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最近感じるのですが、多くの著書が
西洋的価値基準で日本文化を論じたり評価しているのではないか?と感じています。

そもそも日本、東洋文化というのは西洋的な近代合理的価値基準ではない部分が大いに
あると感じます。
ですので西洋的解釈を用い、評価すれば自ずと西洋文化が優れている云々という事になるのは必然であり、日本人は日本人の独自の観点で評価するべきだと思います。

勿論、そもそも文化と言うのはこうするべき等と結論ありきで論じる事でもないのはいわずもがなですが、西洋化が進んだ今日において、各々の発想や視点が段々と平均化していくことに対して
いわゆるのっぺりとしたニッポン、というのはこれだろうなと思わざるをえないのです。

例えばハリウッド映画的評価基準で小津安二郎は評価出来ないでしょうし
(海外で評価されてるみたいですが、一体何をもって評価しているのでしょうか)
越天楽や能楽音楽を西洋音楽理論で解釈する事に意味はあるのか?等
ヨナヌキスケール云々とかいう表面的な解釈ではなく
日本純邦楽と西洋音楽の違い、序破急と西洋楽式論、
または「舞」と「ダンス」の違い、茶道や柔道等といった「道」とスポーツ的思考の違い
西洋医療や東洋医療の違い、日本文学と西洋文学の違い等から導かれる共通の美学や特性等。

東洋文化に比べ西洋文化は論理的思考、構造的で日本文化は情緒だと言われてますが
お詳しい方いらっしゃいましたら、
もう一段深く具体的なそういった西洋文化的論理では解釈していない、出来ない東洋、もしくは日本文化の表現する目的といいましょうか、構造といいましょうか、その評価基準等、
何か参考著作等やご意見でも何でもいいので幅広く知見を伺えればと思います。

これからの日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか、
一抹の参考になればと思います。

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A 回答 (11件中1~10件)

こんにちは。


(1)普遍的な人間性の理解に立脚した土台を構築して
 それに基づいた判断を下し人としての限界を支え合う。
(2)それを人生のベースラインとした上で
 あくまでも人としての限界を越えさせようとする外圧に対してもがく。
(3)そのもがきが極限に到達したときのきらめきが至上の芸術を生み出し
 文化を構築していく。

(1)(2)(3)の流れの過程に日本という国の風土や慣習などの事情を加味したものが、固有の文化を根底に深く根を下ろした形で強固に構築していける。このように私は考えます。

短歌 寿司 蚊帳 漫画・・・等いろいろありますが、これらが確立してきた背景にはきっと先駆者の大筋を外さないもがきとしてのすさまじい苦悩があったはずです。

基本の流れは外さないようにしながら人生で遭遇する苦難に大筋を外さない範囲内で柔軟に自由に対応しようと全力を尽くす。その先に素晴らしい文化遺伝子への枝分かれが芽吹いていくのではないかと思っています。

西洋東洋の比較といったことに関しては質問者さんの意図とは外れてしまいましたが、とりあえず強固な文化の構築に向けて大事なことというスタンスで参加させていただきました。
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 No.3ですが 返答をもらえないのでしょうか?

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hetikanさん、なかなか回答ができずに申し訳ありません。

ここまでの回答へのコメントを拝見して、日本文化のこれからについて真剣にお考えになっていらっしゃるのがよくわかります。私は、一創作家として、日本の伝統文化について、音楽以外のことも含め、いろいろなことを考えてきました。もちろん、個人の好みとか、楽しみという次元の話ではありません。一例をあげると、伝統邦楽の演奏家が、安易にピアノと一緒にジャズをやってみたり、篳篥と西洋のオーケストラで映画音楽をやったりするようなことは、新しい可能性や試みとは思えない部分があり、批判的に見ています。また、西洋の文化が論理的で、日本の文化が情緒的、というとらえ方は、ステレオタイプで、そういう見方では東西の文化を正しく比較、理解することはできません。御質問の中で、あらゆる分野の例をお上げになっているので、私もできうる限り、そのすべてに触れたいと思いますので、お時間を下さい。なお、御質問の冒頭にある、最近の著者、というのはどういう人のことをおっしゃっているのでしょうか。よろしければ、著者と書名をお教えいただけますか。もし可能ならチェックしてみます。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>安易にピアノと一緒にジャズをやってみたり~
そうですね。多くは安易に西洋音楽的旋律やを和楽器にかえただけですね。
勿論そんな簡単にできるものでもありませんからやはり蓄積が必要なのだと思います。

>そのすべてに触れたいと思いますので~
別にすべてに回答してもらう必要は全然ありませんよ。

>そういう見方では東西の文化を正しく比較~
どういった見方であれば正しく分別出来るのか何かあればお願いいたします。

>最近の著者、というのはどういう~
これはあくまで一般論としてです。
音楽でいえば学校教育の影響で西洋楽理は腐るほどありますが邦楽理はほとんど一般化、普及していません。
純邦楽についてはもはや音楽ではなく、伝統というジャンルとして認識されているように思えます。

商業音楽の影響など理由は様々でしょうがこれが故に未だ無意識下に洋高邦低があるように感じます。

明治維新から150年がたとうとしている現在、西洋近代化後に山田耕筰や宮城道雄等が標榜したように
現代においても新たな日本音楽なるものを標榜する時代に入ったのではないかと勝手に感じております。

お礼日時:2014/09/01 01:31

No.4です。


お礼の記入ありがとうございます。
>文化とは人生を楽しむための技術というのは仰る通りだと思います。
私の説を受け入れていただいてありがとうございます。

>ではなぜ楽しいのか?なぜ素晴らしいのか?という事を考えたとき、なんとなく、と答えていては文化の大事さは伝わりにくい
具体的にどのような文化が人生を楽しめるのか、漠然としていて回答になっていないというご指摘だと思います。

これについては、実に多様な文化があるわけですから、一概には言えません。ケースバイケースで判断しなければならない。ただし、「人生を楽しめるものかどうか」がその判断基準となるというのが私の考えです。

つまり「これからの日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか」という貴方の問いに対して、わたしは「人生を楽しめるかどうかを判断基準にして取捨選択すべきだ」と答えたわけです。

日本は古来、中国からの文化を取り込み、明治以降は欧州、そして戦後はアメリカから文化を取り入れてきました。それらの文化の中で、これは西洋のものだからだめだとか、日本古来のものだから優れているというのではなく、それが日本人にとって人生を楽しくするものであれば受け入れる、そうでなければ、たとえ日本古来のものであっても捨てるべきだというのが私の考えです。(捨てる文化のうち、文化人類学的に価値のあるものであれば、それは博物館でも飾っておけばよろしい)

西洋では日本の浮世絵や陶器、漆器などが非常に高く評価されています。たとえば西洋のアールヌーボーや印象派あるいはイングリッシュガーデンなどは日本の文化(ジャポニズム)がなければ開花することはなかったでしょう。

一方、日本では浮世絵や民芸品などは芸術とは考えられず、低俗なものと思われていました。その点では、むしろ西洋人の方が日本の文化をしっかり評価していたのではないでしょうか。貴族や侍ではなく、日本の庶民が浮世絵や民芸品を使って「人生を楽しくしていた」という事実を見れば、日本が残すべき文化であると判断できるはずです。

今後は、日本のアニメやおたく文化などのサブカルチャーが世界の文化に影響を及ぼしていくものと私は思っています。浮世絵と同じように人生を楽しむもの、庶民のたくましさと考えればそれは分かります。
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この回答へのお礼

重ねてのご回答有難うございます。

cat-foodさんの仰られている概ね同意です。

>実に多様な文化があるわけですから、一概には言えません。ケースバイケース~
ではcat-foodさんはどういった作品、表現に日本なるものをお感じになられますか?
逆に言えば西洋にはない表現、作品といってもいいですが。

例えば私は茶道等といったものには非常に日本的なものを感じます。
寂び侘びに美を見出す感性や思想というのはこれは西洋近代には中々ないものだと感じます。

何かあればよろしくお願い致します。

お礼日時:2014/09/01 00:56

hetikan様、こんばんは。




>「これからの日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか」

いいものはいい、と感じます。
(「択一」ということではないと思います)



あ。
(いいと感じるのも人それぞれ、なので、
人それぞれが「択一」するのは、結構、だが、
(人それぞれが「択一」するのは、進路変更も容易だが))


(「択一」なら、採点する側も「ラク」ですね)
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

kurinalさんの様に「好みは人それぞれ」等と非常に簡単に皆口を揃えて仰います。

しかし個人主義が氾濫した近代社会において、そういった価値観をベースに物事を見ているだけでは
多くの大衆は単純で分かりやすいものしか見えなくなり、結果、衰退するのでは?と感じております。

だからこそ、こういった質問をし皆様の知見を伺いたいと思った訳です。

例えば物事の質やその良さを理解していないのにも関らず、全ての事柄を平等だと論じ人それぞれだと論じ、
また一つの良さしか理解していない人と、十の良さを理解している人を同じ土俵に上げ
好みは十人十色、ひとそれぞれだと論じる事が、結局は己の不勉強を恥じる事もない、無責任で
無関心なニヒリズムに繋がっていると思いませんか。

勿論、結局は個々が何を選ぶか、になるのだと思います。

お伺いしているのは単純な個々の好み云々ではなく、
東西文化の違いから日本の美意識や価値観、日本人が大事にしてきたこと、
ひいては現代に活かすべき点をそれこそ、それぞれ個々の意見に基づいてお伺いしておりますので
その点を誤解なきよう宜しくお願い致します。

お礼日時:2014/08/30 09:55

”日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか ”


    ↑
日本固有で、日本を特徴付けているものだと
考えます。

価値観としては、美、です。
欧米の善悪に対するのが、美、です。
清浄と穢れ、と言い換えてもよいでしょう。
武士道と結びつくと、潔さ、名誉の為に死ぬ
ことは美しい、となります。
現代風にいえば、格好良いかどうか、という
ことです。


政治制度としては、天皇を残すべきです。
古代において、このままでは中国に飲み込まれて
しまう、として天皇という呼称にしたのです。
「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」
現代では、欧米に対する独自性の徴表であります。


社会制度としては、集団主義、母性社会です。
のび太が主人公になれる社会は貴重です。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

陛下については多くの国民はそう願っているのではないでしょうか。

のび太が主人公になれる社会、というのは非常に素晴らしい表現ですね。

お礼日時:2014/08/30 09:59

>これからの日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか、



木造建築と和装ですね。


どうせ「一抹の参考」にしかなりませんけどね(笑)
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まず、「文化とは何か」ということについてはっきりした定義がないことが問題を複雑にしているのだと思います。

広辞苑やウィキペディアを引いても、わけがわかりません。しかしながら、私は文化について、いろいろ考えた末、一つの定義にたどりつきました。それは

「文化とは人生を楽しむための技術である」

ということです。実に簡単です。真実は常に簡単なところにあるものです。

この定義によると、西洋的価値観であろうが、東洋的価値観であろうが、人生をより楽しめるものがより優れた文化であるという結論に達します。したがって、あなたの質問に対しては、より人生を楽しめる文化という観点で取捨選択していけばいいということになります。

いろいろ反論はあるでしょう。でも、ごちゃごちゃと難しいことを言ってないで、より人生を楽しめる文化を選択することが我々にとってお得ですよということです。そして何より日本人は、昔からそれを実践してきた民族なのです。
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この回答へのお礼

ご回答頂き有難うございます。

文化とは人生を楽しむための技術というのは仰る通りだと思います。

ではなぜ楽しいのか?なぜ素晴らしいのか?という事を考えたとき、
なんとなく、と答えていては文化の大事さは伝わりにくいのも事実だと思います。

受けて側はそれで構わないのかもしれません。
しかし少なくとも作り手側はそれではいけないのだと思います。

簡単に分かる事でもありませんでしょうし
だからこそ苦しいですがそうやって多少なりとも本質部分に向き合わなければ
結局は分別もなく、向上もない、無価値で無味無臭になってしまうのだと感じます。

お礼日時:2014/08/30 10:20

 こんにちは。



 洋の東西を話題にするときには そのそれぞれの特徴を両方とも重んじるのがよい。というひとつの結論を打ち出しています。

 パスカルにならって次の両方の精神を 日本も西欧もほかの国々も大事にするという意味です。

 ▲ (パスカル:幾何学の精神と繊細の精神) ~~~~~
 幾何学の精神( l'esprit de géométrie )と繊細の精神( l'esprit de finesse )との違い。

 前者においては 原理は手でさわれるように明らかであるが しかし通常の使用からは離れている。したがって そのほうへはあたまを向けにくい。慣れていないからである。しかし少しでもそのほうへあたまを向ければ 原理はくまなく見える。それで 歪みきった精神の持ち主ででもないかぎり 見のがすことがほとんど不可能なほどに粒の粗いそれら原理に基づいて 推理を誤ることはない。

 ところが繊細の精神においては 原理は通常使用されており 皆の目の前にある。あたまを向けるまでもないし 無理をする必要もない。ただ問題は よい目を持つことであり そのかわり これこそはよくなければならない。というのは このほうの原理はきわめて微妙( déliés )であり 多数なので 何も見のがさないということがほとんど不可能なくらいだからである。
  (パンセ 前田陽一・由木康訳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ これは 《意識》と《情感》との対立そして統合というふうに捉えればよいのではないでしょうか。

 《意識とその流れ――その対立と均衡――》を目指す行き方と そして《情感とその共同性――破断ののち共同幻想と化してでもその存続を国是とする――》なる行き方と。

 あるいは ぎゃくの順序で 《あやまつは人の常と知るスサノヲ人間語が 情感の共同性のうちに互いにみとめ合われている世の中》と そして 《あやまたない普遍性を追い求めるアマテラス科学語およびアマテラス人格語による規律を タテマエでしょうが 優先させる社会》とにそれぞれが 対応すると見ます。


 現代人としては 両方をおもんじましょう。となると考えます。

 社会ないし国家じたいが 《スサノヲ市民社会 - アマテラス公民圏 との連関体制》とすでに成っています。


 《スサノヲ人間語とアマテラス〈科学語かつ人格語〉とをしかるべく使い分ける生活態度》が のぞましいように思われます。
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血液型占いは、非科学的だと言われます。


性格判断としては非科学的かも知れませんが、世界各地
で血液型の比率が異なるという事は、そのグループ間で
生殖隔離がなされていたという事実を意味します。
たとえば、東南アジアでA型比率の高い、日本~中国・
江南地方~雲南~ブータンは、温帯モンスーン地域で、
その気象(梅雨)に依存したジャポニカ米稲作農耕文化
圏であり、その土地に定着した年周期の集約農業を支え
る濃密な地域コミュニティ=集団主義的性格(責任感の
ある協調性)と重なります。
日本はさらに、島国的(いつも同じ顔ぶれが暮す)な
日和見的(適当に相手に合わす)な性格が重なって、
世界でも稀な強力な集団主義となったのです。

その集団主義は、近代化における大量生産の集約的労働
に転化され得たため、アジアにおいて日本だけが急速な
近代化を可能にしたのです。
第二次大戦時の枢軸3国は、同じファシズムだと言われ
ますが、ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニ
と違い、日本の天皇は独裁的にコントロールした訳では
なく、軍部を中心とした集団的なコンセンサスにおいて、
流されていったのです(独裁者なきファシズム)。
この「まわりに合わす」というポリシーなき集団主義は、
明治維新や戦後の西欧化のように、あっという間に変身
する事を可能にする。
「和魂洋才」と言うが、その『和魂』は魂=個人の意識
にではなく、大家族制の家庭教育や地域コミュニティに
よる世代間伝承といったミーム(DNA以外の遺伝要素)
にあるのです。
戦後の高度経済成長による核家族化や地域コミュニティの
希薄化によって、そうした集団主義の世代間伝承は劣化し、
学校教育による点取り競争やゲーム機による生育環境は、
自意識過剰で虚栄心ばかり強いのに、自己を客観視したり
他人の気持ちを思いやる事のできない自己チューな人間を
量産し、実社会でも協調性が失われつつある事をヒシヒシ
と感じます。

社会の分業化・組織化の発達において、自己の生の社会的
拡張を自覚化(自律的社会行動)できる認識の発達を怠り、
西欧的な個人主義のまま社会化するために、お金や出世と
いった“馬車馬の目の前のニンジン”によって、他律的に
社会行動をとらせる方法をとったのです(だから日本の
被災地での秩序に驚く)。
しかし、それは良い面ばかりではなく、そうした日本人の
遠慮や我慢による集団主義、以心伝心の協調性は、欧米人
のよく口にする「日本人は何を考えているか分からない」
=信用できないというネガティブな評価につながります。
日本人は、これからのグローバル化において、一方で日本
的な集団主義の劣化をカバーしながら、欧米人の自己主張
と付き合える論理性・積極性を身につけねばなりません。
もちろん、欧米人の方は、個人主義のまま他律的に集団化
したために、我の強さ(意識の自己中心性)がそのまま
積層して、他集団との対立が一層過激になるという宿痾を
かかえており、そうした一神教的な頑固さのキリスト教と
イスラム教の対立に、多神教的な融通のきく仏教の日本が、
間を取り持つような働きができたら良い、と夢見ています。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

欧米人の自己主張と付き合える論理性・積極性を身につけねばなりません~
については概ね同意するところです。

多神教的な融通のきく仏教~
についてはむしろ神道文化ではないでしょうか。

お伺いしているのは日本人の性質や動向ではなく
例えば「日本化」や東西文化の違いなるものは一体何なのか?または、
日本文化は様々ですが、それぞれが一体何に美意識を感じ、何を表現してきたのか、伝えているのか
そういったところで何かあれば宜しくお願い致します。

勿論、モノによりけりではありますが仰るような国民性や神話から始まる文化を通して、
総体を通じてある自己犠牲等々あればお願いいたします。

お礼日時:2014/08/30 10:35

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