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努力って耐えることのみを言うの?

「辛抱したらいつか報われる、だから安易に逃げずに努力を続けろ」 よく古い人がこんなこと言ってますけど、努力って辛抱して我慢することだけのことを言うのですか?

耐えて我慢していれば環境が変わる、なんてのは他力本願な気がします。 無理なら無理だ、と割り切って別のところに力を注ぐことも私は努力だと思いますが、辛抱が足りないと批判する人も多いです。

辛抱しようが新しいところに移ろうが、どちらも苦しいし、努力が必要だと思います。

10年同じ場所で辛抱しても何一つ出世しない人もいますし移り変わりまくって芽が出る人もいます。 盲目的に耐えることを努力だと言うのはおかしくないですか? 耐えることが必要ないとは言っていません。

何をやっても苦しいことはありますし、移ろうが残ろうが苦労はあります。


例えば、 夏の甲子園が終わりましたが、出場高校紹介で新潟県の日本文理という高校は部員が100人以上いて、監督と話さないまま卒業する人もいるという記事を見ました。

そこで自分には才能がなく、レギュラーを取ることが不可能だなと分かっても、

それを目指して三年間下働きで辛抱することが努力である

というのも分かりますが

自分の力を見限って、野球部を退部して別のことに時間を使うことも努力だと思います。 でも後者は批判されますよね?努力が足りないって。

見限って、別のところに時間、金、労力を使うことも努力だと私は思うのですが、どうでしょうか

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A 回答 (5件)

そのような言い方をしていい場合とよくない場合はあると思いますが、向き不向きや運もありますしね。


例えば絶対に先がないであろうものでも、いつ何が起きて転機が訪れるかわからない・・
と言うならわかる気もします。
まぁ全ては結果次第なのでしょうが、目標に向かって努力する事は結果云々とは別に、その過程において何か掴み取れるものがあるだろうという意味も含まれているのかなと。
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>自分の力を見限って、野球部を退部して別のことに時間を使うことも努力だと思います。

でも後者は批判されますよね?努力が足りないって。


努力が足りないとは言わないでしょう。
忍耐が足りないとは言われるかもしれませんが。
プロのスポーツ予備軍であれば
学校スポーツのクラブ活動の域を超えているので
自分の能力を見限ってクラブ活動をやめることは
学校もやめることになりませかね。
例の高校教師がもし本当にそんなことであれば
学校教育の指導者としては失格でしょう。
努力は
自分が設定した目標達成のために
訓練し、練習して必要なレベル、能力、技術まで
習熟することであって
できないからと目標を変えることは
目的を含む計画自体の見直しではないでしょうか。

ことわざに
「井戸は水が出るまで掘る」
「魚をとるのに木に登ってはいけない」
というのがありますけど
これは努力の方向性や忍耐の問題であって
目的に対する意識の問題ではないでしょうか。
綿密な調査と検討をした上で
計画を変更することは問題ないことですし
計画を変えなくても
職務や業務に個々の目標設定があり
習得する知識や技能が設定した目標まで達成できれば
それはそれで意味のあることであると思います。
学校スポーツのように期間のあることなら
思い通りにいかなくてやめるのも自由ですし
当初の目標は達成できなくても
ケジメまでやれば得るものも多いでしょう。
途中で投げ出したという自身の悔いが足かせには
なるかもしれませんけど。

会社勤めのような期間の長いことであれば
年齢と立場、会社の業績を含めて
一定の期間で考えるのもいいと思いますが
方向を変えるにも最低限、調査と計画と準備が必要なので
その時期には我慢しつつ努力するってことになるでしょう。
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野球において目的がレギュラーになることであれば


なれないと判断した時点で他の部活に移っても同じ努力と思います。

しかし時に捨ててはならない夢もあります。
人間は弱いからすぐ「無理」な理由を考えるので
自分さえも騙してしまうことがよくあるのです。

例えば結婚生活の時に
「もう大変だからやめたい」と思う時があります。
例えば子育てをしている時に
「もう大変だからやめたい」と思う時があります。
例えば仕事をしている時に
「もう大変だからやめたい」と思う時があります。

努力とは本当にただ耐えるものなのでしょうか?

むしろ大切なのは目をそらさずしっかりと目的や目標を見つめ続け
苦難に向き合い続けることだと思います。
結果として耐えることもあるのでしょう。

盲目で辛抱するのではなく目を見開いて睨みながらの戦い。
それが努力と自分は考えます。
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こんにちは。




「自分の力を見限って、野球部を退部して別のことに時間を使うことも努力だと思います。
  でも後者は批判されますよね?努力が足りないって。」

「見限って、別のところに時間、金、労力を使うことも努力だと私は思うのですが、
 どうでしょうか」


……そうですね。
ただし、それを認めてもらうには、それなりの結果を出してからじゃないとと思います。

結局、他人に、努力していると認められるには…と考えたときに、
耐え忍んででも自分の好きな環境の中で一生懸命学ぼうとする人の姿は
努力していることが伝わりやすいわけで。


早めに見切りを付けて、違う道に進むことも、一つの決断力とも言えますが、
ただ、その後、いくら努力していると本人が思っていて、言っていたとしても
それ相応の結果がでなければ、ただ単に根性も根気もなく、
後先考えないダメなヤツと捉えられて終いだと思います。

主張するには、それだけ相手を納得させるだけの何かがないとダメなんですよね。
厳しいですが。。。


ただし、
正直、今のご年配の方がしてこられた「忍耐」にくらべると
わたしたちの「忍耐」や「根性」のなさは認めざるを得ないとも思います。

今の私たちの世の中は、
なんやかんや言ったって、昔に比べればあらゆる面で相当環境が整っていると思いますから。
その上で、世間のせいだとか、親のせいだとかぶちぶち言ってるヤツも多いですし、
無断欠勤だとか、さぼりだとか、遅刻だとかを当たり前のようにしている世代になってきています。

学ぼうとしないヤツが、学んでる人をバカにして笑ってたりいじめたりね。

「教えてもらってないからできない」で終わらせたりね。
自分で考える力も本当に乏しくなっています。


なので、ご年配の方から見たら、
私たちの姿が頼りなく情けなく見えてしまうんだろうなと
少なからず納得もできます。。。


目立たなくても、地味でも
本人や、もしくはその周りの人の誰か1人でもいいから
耐え忍び、コツコツやってきたことが実を結び
何かしらの結果につながって初めて努力したことになるのかなと思います。
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別の所で力を注ぐのが努力なのではなくて、


新しい場所で芽を出し結果を残すために別の辛抱をすることが努力だと思います。

時間やお金や労力を使えばそれが努力と言われると、
たしかにそれも努力の一部ではあるのですが、
よそで結果を残せると思ったから今までの努力をふいにして方向を転換したわけなので、
少なくとも最初のところ以上の結果が出せるはずで、
その結果が出せていないとなれば、わざわざ方針を変える必要があったのかとなります。

どちらでも大した結果が残らないのなら最初の努力をした分、
無駄になった時間やお金や労力が損ではないかと。
だったら最初のところで踏ん張った方が良かったのでは?と感じる人がいると思います。

時間だけは全ての人に平等で、
何にどれだけ使って何を残すのかは人によって大きく分かれます。

批判されてもちゃんと結果を残せば、批判した人は何も言えなくなりますよ。
きっと回り道で損をした分だけ何倍も努力をしたのだろうと分かってもらえます。

一見無駄に見えていて大きなものを残す人は実際にいますよね。

ただその一方で、何度も何度も同じような回り道をしては、
これまでの自分の努力を無効にしてしまい、時間や努力をただ浪費する人も大勢いるのです。
そしてそういう人の方が圧倒的に多いから、
周りの人は簡単に道を変える人を信用できず批判するのではないでしょうか。

3年間という限られた時間を本人が納得のいく形で最大限努力し、
卒業などの一定の区切りをつけて新たな道を選択するのは努力を無にしたことにはなりません。
多少勿体ないですが、成長につれて人生の目標は変わっていくこともありますからね。
そちらで成功すれば損失は少なくてすみます。
一度決めたことを区切りが来る前に自分の気持ちだけでさっさと乗り換えてしまうこと。
それこそが努力が足りないと言われるのだと思いますよ。

小さな一つのことを一人で最後まで終わらせられない人には、
それ以上に大きなことを終わらせるのは困難です。

大きな目標の前の小さな問題を一つずつ着実に乗り越えてこそ、
努力が実るのだと思います。

見限るというのは誰もが納得するしっかりとした結果を出せた人が言うものです。
結果を出せていない人が言うと見限るではなくて諦める、ではないでしょうか。

簡単に諦めたり逃げ出したりする人は、なかなかよそでも目が出ないかもしれません。
努力を続けて想いを実らせた経験が足りない場合が多いからです。

結果を出す。
努力が報われるのはその時だけですね。

大きな結果が出せるよう、たとえ小さな結果でもしっかり出し続けていくことが、
大きな実りと成長への糧になると知っている人は簡単に見限ったり諦めたりはしないのです。

次々と成功できる人というのは、
結果を残すスピードが他の人に比べて抜群に早いのです。
とうぜん努力も他の人の何倍ものペースでこなしますし、
努力をする場所が変わっても成功するポイントは大体同じだと豊富な成功経験から分かっていて、
ミスも少なく僅かな努力で最大限の結果を残せる能力があります。

次々と成功する人と、次々と努力の場だけを変える人とでは、
同じように場所が変わってもその能力や経験には大きな違いがあります。
同じ時間・お金・労力を使ってもその何倍もの差になるでしょう。

努力が足りないというのは、
やはり結果を残すための努力が足りないと言われているのかもしれませんね。
見限れるほどの能力があれば、
大抵の場合は努力が足りないというより勿体ないと言われます。
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