころまではかなり読みました。ただ面白かったから・・・
    
この年になると目が悪くなって中々読めません。
でもあなたも書いていらっしゃいますが、文章力は確実に付くと思います。
これがこの年になると、とても役に立ちます。
    
私は文章を書くことは全く苦になりませんが、同年代の方々を見ると「とにかく文章を書くことは苦手」という方ばかりです。
しかも地区の役員が回って来る年代です。
皆さん大変そうですよ、私は何とも思いませんが。
   
読書は「ただの娯楽」でもいいのではないですか。
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この回答へのお礼

回答有難うございます

>読書は「ただの娯楽」でもいいのではないですか。
  そうですか、、私は毎日4時に起きて読書や勉強をしています。それはなぜかと言ったら、私が時間がもったいない思ってしまう余裕  のない人間だからです。だから読書の時間は時間を無駄にしている気がしなくて気分がいいんです。やはり、読書は娯楽で終わるもの  なのでしょうか

お礼日時:2014/08/24 22:12

私は勉強をほとんどしてこなかった人間なのですが本は読みます。



1冊小説を読んだだけでも知らなかった言葉や様々な知識がつきました。

疑似体験をしようとか、あまり考えながら読んだことはないのですが、それは読み手や作品によりけりなのではないのでしょうか。私は得られるときの方が少ないかもしれません。

私は本を読んで自分の知識と想像力が広くなったなあと感じております。

どんな小説にしろ自分の頭で登場人物たちの顔や情景さまざまなものを考えていると、発想は豊かになるのでは

拙い文章で失礼いたしました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

>1冊小説を読んだだけでも知らなかった言葉や様々な知識がつきました。
  確かにそうですね、、自分が知らない言葉や主人公が失敗をすることでなに知識が得られます
  重松清「疾走」で、「人はなぜ本を書くのか、それは人が何度も同じ失敗をするからだ」みたいなことが書かれていましたしね

お礼日時:2014/08/24 22:07

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