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ヘテロセクシャルの人々が前提になってしまうのが難点ですが、恋愛にかんする言説、教訓などにおいて、「異性の友達」をつくることは、恋愛関係をつくるにあたり、効果的であると主張する人々は少なくありません。

・彼氏との関係を望むのであれば、男友達をつくりなさい。
・彼女との関係を望むのであれば、女友達をつくりなさい。

ただし、ここで指摘された「男友達」、「女友達」とは、恋愛関係にはつながりのない人間関係であることを、忘れてはなりません。「男友達」、「女友達」が、恋愛対象になる場合がありますが、それはとても珍しいこととされます。「男友達」、「女友達」とは、あくまでも友達であり、大前提として、恋愛の対象ではないからです。

なぜ、恋愛関係をつくるにあたり、「男友達」、「女友達」の存在を必要とするのか。恋愛関係に発展しない人間関係をつくることに、どういった「意義」があるのでしょうか。時間や金銭、さらには精神面における、「浪費」、「無駄遣い」ではないのか。

彼氏、彼女にもなってくれない存在のために、なぜ、時間を割くのでしょうか。そういった人々との人間関係のために、お金をつぎこむのでしょうか。

なぜ、彼氏、彼女にもなってくれない存在のために、情をかけなければならないのでしょうか。数日後に、確実に彼氏、彼女になってくれる存在であれば、情をかける「意義」があることは、明々白々です。

しかしながら、「異性の友達」をつくりなさいというアドバイスは、単なる「遠回り」を強要しているようなものではないでしょうか。

A 回答 (7件)

個人的な考えですが、異性でも同性でも、身近にいて一緒に時間を過ごせば、自然に友達になるものだと思います。

そうとう相性が悪くない限り。
ただそういう状況自体が難しい場合がありますけどね。私自身は、異性で友達と呼べる人は、学生時代の友達しかいません。同じ部活などで、時間を共有した人です。そういう相手に対してはわざわざ「情をかける努力をした」わけではなく、身近な存在なので「自然に情がわいた」、という感じですね。友達って性別問わず、本来そういうものだと思います。

で、異性の友達がいることのメリットは、異性の習性や特性を知ることができたことです。もちろん、1から10までなんでも把握できたわけではないし、私の友人が男性の代表というわけでもありませんし、世の中の他の男性すべてにあてはまる要素を持っているわけではありません。性差ではなく、個人差も大きいですからね。
それでも、性別によってある程度の傾向というものは存在するし、そして、異性との関わり方や距離感というものは、異性なしでは学べないし身につかないと思ってます。正確に言えば、「自分対異性」の関わり方や距離感です。こればかりは、人から聞いても、本を読んでも学べない。自分はこういう距離感がちょうどいいんだ、ということは自分の身を持ってしか学べなかったです。他にも、同性同士でばかりつるんでたら知らなかったことがあるような気がします。
それが直接恋愛にいかせるかどうかは、ものにもよりますけどね。でも無駄ではない気がします。

あとひとつ。

>「異性の友達」をつくりなさいというアドバイスは、単なる「遠回り」を強要しているようなものではないでしょうか。

アドバイスは「強要」ではなく、あくまで参考意見であり、その方なりの提案です。
ご自身の考え方と合わない意見を「強要」と表現するのは、少し違うんじゃないかな、と感じました。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

恋愛事情とは、ほんとうに、それを「経験」した人でないと、語りにくいものです。

どんなに良いアドバイスであっても、当人が恋愛を「経験」しないかぎり、それが活かされることもなく、そして、理解されることもありません。

どんなに、回答者の方が、一生懸命に、アドバイスをしてくださっても、

肝心の「彼女」ができないと、わからないものです。

さすがに、「ボランティアで彼女になってくれる人」など存在しません。

ひとりでもいいのです。

わたしのことを、本気で好きになってくれる人がいて、その関係が数ヶ月間の、はかないものであったとしても、何らかのことを学ぶことができるのではと思います。

それすら、手にいれられないのです。

だから、いまだに、わからないことばかりです。

つねに、隣に、彼女がいて、朝起きてから、夜寝るときまで、ずっと、一緒にいてくれたら、いろいろと学ぶことができるだろうと思いますし、回答者さんからの、親身なコメントの「意味」を、しっかりと理解できるようになるだろうと思います。

お礼日時:2014/09/10 00:59

二宮損得になっていませんか? 人づきあいを損か得かで判断している。

もしくはギブアンドテイクの強要です。二宮尊徳も泣いています。
最初はテイクアンドテイクぐらいの勢いがいいです。
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この回答へのお礼

>人づきあいを損か得かで判断している。

「無償の愛」が存在すれば、それはほんとうに素晴らしいことだと思います。損得勘定(さらには、損得感情)なしで、人間関係をつくることができることは、ほんとうに素晴らしいことです。

わたし自身、人間不信のところもありますので、そこは、わたしなりに努力しないといけないのは、十分に理解していますし、自覚もしています。

その点において、疑問に思うことは、日本社会においては、人々が世間体に踊らされている、ということです。本人の意思よりも、世間体のほうが、はるかに重要視されていることに、わたしは疑問をもっています。きっと、世間体から脱却なり、世間体を克服した人々とのあいだであれば、信頼関係をつくることができるのではと、思うこともあります。

コメントありがとうございます。

お礼日時:2014/09/11 04:01

●他人から「利用」されてしまえば、そういった思いをもつことは当然のことではないでしょうか?


○「経験」から何を学ぶかは人それぞれですが、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」もまた真なりです。
そして「○○だからしかたがない」と自己を正当化してみてもあまり好ましい結果は得られません。

質問者さんの考え方だと「人との関係は利害が一致する人のみと利益の部分だけで付き合う」というもののようですからビジネスでは成功されるでしょうけれど友人や恋愛関係では厳しいです。
どうしても恋愛のような関係を持ちたいのであれば「利害関係が一致する人」を探し出すしかありません。つまり「相手に与えるものがこれだけある」「これだけのものを相手にすることができる」ではなく「相手が求めることをする」ことになります。
いずれにしてもその考え方だと真の恋愛や友情関係を結ぶのは無理です。
考え方を改めるか、擬似恋愛・友情で満足するか、恋愛や友情をあきらめるかの三択かと思われます。
あとはご自身で判断してください。
蛇足ですがご自身の考え方を変えるつもりがない、自分の考え方が正しい(しかたがない)と思うなら他人に意見を求めることはあまり意味がありません。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

日本人をみていて、不思議に思うことは、なぜ、日本人が日本人を信頼することができるのか、とうことです。それは、おそらくは、「世間共同体」のような、お互いが<理解>できるものがあるからこそ、成立するものなのかもしれません。わたし自身は、外国につながりをもつ立場ということもあり、「世間共同体」とは、あまり強いつながりをもっているわけではありませんが、日本人の立ち振る舞いをみていると、日本人にとって、「世間共同体」そのものが、「恐怖の存在」であって、それに反することをすると、そこからはじかれ(いわゆる、村八分的扱い)、一生戻ることができないといった、「恐ろしさ」ゆえに、「世間共同体」にしがみつくかたちで、日本人が日本人を信頼しているのだと思うときがあります。(その一方で、クリスチャンの人々については、まったく異なった人間関係観をもっています。)

「利害関係が一致する人」でないと、わたしがパートナーにすることができないという指摘については、真摯に受けとめたいと思います。わたし自身が、日本人がよりすがっている、「世間共同体」にたいする勉強が、まだ浅い部分があることが、理由なのだと受けとめています。ただ、「世間共同体」にたいして、批判的な日本人であれば、きっと、信頼関係をつくることができるのではと思います。

他者を、心から信頼したい。それは、どこの誰にとっても、同じことだと思います。わたし自身、日本人のことをみるたびに、心から信頼したいということよりも、信頼されなくなったときの「恐ろしさ」から、他者とのあいだに「関係」をつくる人々が少なくないという懸念があります。それは、日本人の言葉を借りるのならば、「もちつ、もたれつつ」ということになると思います。このことについても、わたし自身、いろいろと勉強しなければならないと思います。

お礼日時:2014/09/11 03:57

●信用できる「善人」があらわれない限り


○質問者さんが他人に心を閉ざしているのだから難しいですね。
結局、質問者さんは「自分は変えられないから周りが変わってくれるべきだ」というお考えのようです。
宗教家のような善人が現れれば救ってくれるかもしれませんがそんな人は滅多にいません。
質問者さんご自身も他人を利用することしか考えてないということですよ。

この回答への補足

>質問者さんご自身も他人を利用することしか考えてないということですよ。

他人から「利用」されてしまえば、そういった思いをもつことは当然のことではないでしょうか?

やられたら、やり返す。
眼をひとつつぶされたら、相手の両眼をつぶす。

補足日時:2014/09/10 15:58
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●「利用」できるから、楽しいのではないでしょうか。


○違います。

●相手に「利用」されるための〈スキル〉でしょうか。
○違います。

●恋愛とは、「搾取の関係」のようなものではないでしょうか。
○そういう恋愛関係もあるかと思いますが、そうでない恋愛のほうが多いでしょう。

やはり質問者さんは人間関係や人とのコミュニケーションに問題を抱えておられるようです。
その原因がどうであれ、現状のままでは良好な人間関係や恋愛を構築していくのはきびしいでしょう。
考え方を変えていかないと現状は変わらないかと思います。

この回答への補足

>やはり質問者さんは人間関係や人とのコミュニケーションに問題を抱えておられるようです。その原因がどうであれ、現状のままでは良好な人間関係や恋愛を構築していくのはきびしいでしょう。考え方を変えていかないと現状は変わらないかと思います。

信用のできる「善人」があらわれない限り、難しいことだと思い舞う。

補足日時:2014/09/10 00:55
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「友達」は利害関係だけで結び付くものではありません(無論、利害だけで友人関係を結ぶ人もいます)。


恋愛においてもそうですが、恋人も友人も基本は「一緒にいて楽しい」です。
友人・人間関係を構築するなかでコミュニケーション力をつけ、それが恋愛にも応用されるのです。
だから異性だけでなく友達関係が良好に築けることが恋愛にも有益となるのです。

この回答への補足

>恋人も友人も基本は「一緒にいて楽しい」です

それは、「利用」できるから、楽しいのではないでしょうか。

>人間関係を構築するなかでコミュニケーション力をつけ、それが恋愛にも応用されるのです。

相手に「利用」されるための<スキル>でしょうか。

>異性だけでなく友達関係が良好に築けることが恋愛にも有益となるのです。

恋愛とは、「搾取の関係」のようなものではないでしょうか? 

補足日時:2014/09/08 14:09
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まず、最初に。

友達は大事ですよ。多くいる必要はありませんが、その人の幸福度に強く影響する存在になり得ます。その人の社会生活を恒常的に活性化させ、その人の生存能力を相互作用として高めます。関係性のリスク回避も比較的安易です。そして恋愛は試練の大きい割に得るものが少な過ぎるのが、実感です。その癖過剰に人生を揺さぶり、その人の評価にもやたらと影響する。そして、ハッキリ言って無意味なんです。生殖においても短期決戦の方が圧倒的に有利です。何故に時間と費用をかけるに相応しい価値をあなたが見出すのか甚だ疑問です。そもそも、恋愛したい欲求って人間の本来に基づく衝動なんですかね。
と言う理由から、私にとって恋愛は文化的なものと位置付けるしか無いのですが、そう考えた場合には、より文化度が高い恋愛に辿りつく為に、より新鮮な情報が必須だと言うことになります。相手を品定める為には、異性を情報原とした方が有意であるという単純な思考性が異性の友人に価値を与えていると考えます。また、異性の友人がいると異性を俯瞰で見るという経験が頻繁になりますので、異性間恋愛の当事者になった際のリスク回避に役立てることが出来る。そして、とどのつまり、その人の周囲に血縁外の異性が存在することは、その人のモテ度を直接的に示します。例え純粋な友人関係であろうとです。何故ならば、その友人関係はお互いを有意な情報源であると評価しあっているからです。このように、考察しました。
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この回答へのお礼

面白い考察ですね。

お礼日時:2014/09/08 05:53

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