プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

クラシック音楽のアマチュア愛好家です。

常々、不思議に思っていたことがあります。

現代は音楽の情報は、音楽専門誌やインターネット、新聞、テレビ、ラジオなどでも手に入るのですが、昔の人々や音楽家たちはどのように、音楽の情報を手に入れていたのでしょうか。

ショパンだとかベートーベン、ドビュッシー、バッハ、ムソルグスキー、ラフマニノフ。時代を問わず、彼らがどのように情報を得ていたのかな、と不思議に感じています。

彼らがどのようにお互いに刺激を受けていたかとか、どのようにお互いの作品に触れていたのでしょう。

また、一般の人々はどのように音楽の情報を得たり、彼らの演奏に接していたのでしょう。

田舎の人々は、音楽の情報を手に入れるのは難しかったのでしょうか。都会に出ないと、音楽の情報は手に入りにくかったんでしょうか。

全ての私の質問に答えていただかなくても、どの切り口からでも、教えて頂ければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

こんにちは。

クラシックの音楽家です。
あまりこういうことを深く考えたことはなかったので、意識して調べたことはないのですが、基本的に考えられることとして、

音楽家自身の旅行、移動による見聞
音楽家同士の(国境を越えた)交流、ネットワーク
師弟関係による未知の音楽の紹介
演奏会などの実演をたくさん聞く
新聞の音楽批評や音楽新聞、雑誌の情報
楽譜の流通
楽譜を読むことで音楽を頭の中で再現する
オーケストラの楽譜でも、ピアノで弾いてみる
手紙、郵便によるやり取り

などがあげられます。

最初に楽譜についてお話してしまいますが、機械で印刷された楽譜が初めて登場したのは、グーテンベルクが活版印刷を開発した20年後の1473年ですので、かなり古くからあったことになります。もちろん高価だったはずなので、筆写されることもあったでしょう。作曲家の自筆楽譜を弟子たちが筆写して広まるということももちろんありました。モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ショパンたちも、当然バッハの楽譜などは持っていて、常に弾いていましたし、ブラームスがピアノのレッスンでショパンの曲の演奏を指導している記録もありますので、楽譜に関しては、現在とそれほどかけ離れた環境とはいえないでしょう。

さて、昔の音楽家たちは、勉強のためや、見聞を広げるため、外国にまで足を延ばしましたから、異国でその地の音楽に触れたり、音楽家と知り合ったり、また、貴族などのもとで楽譜のコレクションを見たこともあったと思います。
たとえば、バッハは、1705年に4週間の休暇を取り、400キロ離れたリューベックまで徒歩で旅行し、そこでブクステフーデというオルガン奏者の演奏に学びました。モーツァルトは、若いころ、3度にわたってイタリアへ行っていますが、そこで作曲を習っています。オペラなどのイタリア音楽には十分触れたはずです。パリやロンドンへも行っていますので、そこでもいろいろな音楽に触れたでしょう。また、1777年には、ドイツのマンハイムへ行き、そこでマンハイム楽派の作曲家たちから影響を受けています。
ベートーヴェンは、モーツァルトに師事したくてドイツからウィーンへやってきましたが、その希望はほとんどかなわず、ハイドンやサリエリに師事しました。サリエリはイタリア人なので、そこでイタリアの音楽に触れる機会はあったと思います。また、モーツァルトやベートーヴェンの時代には、ウィーンでもイタリア・オペラは盛んに上演されていましたので、聞く機会はいくらでもありました。ベートーヴェンが特に尊敬していたのが、イタリア人作曲家のケルビーニで、ケルビーニがウィーンへ来た時に会っています。ベートーヴェンは、自分のオペラ「フィデリオ」や「荘厳ミサ」の作曲に対して、ケルビーニから助言をもらっています。ヨーロッパ諸国は地続きですので、今のようにインターネットや飛行機がなくても、かなりの行き来があったということです。
ショパンにしても、青年期にベルリンへ行き、作曲家たちと会ったり、それまで知らなかったオペラなどの音楽を知ったりすることになります。その後も、ウィーンやパリへと転々としています。
ドビュッシー、ムソルグスキー、ラフマニノフの時代は、すでに近代なので、情報はかなり豊富だったと思います。しかし、録音はまだ普及していませんので、たとえばドビュッシーは、ドイツのバイロイトまで足を運んでワーグナーの音楽を聴いています。また、チャイコフスキーのパトロンだったフォン・メック夫人はドビュッシーと交流があり、ドビュッシーはそこでチャイコフスキー楽譜を見たりしています。また、パリの万博で、ガムラン音楽なども聞いています。

録音のなかった時代は、実際に音楽を聴いて学ぶためには、ひたすら実演に触れることしか手段はありませんでした。ですから、今の我々から比べれば、一回ごとにかなり集中して聞いたでしょうし、音の印象をできるだけ記憶し、その後、ひたすら楽譜を隅々まで読み込むことによって学んでいきました。先ほど、ドビュシーがバイロイトまでワーグナーを聴きに行った話をしましたが、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンも、マーラーの交響曲の初演を聴くためだけに、列車で何時間もかかるところへ行っています。それだけ熱心に、機会は逃さなかったということです。ガーシュインのラプソディ・イン・ブルーが初演された時も、聴衆の中には、ストラヴィンスキー、ラフマニノフ、ストコフスキー、ハイフェッツ、クライスラー、スーザなどの著名人がいました。
あと、録音を聴くことに代わる勉強法は、自らピアノで弾くことです。オーケストラ曲のピアノ連弾用にアレンジした楽譜も古くからありましたが、作曲家や指揮者が身につけなければいけない技術として、スコアリーディングというものがあり、これは、オーケストラのスコアをそのままピアノの譜面台に乗せて弾いてしまう技術です。そもそも、音楽家が勉強するに当たっては、録音を受け身で聞くより、自分で演奏しながら聞く方がよいということもあります。
また、音楽を響きとして記憶する能力と、楽譜を読む能力が高まれば、実際に聞かなくても、楽譜から想像できるということもあります。私の若いころは、CDはもちろん、ウォークマンもありませんでしたので、戸外で音楽を聴く方法はほとんどありませんでした。それで、聞きなれて記憶している曲の楽譜を持って出かけ、電車の中でそれを読みながら頭の中で聞いたものです。
リヒャルト・シュトラウスやマーラーは歌劇場の指揮者として、チャイコフスキーやプッチーニのオペラも指揮していましたが、彼らが色々な作曲家の楽譜を貪欲に読んでいたらしいことが、二人の往復書簡からも読み取れます。

なお、ラフマニノフの時代は、録音もできるようになってきており、ヴァイオリニストのナタン・ミルシテインの自伝を読みますと、ラフマニノフの自宅で、ホロヴィッツなどと、自分たちの演奏のレコードを一緒に聴き、ここが弾けているとか弾けていないなどの議論を交わしている情景が出てきます。ドビュッシーやリヒャルト・シュトラウス、ラヴェルといった作曲家たちの演奏の録音も残っています。

あとは、新聞の音楽批評や音楽雑誌です。かなり古くからありました。サリエリがモーツァルトを毒殺したのではないかというのは、新聞の記事にも出ました。1798年には、ライプツィヒで「一般音楽新聞」というものが創刊されていますし、シューマンが1834年に創刊にかかわった「新音楽時報」という雑誌は、今日まで刊行が続いています。そういう情報源もかなりあったということになります。

情報交換に関しては、個人の間での手紙や楽譜の郵便による交換という形で頻繁に行われていたはずです。今のわれわれから見ると、面倒なことのようですが、それしか手段のなかった時代の人にしたら、当然のことと言えます。

なお、地方と都市の間では、情報量は極端に違ったと思います。田舎暮らしの人は、基本的に、何らかの方法で楽譜を手に入れ、自宅の小さな鍵盤楽器で演奏したり、一緒に歌ったりしたと思います。しかし、それも、比較的上流階級の人たちのサロンなどでの、限られた楽しみだったと思います。

長くなりましたので、この辺で終わりにします。

御参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

貴重な時間をいただき、回答をしていただけたことに、まずは感謝したいと思います。

時代考証をもとに、わかりやすく一つ一つ教えて頂きました。

それぞれのエピソードをじっくり読み込むと、胸に染みいる思いです。私が、そしてtastenkastenさんが音楽に対して抱いている気持ち同様に、かつての音楽愛好家たちの音楽に対する熱い想いが、ひしと伝わってくる思いです。

私が中学生の頃、ミュージック・エコーという音楽雑誌があったんですよ。それを親が定期購読してくれました。

その雑誌の付録はEPがついていて、著名な音楽家の演奏が収められていたのです。毎月の新刊の到着を心待ちにしたものです。

中学では、音楽の授業もあり、代表的な作曲家を文科省(当時は文部相)の検定教科書で学んだものです。

高校時代からはロックの洗礼を受け、クラシックからは距離を置く日々を送ります。

それでも、好きなロックミュージシャンがクラシック好きだったりと、常にクラシックが気になっていたのも事実です。

そんな折、ツィッタでやりとりする友人によるクラシックのツイートで、聞いた事もないクラシックの音楽家を紹介してもらいました。

学校の教科書で扱うミュージシャンが音楽家たちの氷山の一角であることも、すぐに理解しました。そして、教科書で扱われていないからと言って、劣った音楽ではないことも知りました。

そして、聞いた事もなかった音楽家についてネット検索するたびごと、その音楽家を巡る人間模様に心動かされました。

そうこうするち、今回の質問が浮かんできたのです。

このたびは私の些細な質問ながら、誠意ある回答を頂き、大変感謝しています。

重ねてお礼を申し上げたいと思います。

Tastenさんの今後のご活躍をお祈り申し上げます。

お礼日時:2014/09/15 02:27

#1です。



すみません、

>現代は音楽の情報は、音楽専門誌やインターネット、新聞、テレビ、ラジオなどでも手に入るのですが、

ここだけ読んで早とちりして「一般人にとって」だと思っていたら、音楽家のこともだったんですね。
失礼しました。

「サロンで」というのは聴く側のことです。

現代であっても、当の音楽家自身が雑誌やネットで間接的に情報を仕入れるというのは主流ではないと思いますよ。

習いに行けばそこで先生や生徒に会うし、上手くなれば演奏する場に出ることになるし、そうすればさらに人に知り合うでしょう。実際に触れることのほうが多いだろうと思います。

田舎は、創作活動の場には良だろう思いますが、発展途上の人が学ぶには不利だと思います。学ぶ環境が整っていないし、切磋琢磨できませんので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大丈夫ですよ。私の方こそ、言葉足らずだったかと思います。

chateraさんが、おっしゃるように、やはり情報は、直接人を通してというのが、よく理解できます。

やはり、間接的な情報というのは、やはりあくまで部外者的なスタンスにいる人の情報入手方法なんでしょうね。

それにしても、こうして現在から遠く離れた時代の音楽が、連綿として伝えられているのは素晴らしいことですね。

私のような単なる音楽愛好家でさえ、居ながらにして素晴らしい音楽に出会える幸せを感じます。

でも、その影には恐らく、素晴らしい作曲をしながらも、世に問うこともなく、あるいは評価される機会もなく、埋もれていった作品群も多かったのでしょうね。

回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/20 17:16

    #2です。

補足です。

>>田舎の人々は、音楽の情報を手に入れるのは難しかったのでしょうか。都会に出ないと、音楽の情報は手に入りにくかったんでしょうか。

    僕は田舎を含めて他の土地での音楽はその豊かな源だと思います。バッハには民謡や流行歌を取り入れたいわゆる『農民カンタータ』(下記)がありますし
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%97% …
中近東への憧れがモーツァルトとベートーベンの『トルコ行進曲』になり、ハンガリーへの興味はブラームスの『舞曲』やリストの『狂詩曲』を生んでいます。

    また故国ポーランドの音楽無しにショパンは語れないでしょうし、イギリスの民謡はヴォーン•ウイリアムズの大切な資源だったようです。

ダンディーの『フランスの山人の歌による交響曲』(下記)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9% …
プロコフィエフには『ヘブライの主題による序曲』(下記)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD% …
    などを眺めると、異境や故郷への思いが音楽の泉のもとのように思えます。
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この回答へのお礼

なるほど、と色々と感心しながら、読ませて頂いています。

クラシックと聞くと上流階級の音楽というイメージもある中で、庶民の芸能を取り上げた作品、作曲家がいた、というのは目からウロコでした。

貴族の音楽が、一般大衆の音楽よりも高級だということを意味していない、とは理解していても、実際に、たとえばバッハが『農民カンタータ』のような作品を書いているとは、全く知りませんでした。

さらに、異境や故郷への思い、という観点での話もとても興味深く読ませていただきました。時代は違っても、人の心のありようは全く変わりませんね。

最近知ったのですが、ヘンデルはドイツ生まれですが、イギリスに帰化したんですね。

彼が生まれ育ったドイツ人としてのアイデンティティーが、渡英してからの音楽活動に、どう反映されたのか、とか、或いは、反映されなかったのか・・・とか、妙に気になってしまいました。すみません。余談でした。

ショパンの話やヴォーン・ウィリアムスの話も面白く読ませて頂きました。

話を日本に限ってみても、故郷を思って歌う童謡は、とても心に染みいりますね。同じように、望郷の念がいにしえの作曲家たちの心を突き動かしてきたという事実には、心動かされますね。

回答の捕捉、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/15 00:50

時代によっても違うと思います(とはいってもバッハからドビュッシーまでたかだか200年ですけど)が、自分はドビュッシーが好きで関連書を割と読んだので、1900年前後の知る限りのことを。



まず、サロン。それから演奏会。・・・音楽交流や情報交換の場として、この2つがよく出てきます。さらに音楽家であれば、協会や、芸術家だけのサロン(ドビュッシーであればマラルメ主催の「火曜会」とか)のようなものもあると思います。あと、書店も若いドビュッシーの情報源の1つだったみたいです。(楽譜は勿論ですが、レコードもあったのか・・?)
特に、当時の文芸サロンは様々なジャンルの芸術家や文化人で賑わい、芸術論議や新しい芸術作品の発信地であると同時に、芸術家達の人脈作りの場となっていたようです。上流階級が集まるようなサロンもパトロンからただの道楽のご婦人まで様々いたようですが、お金持ちが芸術家を集めるというよりも、当時の芸術家達は金持ちのパトロンと切っても切れない存在だったようですから、双方で芸術活動が成り立っていた感じですかね。サロンでは芸術家達が様々なピアノ曲を演奏することは勿論、管弦楽・室内楽曲なんかもスケッチがピアノで奏でられていたと思います。(レコードも備えてあったのかも・・)
演奏会は、やはり気に入った作品や新作発表には音楽家達はわざわざ出向くことが多いようです。ラヴェルなんかはドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」定期公演を40何回?だかとにかく凄い数を聴きに行ったとか。それくらいこのオペラは当時の若い音楽家の見過ごせない作品だったようです。このことからも新作は(少なくとも楽譜や録音が出るまでしばらくは)公演に出向いて聴くしか手段が無いことは伺えます。
ちなみに島崎藤村はパリでドビュッシーの生演奏公演を観たと言っています。ドビュッシーは人前に出ることを好みませんでしたからこれはレアでしょうね。その時聴いた作品の多くが初耳だった様子からも、ドビュッシー程の当時の最新人気音楽でも、一般人がたまたま聴くといった機会は今と比べてもかなり少なかったのでしょう。
当時は既にレコードのような録音メディアはあったと思いますが、ドビュッシーが個人的に「レコードを聴いていた」といった記述は自分は一度も目にしたことがありません。あまり一般化していなかったのでしょうか・・・よくわかりませんが。「ピアノで弾いた」といった記述はよく見るので、音楽を鍵盤で楽しむしかなかった前時代の名残がまだあったのかもしれません。

ただ、ドビュッシーは当時からかなりの人気音楽家で熱狂的な信奉者も多かったらしく、「やつらはいずれ私を殺すだろう」といった言葉を残しています。(今の人気ロックミュージシャンと同じで微笑ましいですね~。)
自分はこの辺のファン達がどういった層なのか全くわかりません・・・。少なくともドビュッシー周辺の記録には出てこないので、お金持ちでもなく、有名芸術家達ともあまり接点が無い層なのかもしれません。こういった人達は、演奏会以外で音楽に触れる機会があったのでしょうか・・?あまり無いような気も。だとしたら当時の音楽公演は、テレビの無い時代の映画みたいなポジションだったのかもしれませんね。
当時の音楽家や演奏家は、国境や海を越えて(ラヴェルはアメリカまで行きました)頻繁に演奏旅行に出向いていたようですから、当時の最新音楽に触れられる範囲というのは割と広かったかもしれません。


 >田舎の人々は、音楽の情報を手に入れるのは難しかったのでしょうか。
難しいというか、少なくとも古典以前は(宗教音楽を除くと)音楽が大衆の「共通の関心事」ではない時代だったのだと思います。
例えば、モーツァルトのような古典時代は、上流階級が主な顧客だったという話から上品で高尚な音楽か何かと勘違いしている人もいるようですが、当時の貴族というのは今の教育された皇族・貴族なんかとは大きく異なり当時の「成り上がり」の集まりやただの「道楽好き」であり、しかもこういった当時の流行音楽で遊んでいたのは貴族くらいしかいなかった訳ですから、まさしく当時の「大衆音楽」そのものなのですね。(宗教音楽だったバッハとは大きく異なり、モーツァルトの音楽性からもその傾向は少なからず伺えると思いますけどね。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

思うに、レコードっていつから音楽を記録するメディアとして普及したんでしょうね。ネット検索しても、ぴったりのサイトに出会えませんでした。

それでも、gld fishさんの回答で、様々な手段を講じて、新旧問わず、世の音楽に触れようとするミュージシャンたちの努力が伝わってきました。

現代は様々な音楽情報が、時を飛び越えて、そして同時代のインターナショナルな動向までも入手できる時代ですね。行ってみれば、時代を縦断的、或いは横断的に音楽を手に入れられる時代ですね。

それだけに、アーチストは自己表現に苦しむ時代かも知れません。

ドビュッシーの話、伝わってきましたよ。私のような素人なりに、ドビュッシーは好きな作曲家なのです。

個人的なつまらない話ですが、自分はピアノも習ったことがなく、クラシックの素養も全くない人です。

それでも、学生時代、富田勲のシンセサイザー・ミュージックに感動したのを機に、ドビュッシーの曲をピアノで弾いたみたいと思うほどにドビュッシーを聞き込みました。

学生時代になって初めてピアノに触れました。独学野郎ですが。その目的の一つが、とにかくドビュッシーのまねごとをしてみたい、という思いが強く、バイエル風から始め、たどたどしくピアノをポロンポロンしてました。

それが、この年になってアラベスクNo2が弾きたい!っと思い、二年間かけて、ようやくたどたどしくアラベスクNo2のまねごとごっこが出来たんです。とても、ひどくて音楽とは思えない出来でしたが。それでも、まねごとが出来たことは天にも昇る気分でした。

何だか、ドビュッシーの心を自分に移した気になって嬉しく思ったものです。

自分は音楽が好きで、中学からクラシックには自分なりに親しんできました。やがて、ロックに目覚める中で、クラシックからは離れてしまいました。

けれども、ツイッターでやりとりする友人がクラシックも好きで、彼の紹介してくれるクラシックをフォローするうち、再び、クラシック音楽への憧憬が蘇ってきました。

そんな中での、今回の質問でした。

色々と、新しい視点を与えて下さってありがとうございます。丁寧に教えて頂き、ありがとうございました。

心より感謝いたします。

お礼日時:2014/09/15 02:01

    バッハなどは、少年時代、音楽を書くのをとめられていたので、よそで聞いたいい音楽を夜、家人が寝静まったあと、こっそりと書き留めた、とどこかで読みました。



    たいてい、初期は、親兄弟に音楽好きがいて、それを受け継いだり、音楽一家の一員だったり、するのが多く、後になると○○音楽院などで、作曲を習ったりしたようです。

    商売仲間での情報交換もあり、シューマンがショパンに作品を捧げたり、その返礼にショパンが何か書いたり、といったのは例でしょう。

    いろいろあるんでしょうが、まあ今のように不要な情報を巷に充満させるようなことが昔は少なく、音楽雑誌やインタ-ネットなど無くても音楽は聴けますから、むしろ雑物の無いいい時代だったように思います。
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この回答へのお礼

バッハの話は興味深く読ませていただきました。音だけを聞いてバッハを知ったつもりでいること以上に、バッハの人となりを感じさせられる話ですね。

考えてもみれば、自分はいかにも教科書的にクラシックの音楽家を理解するだけでした。

こうしたヒューマン・ストーリーに触れれば触れるほど、作品が生まれてくる背景を理解できるのかもしれませんね。

商売仲間での情報交換の話も面白く伺いました。アーチスト同士のつながりや、互いに刺激を与えあう様子が目に浮かぶようです。

それから、なるほどと思ったのが回答の最後の部分です。「むしろ、雑物のないいい時代」という下りです。

確かにそうでしょうね。今はあまりに情報がありすぎます。それも玉石混淆というか、必要な情報とそうでない情報とが、あまりに入り乱れて、取捨選択に賢くなることが、とても大切な時代です。

SNSやブログ等にしても、そうですが、私のような初心者には、情報を見極めるのが、とても難しく思われます。そうした意味でも、もっともっと良い音楽に触れる中で、正しいものを見極める目を養いたいと思っています。

回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/15 00:30

都会だったらサロンでクチコミじゃないですか?演奏会とかもやりそうですし・・・



田舎でも貴族とかなら社交界がありそうですが、都会ほどではなかったと思います。
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この回答へのお礼

 なるほどです。

 私たちが考える以上に、サロンは存在感もあったし、大切な意味を持っていたんですね。

 現代とは、人と人とのつながり方とか、メディアのあり方が全く違った時代。そんな時代にあって、人々は素晴らしい音楽を創造しようとして、また、素晴らしい音楽を求めようと一生懸命になっていたんですね。

 そんな様子を想像するにつけ、人の「感動」を求めようとする純粋な気持ちに心を打たれます。

 早々に回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/14 20:02

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