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インターネットか書籍で古文書の現代語訳があるのを教えて下さい。

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語 訳」に関するQ&A: 日本語訳してください

A 回答 (2件)

こんにちは


『尾張国郡司百姓等解文』ですが、原文は和製漢文体で9000字余りの長文です。そのため、一般に出回っている書籍で解文の全文訳は無いのではないでしょうか(間違っていましたらごめんなさい)。一部の現代文訳があり、簡単に手に入る物としては、高校の日本史の史料集があります。手元にある『詳説日本史史料集』(山川出版社)には、前文・1・7・13・26・27・30・31条(全31条)・結文の一部(各条の先頭文中心)が収録されています。書き下し体を上段に、下段にはその口語訳があり、注意語句を頭注の形で説明しています。最後に(「律令制的支配の変質」についての)解説が付される形式になっています。史料集は山川出版だけでなく、他の高校日本史の教科書を出版している出版会社では出していると思いますので、書店等で探されればすぐに見つかると思います。また、ブックオフなどで探されても手に入れることはできると思います。

早稲田大学に収蔵されている原文
http://www.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko12/b12_00 …

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。やはり全31条となると自分で約すしかないようですね。どこかのサイトに郡司らの言いがかりに近い条文もあるとのことでしたので、全条わかるとよいなと思っていました。単に国司の圧政だけで取り扱うのは見方に偏り(ステレオタイプの歴史観につながる)と考えたのですが、全文約がないと難しそうです。でもいくつかの条文は参考にできます。ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/31 19:40

tatubei さん、こんにちは。



尾張国郡司百姓等解文の現代語訳 ですね?
下記のURLを参照ください。






http://chushingura.biz/p_nihonsi/siryo/0151_0200 …
http://mokuou.blogspot.jp/2012/08/29883989.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。やはり全31条となると、原文を自分で訳さないといけないようですね。でもいくつか訳文が見つかり、助かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/31 19:34

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Qこの世おばわがよとぞ思う望月の 歌の解釈 

「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」

この歌はたしか学生時代(小学校か中学校で)に習いましたが、
教師に教わった解釈は 満月のようになにも欠けた所がない、栄華を極めたワタシであることよ』というような自慢っぽいものでした。

しかし、ふと思ったのですが

『月が欠けることが無ければ、この世は自分のものだと思えるのに・・・』
という意味、とれるように思うのです。
満月を見て詠んだのではなく、ほんの少し欠けはじめた月をみて詠んだのではないかと。

作者の藤原道長は源氏物語のモデルと言われている人物でしたよね。
たしか光源氏は晩年、さみいしいというか、落ちぶれていくという結末ではなかったでしょうか。

栄華のなかにあって、ふと自分で何かを予感するような、そんな歌のような気がしたんですが・・。

今の国語の解釈ではどうなっていますか?宜しく御願いします。

Aベストアンサー

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞している。
4)「望月の歌」を詠んだ翌年には、出家している。

No3のkogotokaubeweさんの情報と以上の事を踏まえて、
質問者usiodonさんの解釈を敢えて採用するようにしてみるとこんな感じになります。
○病気が多くてそれは道長の悩みだったようで、
 病気がちの道長は晩年「糖尿病」だったそうです。
 自分個人の自信は失いかけていたかも知れません。
 また、「望月の歌」の前後で、役職を辞したり、出家してますから、
 自分の人生の事後処理モードに入っていた=欠けはじめた月の状態にあったとも
 取れます。
 「望月の歌」はそんな中で読まれているので、
 そんな本心の裏返し=強がりとして、酒の酔いにまかせて
 「いままさに栄華の絶頂にある」と詠んだ可能性はあると思います。

 それでも、出家後8年ほど生きていますので、役職は辞していても外戚政治で
 まだ権勢を奮っていたかも知れません。

質問者usiodonさんの解釈には共感できる点もありましたので
ちょっと余計な事まで回答してしまいました。

参考URLは、
「藤原道長の悩み」 http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm
です。

参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞し...続きを読む

Q「前九年・後三年の役」の呼び名の由来は?

日本史に詳しい方、どうか教えてください。
平安時代後期の「前九年・後三年の役」ってありますよね。
鎌倉時代初期までは、前九年の役は「康平の十二年合戦」と呼ばれていたと古今著聞集にあるのですが、ではいつ頃からどういう由来で「前九年の役」と呼ばれるようになったのでしょうか。
同じように、後三年の役も、後白河法皇が後三年合戦絵詞をつくったことからそう呼ばれるようになったことまでは分かっているのですが、その後三年という言葉がどこから出てきたのか分かりません。
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学校の先生に聞いても「知らん」と言われてしまいます。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

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世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

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Aベストアンサー

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