プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

・東京都内の繁華街で多数の人々をトラックでひき殺し、さらにはナイフで刺し殺した人物
・著名な漫画家を脅迫したほか、サブカルチャー関連のイベント等を妨害した人物

もしも、彼らふたりに、「恋愛経験」があったならば、彼らの人生はどのようなものになったのでしょうか?


彼がトラックで人々をひき殺し、さらにはナイフで殺した事件の背景には、恋愛にかかわる格差があったことが指摘されています。家族の事情、周囲の環境、教育歴などの社会的な事情がおたがいにかかわりあったことによって、彼自身の恋愛事情は、非常に異質なものになったとされます。

そういった事情の一方で、もしも彼に、ほんとうに愛することのできる彼女がいたとたら、それを仮定したら、おそらくは、彼の人生は大きく変わったものになり、彼自身のライフコースも、凶悪犯罪者というものではなく、まったく別のかたちになったのだと思います。

このようなことは、サブカルチャー関連のイベントを妨害した人物にも、あてはまるのではないでしょうか。もしも、彼に相思相愛の関係にある彼女がいたのならば、おそらくは、彼の人生も、彼がマスコミをとおして論じているような、極めてマイナスのイメージのもたれるようなものではなかったでしょう。

「彼女さえいたら…」ということが、たびたびさけばれます。他者を認めることのできない、メンタリティにさまざまな問題をかかえた人々が、日本社会にはたくさんいるのだと思います。それに関連して、排外主義に手を染める人々も少なくありません。他者を認めるということ、あるいは、いわゆる承認欲求にも関連しますが、そういった点において、日本社会が「極めて窮屈な場」と化し、人々が「疲弊」していること、それは社会的にも、経済的にもです。人々が「疲弊」したということについても、人々の恋愛事情に大きな影響をもたらしたのではないでしょうか。

ただし、そういった社会事情に関係なく、彼女さえいたら、その人の人生はまったくかわったものになり、素晴らしいものになっていたのかもしれない、と思われる人々は少なくないと思います。ほんの、ちょっとだけでも、声をかけてくれれば、心を開く人々もいることでしょう。「ただし、イケメンに限る」などといって、「表面的なステータス」にココロをうばわれている人々が少なくない、いまの日本社会。「彼女さえいたら…」という言葉からは、多くの人々の、「恋愛的貧困」の問題に直面している人々の「阿鼻叫喚」なり「悲痛な叫び」が聞こえてくるのではと思います。

A 回答 (4件)

こんにちは。


僕は、人間性の部分のあると思いますが、それだけではないでしょうね。ただただ運がなかった。それにつきると思います。大学受験に失敗し、そのショックで人生設計が狂ってしまった。少し人間関係が作るのが下手だったために、人間関係を作ることもできなかった。人間関係も、どこに行っても仲良くできる対人能力が優れている人ではない限り運の要素も否定できません。
例えば、いじめとかでも、ちょっとした人間関係の掛け違いで起こることもあります。
そして、このようなことが度重なると普通の人間も壊れていきます。あの二人は普通の人間が壊れていったなれのはてだと思っています。
不運だった人が誰でも犯罪を犯すわけではないと反論す人がいるが、それは、不運な人は自ら命を絶つ人が多いからだと思います。たまたま選択したことが、無差別犯罪か自殺かの違いだけだと思います。
さらに、今後は個人自ら犯罪を犯さなくても、テロリストの集団に入ってしまうということも起こるかもしれません。実際、テロリスト集団である「イスラム国」には先進国からの民兵もいるそうです。そのなかに日本人もいる可能性もあります。

人間性が・・・とか言っている人は想像してみて欲しいですね。もし自分が、大学受験に全て失敗したら、そして、就職活動しても全く内定が取れなたったら、内定が取れないと相談しても「そんなの自己責任だよ。」とか言われてだれも相談に載ってくれず、見放されたら、そして、そんな事情もわからず、親から「早く就職しろ!!クズ!!」とか毎日罵倒されたら、なんとか派遣社員になれても、その職場からあらぬいじめをうけたら、さらに、彼女から「無職、派遣の人とは付き合えない」とか言われて突然別れを告られたら。このような仕打ちをうけても正常でいられるのでしょうかね(だからといってこのふたりの罪が軽減されるけではなく、罰を受けなければならないことには変わりありません。)。
自分はそういう環境とは無関係だと思うのは甘いですね。そのための努力もしたのだろうけど、運がよかったというのも十分あります。

現代では、このような二人のような境遇には誰でもなる可能性があると思っています。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

お礼日時:2014/09/02 11:46

その通りだと思います。


ご指摘の事件に限らず、そのような理由による事件はとても多いと思います。
その原因は、彼女に限りません。親しい友人がいない人がほとんどです。
このサイトでも唯我独尊の質問者がけっこういます。
彼女がいない、親しい友人がいない理由を社会のせいにしています。
あるいは、背が低い、イケメンでない、金がないなどの理由にしています。
しかし、ほとんどは自分の考え方、性格に起因していることが多いのですが、そのアドバイスに耳を貸さず、自分は悪くない、自分を認めない社会が悪いと言い張る人です。
このような人は60歳、70歳になっても周囲の人たちに嫌われます。嫌われるとますます意固地になって周囲に当り散らし、ますます嫌われていきます。
私も70年近く生きていると、そのような人を多く見かけます。
とても残念なことですが。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

友達という存在の意義を、再考しなければならないと、思うときがあります。

経済事情が人々の生の営みが大きく影響する社会事情のなかで、人々は人々ではなく、経済事情に屈して活きなければならないということは、まことに嫌な時代になったと思うときがあります。

さらには、わたし自身が質問文で紹介したふたりについては、ただ単に悪者、事件の被疑者であるとすること以上に、どうしてそういったことになったのか、どういった人間関係があったのか、これらについて考えるほうが、日本社会のためになると思います。

お礼日時:2014/09/02 11:45

>「彼女さえいたら…」という言葉からは、多くの人々の、「恋愛的貧困」の問題に直面している人々の「阿鼻叫喚」なり「悲痛な叫び」が聞こえてくるのではと思います。



なんだか被害者みたいな言い方ですね。
彼女ができないと勝手に諦めて、勝手に女性が悪いなどと思っていませんか?


>他者を認めることのできない~
以下の文章はよくわかりませんが、
結局、犯罪を犯した彼らは、他者を認めず、承認ばかり欲しがる人ってことでいいですか?
社会的にも経済的にも疲弊しているから彼らに彼女ができないなんて、どんな言い訳ですか?
自分の足りない部分を社会のせいにしてしまう人は、疲弊していなくてもできないと思いますよ。


>ほんの、ちょっとだけでも、声をかけてくれれば、心を開く人々もいることでしょう。
なぜ声をかけてくれるのを待つんでしょう?
女性の方にも同じように声をかけてくれれば心を開く人もいると思いますよ。

>「ただし、イケメンに限る」などといって、「表面的なステータス」にココロをうばわれている人々が少なくない
「恋愛的貧困」者も不細工は論外などと言っていませんか?
女性も十人十色です。イケメンに限るなんて言っている人は一部だと思いますよ。
彼女のいる男性がみんなイケメンではないでしょう?
自分がイケメンじゃないから彼女がいないなどと、言い訳に使っているだけでしょう。

愛する人がいたら、犯罪に走らなかったかもしれません。
それは同意しますが、愛する人ができなかった理由は彼らの人間性にあり、社会情勢や女性側の問題だとすることには同意できません。

この回答への補足

あなたのコメントを拝見して、いまの日本社会における「自己責任論」について考えてみると、大変興味深いことがわかるのではと思いました。

あなた自身にとっては、恋愛事情にかんすることは、基本的には「自己責任論」の一部になるとお考えだと思います。しかしながら、いまの日本社会において、こういった「自己責任論」がはたして、日本社会を維持するにあたり、有益なものの見方になりうるのでしょうか?

恋愛は「自己責任」なのでしょうか?

そういった部分もあると思います。

しかしながら、「出会い」とか、「お互いの関係維持」においては、社会の影響を考えずにはいられません。さらには、「明日はわが身」という考え方についても、向きあわねばなりません。

いまの日本社会では、社会事情があまり良いものではありません。そういったこともあって、人々は「表面的なもの」にココロを奪われてしまうことが少なくありません。

さらには、繁華街でたくさんの人々の命を奪い、傷つけた被疑者については、なかば交際関係にあった女性がいたとのこと。しかしながら、この女性に「人格的な問題」があったことは、この被疑者にとっては、非常にショッキングなことでした。この女性からすれば、マスコミに出てきた、悪者とはいえども、みずからの「ステータス」を向上させるには、うってつけの存在だったと思います。この女性にとって、被疑者の男性は、ある種の「カモ」だった、ということです。こういったことは、ある生物学の女性研究者が良い例だと思いますが、権威のある人々を「出汁」にして、博士号を手にし、研究成果の「勇み足」で、大騒ぎになっていますが、パートナー側の問題についても、考えるべきではないでしょうか。

そういった観点から、わたしが質問文でとりあげた二者は、「被害者」ではないかと思うときがあります。

補足日時:2014/09/02 11:42
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他力本願という言葉が浮かんでしまいました。



そのような異質であり特殊な思考を持っている人を支えなければいけない女性の負担は相当なものになるのではないでしょうか。人とのかかわり方が下手であるがために犯罪を犯すものに彼女ができる可能性はどれくらいあるのでしょうか。
彼女云々ではなく、根本的な人間性の問題であり、その根本をどのようにすれば社会に出て生きていかれる状態になるのかが大切なのではないかと思います。

自己本位な思考のもとに犯罪を犯す人の思考は、ほかの人たちと異なると考えています。だから理解のしようがない。一般的に社会の中で生活をしている人たちとは根っこから違っている。少し躓いた人に手を差し伸べたりフォローしたりすることにより立ち直るきっかけを作ることができるというものとは違うのではないでしょうか。

女性は犯罪を未然に防ぐために存在しているわけではありません。交際することにより幸せになりたいと願うのは男女ともに同じだと思います。

既婚者でも彼女がいても犯罪を犯す人はたくさんいます。性犯罪者が妻帯者ってことも結構ありますよね。(性犯罪者は私は殺人鬼と同等に思っています)
危険な思考回路を持っている人は彼女がいるからと言って正常な思考にかわるとは思えません。

この回答への補足

コメントありがとうございます。

はじめに指摘したい点は、彼らが「先天的」に、犯罪者になるような、あるいは、犯罪に手を染めるような人物として、この世に生を受けたかということです。

上に挙げた2名とも、犯罪者というわけではありません。前者は優等生でしたし、後者についても、絵に描いたような落ちこぼれというわけではないでしょう。「普通の人」ということでもあると、思います。

また、彼らは生まれつき、あなたの指摘された「特殊な思考」をもっていたのでしょうか。 彼らが、彼女ができなかったこと、愛する相手が、パートナーがいなかたがために、「特殊な思考」になったと考えるべきではないでしょうか。後者については、もしも彼女という存在がいたら、拘置所で喜んで残りの人生を過ごしたいなどという<主張(世間へのメッセージ)>は、なかったのかもしれません。

彼らが、過去の人生経験において、恋愛の経験があったとすれば、あなたの主張するところの「特殊な思考」をもつにはいたらなかったのではというのが、わたしの指摘したい点です。

さらには、前者については、優等生ということでしたので、ちゃんとした彼女がいて、「脱線」さえしなければ、そのカップルはとても幸せになっていたことでしょう。そういった点においては、彼はとても不幸な人間なのかもしれません。彼には罪がないということを主張する人々がいても、おかしくないと、そのように思うときもあります。

補足日時:2014/09/02 02:38
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